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 白川さんを見つけたその日から、わたしはほぼ毎日彼女の病室を訪ねた。

 病室でするのは他愛のないお喋りだ。


 例えば魔界樹が百年振りに実を付けたけれど、それがものすごく臭いという話だったり、実体化しているところをうっかり見られて、服装の露出度が高過ぎるとお説教された話だったり、とにかくくだらない、どうでもいい話ばかりしていた。


「角と羽根も見られちゃって、なんのことだか分からないんですけど"こすぷれ"は街中でしちゃいけないって怒られて…」


「それはリリムが悪いんじゃないかな。だって初めて見た時は、どう見ても下着以下の布面積だったし。あの服装で歩いてる人がいたら通報するよ、善良な一般市民として」


「うぅ…白川さんまで。とりあえず"こすぷれ"に話を合わせて誤魔化せたのは助かりました」


 見られた人数が多かったり、あのまま拘束されるような事態になっていたら、魔力を使って記憶を消したり改変する必要があった。

 当時の苦労を思い出して遠い目をしているわたしを、白川さんがくすくすと笑いながら目を細めて見ている。

 自分は落ちこぼれの悪魔なのだと明かして失敗談を語った時も、彼女は面白そうに耳を傾けてくれた。

 わたしに残された時間には限りがあるということを忘れてしまうような、のんびりとした時間が流れていた。


「白川さんは何か叶えて欲しいことはないですか?」


 それは降格処分を避けるために言った言葉ではなかった。

 白川さんを見ていると、彼女が喜ぶことを何でもいいからしてあげたい、そんな気持ちが心の奥から湧き上がってくるのだ。

 こんな気持ちは初めてだった。


 息を詰めて返事を待つわたしに返されたのは、さらりとした言葉だった。


「叶えて欲しいことなんて何もないよ」


 その声はわたしの胸にひどく寂しく、そして虚しく響いた。

 窓に映る白川さんの瞳は、何も望まず、何も期待しない、無色透明な色をしているように見えた。


 だから、その次に彼女から発せられた提案は、少し意外なものに感じた。


「リリム、私と賭けをしない?」


 悪戯っぽい目をしてにっこりと笑う白川さんは、小悪魔的でどこか艶っぽい。


「私が叶えたくなるような素敵な提案をしてくれたら、それを私の望みにしてあげる」


 何も望まず、何も期待しない彼女だからこそ持つ、純粋な好奇心がそこにはあった。


 欲しいものなんて何もない、と嘘偽りなく言える彼女が欲しくなるもの、そんな物を落ちこぼれの自分に見つけられるだろうか?

 わたしを真っ直ぐに見つめてくる白川さんの瞳に迷いはない。

 一抹の不安を覚えながらも、後がないわたしはその誘いに乗ることにした。




  ◇ ◇




「リリムー!調子はどう?良さそうな人間は見つかった?」


 人間界と魔界を繋ぐゲートをくぐり抜けると、レヴィがわたしを見つけて声をかけてきた。

 彼女の髪色は変わらず鮮やかで、肌艶も良さそうだ。

 必要な魔力を十分に集められているのだろう。


「探してはいるんですが…」


 レヴィが言うような”良さそうな人間”は見つけられていない。

 口ごもるわたしに、レヴィはわざとらしい程に深いため息を吐いた。


「ねぇ、分かってる?あんた期限内に魔力集められなきゃ消されちゃうんだからね」


 語気を強めた友人の声にびくりと肩を震わせ、周囲を確認する。

 幸い近くにわたしとレヴィ以外の気配はなかった。


「それは、もちろん、分かってますけど」


 処分執行まであと23日。

 それまでに人間から魔力を得なければ降格処分、それは分かっている。

 そしてそれが、事実上わたしという存在が消えてしまうことだということも。


 今のわたしは中級悪魔だ。降格処分を受けると、下級悪魔に格下げされてしまう。

 下級悪魔は個を持たない浮遊しているだけの存在で、彼らは本能的な意識のみしか持たず、思考するということがない。

 下級悪魔になってしまえば、わたしという存在を確立している個を失ってしまい、今の姿形も保っていられなくなってしまう。

 降格処分というのは、それほどまでに重い処分だった。


「…それで?あれから一週間、ただ遊んでましたってことはないんでしょ?」


 腕を組んだレヴィはぐいっと顔を寄せ、紫紺の瞳を細める。

 話すまで退くつもりはない、といった雰囲気である。

 逃がしてもらえそうにないことを悟ったわたしは、観念して白川さんのことを話すことにした。


「病院で、すごくキレイな魂の女の人を見つけました。その人と今賭けをしていて、彼女が叶えたくなるようなことを見つけられたら、わたしの勝ちです」


「ふーん、何か面白そうなことやってんじゃん」


「でもその人たぶん、もうすぐ…」


 そこまで言って、わたしは続く言葉を飲み込んだ。


「あぁ、死期が近い人間ってわけ」


 わたしが飲み込んだ言葉の先をレヴィが引き取った。

 こくりと無言で頷き肯定する。


 そう、初めて出会った日から気付いていたことだった。

 白川さんの魂はとてもキレイだけれど、身体との結びつきが弱く、今にも身体を離れてしまいそうに見えた。

 恐らくあと一ヶ月もしない内に、彼女はあの世へ旅立ってしまうだろう。


「よし、決めた」


 しばらく考え込むように口元に手を当てていたレヴィが、ポンと手を叩いた。


「ねぇ、その人間に会わせてよ!そいつが魔力を取れそうな人間か、あたしが見てあげる」



 白川さんを見たいと言うレヴィに手を引かれ、半ば強制的に案内することになってしまった。

 彼女の病室を、レヴィと二人で窓の外から眺める。


「へぇ…。確かにあんな真っ白な魂、あたしも見たことないよ」


 そう言いながら、レヴィは険しそうな表情でベッドで過ごす白川さんを見ている。

 魂の色が持ち主の本質を表すのであれば、純白の魂はわたし達悪魔とは相容れないものだろう。レヴィが良い反応を示すとは到底思えなかった。


 白川さんが窓の外のわたし達に気付く様子はない。

 いつも隣りで他愛のないお喋りをしているというのに、こうして姿を隠して覗き見しているのは落ち着かない気分だった。

 ベッドの上でぼんやりと天井を眺めている白川さんの表情は暗い。


 どんな提案をすれば、彼女の好奇心を満たし、笑顔にすることが出来るだろう?


 わたしは賭けを持ちかけられた日からずっと、そればかりを考えている。


「…こんなこと言いたくないけど、あの人間は難しいよ」


 険しい表情のまま、レヴィはわたしの方へ向き直る。

 それは予想通りの言葉だった。


「レヴィはそう言うと思ってました。でも、もう決めちゃったから。わたしに残された時間は、あの人のために使いたい。だいたい他の人間を探したとしても、落ちこぼれのわたしに魔力を集められる保証もないじゃないですか。だったら、白川さんとの賭けに、わたしも賭けてみようと思うんです」


 ごめんなさい、と心の中でレヴィに謝る。

 だけどわたしだって自分のことを諦めた訳じゃない。白川さんとの賭けに勝って彼女が望むものを見つけられたら、お互いに欲しいものを手に入れられる。

 そのために、残された時間を精一杯足掻いてみたい。


 えへへ、と笑って見せると、レヴィは何かを見定めるようにじっとわたしの瞳の奥を覗き込んだ後、やがて表情を緩めてやれやれと首を横に振った。


「崖っぷちの癖に頑固なんだから。何か困ったら頼ってよ」


「レヴィ…」


 眉尻を下げて笑うレヴィの顔が寂しげなものに見えて、わたしは何と答えれば良いのか分からなくなってしまった。

 もし白川さんが望むものを、わたしが見つけ出せなかったら?

 もしわたしが望みを叶える前に、彼女の命が尽きてしまったら?

 誰のことも幸せに出来ず、わたしという存在は消え、優しくしてくれた友人を悲しませるだけになってしまう。


 そんなのは、嫌だ。


 暗い方へ暗い方へと落ちていく思考を、頭をぶんぶんと振って振り払う。


「わたし、こう見えてしぶといんです。あんな降格処分、撤回させてやりますよ」


 自分を鼓舞するように大袈裟な動作で胸を張ると、沈みかけていた気持ちが少しだけ和らいだ。

 残り時間が少ないことは分かっているのだから、とにかく行動するしかない。迷っている時間すら惜しい。


 わたしが気持ちを立て直すのを見守っていたレヴィは「応援してる」と言って魔界に戻って行った。


「頑張らないと、ですね」


 再び窓から病室の様子を伺うと、白川さんは目を閉じ静かに眠っていた。

 いつの間にか辺りは暗くなっていて、空には細い月が輝いている。

 今日は顔を出さない方が良いだろう。

 まだ次の提案のアイデアが浮かんでいないわたしは、近くの木に腰掛け、白川さんが喜びそうなことを考えながら夜が明けるのを待つことにした。




  ◇ ◇




 次の日、3日ぶりに病室を訪れると、急に駆け寄ってきた白川さんは優しく腕を回し、わたしをそっと抱きしめた。

 目が合ったほんの一瞬、なぜか泣きそうな顔をしていたように見えたけれど、抱きしめられたわたしは突然のことに驚いてしまい、何の反応も出来ずにただ彼女の柔らかさだけを感じて立っていることしかできなかった。


 昨晩捻り出した渾身のアイデアは「会いたい人に会わせてあげる」というものだったが、抱きしめられた耳元で30点という評価とともにあっさりと却下されてしまった。

 あまりにも低い点数に、この先本当に彼女の望みにたどり着けるのか、焦りと不安が増していく。


『残念だけど、会いたい人にはもう会えたから必要ないの』


 耳元で告げられた言葉を反芻(はんすう)する。


(会いたい人にはもう会えた、ということは会いたい人がいたということでしょうか?)


 昨日は誰かが来ている様子はなかったから、魔界に帰っている間に訪問者がいたのかも知れない。

 だとすれば、もし初日にこれを提案していたら喜んでもらえたのではないか?そう思うと、3日前の自分がとても愚かに思えてならなかった。


 そんなことを考えていると、彼女は回していた腕を解き、一緒に海を見に行かないかと言った。

 病院に入院している患者が海に行けるものなのか?という疑問が湧くと同時に、海に叶えたいことのヒントがあるのかも知れない、と期待する気持ちが湧き上がる。


「それが白川さんの叶えて欲しいこと、ですか?」


 期待を込めた眼差しで見つめると、やや間があった後、彼女はただのお誘いだと微笑んだ。

 叶えて欲しいことではなかったことにがっかりしてしまうが、考えてみれば賭けはまだ始まったばかりだ。期待してしまった自分が浅はかだったのだろう。

 それに、気分転換に外へ出てみれば、何か気になることが見つかるきっかけになるかも知れない。


「良いですよ、たまにはパーッと遊んじゃいましょう!」


 断る理由もないので了承すると、白川さんは嬉しそうに笑みを深めた。

 海に行くことが彼女の望みではなかったとしても、一緒にどこかへ行けると思うだけで楽しみで仕方がなかった。




  ◇ ◇




 海へ行くと決めてからの、白川さんの行動は早かった。

 病院側と相談して”がいはくきょか”というものをもらい、行き先を決め、あっという間に宿の予約まで完了してしまった。

 話しをした2日後には電車に乗り込み、わたし達は海を満喫して、今は宿の部屋ですでに布団の中だ。


 耳を澄ますと、窓の外からザァザァと波の音が聞こえてくる。

 久しぶりに実体化したまま長い時間過ごしたせいか、何だか物凄く疲れた。


 海は空から何度も眺めていたからどういうものか知っていると思っていたけれど、実際に素足で砂浜を歩いた感覚は見ていただけとはまるで違っていた。ふかふかとした砂の上を歩くのが楽しくて、たくさんの足跡を残してはしゃいだ。

 初めて入った温泉は、潮風でベタついた肌を驚くほど滑らかにしてくれて、今まで入って来なかったことをめちゃくちゃに後悔した。

 山奥には人が管理していないもっと凄い温泉もあるらしい。そっちはレヴィを連れて行きたい、いつか必ず。


 波の音とともに今日1日の出来事が頭の中を駆け巡る。

 病院では遠い目をしていることが多い白川さんも、今日はたくさん笑っていた。

 それが何より嬉しかった。


 横を見ると、寝息を肌で感じられる程近くで白川さんが眠っている。

 慣れない状況に思わず身体に力が入ってしまう。


 白川さんは、さっきどうしてあんな事を言ったんだろう。

 考えてみても理由はわからない。



 布団に入ってしばらくたった頃、白川さんは急に妙なことを口にした。


「…叶えて欲しいこと、ひとつあるよ」


 真っ暗な部屋の中、ぽつりと響いた彼女の声は、不安そうで、苦しそうでーー。


「私の名前を呼んでくれたら、教えてあげてもいいよ」


 言葉とは裏腹に、名前を呼んで欲しいと切実に求められているような気がした。

 だからわたしは「ゆりさん」と、求められるままに彼女の名前を呼んでしまったのだ。


 そしてそれから、彼女はわたしにキスをした。


 それは唇の先がほんの少し触れるだけの短いキスで、だけど身体の芯が痺れるような、初めてのキスだった。

 思い出すだけで首の後ろからぶわりと熱が広がる。

 白川さんとキスをしたわたしは、頭の先が沸騰しそうな程熱くなって、どうやら気を失ってしまったらしい。

 気が付いた時には白川さんは寝息を立てて眠っていて、わたしの左手は彼女の右手と繋がっていた。


 明日、白川さんの叶えたいことは何ですか?と聞けば、たぶん彼女は答えを教えてくれる。

 だけどそれをしてしまうと、白川さんの本当の気持ちに触れることができないまま、永遠に捕まえられなくなってしまう気がする。

 わたしが欲しい答えは、きっとそこには無い。


 白川さんの叶えたいことを見つけ出して、魔力を得ることが目的だったはずなのに、いつの間にか優先順位が変わってしまったみたいだ。

 今は魔力を得ることよりも、白川ゆりという一人の人間についてもっと深く知りたい。少しでも長く一緒にいたい。

 くるりと身体を横に倒して白川さんと向かい合う。


「ゆりさんが望んでくれれば、なんだって叶えられるんですよ。わたしがわたしで居られる内に、どうかゆりさんを救わせてください」


 わたしに残された時間も、彼女に残された時間もそう多くはない。だからせめて彼女に残された時間だけでも延ばしてあげたい。

 その先にわたしが存在しなくても、悪魔で良かったと思える何かを成すことができれば、失敗だらけの自分のことを少しは許せる気がする。

 祈るような想いで目を閉じ、眠気がやってくるのを待ったけれど、いつまで経っても意識が途切れることはなかった。(ようや)く眠気が訪れたのは、窓の外がすっかり明るくなり、鳥達が活動をし始めた頃だった。



 次の日、わたしは何事もなかったかのように振る舞った。それは白川さんも同じで。

 わたしたちの短い自由時間は、あっという間に終わった。




  ◇ ◇




 海から日常に戻って数日、白川さんは一方的に賭けの終了を告げた。

 そして悪魔との契約について幾つかの確認をした後、彼女うはこう言った。


「リリム、私のお願い、叶えてくれる?私の命が尽きるまでそばに居てほしい。対価は私の魂。どう?」


 白川さんのお願いは、内容もその対価も無茶苦茶だった。

 わたしは頭を岩にぶつけたみたいな衝撃に、思わずこめかみを抑える。

 悪魔の超常的な力を必要とせず、ただそばに居るだけ。そんな願いとも言えないような依頼の対価に、魂を差し出すなんて。

 悪魔が望みを叶えた人間から受け取るのは、あくまでも要求に見合う対価だ。とてもじゃないけれど、釣り合いが取れるとは思えない。


 唐突なお願いに狼狽(うろた)えるわたしに、白川さんは「リリムが私の魂に見合うと思う別の望みを見つけることが出来たら、それを私の望みにしてあげる」と付け足した。

 彼女の瞳に強い意志を感じて、渋々「わかりました」と了承する。

 わたしの答えに満足したのか、少し笑みを浮かべると、そのままゆっくり瞼を閉じて眠りに着いた。


「白川さんはいつも勝手過ぎます。そばに居るだけなんて、そんなの願いでもなんでもないじゃないですか。それに、魂は簡単に差し出しちゃダメです」


 白川さんの魂は出会った時と変わらず、今にも身体を離れて飛び立ってしまいそうに見える。

 病院で入院しているけれど、何か治療を受けている様子もなかった。恐らく人間には治せない病気なのだろう。


 だけど、悪魔にならーー。


 白川さんが何と言おうと、わたしは彼女の命をこの世界に留めておきたかった。

 少しでも長く一緒に笑っていたかった。

 そのためにわたしがするべきことはたった一つ。白川さんに長く生きたいと望んでもらうことだけだ。



 わたしは次の日も、その次の日も、白川さんがもっと長く生きたいと思ってくれそうなことをひたすら考えて提案した。

 それなのに白川さんは頑として首を縦に振らず、柔らかい笑みを浮かべて拒否し続けた。生きることに執着を見せない姿は、どこか未来に手を伸ばすことを諦めている風にも見えて、わたしはよく分からない苛立ちを感じていた。


 時間は確実に流れていて、気が付けば降格処分を決める期限までもう10日ほどしか残っていない。

 残り時間が少ないのは白川さんも同じなようで、ここ数日で急激に体調が悪化していた。

 明らかに食が細くなっていて、血色もあまり良くない。


「白川さんはどうして病気を治すことを望まないんですか?」


 それは今日は調子が良いという白川さんを車椅子に乗せて、敷地内の中庭を散歩している時だった。

 わたしは勇気を出して聞いてみた。


「私は、私が生きてきた人生を否定したくないの」


 白川さんはいつになく弱々しい声で答える。


「この病気も含めて私だと思うから、だから望まない」


 わたしには分からなかった。


 白川さんにとって悪魔であるわたしとの出会いは、人生の一部とは言えないのでしょうか。

 わたしが悪魔の力で白川さんを救う未来は、それまでの人生の続きにはなれないのでしょうか。

 わたしが白川さんの病気を治したいと思うことは、過去の生き方を否定してしまうことなのでしょうか。


 彼女を責めるような言葉が頭に溢れる。

 気を抜くと口をついて出てしまいそうになるそれを、下唇を噛んで堪えた。


「……そんなの、ずるいです」


 堪えて凝縮された想いが抑えきれずに溢れて、声を震わせる。

 ずるい、これはきっとわたしの本心だ。

 気まぐれに優しさを見せて、わたしに触れておいて、大事なところで置き去りにする。

 この世に未練なんかないような顔をして、病を治すことを望まないと言う彼女の姿は、今にも身体を離れて飛び立ちそうな真っ白な魂の姿とぴたりと重なった。


 悪魔が術を発動するには魔力が要る。

 人間の望みを叶えられるのは、悪魔自身の力ではなく、人間から差し出される対価に()るところが大きい。

 ましてや、万年落ちこぼれの自分には魔力の蓄えなどあるはずもなく、どんなに助けたいと願ったところで自分一人の力では彼女の病を消すことは到底できない。


 どうして……。


 込み上げる苛立ちが己の無力さに対するものなのか、未来を望もうとしない白川さんに対するものなのか、わたしには分からなかった。

 残された時間があと僅かだという現実を前に、わたしは焦りと息苦しさを感じていた。


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