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(…………?)
少女はゆっくりと目を開いた。ずいぶん体が軽い。そして気分もいい。
(もしかして私、死んだの?)
死んで生まれ変わったのだろうか。だとしたら自分はいま子供のはずだ。前世の記憶は、あるていど頭と体が成長してから思い出し始める。どこまで詳細に鮮明に思い出せるかは個人差があるし、極端な苦痛や死の記憶などは思い出せないことがほとんどだ。また、前世のそのまた前世については、前世の記憶によって間接的に知るしかない。そこまでくればもうほとんど他人のようなものだ。
身を起こした拍子に、藁のような自分の髪が視界に入った。手に取って確かめてみると、なぜか清潔になってはいるが、ぱさつき具合といい長さといい、自分の髪だ。手の大きさも十六歳の少女のままだ。
辺りを見回してみると、実験室を思わせる白く清潔な部屋だった。自分は白い服を纏って、白い寝台に寝ていたようだ。
(…………死後の世界?)
少女はそう考えた。だから、その人物が部屋に入ってきた時、とっさに口をついて出てしまったのだ。
「死神……?」
「誰が死神だ」
部屋に入ってきた人物は、不機嫌そうな低い声で言った。若い男性だ。癖のある髪が黒いうえ、上着から靴まで黒ずくめだ。肌は対照的に白かったが、そのことが却って彼を死神のように見せていた。
「死神でないなら……何の神様?」
「神から離れろ」
青年は言うが、そうとしか考えられなかった。際立って美しい姿形をしていたからだ。均整の取れた長身。彫刻と見紛う造形。瞳は黒かと見れば、濃い藍色だった。吸い込まれそうに深い色だ。
「神様でないなら、あなたは一体……」
「人間に決まっているだろうが」
「え? あなたも死んだの?」
「何を頓珍漢なことを言っているんだ」
青年は呆れたように少し声を高めると、つかつかと少女のもとに歩み寄ってきた。少女の手を握り、眉を寄せる。
「……神力の流れは正常だし、脳にも体にも異常はないはずだ。俺が治したんだしな。防御反応で記憶が混乱しているのか……?」
握られた手が温かい。青年は医者のように事務的に手を取っているだけなのだが、そこから不思議な熱が伝わってくる。神力の流れだろうか。
それだけではないような気がして、少女は縋るようにその手を握り返した。とたん、青年がびくりと体を震わせた。弾かれたように手を離し、眉を寄せる。その頬が赤くなったことに気付かず、青年を不快にさせてしまったと思って少女は悄然とした。
「ごめんなさい……」
「……ああ、いや、こちらこそいきなり悪かった。……やましい気持ちがあってのことじゃない」
「分かっています」
少女は頷いた。この美しい青年が、みすぼらしい少女に対してそんな気持ちになるわけがない。手を取ったのは神術を用いた医療行為のようなもので、それ以上のことがあるはずがない。少女の言葉を聞いて何故だか複雑な表情になる青年をよそに考える。
(……医療? そういえば、治したとか言っていたような……)
当然だが、死んだ体は治せない。ということは、
「私、生きてるの……!?」
少女は目を見開いた。青年は溜め息をついた。
「やっと目が覚めたか」
「え、だって、私……」
道端で倒れた後、商家に連れ帰られたのなら、待っているのはこんな清潔な寝台ではない。使われていない物置かどこかのはずだ。そうではなく、打ち捨てられて誰かに拾われたのであっても、待遇はそう変わらないだろう。いや、もっと悪かったかもしれない。一応は若い娘であるため、想像したくもない事態になっていてもおかしくなかった。
(そういえば、倒れた後、体が持ち上げられて……)
それに違和感を覚えたのだった。神術で浮かせられたのではなく、誰かにそっと抱き上げられたような感触だったから。でも、そんなことはあるはずがないから、気のせいだろう。
そもそも、
「ここはどこで、あなたはどなたですか……?」
「ようやくその質問が出たか」
青年は軽く息をつき、
「ここは国立神術研究所の建物だ。場所は首都の郊外」
「首都……って、ペルディウム!?」
「そうだ。べつに違う国に来たわけじゃない」
(それはそうだろうけど……首都、って……)
多くの島々から成る、このシーアリット共和国は広大だ。少女が住んでいる北部の島アリューゼムから本島の南部にある首都ペルディウムまで、船と馬車で普通に行けば一か月はかかる。神術で移動するにしても、並みの神力しか持たない者なら二か月かかるだろう。神力の回復を待って短距離の移動を繰り返す必要があることを考えると、長距離の移動は馬や船の力を借りた方が早いことが多いのだ。あくまでも神術で移動するなら、時間をかけて神力を回復させながら、島々を飛び石のように渡ることになるが……
「あの、今日は何日でしょう……?」
「翠葉月の八日だな」
(一日も経っていないの……!?)
少女は急いで窓の外を確認した。日の盛りは過ぎたようだが、まだまだ明るい。倒れたのが午前中だから、一日どころか、その四分の一も経ったかどうか。
一体どういうことなのか。唖然とする少女に、青年はにやりと口の端を上げてみせた。
「で、俺は死神ではなく、国立神術研究所の研究員だ。オード・リヴィアズ。よろしくな、実験動物」