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花子さん返り咲く!  作者: 獅子虎龍
9/20

八 波と桜と

「陽水きゅぅぅぅうんん!」

 向かってきた白ハゲに右の拳を見せると、犬ェ門は急停止して敬礼をする。

 ぼくはスマートフォンに耳を当て、会話をしているのが不自然ではないように見せた。

「んで、犬ェ門。その人が、そうなのか?」

「そそ。人じゃなくて幽霊だけどっ」

 ほらこっちこっち、と犬ェ門に手招きをされ、一人の幽霊が近づいてくる。幽霊だと思っていなければ人間に見えそうなぐらい、形の崩れていない霊だ。

 霊にも色々といる。死んだときの姿のままの者。そうでなく綺麗な姿の者。なんなら死んだときより何十年も若返っている場合もある。そして悪霊になったり、動物霊と理由があって融合したりすると、もう人間の姿でない場合もある。

 長い茶色がかった髪を伸ばした、優しそうな眼鏡の女子生徒が、ぼくでも犬ェ門でもなく、その隣でぼんやりとした顔を浮かべる筑波先輩を見て、本当に愛おし気に微笑んだ。

「陽水きゅんに言われて探したよ。って言っても、あんまり見ない守護霊だったし、今日は霊の数も少ないから簡単に見つかったよ。ほら、この子が」

「本物の沖田未桜先輩、ですね」

「え? み、未桜?」

 もう薄暗くなってきた校門前は街灯が照らしているきりで、少し寒い。

 それなのに、沖田先輩が筑波先輩を見ているその眼差しだけで、なんだか温かい気持ちになれる。そんな目だけで、ぼくは泣きそうになる。

「守護霊なんですね。あなたは」

「はい。あなた……陽水くん? は、見えて聞こえる方なんですね」

「ええ」

「おい、おい! お前、未桜が、何? どうしたんだ?」

「そこにいるんですよ。でも筑波先輩に声が聞こえないから、わからないんです」

 振り返り、どこにいるのかと探してみる筑波先輩に対して、沖田先輩は慈愛に満ちた目のまま、小さく手を振って見せる。

「筑波先輩の願いを叶えてほしいんです。あなたと仲直りがしたいと」

「……まず勘違いしていることが一つ。私、自殺なんかしていません。事故でした」

「え?」

「机の上に、手紙があったから。それで勘違いされてしまった……私あの日、色々と考えてしまっていたんです。どうしたら恭ちゃんに謝れるのかな、どうしたら恭ちゃんが許してくれるのかなあ、って……私も、悪かったんです。大学へ行くのが決まっていて、四月から恭ちゃんと離れ離れになるからって、思って……気持ちが不安定だと、変なこと口走っちゃうんですかね……恭ちゃん女の子みたいに綺麗だよね、うらやましい、みたいなこと、これまでもよく口にしていた冗談だったんですけれど……いつもよりしつこく言ってしまって、それで喧嘩になっちゃって、夜になってもずっと後悔して、いつの間にか長風呂しちゃって、酷くのぼせて、ふらふらしながら自分の部屋に戻って……髪にタオルを巻いていたんです。それが、ほどけて、首にかかって。私、のぼせていたから、ふらふらで、ドアにもたれるようにしながら、それ、ほどこうとした、のに」

 体がちゃんと拭けていなかったのか、かいた汗が足裏にでも溜まっていたのか。

「滑り落ちて、ドアノブにタオルが引っかかって、首もかかって。息苦しい、のに。全然、体が動かなくなっちゃって。家族も、なんでだろ、あの日、気付けなかったみたいで」

「……前に、窒息死した幽霊から聞いたことがあります……窒息は、なんか、ぼくは生きているからわからないですけど……脳に酸素がいかなすぎて、気持ちがよくすらなるって……変なところに入ると、本当に苦痛がないって。ああ、あとお風呂場で亡くなった幽霊も、全然、まどろんでいるみたいで体が動かなくなっていたって……」

 状況を細かく聞いて想像し、過去に聞いた話なんかを統合しながら考えてみた。ひょっとすると、苦痛を苦痛だと感じ損ねたせいで、抵抗できないまま。

 沖田未桜は、意識を落とした。気道を潰したまま。

 そして――

「手紙は……あの、恭ちゃんに伝えたくって……ごめんなさい、って書いたんです。それきり、次の言葉に迷って、どうしようもなくて、それでそのまま残っていたのが……受験ノイローゼの後遺症とか、受験後の燃え尽き症候群とか……恭ちゃんと喧嘩したせいだと思われた、みたいで……っ」

「お、おい。君、どうしたの? ねえ、未桜は、未桜は何て……」

 筑波先輩に体を揺さぶられ、ぼくは話した。沖田未桜から聞いた話を。謝りたかったこと。謝りたいと願っていたのに、上手く手紙にできなかったこと。なのに誤解を生む一語だけ残ってしまったこと。どう謝ろうか考えすぎて、のぼせるほど長風呂をしてしまったこと。そしてそのまま部屋に戻った彼女は、不慮の事故でタオルを首に引っ掛けたまま、逝ったこと――

 誰も悪くない。何も悪くない。なのにここには、悲しみがあった。

 筑波先輩は最後まで、ぼくを遮ることなく聞いた。

 そして話し終えてから、ゆっくりと、筑波先輩は崩れ落ちる。

 その背中に寄りそう影に、沖田未桜の亡霊に、気付く様子はない。

「陽水きゅん、大丈夫だよ」

「え?」

「言ってあげて。ずっとあの子、そばにいるんだよって。たとえ見えていなくても、ね」

 犬ェ門に背中を押される。力ない筑波先輩の背中に、ぼくは告げた。

「沖田先輩はいま、あなたの守護霊です。いつでもあなたのすぐそばにいます。声が聞こえないときは、何を言っているのか知りたいときは、ぼくのところに来てください。ぼくは一年A組、田中陽水です」

「……そう、かよ」

 筑波先輩は立ち上がる。そのままふらふらと、どこかへ行く。その背中で沖田先輩が丁寧な所作で頭を下げ、言った。

「大丈夫。ありがとう、陽水くん、でいいのかな? 恭ちゃんはね、ちゃんと立ち上がれるから。私の声が届いたなら、絶対に大丈夫よ。本当に、ありがとうね」

 そして一人の人間と一人の幽霊が、薄暗い夕暮れに消えていく。

 大丈夫なのだろうか。本当に。

 事故に責任を感じる必要はない、と思う。でも筑波先輩がもし、悪いほうに考えてしまったなら、どうしようか。安易に話したのではないか。嘘をついてでも隠したほうが良かった部分が、どこかにあったのではないか。本当に、ぼくは。

 取り返しのつかない傷を、彼に。

「大丈夫。あの生者には未桜ちゃんがついている。見えなくても、聞こえなくても、そばにいると知っていれば、きっと立ち直れる。陽水きゅんは、よくやったよ」

「……そうかなあ」

 そっと何かに包まれる。

 犬ェ門が慰めるように、ぼくを後ろから抱きしめながら。

 ハアハアと、荒い息を吐きながらくいっ、くいっ、と腰を動かして――

「……ぶっ殺すぞお前」

「ああん、空気ぶち壊しでござるよ陽水きゅぶっふうう!」

 いいことをしたんだか、もっと上手いやり方があったのに気付けなかったのか。

 とりあえず、犬ェ門をぶん殴ると、少しだけ気は晴れたが。


 更に二日ほど経過して、SNSアカウント「トイレの花子さん」に返信がついた。

 これまでも不満やら文句やらイタズラやら、色々ともらってはいたのだけれど、それだけはちゃんと受け止めておきたい内容だったので花子さんにも見せる。

「ほほう。これが?」

「筑波先輩からの返信だよ。たぶんね」

波桜なみざくら? と書いてあるのだが?」

「ID……まあ、本名をネットに載せるのもよろしくはないからな。大体の人はこういうニックネームというか、あだ名みたいなのを使うんだよ」

「ほほう?」

「……ぼくだって花子さんの名前、偽ってこれ運営しているでしょ」

「む。だが私は本物だぞ。本当のトイレの花子さんだ」

 花子さんは誇らしげな顔で言いながら、ぼくのスマホを覗き込む。


『願いを叶えてもらって、ありがとうございます。時々、一人じゃない気がします。もう少し休んだら、また会いに行きます。よろしく』


 ……ところで先輩、ぼくの霊感体質とか口外しないよな。本当に。


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