12
「どうした?」
見上げたリンデの視線に気づいたのか、オードが眉を上げた。
「ええと、いえ、その……」
表情や仕草がいちいち絵になる彼に、余計に尻込みしてしまう。生まれも育ちもよかった前世の自分ならともかく、今世のみすぼらしい自分――多少服装を整えてもらったとはいえ――が隣を歩いて大丈夫なのだろうか。
(もちろん、特別な意味ではないのだけれど……!)
同行者として、という意味だ。恋人としてという意味ではない。断じて。兄妹には見えないだろうし、親戚というか血縁者とも見えないだろう。
そこではたと思い至った。
(そういえば私、オード様の年齢さえ知らない……)
知っているのは、オード・リヴィアズという名前と、国立神術研究所の研究員という立場だけ。黒っぽい服しか着ないこととか、お茶は熱い方が好みらしいということとか、そういった細かいことを断片的に知っているくらいだ。
「……ところでオード様、おいくつでいらっしゃるのでしょうか……?」
この際だ、思い切って聞いてみる。別に隠すようなことではないはずだ。オードは特に気にした様子もなく答えた。
「十九歳だ」
「えっ!?」
「えっ、とは何だ? 何をそんなに驚いている?」
「……いえ……。……私と三歳しか差がないとは思ってもみなくて。もっと上かと……」
十代だとは思ってもみなかった。偉そう――もとい堂々としているので、実年齢よりもかなり上に見えていた。美貌が少年の域を脱して完成されているのも相まって、二十代の半ばくらいかと思っていた。
「そのあたりの受ける印象はまあ、個人差があるからな。知っているか? 俺たちシーアリットの民は前世を持っている、というか成長するにつれて思い出してくるものだから、精神的な成熟も早いのだそうだ。他国人から気味悪がられる理由にはそのあたりも挙げられそうだな」
「……言われてみれば、納得できます……」
記憶の継承をある程度の前提に成り立っている社会では、そうでない社会と比べて教育から制度から何から何まで変わってくるものだろう。実際、この国の初等教育は新しいことを一から教えるというより、思い出させて記憶を強固にし、新しい知見に沿って訂正したり知識を増し加えさせたりする側面が強い。
リンデも義務的な初等教育は今世も修了しており、特に問題もなかった。……孤児にしては成績がよすぎると怪しまれないために適度に手を抜いたりもしたが、学習に関しては前世の知識だけでなく今世の記憶力や理解力などといったものも必要になるので、個人の資質の範囲として多少の振れ幅は誤魔化せるといえば誤魔化せる。とはいえ最底辺の生まれの者が高い知能を持っていると不審がられるので、やはりやりすぎ見せすぎは禁物だ。
(それにしても、今世の私……頭の出来は特に問題なさそうなのよね……)
それが不思議だ。容姿はご覧の通りのみすぼらしさだが、物覚えが悪かったりして困ることはない。神殿の教えによれば、前世の報いは今世の資質のすべての範囲に及ぶから、外見同様に内面も不足が多い感じでなければおかしいのに。
(……? …………本当に……?)
絶対視されている宗教的な教え、社会的な通念を、リンデはこの時はじめて疑った。偉い人が言うから、みんなが言うから、正しいのだと刷り込まれてきたことを。
……これもきっと、オードの影響だ。神殿に喧嘩を売るような研究をし、当然とされていることを疑う彼のところに来たからこその変化だ。
「…………なんだ?」
考えつつ、またもやじっとオードを見つめてしまっていた。視線を無視しきれなくなったという感じでオードが声を返す。
「いえ、なんでも。すみませ……」
「……ああ、あれか」
「え?」
オードは合点がいったように頷くと、方向を変えて歩き出した。訳も分からずついていくと、なんだか甘いいい匂いを漂わせながら菓子を売り歩く売り子がいた。マフィン売りだ。
「あれが気になっていたんだろう? 確かにいい匂いがするものな」
「いえ……」
匂いにはようやくいま気づいたくらいだ。そうではないと否定しようとしたのだが、遠慮だと受け取られてしまったらしい。オードはすたすたと売り子に近づくと、リンデが止める間もなくマフィンを二つ買い求めて戻ってきた。
「ほら。座って食べたいか?」
「え……? えっと……?」
戸惑うリンデの手にマフィンが押し付けられる。包み紙越しにももちろん分かる、温かくて柔らかい。甘く香ばしい匂いも立ち上る。焼きたてのようだ。
潰れてはもったいないと思わず受け取ってしまうと、オードは満足げに微笑んだ。
「……少し、借りを返せただろうか」
「え……? すみません、今なんて……?」
「いや、何でもない。こちらの話だ。それでどうする、木陰にでも座るか?」
「え、っと……ありがとうございます。あ、座りたいという意味でなく、マフィンを下さってありがとうございます」
受け取ってしまったものはもう返すわけにはいかないだろう。固辞するのも失礼だ。リンデは改めてお礼を言った。
見回すと、道行く人の中にも自分たちのように軽食を食べたり飲んだりしながら歩いている人がいる。立ったまま飲食をする習慣がなかった――前世ではそうしたことを教えられなかったし、今世ではそもそも食べるものに事欠いていた――リンデの目に、新鮮に映る。