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「ぐずぐずするんじゃないよ! さっさと歩きな!」

「はい!」

 声だけは勢いよく返事をするものの、少女の体は意志に反してゆっくりとしか動いてくれなかった。

 豪商の奥方が主人に黙ってこっそりと買い込んだ高価な布地を背負わされ、右腕は巷で人気の役者の姿絵を大量に入れた袋を提げ、左腕には行列のできる人気店のかさばるお菓子を抱えている。前を行く女性――奥方付きの小間使いだ――に小突かれながら歩を進めるものの、よろけて今にも倒れてしまいそうだった。奉公先である商店は繁盛しているものの、小間使いのさらに下に位置する雑用の小娘にまで恩恵が降りてくるわけではない。

 しかも、少女が冷遇されている理由は、立場が低いことばかりにあるのではなかった。むしろ話が逆で、少女の立場が低いのは……

「まったく……前世の報いで神力がほとんどないっていうんだから、少しは力仕事で役立ったらどうだい」

 そう毒づかれる通り、少女には〈神力〉がほとんどなかった。手を触れずに物を動かすこともできなければ、火種なしで火を熾すことも、声を風に乗せて届けることもできない。多少の神力があることを前提とした社会ではあまりに不便で、不利だ。

 しかも、神力がない理由――そして、こうやって碌な立場もなく扱き使われている理由――は、前世の業によるものなのだ。

 前世があって今世がある。人は前世の業の報いを、あるいは功の誉れをその身に受ける。前世で悪事を働いた者は下賤な者として、善い行いをした者は高貴な者として生まれ変わる。もちろん、どんな要素がどのくらい影響するのかは分かっていない。そこまでは研究が進んでいない。しかし、身分、立場、財産、容姿、そして神力……そういった要素を総合して見ると、前世のその人がどのくらいの善人だったのか――あるいは悪人だったのか――分かってしまうというわけだ。

 そして、少女はその最下層に位置していた。

 親の顔も知らず、もちろん身分も立場も財産もなく、神力もほとんど無い。容姿もお察しだ。ぱさついた髪は藁のようで、茶色とも緑色ともつかない枯草のような色の瞳はいつも伏せられている。発育不良の小柄な痩せた体も、人目を悪い意味で引くことしかなかった。前世でよほど悪いことをしたのだろうと白い目を向けられるばかりだった。

「まったく、使えないったら……」

 小間使いはぶつくさと文句を言いながら、手分けして持とうとも、神術で軽くしてやろうともせずに少女を急かす。神術での配達依頼をするとまではいかずとも、馬なり荷車なりを手配すれば済む話なのだが、それをしてしまえば目立つし、足がつく。奥方の内緒の買い物のとばっちりを受ける形で、少女は荷運びをさせられていた。

 少女は一歩ずつ必死で足を進める。

 しかし、ろくな休憩も食事も取らずに働きづめだった体はもう限界だった。足がもつれて、石畳の道に倒れ込んでしまう。荷物を庇ったために顔をしたたかに打ち付けてしまい、頬の内側が切れて口の中に血の味が広がった。とっさに顔を背けたために鼻が潰れるのは避けられたが、さりとて無事というわけにはいかなかった。

「なにをしているんだい、この愚図が!」

 なんとか上半身を起こした少女に、小間使いは罵声を浴びせた。前世の悪行の報いとして惨めな現在があるのだから、いくらでも虐げていいという心理が働いているのだ。道行く人々も、怒鳴り声を上げる小間使いではなく、少女の方に冷たい目を向けていた。

「ああっ、銀月菓子店のメレンゲクッキーが!」

 小間使いが高い声を上げる。なんとか守ったつもりだったが、守り切れずに紙袋が潰れてしまっていた。当然、中に入っている菓子も無事では済まないだろう。

「季節の花を模った限定品なのに……奥様が楽しみになさっていたのに……」

 台無しにしてしまったのは事実だが、開店前から列に並んで手に入れたのも少女だ。しかし、そんな主張をしても意味がない。砕けても充分に食べられると思うのだが、そんなことを言えば火に油を注ぐに決まっている。少女はひたすら口を噤んでいた。

(ああ……これは間違いなく、食事を三日は抜かれるだろうな……。それ以上のことはもう、考えたくない……)

 どんな厳しい折檻を受けるか、想像したくもなかった。未来のことを考えても恐怖に押し潰されそうになるだけだ。いざその時が来るまでは忘れて、なるべく考えずにいるべきだった。

(とにかく、立ち上がらなきゃ……)

 言い聞かせ、足に力を入れる。しかし、震えるばかりの足はどうしても言うことを聞いてくれなかった。

(どうして動かないの……!?)

 疲労と恐怖で朦朧とする頭で、動かない体を叱咤する。しかし依然として足は意のままにならない。

 外からは見えない奮闘の後、石畳にへたりこんだまま、少女は項垂れて目を閉じた。

(もう、いいか……)

 頭の中が諦観に支配される。座って休んでいられるなら、このまま死んだっていい、とまで思ってしまいそうになる。

(このまま死んだら……来世はもっとひどい状況で生きることになるのかな……。いっそ、断ち切ってしまえたらいいのに……)

 そのとき、打ち付けていない方の頬に衝撃が走った。小間使いに打擲されたのだ。しかし、転んだときの痺れがまだ顔から抜けていなかったので、皮肉にもそのおかげで痛みをあまり感じずに済んだ。じんとした痺れが鈍く走るばかりだ。

 役立たず、と罵る声がする。背中や腕が軽くなって、自分が持っていた荷物が取り上げられたのだと知る。小間使いが神術を使って荷物を浮かせ、自分で運ぶことにしたのだろう。

 しかし、さすがに少女までをも浮かせて運ぶのは、彼女の少ない神力では無理だ。どこかに応援を頼んで運ばせるか、打ち捨てたままにされるか。どちらにしても、未来を想像したくない。

(もう、このまま死なせて……)

 そう願ってしまいそうになる少女は、ふわりと体が持ち上がったのをおぼろげに感じて絶望した。いっそ放っておいてほしかった。このまま終わりにしてほしかった。だが……

(……あれ……?)

 ぼんやりとした頭にかすかな違和感がきざす。しかしそれを突き詰めることもできず、少女の意識は遠のいた。

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