新型コロナが落ち着いてからのセルフメンテナンス
●第一章 ──特異な時間がくれた“わたし”の整え方
マスクを取った後の世界。口元は、笑っていましたか?
長いあいだ隠されていたその場所が、ある日ふいに人前にさらされたとき、
私たちは自分の笑い方を少しだけ忘れていたことに気づきました。
日常が変わったあの日から
2020年の春。世界は突然、見えないものに揺さぶられた。
街から人が消え、マスクが必需品になり、テレビもSNSも同じ言葉を繰り返した。
「不要不急の外出を控えてください」
「三密を避けてください」
誰かと会うこと、出かけること、ささやかな“普通”だった行動が、急に危険なものに変わった。
そして私たちの世界は、ぐっと「家の中」へと閉じていった。
通勤も、通学も、遊びも、飲み会も、旅も、家族での食事さえも。
全てが「やめる」か「画面越しで行う」に変わった。
●第二章 私たちが取り入れた“セルフメンテ”
だからこそ、誰とも会えない日々の中で、私たちは少しずつ「自分を保つ工夫」を覚えていった。
朝、観葉植物に水をあげること。
夜、アロマキャンドルの火を見つめて深呼吸すること。
料理に凝ってみたり、DIYに挑戦したり、瞑想アプリをダウンロードしたり。
癒やしは、外ではなく「内」に向けて掘り起こすしかなかった。
そして、推し活。読書。オンラインのフィットネス。
誰かの配信を待ち、好きな本を何度も読み返し、
画面の中に“わたしの時間”を見つけていった。
その時間は、思った以上に、自分を整えてくれた。
「誰かのため」ではなく、「自分のため」の時間の持ち方。
それを、私たちはようやく学んだ気がした。
●第三章 画面越しのつながりがくれた居場所
ある日気づけば、多くの人が推しの配信を軸に一日を過ごすようになっていた。
今でも続いているブームだ。
何百人、何千人、今でもは何万が視聴しているはずのその画面の前で、
皆が「誰かとつながっている」感覚に救われていた。
チャット欄に流れる知らない誰かのコメント。
それに共感して、クスッと笑っている姿。
誰にも干渉されない。でも、どこかでちゃんと“誰かがいる”という感覚。
深夜、声を出して笑ったのは何日ぶりだっただろう。
推しが朝配信を始めれば、生活リズムも整う。
夜の雑談配信を聴きながら眠ることで、孤独な静けさが少し和らいだ。
「推しと一緒に生きる生活」──それは、予想外に安定した毎日を与えてくれたと思う人は多いだろう。
●第四章 距離を置くというセルフケア
あの頃、私の周りには「何かに夢中になっている人たち」がたくさんいた。
部屋にこもっているはずなのに、どこか生き生きとして見えたのは、
画面の向こうに“推し”がいて、つながりがあって、共有できる時間があったからだろう。
ライブ配信、リモートイベント、SNSでの実況、誕生日タグ祭り、ファンアート。
好きな人の声を聴くことで一日を始め、
動画のアップを待つことで夜が楽しみになる──
そんな生活リズムを送る友人もいた。
リアルの世界が止まっていた分、ネットの世界は目まぐるしく速度を変えて成長していった。
その熱量がネットの中で一層際立っていたのを、私は傍らで静かに見ていた。
一方で、あるタイミングから変化も見え始めた。それは他人の目から見ても明らかになってきている。
「あんなに楽しかったのに、ちょっと疲れてきたかも」
「見逃しても罪悪感がなくなった」
「もう全部追わなくてもいい気がしてきた」
好きなものに支えられた時間。
だけど、それに縛られすぎていたことに気づいた人もいた。
それは、けっして否定ではない。
むしろ、当時の自分に必要だったものを、きちんと受けとめたからこそ
手放すことができたのだと思う。
続ける人もいれば、少し距離をとる人もいる。
「一歩引くこと」もまた、ひとつのセルフケアなのだ。
自分がどうしたいか、心の声に耳を傾けて選びなおす。
そうやって、それぞれが“今の自分にとってちょうどいい熱量”を見つけていく姿は、
どこかしなやかで、強く見えた。
距離をとることで見えるものがある。
熱中の先に、変わっていく自分がいる。
その変化を許せるようになったとき、私たちはほんの少し前進しているのかもしれない。
第五章 現在地とこれからのわたし
非日常だったあの数年は、やがて少しずつ日常へと溶けていった。
マスクを外し、久しぶりに顔を合わせるようになって、
ふと気づく。
誰かの口元が笑っていること。
誰かの声が、ちゃんと空気を震わせて届いてくること。
その一つひとつが、少しだけまぶしく感じられた。
もちろん、全部が元通りにはならない。
けれど、あの静かな時間が教えてくれた「自分との付き合い方」は、
これからも私の中で、生きていくと思う。
終章:特異な時間がくれた「整え方」の記録
あの時間は決して、ただの空白ではなかった。
不安と孤独の時代を、どうにかして生き延びた証。
自分で自分をなだめて、癒して、整えようとした軌跡。
だから今の私は、少し強くなった気がしている。
またいつか、非日常がやってくるかもしれない。
でもそのとき、あの頃の“整え方”を思い出せば、
今より少し穏やかに、自分を抱きしめてあげられるかもしれない。
そしてもう一度、自分に問いかけるだろう。
マスクを取った後の世界。口元は、笑っていましたか?
たとえ曖昧でも、やさしくでも、ちゃんと笑えていたなら、
きっと、それでいいのだと思う。