袋に詰められた子供たち
第一章 ニック
俺はニック。
十人いる中じゃ一番背が高くて、みんなから「兄貴」だの「リーダー」だの呼ばれている。
別に好きでやってるわけじゃないけど、黙ってりゃ不安が伝染するから、仕方なく口を開く。
今夜、俺たちは研究所に集められた。
理由は「病気の治療」だとか。
発症してるのはまだ一人──ディール。やつはベッドに寝かされていて、顔色は悪いけど、目はしっかりしてる。
だから俺は肩を叩いてやった。
「なぁ、すぐ治るって。ほら、退院したら一番に走り回ろうぜ」
アリアが笑って頷き、ジョエルはおどけた顔をして変な歌を歌い出す。
みんな、少しでも空気を明るくしようとしていた。
俺はその雰囲気を壊さないように、わざと大げさに手を叩いた。
「おーし、合唱団でも結成するか!」
笑い声が部屋に広がる。
……だが、その瞬間だった。
急に、まぶたが重くなる。
頭の奥が鈍く痛み、意識が遠のいていく。
俺は歯を食いしばった。
「おい……変じゃねえか、これ……」
言い終わる前に、床が暗く沈み込むように視界が消えた。
---
次に目を開けたとき、俺は息苦しさでのたうっていた。
全身が何かに包まれている。
硬いのに柔らかい、ガサガサした感触。ブルーシートみたいな袋。
動けない。声もこもって出ない。
頭まで覆われて、酸素が足りない。
「……ッ、ふざけんな……!」
必死に足を突っぱねようとしたが、腕も脚も固定されている。
袋の外から、くぐもった声が聞こえてきた。
「苦しい人は言ってください」
冗談じゃねえ。
これでどうやって言えってんだよ。
息も絶え絶えで声が漏れもしねえのに。
隣から、アリアのかすれた声が「……っ……ぅ……」と響いてきた。
俺の胸が沸騰したみたいに熱くなる。
「おい!俺たちを……出せ!!!」
喉を裂くように叫んだが、声は袋の中で反射して自分の耳を刺すだけ。
返事はない。
ただ、職員の無感情な説明が続いた。
「この病気を治すには、地球での時間が足りません。
あなた方は、ご両親の了承を得て、宇宙へ送られます」
……宇宙?
何言ってやがる。
俺たちを袋詰めにして、まるで荷物みたいに。
怒りと不安と、どうしようもない恐怖が、胃の底からせり上がる。
俺は奥歯をきしませながら、ただ一つ心に決めた。
──必ず俺がみんなを助ける。
絶対に、こいつらの思い通りにはさせない。
第二章 発症
袋の中で息が切れ、胸が爆発しそうになった瞬間──
俺の周囲で「何か」が弾けた。
ガサガサとした袋が勝手に裂け、俺の体が宙に浮かんでいた。
足は地を離れ、天井が近づいてくる。
信じられねぇ。俺が……浮いてる?
「ニック……!」
袋から解放されたアリアの声が、頭の中に直接響いた。
驚いて振り返ると、アリアも自分の袋を破っていた。
彼女の瞳は光り、俺を見つめたまま呟く。
「……みんなの声が……聞こえる。怖いって、怒ってるって……」
その隣で、ミカが額を押さえ、必死に訴える。
彼女の声は口からではなく、俺の頭に突き刺さってきた。
《聞こえる? 私、伝えられる……! 今、シンが……!》
シン──未来を見ると言われていた奴だ。
袋の中でもがきながら、低い声でつぶやき続けていた。
「……見える……未来が……枝分かれしてる……」
「ここに残れば、死ぬ……研究所で実験体にされて……」
「宇宙へ行けば……生きる道も、絶望も、無数に……でも……希望が残る」
その断片を、ミカが俺たち全員の頭に繋げる。
未来の景色が脳裏に流れ込んだ。
手術台に縛られ、薬漬けにされる俺たち。
何もできずに死んでいく未来。
その一方で、暗い宇宙に投げ出され、星々の光に包まれてもなお進んでいく俺たちの姿。
未来は枝分かれし、無限に散らばっている。
けれど、そこには確かに「生き延びている自分たち」もいた。
アリアが泣きながら言った。
「みんな……同じこと思ってる。ここにはいたくない、って」
《そう……そうだよね。宇宙へ行こう》
ミカの声が頭に響く。
俺は拳を握った。
恐怖と怒りを押し殺し、仲間を見回す。
全員が頷いていた。
「──なら、決まりだ」
俺の中に、熱がこみ上げる。
袋に閉じ込められた仲間たちを次々と浮かせ、破り捨てる。
十人の体が宙に舞い、ひとつの列を成した。
「行くぞ。シャトルなんか要らねぇ」
「俺たちの力で、宇宙へ行く」
天井が砕け散るように開き、夜空が広がった。
仲間たちの不安も希望も、全部背負って──
俺は一歩、空へと踏み出した。
第三章 見上げる空
轟音もなく、ただ静かに──
十人の少年少女は青い尾を引きながら、夜空へと昇っていった。
研究所の前庭には、親たちが集まっていた。
泣き叫ぶ者、名前を呼ぶ者、ただ呆然と立ち尽くす者。
研究員たちでさえ、動けなかった。
彼らの計画には、こんな“奇跡”はなかったからだ。
「……信じられない……」
誰かがつぶやいた。
空気は冷たく澄んでいたが、夜空の向こうで光る子供たちの軌跡は熱を帯びていた。
列をなし、ひとつの光の川のように昇っていく。
やがて小さな星のように散らばり、消えていった。
---
その光景の中に、ひとりの研究員がいた。
彼はポケットに手を入れ、硬く握りしめたノートをそっと胸に当てる。
それは黒い革の小さな日記帳だった。
ページのほとんどは、自分の意志ではない文字で埋まっている。
朝起きると、知らないうちにページが埋まっている──
それが彼の「病気」だった。
日記は未来を描く。
書いた覚えのない未来を、容赦なく。
今朝のページには、こう書かれていた。
少年少女は自らの力で宇宙へ旅立つ。
彼らのための船は空のまま飛ぶ。
いずれ帰還するだろう。
彼は静かに息を吐いた。
そう、助けるためにシャトルを作った。
時間を稼ぐため、彼らを生かすため。
だが彼らは、自分たちの力だけで行けた。
──それでも、やれることはある。
未来が違わないように。
せめて彼らが帰ってこられるように。
彼はチームに命じた。
「シャトルを発射する。予定通りだ。
中身は、彼らが必要とするものを詰めろ」
誰かが戸惑って訊く。
「でも……誰も乗っていません」
「いいんだ」
彼は短く答え、視線を夜空に向けた。
食糧。余分な燃料。
そして、設計書と説明書。
彼らが“何か”を失ってしまった時に、たどるべき道しるべを。
---
シャトルのカウントダウンが始まった。
3、2、1──
轟音とともに白い炎が吹き上がり、巨大な影が夜空へと突き抜ける。
青い尾を引いて消えた子供たちの後を追うように、無人の船が漆黒の空へ消えていった。
彼は胸の奥で呟く。
「……帰ってきてくれ」
日記には「いずれ帰ってくる」とだけ書かれている。
どうやって帰るかは書かれていない。
それでも、未来を信じるしかなかった。
親たちが泣き崩れる中、彼はただ夜空を見上げ続けた。
燃え尽きた発射台の匂いが、まだ鼻に残っていた。
第四章 帰還
それは五年目の夜だった。
子供たちを見送ったその日。
親たちと研究員たちは、また研究所に集まっていた。
毎年同じだ。
蝋燭を灯し、祈りを捧げる。
彼らがどこにいるのか誰も知らない。
ただ「戻ってくる」と信じて、こうして顔を合わせるしかない。
不甲斐なさを噛みしめ、涙をこらえながら。
研究は遅々として進まず、「病気」の正体さえまだ掴めていない。
あの日と同じ夜空を見上げても、そこに子供たちの気配はなかった。
沈黙に包まれた五回目の集会。
その時だった。
低い振動が大地を揺らした。
研究所の外の広場に、突如として光が走る。
眩い白炎を吐き出しながら、小型のシャトルが降りてきたのだ。
5年前、空っぽのまま発射された──あのシャトル。
誰も声を上げられなかった。
ただ震える足で立ち上がり、目を見開く。
シャトルの扉が開いた。
そこから降りてきたのは──
十人の男女。
だが、彼らはもはや17歳の子供ではなかった。
顔には皺が刻まれ、眼差しには深い影が宿っている。
40代に見える大人たち。
「……ニック……?」
母親の声が震える。
長身の男が振り返った。
その笑みに、確かにかつての面影があった。
目尻に深く皺を刻みながら。
「ただいま」
一言、それだけを告げた。
母は駆け寄り、泣きながら彼を抱きしめた。
父も肩を叩き、声を詰まらせる。
その光景は次々と広がり、他の子供たち──いや、大人になった彼らもまた、それぞれの親に抱きしめられていた。
だがその腕にあるのは、我が子のはずなのに、自分より年嵩に見える者たち。
奪われた時の流れが、その抱擁を苦く切なくする。
やがて、ニックが仲間たちの方を振り返り、静かに言った。
「……信じられる? 俺たちが宇宙にいたのは、たったの2日なんだ」
親たちは嗚咽を漏らした。
共に過ごせたはずの子供時代は、もうない。
十代の笑い声も、未熟さも、夢の途中も。
すべては失われていた。
けれど子供たち自身もまた、その「子供時代」を失っていたのだ。
わずか二日で、30年分の時を引き受けて。
彼らはもう力を持たなかった。
「病気」と呼ばれた症状は消えていた。
残されたのは、知られざる宇宙の記憶と、取り返しのつかない時間だけだった。