悪役魔導士は第二王子の恋情を消火したい
『ゴォォォォォッ――!』
午後二時。イオフィエル魔法帝国の城下町。
穏やかな昼下がりを打ち壊すように、商家の一角から黒煙が立ち上っていた。
「誰かー!息子と犬がまだ中にいるの!」
母親の悲鳴に周囲が騒然となる。火元は一階。炎は階段を這い上がり、二階へと広がり始めていた。
「おい!火はまだ消えないのか!」
「これ以上の水量は危険です!隣家が水浸しになってしまいます!」
「やむを得ない……!誰か彼女を呼べ!この手の火事を一瞬で終わらせる魔導士がいるんだ!」
聞き覚えのある情報に、私の思考が一瞬そちらに気を取られる。
――多分私のことよね?違ったら結構恥ずかしいわ……。
そんなことを考えながら、私――シュプリ・マーシフリーは燃え盛る建物に飛び込んだ。
「――『消火魔法』!」
魔法を唱えた瞬間、建物中を暴れ回っていた炎が嘘のように消え去った。
立ち込める熱気をぬって進み、『命の灯』を頼りに階段を駆け上がる。
「もう大丈夫よ」
クローゼットの中では、少年がペットの子犬を抱き締めたまま震えていた。
「……!」
「クゥン……」
無事救出された二人と一匹を見て、母親はその場で泣き崩れた。隣にいた主人も目頭を押さえながら、震える声を漏らす。
「流石――帝国軍の第一騎士団だ!」
☀☀☀
「まぁ違うのだけど……」
「別にいいじゃない。将来の就職先(目標)なんでしょう?」
「たまたまシュプリが近くにいて本当によかったわね」
イオフィエル魔法学園。それは身分を問わず、優れた魔力を持つ者たちが実力を磨くために設立された学び舎だ。
小さな男爵家の令嬢である私の『消火魔法』が活躍するのは、たいてい炎系魔導士がやらかした後の後始末。なので今回のような街中での救助活動はかなり珍しい。
――人前に出るのは得意じゃないけれど……こういう時のための消火魔法よね。
通りすがりにひと助けした私は少し気分が良くなり、後日、貴族の友人たちとの雑談に花を咲かせていた。
「シュプリ!ここにいたのか」
「え?」
突然グイッと腰を掴まれる。視界が反転し、私は誰かの肩の上に担ぎ上げられていた。
「あ、あぁ……リュクス様」
「『様』は不要だと言っただろう」
「貴方様を前にそのような無礼は」
「は?」
「リュクス……ついでといっては何ですが、下ろしていただけませんでしょうか」
「却下だ。逃がしたくない」
イオフィエル魔法帝国第二王子――リュクス・イオフィエル。彼にこんな扱いを受けている生徒は、知る限り私だけだ。切実に後任を募集したい。
「俺がどれほど探し回ったと思っている」
「恐れ入りますけれど、リュクスとお会いする約束はなかったと存じますわ」
「昨日のこの時間、知らない男たちに口説かれていたじゃないか」
「それ、は……クラスメイトたちと世間話をしていただけです!何ですかその誤解は!」
――全部間違ってる!
心外だ!相手にも失礼だと抗議すると、同学年とはいえ別クラスで、それ以上の関係でもないリュクスはふいと顔を背けた。
「こっちの気も知らないで……そんなかわ、中途半端な怒り方をするな」
「精一杯自制しておりますの!お願いですから、これ以上目立つ前に下ろしてくださいませ!」
――貴方が王族じゃなければ……こちらも『胃もたれを起こす魔法』で抵抗するのに!
「……本当にただの世間話だったのか?随分と話が弾んでいるように見えたが」
「友人とのボーナス論争が思いのほか加熱していまして……私でも消火不能でしたわ」
「くだらない言い逃れはよせ。先週、俺との約束に遅れた時も同じことを言っていただろう」
「いいえ。前回は先生方の預金残高バトルを観戦……痛い!」
担がれて連行されるだけでも十分理不尽なのに、リュクスは私の頬にがぶりと噛みつくという暴挙に出た。
「俺より金が大事だって言うのか……?」
大事です離れてください。そんな切実な思いは届かず、彼は不穏な瞳で私を見据える。
――不味い。かなりオコだわ……こんなときの必殺!
「一旦落ち着いてくださいませ……『怒りの消火』」
私の魔法は、どんなにメラメラな炎であっても一瞬で鎮火させる。そしてそれは、物理的な火だけに限らない。
魔法は想像力次第で無限の可能性を秘めている。例え目に見えないものであっても、私が『火』と認識したものなら消すことができた。
険悪な空気の中で火花を散らしている相手に使えば、その火花は霧散する。怒りに燃える相手に使えば、頭を冷やして話し合いに応じる余裕が生まれる。
だから私は『俺が悪かった。いくらでも君の友人と金インゴットの時価について語るといい』と謝らせ……じゃなくて、あくまで穏便かつ迅速に事態を収めるため彼に消火魔法をかけた。
なのに――
「全く腹立たしい……攻撃魔法でもないくせに、何故お前だけは俺の思い通りにならない……!」
「はれぇ!?」
――彼は私を抱き込む力を強め、その瞳をさらに険しく細めた。
「ば、馬鹿なッ!リュクスの『怒りの火』は鎮火したハズ……」
「シュプリの顔を見たら再燃した」
「酷いですわ!一体どれほど、私のことがお嫌いだと言うのっ……!?」
覚えたての淑女らしい仕草で口元を隠し、よよよ……とか弱い被害者を演じる。逆効果だと理解しつつも、私は諦めて説教を聞く覚悟を決めた。
「好きだが?」
「……え?」
だが彼の口から飛び出した言葉に、私は全力で耳を疑った。
「――リュクス様!ようやく見つけましたわ!」
そこへリュクスの婚約者候補として名高い実力者――伯爵令嬢のラウラ様が乱入し、有無を言わせぬ勢いで私から彼を引き離してくれた。
去り際に『後で覚えていなさいよこのカス』と言わんばかりの視線を向けられた気がする――が、私の頭の中はそれどころではない。
――好き……それは『弱い固有魔法を使う私を揶揄うことが三度の飯より好き』という認識で良いのかしら。
第二王子であるリュクスが、私のような下級貴族を恋愛対象にするハズがない。そう結論づけ、深く考えずに午後の授業へと向かった。
☀☀☀
「シュプリ・マーシフリーさん」
放課後の廊下を歩いていると、澄んだ声が私を呼び止めた。
「少し……お時間をよろしくて?」
辺境の男爵令嬢である私と、伯爵令嬢であるラウラ様。その立場の差は、断るという選択肢を最初から奪っていた。
もちろん了承致しますわよオホホと従う。例えこれから待ち受ける話が厄介極まりないものだとしても。
人目のない温室へ移動し、私とラウラ様はテーブルを挟んで向かい合った。
「消火魔法……魅惑的な魔法ですこと。わたくしが以前から貴女に視線を注いでいたこと、お気づきでしたかしら?」
「え……っ。それは本当ですか?」
「文明の象徴たる火を消すだけの魔導士の分際でリュクス様の婚約者であるわたくしよりも親しげに振る舞い、呼び捨てまで許されている貴女のことが……以前からずっと気になっていましたの」
「…」
喜びから一転、剥き出しの重圧と強めの毒に大して強くもない心が抉られてしまった。
――しんどいわ……これはどう謝罪すれば……。
「リュクス様とそれほどまでに親交を深められました経緯を、わたくしにもお教えいただけないかしら」
「は、はい……」
思わぬ助けとなる問いかけを受け、謝罪の言葉を選びあぐねていた私は正直に話すことにした。
――ロマンティックでも何でもない話だけれど……。
これは先月に起こった話。固有魔法を高めていく過程で、形なき感情さえも消火対象となり得ることに気づいた。
特定の感情を思い浮かべ、意識を切り替えるように集中すると『感情の火』が見える。
訓練場には闘志、対抗心、執念といった火。職員室には野心、使命感、愛国心の火。図書室や研究室には、向上心、探究心、好奇心などの火が煌々と燃えていた。
ヤンチャでわんぱくキッズだった頃の私なら、遊び半分でそれらを片っ端から消火して回っていたと思う。けれど今の私は、十七歳なりの理性と良識を持っている。もっとも『火は消してもすぐに点く』という考え自体は変わっていないが。
「――ひときわ大きい『感情の火』に惹かれるように足を運ぶと、それはリュクスの身から立ち上る業火でした」
一ヶ月経った今でも、その光景ははっきりと覚えている。彼は髪色と同じドス黒い『殺意』の火を纏い、三人の上級生と真正面から対峙していた。
「彼らもまた同質の火を宿していましたが……リュクスのそれとは比べものになりませんでしたわ。別クラスで接点のなかった私が彼に抱いた印象は『感情激重王子』でした」
『ピシッ』
ガラスのテーブルに亀裂が走ったかのような音がする。それでもライラ様は微笑を崩さず、続きを待つ姿勢のままだった。
――失言だったかしら……でも私がリュクスのことを何とも思っていないことを分かって欲しかったの!
「互いの敵意や殺意を排することが正義だと教わった私は両者の間に身を投じ、消火魔法を放ちました。『燃えるような敵対心』を失った上級生は『???』みたいな顔をして去っていきましたが……リュクスは私が何の魔法をかけたのかとしきりに問い詰めてきました」
私に対して特定の感情が燃えているわけではなかったが、強い疑念を浮かべたその顔は普通に怖かったことを覚えている。
『敵意の火を消火しただと……!?騎士道精神に反する、邪道な魔法だな』
『無益な流血を避けたのですから、むしろ喜ぶべきでしょう。非難される筋合いはございません』
『貴様、俺の騎士道を侮辱する気か……!そこまで言うなら覚悟はできているんだろうな。名を明かせ!』
この辺りでようやく、彼がこの国の第二王子であることに気づいた。再び燃え上がった敵意の火を消し止め、狭量な彼から全力で逃げて――今のような距離感に至る。
「リュクス様も炎の魔導士でいらっしゃいますから、天敵とも言える貴女の魔法が珍しいと感じたのね」
「仰る通りですわ」
リュクスに関しては他人事のように冷静な私を、ラウラ様は値踏みするような視線で見つめ――顔の前で指を組んだ。
「ならば……『恋の炎』も消火できるのではなくて?」
火でも炎でも焔でも、私がそれを『火』と定義できるなら話は同じだ。ラウラ様がおっしゃる『恋の炎』とやらもきっと、私は消し去れる。胸を焦がす熱を冷まし、興味すら抱かない状態へ戻すことも可能なはず。
――『消火魔法が魅惑的』、『以前から視線を注いでいた』……まさか。
「どうして、急に……」
「あら。まさかご自身でお使いになったことがおありでして?」
「使ってないわ!そんな魔法……」
私は――たとえ『彼』を想っていたとしても、悪者になってまで手に入れたいとは思わなかった。
幼い頃の初恋の相手が友人と重なるなんてよくある話だ。自分ではなく友人の方が相手と結ばれることも。
当時の私は何度も考えた――『二人の恋の炎が消えてしまえばいいのに』と。
けれど結局、怖くて実行できなかった。今となってはそれでよかったと心から思う。
もしも恋によって結ばれた二人の未来を奪っていたのなら――私は一生消えない業を背負うことになっていた。人の幸福を奪い、自分の願いのために未来をねじ曲げた悪役として。
「たとえ今はリュクス様がこちらを振り向いてくださらなくても、将来そのお隣に立つのはこの私……ラウラ・ソレールですわ。こんな風変わりな野菜に気を取られる程度の感情なら、恋愛感情などむしろ邪魔ではなくて?リュクス様はこの国の第二王子殿下。野菜一つに目移りするような軽薄さは相応しくありませんもの」
「…」
「シュプリさんも、そうお思いになりますわよね?」
そう言ったラウラ様は、優雅な笑みを浮かべたまま二枚の封筒を差し出した。
一枚はやたらと分厚く、中には私が大好きな札束がぎっしり詰まっている。
薄い方の封筒には、退学届の用紙が入っていた。
――これは……要するに『リュクスに恋心の火を消火する魔法をかけ、この金を受け取るか』。それとも『断って退学するか』の選択肢を迫られているということなの?
流石は伯爵令嬢。露骨な脅迫は何一つ口にしていない。それでも、ラウラ様からの忠告は実に分かりやすかった。
☀☀☀
私に残されていたのは選ぶ自由ではなく、従う義務だった。伯爵家の意向に逆らえば、辺境の男爵家など簡単に消し飛ぶ。
――かけ得よね。ラウラ様の前で『恋の消火』を発動した後もリュクスが私に近づいてくるのなら、単純に友達認定されているだけだと分かる。鎮火したならしたで万々歳。私は上流階級の敵意を買うこともなく、平穏な学園生活を送れる……。
ただでさえ暴走気味の言動に呑まれて息苦しいというのに、これ以上悪化されては困る。何より相手はこの国の第二王子。私の将来設計からすれば完全にアウトオブアウト――だから、どうか弁えてほしい。そう思った。
「脅迫されたからじゃない……」
次の日。ラウラ様と話をした温室で、私はゆっくり瞼を下ろす。間もなくラウラ様がリュクスを連れてここに来る予定だ。
――いっそ悪い魔導士になればいい。正しさではなく利益を選び、善意ではなく打算で動くような……。
悪役として振る舞えば、この選択も少しは受け入れられる気がした。
「私の魔法はこの国……いいえ、この世界にとって価値のある魔法だと思っていたのに……」
「……否定はしない」
聞き慣れた低い声に振り返ると、黒髪とウィスタリアの瞳が目に入った。私は咄嗟に発動者にしか見えない桃色の消火剤を投げる。
『恋の消火』
鎮火した感覚に小さく息を吐く。これで私とリュクスは赤の他人同然――そう思った矢先、私の両手が誰かの手に捕らわれた。
「今……俺との婚約を心から望むと言ったか?」
「言ってません!?」
驚きすぎて語尾が上がってしまった。リュクスは学友ですらないはずの私の手を離さず、最悪な予感しかしない笑みを浮かべる。
「『恋の消火』……何だその程度か。ご自慢の消火魔法でも、俺の業火は簡単には消えないらしい」
「……ぅ」
「ん?」
「嘘、でしょ……!?」
――そうだラウラ様は……!?
彷徨う視線の先で、私の右手はいつの間にか彼の心臓の上にあった。掌に伝わる鼓動は驚くほど速く、その熱はまるで私を侵食するかのようで――。
「初恋を舐めるな……消せるわけがないだろう。シュプリが俺のここに火をつけたんだ」
「……さっきから焦げよりクサいこと言ってません?」
「燃やすぞ」
――いっそ燃え尽きて……私もおかしくなりそう!
勢いよく離れて後ずさった拍子に、お尻が丸いガラステーブルの縁に当たった。ちょっと痛い。けどそんなこと言っている場合じゃないわ!
「……シュプリが灼けつくような暑さを消火して俺を涼ませてくれたことも、実技授業で熱傷による焼けるような痛みを消火してくれたことも知っている」
「炎天下の合同授業で消火したのは、今にも倒れそうなクラスメイトがいたからなのだけれど……」
決してリュクスの為にやったことではない。
「こんなことを言うのは柄じゃない、が……ゴホン。シュプリのそういった、身分など関係なく人を思いやれるところに惹かれた……かもしれん」
「熱傷の方も、超優秀な炎魔導士の貴方には全く意味のない処置でしたよね……!?」
「あまり褒めない方がいい。俺がシュプリにメロついているところを見たいのか?」
「メ……ッ!?」
先日、リュクスの腕が毒魔法による炎症を起こしたのだと思い込み、彼に消火魔法をかけたことがある。しかし実際には少し大きな火傷。火や熱への高い耐性を持つ彼が『焼けるような痛み』に苦しむはずがないのだから。
「この感情を消せるものならやってみろ。俺はもう諦めた」
「諦めないで!最後まで戦いましょう!」
「分かった」
と言いつつ彼は私の頬に口付けてきた。戦うってそっちの!?
――だ、誰か早く消火してぇぇぇぇぇ!
私が隣にいるだけで満たされたように笑うリュクスと相対するたび、どうにか幻滅させようと悪役らしい振る舞いを試みる。
しかしその努力はことごとく空回りし、着々と埋められる外堀に震えるのだった。




