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 オードとの生活はそんなふうにして始まった。

 商家での雑用という元の立場に未練はないが、いちおう義理というものがある。労働環境がひどいものだったとはいえ孤児を雇ってくれていたのだから恩もある……そう言ったらオードは妙な顔をしたが。

 ともかくも元の場所で自分の扱いはどうなっているのか、心配されてはいないだろうが迷惑をかけてもいないだろうかと問うたリンデに、オードはやや顔をしかめながら答えてくれた。

「具合を悪くして倒れたお前を助け、そのまま俺が引き取ったということで話はついている。攫ってきたわけではないから安心しろ。しかし……思考回路が逆じゃないのか? お前はどこからどう見てもぼろぼろだったし、待遇は劣悪なものだった。復讐してやるというのなら話は分かるが、義理がある? 恩がある? ……お人よしすぎないか?」

 リンデは苦笑した。

「まあ、腹が立たないといえば嘘になりますが。それでも私のような孤児が曲がりなりにも生きてこられたのは雇ってもらえたからなので……。前世の報いを受けて、こんな神力の乏しい体に生まれたというのに」

「…………」

 オードはしかめた顔のまま沈思していたが、ややあって言った。

「……信仰心があるのは結構だが、その通念は本当に正しいのか? 前世で悪いことをしたから今世で報いを受ける? そもそも、その善悪の線引きはどこだ? 判断基準は? 神のなさりようが人間の価値観に則するなんてこと、あるのか?」

「……えっと……」

 矢継ぎ早に問われ、リンデは言葉を詰まらせた。

 印象からしてそうなのだが、オードは頭がいい。そして実際的だ。神殿が宗教として人々に教え諭してきた根本的な考え方――人の行為が来世を決定し、生は善行や悪行の報いを受ける――、これを真っ向から疑っているようなのだ。

(神術研究所の研究員でいらっしゃるのだものね……。これは神殿とは相容れなさそう……)

 神殿でこんなことを言ったら叩き出されるのがおちだ。下手をすれば危険思想の要注意人物とみなされて監視されたりするかもしれない。

 シーアリットの意思決定機関である元老院は神殿に多額の寄付をしており、強く結びついている。その代わり、神殿は人々に信仰を広めるのだ。豊富な神力と確かな家柄を持つ元老院議員たちは、前世で善い行いをしたから今世でも高い地位に就いていられるのだと。その権力は理由あってのものなのだと。

(……。……考えてみれば、お互いにとってずいぶんと都合のいいことになっているわよね。人々を現実的に支配する元老院と、人々の精神面を支配する神殿。互いの正当性を補完し合うかたちで国中に影響力を及ぼしている……)

 今世のリンデが育ったアリューゼムでもファータ神殿はあったし、小規模といっても首都の大神殿に比べればの話だから、地方としてはそこそこの規模があった。そして賑わっていた。境遇に恵まれた人々はそれを感謝し、恵まれない人々は来世こそと望みをかける。そういった場所なのだ。……リンデはもちろん後者だ。

 オードが腑に落ちない様子で問うた。

「一般的な信仰心についてはまだ分かる。だが、お前自身のことはどうなんだ? そんなにひどい目に遭わされるくらい、前世で悪行を重ねたのか?」

「……そう言われるとそこまででもないように思えてしまいますが……。でも、それこそ神のなさりようでしょう。私の行動が神のお気に召さなかった、そういうことでしょう」

 前世のリンデは裕福だった。家柄がよく、神力も豊富だった。でも、我儘で傲慢で……

 ……だからこそ、殺されてしまったのだろう。あんな死に方を……

「……っ!」

 ずきりと頭に痛みが走り、リンデは額を強く押さえて俯いた。痛みをやり過ごそうとしつつ、これ以上痛みがひどくならないように記憶に蓋をする。

 例に漏れず、リンデも前世の死の間際のことを覚えていない。ただ分かっているのは、殺されたということ。ひどい死に方をしたということ。それがどんなものであったか、具体的に思い出そうとするだけで強い頭痛に襲われる。思い出したら痛みはこの比ではないのだろうと思うと、気持ちがくじけてしまう。思い出そうとすることができない。

「! すまなかった、それ以上考えるな! とにかく、落ち着いて深呼吸するんだ」

 オードが慌ててリンデを制止した。背中に手を当ててさすりながら、低い声でゆっくりと言い聞かせる。

「背中に当たっている手の感触が分かるな? そこに気持ちを集中させるんだ。どう動いているか、力のかかり具合はどうかなど、客観的に観察して描写するような心持ちで、集中するんだ。過去ではなく現在の、現実の感触に」

 具体的なものに意識を集中するよう仕向けてもらったおかげで、頭痛は次第に収まってきた。過去のことから気を逸らすために、考えないために、現在のものごとに意識を向ける。オードに教わったやり方は効果覿面だった。ゆっくりと撫でられている感触に、心がすうっと落ち着いていく。

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