1.鈴城優哉 知らぬが仏
四時間目を終えて、ようやく昼休みというところで、校内放送を報せるアナウンスメロディーが流れた。
『2年C組の鈴城優哉くん、2年C組の鈴城優哉くん、校長室まで出頭しなさい。繰り返します。2年C組の鈴城優哉くん――』
教頭がなにやら捲し立てている。
「……お前なにやったんだ?」
財布の中身を確認していた坂本寛貴――ピロシキが僕を一瞥した。
「……わかんない」
「本当に心当たりはないのか?」
犯罪者を蔑むような目で僕を見るな!
「……これと言って、ないけど」
あ、わかった、とピロシキが手を打つ。
「バカすぎて退学とか」
「それありそうで困る!」
ところかわって別棟・二階層にある校長室。
「――失礼しました」
校長室から退室した僕は、ドアをしめたことを確認して、がっくりと項垂れた。
校長の一言に、僕は激しく落ち込んでいたのだ。
落ち込む姿を晒したくないのでどこかにエスケープをしようと校長室前から歩き出す。
一人になれる場所を脳内でいくつかピックアップして、的を絞り、男子トイレにこもることを決めた。
足取り重く、トボトボと近場の職員トイレへ足を運び出す。
「酷い落ち込みよう。ゆう、校長室でなにをされたの?」
抑揚のない声音で言われた。
校長室の前で待っていたらしいストーカー女・鈴城姫風が、僕の傍に寄ってくる。
……わざと視界から外していたのに。
「……別に、なにも」
校長に言われた数々のことを思い出して、思わず涙が出る。
『点数だけなら、我が校に君は入学も、ましてや進級もできなかった』
『他言はしないと思うが、これは他人には喋らないように。もし喋ったら、君を退学にしなければならない』
『義理とは言え、百合の息子であり、俺の甥っ子になったんだ。甥っ子を退学させるのは偲びないだろ?』
『どうも姫風ちゃんは君が好きらしい。これからも姫風ちゃんを大切に扱ってくれ。大切に扱ってくれないと……わかってるね?』
とくに最後の『姫風を大切に』と言うフレーズの箇所は、眼力が違った。首を縦に振らなければ、ビームかオ●ティックブラストが出ていただろう。
我が校の校長は、鈴城姫風の母親・百合さんの兄にあたり、姫風の叔父だった。
つまり、僕はストーカーとその家族により、完全に周囲を固められていた訳だ。
「なにこの包囲網」
しかも、そのストーカーに寵愛されていなければ、僕は中学浪人が決定していたらしい。
「は、はは……なにこの事実。すごく面白い」
どうりで去年一年間赤点しかとっていなくても、無事に進級していた訳だ。
無表情な姫風が僕の涙を指の腹でさりげなく拭う。僕は彼女のそれを振り払う元気すらない。
「ゆう、泣かないで? 叔父さんに、なにかされたの?」
ええ、入学と進級について少々。
「ちょっと叔父さんを怒ってくる」
僕のなんとも微妙な顔色を見てとった姫風が、くるりと踵を返した。
「やめて! 僕が退学になる!」
僕は急いで姫風の肩を掴み、その動きを静止させる。
「退学?」
しまった。失言だった。
無表情な姫風がトイレに駆け込もうとする僕の両肩を掴む。万力ばりの膂力に逃げ出すことができない。
「叔父さんに弱味を握られているの?」
ええ、入学と進級について少々。
「そ、そんなことないよ? もう全然! こ、これっぽっちも!」
「ゆうは弱味を握られている」
断定されてしまった。
僕の嘘はなぜかバレやすい。
「弱味を、話して」
「……嫌だ」
だって退学になるもん。
「弱味を握られてるって、認めた」
うぐ、しまった。
「誘導尋問をかけるなんて卑怯だぞ!」
「今のは、ゆうの自爆」
「う、うるさいなぁ! もうどっかに行ってよ!」
僕のモンクに、姫風が人差し指を突き出す。
「一、叔父さんの所へ殴り込み。二、ゆうが弱味を話す。三、私と挙式。この中から好きなものを選んで」
どれも僕の死亡フラグじゃないか!
「四、黙秘!」
すかさず僕も対抗。
しかし姫風も新手を出す。
「五、拉致・監禁。六、納骨」
「の、納骨!?」
間を省きまくりだ! しかも犯罪臭溢れる選択肢だなオイ!!
姫風が懐からA4サイズの薄っぺらな紙面を取り出す。
「このままだと埒があかないから、二択にしてあげる」
その紙面には『婚姻届』と書いてあった。既に僕の名前が書いてある。
これは……父親(加齢臭)の字だ。僕、売られた!?
「私に弱味を言う? それともこれに判を――」
「い、言う! 是非言わせて下さい!」
僕が言うや、無表情な姫風の顔は残念そうな表情に一変する。
ちなみに右手に婚姻届、左手に実印を装備した姫風は、ブ●リーより強そうに見えた。
教員用トイレの個室に姫風を連れ込み、僕は校長に訊かされた内容を包み隠さず語った。
全てを聞き終えた姫風が、無表情で僕を見つめ、抑揚のない声音で問いかけてくる。
「ゆうはどうしたいの?」
「どうしたいって……」
そう言えば僕はどうしたいのだろう。
「叔父さんに痛い目をみせる? 手筈は任せて。ゆうのやりたいように、私が動くから」
「やりたいように……」
無表情な姫風が僕の手を取り、自分の頬に押し当てる。
「なんでも言って。ゆうの理想を実現するのが私の使命だから」
「お前はロ●ムか」
「ロ●ム?」
そうか。バビル●世を知らないのか。
「僕の理想ねぇ……これと言ってないけど」
入学も進級も赤点連発で辛うじて退学になってないのも、元を正せば、ストーカー・姫風のお陰だし、百合さんのお陰だし、校長のお陰でもある。
実のところ理想とか不満とかはない。
ただ、やるせない現状と、自分の脳のバカさ加減に落ち込んでいるだけなんですよ。
「謙虚なゆうも好き」
僕の発言を逐一美徳と感じる脳は、一度MRI検査を受けた方が良いと思う。
「そろそろ放せ」
姫風の凄まじい膂力の前に、僕は手を引き抜けない。
と言うか、手の甲に感じる姫風の体温に、徐々にだけど変な気分が込み上げてくる。
「恥ずかしがらないで?」
よく見て。恥ずかしがってないから。
校長、僕は姫風に振り回される毎日です。