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(ええと……)
躊躇いながらも店内を見回す。小洒落た感じで、敷居が高すぎず低すぎずといった感じだ。……前世のリンデにとってみればの話だが。
「オード様! 無理です、私、こんなところ……!」
袖を引き、抑えた声で訴える。今世のリンデは、これまで全く身なりに気を遣ってこられなかった。髪は色合いだけでなく質感まで藁のようだし、手も肌もがさがさだし、体つきも貧相で、どこもかしこもみすぼらしい。小綺麗な服が似合うわけがないのだ。
「気に入らないか? そう言われても、他にあまり選択肢がないが。ここなら研究所から近くて、関係者が利用する店なのだが……俺はあまりこの手の店に詳しくないからな。希望があれば聞くし行くが」
「いえ、そういうわけではなく……!」
オード自身は服装にあまり頓着していなさそうだ。黒っぽければ割と何でもよさそうな感じだ。だからこそこういった店を知っていたのは少し意外だったのだが、研究所の人から聞いたりしたのだろう。納得がいったが……
(……? 何これ……?)
なんだか胸中がもやもやする。リンデは首を傾げ、
(……慣れない環境と、困った状況のせいね)
そう結論付けて意識を目の前のことに引き戻した。オードにはっきりと伝える。
「私はお金を持っていませんし、着こなせもしませんし、そもそもこんな贅沢品、とても身につけるなど考えられません」
きっぱり伝えたつもりだが、オードはぴんと来ないような表情で一つずつ反論した。
「お金はまったく心配いらない。これから給金が出るし、そもそも今日お前からお金を取ろうなどと思っていない。俺が使わず余らせている分を使えば充分すぎるしな。着こなせないというのはお前の主観だろう。贅沢品というが、このくらいのものはどうってことない。ここらの者が普段着にするか、まあ少し背伸びをするか、そのくらいのものだ」
「……ええと……」
オードの言うことは理解できる。リンデの前世の感覚もどちらかというと今世のリンデよりもオードの方に近いから、納得しやすい。思わず頷きそうになってしまい、慌てて首を振る。
「……頑なだな」
オードの言葉に、強く断ったのはかえって失礼だったかもしれないとはっとする。だが、オードは少しも嫌そうなそぶりを見せず、少し苦笑しただけだった。店員を呼びつけて言葉を交わし、リンデに似合うものを見立てるようにと伝えている。
(……頑なはお互い様なのでは……!?)
止める間もなく店員が呼ばれ、口を挟む隙もなく話が進み、事態が進行していく。この件についてオードは最初からリンデの言うことなど聞くつもりがなかったのだ。
恨めしく思いつつ視線を向けると、有無を言わさない笑顔が返ってきた。女性なら誰しもが頬を染めずにはいられなさそうな極上の笑顔だが、今のリンデには効かない。それどころではない。
(場違いでしかないのに……逃げ出したい……)
店員は愛想よくリンデにも笑顔を向けているが、内心は分からない。リンデの外見から、この人生の格が低い――前世で大きなやらかしをした――ことは見て取っているだろう。物心ついてから、商家に雇われる前も後も、さんざん笑われて蔑まれたのだ。――お前のそのみすぼらしさは、前世の報いなのだと。
「…………っ」
「お客様!?」
店員の焦った声がぐらりと揺れる。いや、リンデが揺れているのだ。気が遠くなって倒れ込んでしまったのだ。
そのことに気づいたのは、ふわりと覚えのある温かさに包まれてしばらく経ってからのことだった。
夢から覚めるときのように、いや、それよりももっと前後の境が曖昧なまま、意識が再び浮上する。
「……オード、さま……?」
なぜかずいぶんと近くにある美貌に、緩慢に瞬く。リンデの声に、オードは愁眉を開いた。
「悪い、無理をさせすぎた。よかれと思ってだが、強引すぎた。もう少しゆっくりやるとか、気遣いはできたはずだったのに……」
(そういえば私、店員さんの前で倒れて……)
したたか頭を打ち付けることも覚悟したが、ぜんぜん痛くない。それどころか安心する温かさに包まれて……何故だか今、リンデはオードの腕の中にいた。抱きかかえられていたのだ。
「!?」
ひっと息をのみ、再び気が遠くなりそうになる。だが、そう何度も意識を手放すのはまずいので、リンデは根性でこらえた。
「……あの、オード様。重いでしょうし、下ろしてください……」
「いや、重くはない。むしろ心配になるくらい軽い。……とはいえ、人ひとり分の重さは無視できないものだがな。これで安心してもらえるか?」
言うなり、オードは少し腕に力を込めたようだった。力を入れてリンデを抱え直すため……ではなく、浮かせている。彼の腕に支えられてもいないのに、足が地面についてもいないのに、リンデは倒れもせずに空中にいた。
「!?」
神術だ。ものを浮かせるのと同じ要領だが、他人の同意を得ずに人をこんな簡単に浮かせることなど、普通できない。……オードが普通でないだけだ。
オードの腕の中で、腕に触れずに、リンデは抱きかかえられていた。