14
リンデは驚いて瞬いた。自分は何もしていないのに、子供が目をきらきらさせてこちらを見上げてくる。その手にはしっかりとマフィンが握りしめられている。リンデはやんわりと言った。
「お礼なら私じゃなくて、あのお兄さんに……」
「え? でもお兄さんはお姉さんからだって言ってたよ? きれいすぎておっかない人に見えたんだけど、優しいんだね! お幸せに!」
にっと笑って、子供は言いたいことを言うと元気よく駆けていった。その姿をぽかんと見送り、リンデはなんとか理解を追いつかせようとする。
(お幸せに、って……どういうこと!?)
いろいろと気になる点はあるが、いちばんはそこだ。まさかオードとリンデが家族に見えるわけもないだろうが、これは……恋人同士だと思われたのだろうか。
(いえ、そんな、まさか! 畏れ多い!)
「どうしたんだ、そんなに首を振って」
「ひゃあ!?」
折悪しくオードの声がして、リンデは思わず飛び上がった。そんなに驚くことか、と笑うオードの顔を見られない。
「……本当にどうしたんだ? 顔が赤いが、外の風に当たりすぎたか?」
「……大丈夫です。そもそも私、外の風に当たったくらいで寝込むような深窓の令嬢ではありませんし……」
「……そうだったな」
オードの返しが単なる相槌という以上のものを含んでいそうな雰囲気だが、よく分からない。それよりも、いろいろと聞きたいことがある。
「オード様。孤児たちにマフィンをお配りになったのですね。本当にご立派なことだと思います。でも、私からだと仰ったのですか? お礼を言いに来た子がいて……。どうしてそんなふうに仰ったのです?」
不思議に思って問うリンデに、オードはこともなげに返した。
「それはもちろん、お前が俺にそうさせたからだ」
「え!? させてませんよ!?」
リンデがしていたことと言えば、孤児たちを見ていたことくらいだ。自分もああだったと思い出していたくらいだ。
(ああ、でも、そういえば……)
前世の自分がきまぐれに施しをした少年のことが思い出される。首都生まれ首都育ちのリンデは育ちがよかったが、べつに家の中に閉じ込められていたわけではない。浮浪児の多さがとりわけ首都における社会問題になっていることは知っていたし、そうした子供たちを目にしたことも少なくない。深窓の令嬢の中には普段ほとんど家から出ないような暮らしをしている人もいるものだが、リンデはそうではなかった。その理由は父親にあって……
(……お父様が元老院議員だったものだから、娘の私も特権階級ではあったのだけど。……第一夫人の娘ではなかったし、跡取りとして教育されたわけでもなかったし、むしろ末端に近かったし……)
だからこそ放任され、好き勝手にわがままに育ち、街をほっつき歩くような少女だったのだ。
首都で身分のありそうな娘が歩いていたとして、たとえば妙齢の女性だから声をかけたいなどというのでなければ、関わらないのが無難とされる。拐かして身代金を取ろうとする輩がいないことはないのだが、そうした地位のある者――つまりは、前世で徳を積んだ者――に悪さをすると、罪がいっそう重くなると信じられているのだ。……だからこそ、生まれの低い、虐げてもいい者がどこまでも虐げられることになるのだが。先ごろまでのリンデのように。
それだけではない。有力者の身内を手中にして身代金を取ろうにも、交渉が成立しないことがままあるのだ。有力者は第一夫人のみならず第二、第三と多くの妻を持つことが少なくなく、そうした妻の全員、妻たちともうけた子の全員を大切にするとは限らない。本命の後継者の身代わりとして育てられる者もいれば、お金だけ与えられて放任される者もいる。前世のリンデは後者だった。
そして、そうした者が人質に取られたからといって、親が動くとは限らない。むしろそうした有事の際の備えとして余分に子供をもうけたりする面さえあるくらいだ。当然、身代金など支払ってもらえず、そのまま捨て置かれることになる。
そうなると人質を取った側も丸損だ。手間や、場合によっては食費などの費用がかかる。価値がない人質だからと叩き売ったところで得られる金銭などたかが知れている。要求したかった身代金には遠く及ばない雀の涙といったところだ。そうした訳ありの子供は売り払おうとすると足元を見られるし、どうしても引き取りを拒否される場合もあるし、もちろん親の逆鱗に触れる場合もある。手を出しても危険ばかりが大きいのだ。
前世のリンデはそのことを知っていたから、それを逆手に取るかたちで一人あちこちを歩き回っていた。
そして、その少年に会ったのだ。どこまでも暗い目をして、すべてを諦めきった表情をした少年に。