3人目 Ⅶ・ケミカ 車
寮を後にしたカルゼは先程の人攫いの現場へと赴いた。
お手製のGPSを用いる事により、誘拐犯の通った道を辿っていく。どうやら地下水路に向かったようで、思わず顔を顰めてしまった。
ブレザーと靴しか持ち合わせていない彼女だから、出来れば不衛生な場所には行きたくないのだ。服越しなら構わないが、生肌で何かに接触してしまうのは抵抗があるらしい。
服を調達してから此処に向かえばよかったと、今更後悔の念を募らせる。
「行くしかないか…」
嫌々ながらも地下水路の中に入り、誘拐犯の下へ向かう。どうやら何かをしているようで、動きが止まっている。
そこへ向って行くうちに少しずつ声が聴こえてきた。
「ーーーー!ーー!」
「ーー?ーーーー。ーーー」
なんて言っているのか分からないが、近づいているのは確かだ。
更に足を進めると、低めの悲鳴が耳に届いた。
「いやあぁぁ!ごめんなさい!もうやめてくださいぃぃ!」
「はぁ?おいおい、先に手を出しておいて情けねぇな?」
どうやらかなり危なさそうだ。
この道を曲がった先で、信号が止まっている。どうやら到着したようだ。
曲がり角から誘拐犯の様子を伺う。これまた便利な精霊力を用いての様子見だ。
「………盛っとるわ。しかも誘拐された側が生き生きとしとる…」
………帰ろうか。面倒なことに巻き込まれる前にスタコラサッサと来た道を戻らせて頂こう。
差し脚抜き足忍び足でゆっくりと一歩一歩歩みを進める。
それにしても、この時代にサキュバスの生き残りが存在していたなんてな。あの翼や角を考えると、先祖返りとはまた違うものだと思われる。恐らくは、ハーフサキュバスといったところか。
攫った相手が性欲の高い種族であったせいで、あの誘拐犯は朝帰り確定だろう。もしかしたら、朝になっても帰れない可能性もある。自業自得ながら可哀想だ。
すると不意に足元に嫌な感触が。何故かこんなところに、割れたら大きい音が鳴りそうな枝があるではないか。
だがしかし、気がついた頃には手遅れだった。
体重の乗ったその一歩を、急停止させることが出来なかった。自分自身の体で歩くのは久々であったためコントロールが難しかったのだ。ケミカとは背も違えば、足の大きさも違う。それを言い訳にこの状況の正当化を謀ったが、さすがに無理があるのは理解していた。
そして、地下空間という現場も相まり、枝の割れる音はかなり綺麗に響いた。
「あっ…スーッ」
「だ、誰かいるのか!?助けてくれぇ!頼む!金ならあるんだ!もう2度と誘拐なんてしない!神にだって誓う!だから、お願いだ!助けてくれぇー!」
「あぁ?誰かそこに居んのか?」
あっまずい。変態が此方に向かい歩いてきている気配がする。何処かに隠れる場所は無いか?
辺りは一面、The・地下水路然とした景色しか広がっていない。
くそっ!何で扉の一つもないんだ。それに、まだ体が完全には馴染んでいないせいか、精霊の姿に変身できないし、竜巻などの攻撃系の精霊力も使用できなさそうだ。こんな状態じゃあ、簡単に捕まってしまうだろう。
やるしかないのか?最低限の精霊力だけで。
「おっ!すげぇ美少女発見!」
「…………失礼しました」
「あっ待て!」
誘拐現場を発見した際と同様に風の精霊力を用いる。その時と違うところはただ一つ。今回は、逃走をするための使用という事だ。
「待てよ!俺は相手が同性でも構わないタイプだ!一緒に気持ちよくなりたくないか?」
「お断りします!」
誘拐犯のおっさんには申し訳ないが、因果応報という言葉もあるので、しっかりとその性裁を受けてもらおう。
そして、地下水路内を俊足で走りはじめる。来た道を遡るようにして、この地下水路から出られるマンホールを目指す。
「っ!なんて速さしてやがる!」
相手も負けじと翼を広げて飛んできている。しかも、最悪なことに相当速い。このままでは追いつかれそうな勢いだ。
ケミカを部屋に届ける際と比較すると、今の私は足が遅いだろう。なぜなら、精霊力がそろそろ尽きてしまいそうだからである。
「っえ!ちょ、ちょっと待て!まさかそれしか着ていないのか!?…………ジュルリ」
「っくそ!近づくな変態!」
「そんな格好してるやつに、変態とは言われたくねぇな!」
「た、確かに…」
自分の首を締めつつ、出口を探す。数秒ほど経過した後に、それらしい所を見つけた。
「よし!見つけた!」
「頼む!一口で良いから、なんならハグでもいい!」
「どうせハグだけでは終わらないだろ!」
「勿論!ハグをした後には、その服を剥ぐつもりだ!………くふっ」
「や、やかましい!」
手すりを掴んで登っているようでは追いつかれてしまうだろう。なら、真下に到達した時点で垂直跳びをしてこじ開けよう。マンホールの上に人がいたら?申し訳ないが背に腹は代えられないし、股に膜も貼り直せない。
そして、出口の真下に到達した。
「よっしゃ!捕まえ…」
「とうっ!」
「っおお!……み、見えた!」
そのまま垂直跳びにてマンホールを持ち上げた。すかさず外に出て、そこへ蓋をするようにそれを元の位置に戻す。
私はまだ油断はしない。そのままの勢いで寮に向かい全力疾走だ。街中はまだ賑わっているようで、周りからの目が少し気にならないでもないが、寮まで一直線に駆け抜けた。
そして、寮の中へ入り、ケミカの部屋へとダイブ。
「った、ただいま!」
息を切らし、汗だくになりながらも何とか帰ってくることが出来た。手を膝につき、息が落ち着くまで少し待った。やがて、自然な呼吸のリズムを取り戻し、部屋の中を見渡した。
「あ…へ、部屋を間違えました。す、すみません!」
なんと部屋を間違えてしまったみたいだ。焦ったあまりに上る必要のない階段を駆け上り、ケミカの部屋の真上の部屋、つまり、ヴィル・ナクトという、解れた黒い毛糸玉の様にしか見えない人物の部屋に来てしまった。
「おや、お久しぶりですね」
「え?初めましてじゃ?」
「ああ、すみません。この姿では判りませんよね」
記憶を探ってみても、こんなに珍妙な姿の人物は出てこない。ヴィルが、私を誰かと勘違いしているのではないだろうか?
「いえいえ、勘違いだなんてしていませんよ。そうですね……でしたら、この名前なら覚えていますか?私の本当の名前は……」
▲ ▶ ▼ ◀ ▲
「……んん?こ…ここは、私の部屋?…カルゼが運んでくれたのかしら…」
部屋の天井から壁掛けの時計に目を移し、今の時刻を見た。まだ食堂が開いていることを確認した後に、遅めの夕食を摂るべく食堂へ足を向かわせる。
「軽めな物でも頼もうかしら」
そして、食堂へ向かう道中で、彼女はある事に気がついた。それは、ブレザーの有無ではなく、定期考査が明後日に迫っているのに、読書感想文が終わっていないということだ。
「夕食を摂り終えたら。3分の2まで進めないとね」
食堂に到着し、中に入る。当然ながら人の姿は料理長を除いて皆無である。
ケミカは料理長の下へ一直線に進み、彼に話しかけた。
「料理長、何か軽めの食事を用意してほしいのだけれど。それか、スルスルと喉を通るものでもいいわ。お願いしてもいいかしら」
「おう!なら、茶漬けでも拵えようか?」
「ありがとうございます。では、それで」
注文を終え、1番近い席に腰を落ち着かせる。すると、メニュー表の隣に先日までは見られなかった何かの機械が置いてあった。
「あら?あれは…」
「ん?おー、あれな!何か王様が置いてったんだ。ドリンクバーだとよ。アレのおかげで、注文せずとも飲みたいものが選べるようになったんだ」
「あら、それはいいわね」
ケミカはそこまで足を向かわせ、備え付けてあるコップ置き場から、コップを1つ手にした。
「ふうん?色んな種類があるのね」
ケミカは興味本位から、知らない飲み物に挑戦してみた。その飲み物の名はクラフトコーラというものだ。その名が書いてあるボタンを押すと、機械から液体が出てきて、シュワシュワという音を立ててコップに注がれていった。
「あら?泡がどんどん…って溢れてしまいそうね。いったん手を離しましょうか」
次第に泡がなくなっていく様子を見つめてから、再度同じボタンを押した。
「ん…よし、ちょうどいい量ね」
ケミカはその場で、クラフトコーラなる物の味を確かめるために、コップを口に傾けた。
「〜〜!」
どうやら一気に流し込んでしまったようで、喉が苦しそうだ。その目には少し涙も浮かんでいる。
「………美味しい…わね」
ケミカはそれをもう一度コップに注ぎ、自分の座っていた席に戻った。
茶漬けが届けられるのにはそう時間を要さなかった。飲み物をチビチビと飲みながら待つこと数分、注文の品は無事に配給された。
「はい、お待ちどうさん!」
「おお~、流石は料理長ね。普通の茶漬けで良かったのに、わざわざ出汁から作るなんてね」
「手抜き料理は自分にしか振る舞わねぇよ。…そういえば定期考査が近いんだっけな。もし必要なら夜食でも用意しようか?」
「あら、そういうことも頼めるのね。ならその言葉に甘えて、お願いしてもいいかしら」
「ああ。指定の時間帯に部屋の前に置いとくが、何時頃がいい?」
「そうね…なら、22時頃にお願いしたいわ」
「あいよ。22時頃、ケミカ、夜食っと。最近はメモしとかねぇと覚えらんねぇんだよな。…よし、それじゃあ、その時間になったら運ぶな。勉強頑張れよ〜」
料理長はカウンターの奥へと戻り、夜食の支度を始めたみたいだ。彼は料理がかなり好きなようで、皆が学校で授業に励む中、彼は街中の飲食店にヘルプとして入っているのだとか。
「いただきます」
茶漬けを食べ進めながら、今回の読書感想文の大体の内容を頭の中で構築する。最初に結論から考えて、そこに紐づくようにその内容を広げる。
そこから数分ほど経過し、彼女は茶漬けを食べ終えた。その頃には、読書感想文の内容も大方決められたようだ。
「ごちそうさま」
ケミカは食器を返却して、食堂を後にした。
部屋に戻り、読書感想文の制作に取り掛かる。食事中に思いついた文章をつらつらと別紙に並べ、その中から幾つかに絞り文をまとめる。
部屋がノックされる音が聴こえた。思っていたよりも時間が進んでいたようで、もう少しで22時だ。
ドアを開けて、ローテーブルの上に置いてあった夜食を回収した。元々は廊下にローテーブルなんて無かったので、それが料理長の配慮であることは容易に想像できた。
部屋の中の机に夜食を置き、それをパクパクと食べながら読書感想文を書き進める。因みに、今回用意された夜食は、玉子のサンドイッチだ。ふわふわのパンに、ヒヤリと甘い玉子がサンドされていて、ケミカの小腹をちょうどよく満たした。
読書感想文に一段落がついた頃合い、不意にケミカがいる部屋の扉が開かれた。いつの間にか玄関を抜けて、この部屋までの道を歩いてきていたようだ。作文に集中していた為か、その存在に気が付かず、扉の開く音が聞こえた際には、大きく体をビクッさせてしまった。
「だ、誰よ!?」
そして、そこから見知らぬ美少女が顔を覗かせた。
「あ、ごめんね。勉強中だったかな。相変わらず真面目だね」
「な、何で入ってきたの?夜這いにでも来たのかしら?」
冗談を交えつつ、上半身だけしか身を乗り出していない、その相手の姿を確認する。
シルバーの髪色に、抹茶色の瞳、そして白めの肌。男でも女でも魅了されてしまうだろうその外見は、ケミカの警戒心を無意識のうちに減少させている。
さらに、自身の通っている学校のブレザーと同様のものをその身に着ていたためか、追加でほんの少しだけ警戒が薄まった。きっとこの美少女は同校の生徒なのだろうと、ケミカは考える。
だがしかし、その美少女が部屋に入ってきた瞬間、ケミカは警戒心を取り戻した。どうして、この子はブレザーしか着ていないのかしら、と心の内で呟いたケミカは、すかさず距離を置く。だがどうやら、リビングなどの他の部屋よりもスペースが少ない部屋であるからして、さほど距離は離せなかったようだ。
「あ~っと…私は、君に『カルゼ』って名付けられた精霊なんだけど」
「『カルゼ』?何を言っているのかしら?『カルゼ』は精霊よ?人間の姿なわけないじゃない……それに、何でそれしか着ていないのよ」
「あぁ、そういえばブレザー返すよ。すっかり忘れていた」
美少女はブレザーを脱ぎ、それをケミカに渡すために近づく。当然ケミカは一歩、また一歩と美少女が近づくたびに、同じく一歩、また一歩と距離を空ける。だが、あまり広くない部屋で読書感想文を作成していた為か、これ以上は下がれそうにないらしい。次からは一番広いリビングで勉強をしようと、人知れず心に誓った。
「な、何で離れるのさ。あ…もしかして汗臭い?」
徐ろにその体の匂いを嗅ぐ美少女。同性のケミカから見ても、少しドキッと来る可愛さだ。
「……本当に貴方が『カルゼ』だって証明できるものがあるのかしら?…あと私が距離を置くのは匂いが原因じゃないわよ…」
「あ、そうか!私からは君のことを視認できていたけど、君は私が視えていなかったんだったね」
「何を言っているのかしら?」
「それじゃあ証明するよ、レイピアを出してくれ」
「わ、分かったわ」
左耳のイヤリングを外して、レイピアを出す。すると、それを確認した美少女は突然その場に力なく倒れた。
「レ、レイピアが輝き始めたわね…」
そして、数秒ほど輝き続けた後、レイピアは輝きを失い、それとほぼ同時に床に倒れた美少女が立ち上り、その小さな口を開いた。
「ど、どう?これで信じてくれたかな?」
「ええ…どうやら、本当に貴方が『カルゼ』のようね」
「あ〜、この姿の時は、『カルゼ』じゃなくて、元々の名前で呼んでほしいかな」
「元々の名前?精霊に名前って、元からついているものなのかしら?」
「実は、精霊になる前の名前があってね」
「精霊になる前?何を言っているのかしら…」
「まぁ、そりゃその反応になるか」
それからケミカは、これから長い話が始まるのだろうと事前に察知し全裸美少女に自身の服を与えた。当然、その身長差からも分かるように、ダボッとしてしまっている。伊達に身の丈150していない。おそらくその服装は見る人が見れば、とても魅力的に映ることだろう。
「……………まぁ、そうなるだろうとは思っていた」
「……もっといろんな服を着せてみたいわね…」
ケミカの心にある何かの扉が開いた。
「で、私の生前の名前なんだけど…」
「ええ」
「クァレオ・ケネオルって名前で…」
「え?……クァレオって、初代校長の?」
「あ、うん。それ私」
「…本当に言っているの?」
「え…本当だよ」
「…まぁ、立ち話も疲れるし、リビングで話しましょう?」
「ああ、分かった」
それから、元いた部屋から出てリビングまで移動した。その後、2人は向かい合うようにして、ローテーブルを挟むように配置されているソファーに腰掛ける。
「勉強はいいのか?」
「今は勉強よりも気になるものが、眼の前にあるのよね」
「そうか…」
それから、ケミカとクァレオはしばらく話をした。何で精霊になっているのか。どうして今になって人間の姿になったのか。本当にあのクァレオなのか、等など、色々質問攻めを受けているクァレオは、既に疲れが見えてきている。何だかんだ、変態との一件が、その体力を奪っていたのだ。そのせいか、強烈な睡魔がクァレオを襲い、その瞼は閉じかけようとしている。
「あら?眠そうね。話の続きはまた明日にでもしましょうか」
「す、すまない」
「今思い出したのだけれど、ベッドは一つしかないのよね」
「ソファーで寝かせてもらうつもりだから、心配はない」
「いや、それは…」
すると突然、窓に何かがべたりと張り付く音が聴こえた。2人は窓へと目線を向けると、人の形をした何かがそこには居た。
その音がした際に、ホラーに耐性のないケミカは、またもや大きくその肩を震わせたようだ。
「っ!」
顕著に反応を示したクァレオは窓の鍵の心配をした。なぜなら、窓に張り付いて此方を覗いているのは、他の誰でもないあの変態だったのだから。




