第3話 深い森の奥で 1 - そして、少女は拾われる -
ゴツゴツした石だらけの川岸に、少女が倒れている。
上流から流されて来たのだろうか?
体は冷え切り、岩や流れる木々に当たったのだろう、衣服が破れ肌が露出している箇所に、擦り傷や大きなあざが見える。
幸い脈はある。が、非常に弱く遅い。このまま放置すると、命が危ない。
森を流れる川の上流には、どうも人間の争い事が絶えない場所があるようだ。この岸に人が流れ着くなど珍しくない。
大体は冒険者や騎士姿の男の骸だ。
他人などどうでも良く、拾っても面倒しかない。何よりむさ苦しい男どもなど、尚更寄せる情など湧かぬ。
いつもなら下流の里の者に処理させるため、再び流す。息や脈がある者は流石に保護するが、森の外を通る街道の脇に放り投げるくらいで、とりあえず我が身に面倒のないようにするだけだ。
人通りが少なく荒れ放題の街道だが、日に2~3人は人が通るようだ。放っておけばその日のうちに誰かが発見するだろう。
だが、いま目の前に流れ着いている者は、珍しく女性だ。
しかも、まだ成人もしていないのではないか?
そして、弱いが脈はある。僅かだが、胸元がゆっくりと上下している。不思議なことに、水はさほど肺には行っていないようだ。
(命あるものならば…さすがに捨ておく訳にもいかぬ、か)
一旦、小屋に戻り毛布を持ってくる。
服が濡れているため、どこまで冷えを抑えられるかは分からぬが、せめて冷えが増す風が当たらるよう毛布で包み抱える。
(恐ろしく軽い。幼子のようだ)
ロクに食わず、空腹に意識を失い川に落ちでもしたか。
見たところ、貴族か富豪の娘に見える。
川の上流は、この先しばらくは穏やかな流れだが、そこを過ぎると渓谷と更に深い森、そして天に聳えると言われる険しい山脈しかない。そのような険しい自然しかない土地で、蝶よ花よと育てられた年端も行かぬ娘が、野草の何が食えるかなど知らぬであろう。釣りも狩りもできぬに違いない。死を望んでもおらぬ限り、このような僻地に入る理由も見当たらぬ。
そこまで思うと、疑問が沸く。
この娘、そのような出自の者のなら何故この川沿いに、しかも川に流されるような目に遭っておるのか?どのような境遇でここまで流れ着いたのだろうか?
さほど損傷がない様子を見ると、穏やかな流れの地点から流れてきたのだろうが、それでもそのような者が入る場所ではない。疑問は消えぬ。
まあ良い。もし目覚めたらなその時聞けばよい。知ったところでどうするわけでもないが。
いずれにせよ、もし食うや食わずであったなら、むしろ我が助けられる場に流れ着いたことは幸運だったやも知れぬ。
家に運びベッドに寝かす。薪を継ぎ足し暖炉の火を強め、室内を温める。
できれは衣服を着替えさせたいが…さすがに二人きりと言えど、そして少女と言えど、女性の衣服を脱がすことなどできぬ。
出来ぬがしかし必要なことである少しくらい「見えてしまって」もしかたn
(女に惑うことは許さぬ。これは家名を継ぐ者の誓いである)
脳で鉄槌で打たれる衝撃と共に、知らぬ声が響く。助かった。我に帰ったぞ。
濡れたままはあまり良いとは言えぬが仕方ない。衣服は着せたままにしよう。とにかく暖め、乾かさなければ。
ベッドを暖炉に近づけ、しかし火傷はせぬよう位置を調整する。
やれやれ。やっとひと心地着いた。
それにしても、今日はなんと思い通りに事が運ばぬ日なのだ。
たっぷりとバターとジャムを塗ったパンを頬張ろうとした時、慌てたハードメイプルの精霊が窓から飛び込んだのに気を取られて落とし、服も床もバターとジャムまみれになるわ。
昨日まで元気に育っていた薬草は、物好きな虫に食われ茎や葉の筋しか残っておらぬわ。
しまいにはこれだ。
穏やかな日和、気を取り直し川辺で読書などと洒落込もうとしていた矢先に、人が転がっているわ。
いやしかし。あのパンは惜しかった。あれでジャムを使い切ってしまったのだ。しかも精霊の奴、慌ていたことも忘れ「好物!」などとほざきパンを掠め取って行きおった。思い出すだに腹が立つ。
少しばかり思い出し怒りを抱きながら、面倒のひとつである拾い人の顔を覗き込む。
… 改めてよく見ると、怒りもどこかに吹き飛んだ。
人間…ではないのか?
パッと見は人間にしか見えぬが、間違いない。人間ではない。亜人でもない。
完全なる人外か? としたら、精霊? 妖精? 天使?…いや、それにしては、潜在魔力が大きすぎる。その性質もまるで違う。
「不思議なお方だ」
そして、美しい。天上の美しさ、とはこのような者のことを言うのか。
宗教画でも見たことのない美しさである。
もちろん先ほどまでの土気色の顔色であって、そこそこ美しいとは思っていた。
だからこそ拾ったのだ。
だが、暖炉の熱に血色が戻りつつあるその横顔は、更に息をのむ美しさである。
透き通るような白い肌。
薄く頬紅をさしたような頬。
シルクの糸のように輝く白銀の伸びやかな髪。
髪と同様、白銀の眉。そして長く美しい黒い睫。
閉じていてもわかる、切れ長で、少々勝気な印象を与えるが、凛とした目元。
どちらかと言えば、冷たい美しさとでも言おうか。どことなく気高い品格を感じる。どの角度から見ても美しいく凛としたものがある。
目を閉じていてこれだ。目覚めたらどんなに素晴らしいお方だろう。
拾って正解だ。例え回復すればすぐ去ってしまう者であっても、このような方を打ち捨てるのは惜しいものだ。
ふむ。あまりに隠遁が長く忘れていたが、私もそのようは思いを抱く心はあったのだな。
ふとそんなことを思い、自嘲してしまう。
長い長い髪から、まだ水が滴っている。
さすがに、これはまとめて布でくるみ、水分を取っておこう。
髪をまとめるため上半身だけ支え起こし、背中側に回る。
そして布を当て、水分を吸うようにまとめる。
その時、白い首筋が露になる。
(この文様は…? 強い、光の力を感じるが…?)
薄紅色で描かれた、稲穂の紋様が首筋にあった。あざではない。もちろん入れ墨でもない。まるで、その透き通る肌の薄皮一枚下に、王室お抱え絵師が最高級の筆で描いたかのようだ。繊細できめ細やかな紋様である。
また、紋様の奥から、強い魔力の圧を感じる。
この紋様の意匠自体は知らぬ。
が、紋様の奥に潜む魔力圧。こちらは少々覚えがある。
我が一族の伝承に、そんなものを持つ方々がこの世に存在し、我が先祖とその方々が互いの修練のため数度仕合った、と記されている。
その方々とは…
- この者、地上神の一族、か? -
噂には聞いたことがある。
私自身は実際に出会ったことはない。写しを見たこともない。
各国の主要な町には、豊穣の恵みを与え、時空や自然、そして火を自在に操る、女神の血を引く種族がいるそうだ。
始祖の豊穣の女神は人を模した肉体を与えられ、この地上に降り立ち、遣わされたと男性神と契りを結び子孫を作った。その後も、人と交わることなく神の血筋だけで構成された種族だとか。
その数、現在200余り。数代の代替わりを重ねているが、増えもせず減りもしないらしい。
気まぐれで街に出かけたときに、何度かそんな話を聞いたのだ。
まあ、森の中で長年隠遁している我が一族には、そのような存在がいようがいまいが、あまり関係のない話であるが。
それにしても、疲れた。
久々に、人らしき者を運び、曲がりなりにも介抱する、などという労働をしたからだろう。
心配になる程度には軽かったが、それでも力の抜けた人型の生物というものは運びにくい。重量以上に体力を使う。
魔術で運べば楽だったが、我が術は少々荒いのだ。火にしろ風にしろ運搬にしろ、日常生活や脆いもの扱いには向かぬ。
それにだな。このような状況である。少し触れても罪は無かろう下心がn丁寧に扱わねばならぬ気がしたのだ!。
嘘偽りない下…真心である。
ふむ。そうだ、真心だ。我が本心に偽りはない。
ベッドの横のテーブルに、ティーポットとカップを置く。
庭の薬草から精製した、体が温まる薬膳発酵茶。もちろん自前だ。
少々苦いが、こんな時には体によく浸透する。
卵と手製の出汁を混ぜ、茶碗に入れて蒸しあげた、匙で食える蒸し物も置いた。
これには鳥の肉や青菜も入っている。食べやすく、腹に優しく栄養価もあり、カロリーもそれなりに摂れる。何より、鶏肉の油分と出汁が織りなすハーモニーは絶品だ。あまり食べていなければ胃も弱っていよう。美味いものもしばらく食えていないに違いない。食えるようなら食っていけばよい。
目覚めた時、私がその場に居なくても自身で飲み食いできるよう、
「少々苦いが体が温まる薬膳茶、そして腹に優しい卵と出汁の蒸し物を置いておく。目覚めの後にお召し上がりあれ」
とだけメモ書きし置いておく。
さて。あとは目を覚ますのを待つだけだ。
そう思うと、暖炉の温もりで猛烈な眠気が襲ってくる。
少し、椅子で眠るとしよう…