リルゼンタール領
リルゼンタール伯爵領。
聖王国南部に広がる大森林を切り開き、南端に聳える山渓まで街道をぶち抜いた事で発展した土地。
ゲーム内では主にフリーバトルやサブイベンとでの登場が多く、メインに絡むのはキリールートだけと言ういまいち影の薄さは否めない。
背景だって、中世ヨーロッパ風の建築物が並ぶ一枚絵の使い回しだった。
けれど、いざ現実としてその地を歩いてみれば、
・・・・・・のどかで穏やかないい町ね。
往来を行き交う人々の表情はみんな一様に朗らかで、商人の呼びかけや子供達がはしゃぎまわり知り合いを見かけた誰かが挨拶を交わして、それらが重なる事で生まれる喧騒を私は好ましく感じた。
「ハイ! こちら先日収穫されたばかりの水キャベツ! どうですこのツヤ感! 瑞々しくてハリもある。プリっとした感触はまさに天然物の証と来たもんだ!」
「化粧品みてぇに言ってんじゃねえよ馬鹿。あ、そこの奥さん! そっちの馬鹿の店よりうちの店見て見なよ! ほーらこの甘石カボチャ堅そうでしょ? 試しに旦那を殴ってみてよスッキリするから!」
「今日はお前が魔王役な! ちゃんとやられろよ? ちゃんとだぞ? 約束だからな? この前みたいに延々と真の姿とか形態変化で十連戦!とかするなよ? 絶対ダゾ!?」
「フリかそれ。って言うかやったのお前だろうが! しまいには聖女役の子泣いちゃって王子の僕が慰めたら何か告白されたけど、結果的にありがとな!」
「馬車通りまーす。次の十字路左曲がりまーす。次の十字路―左曲がるっつってんだろ!避けろよお前ら!」
・・・・・・元気だなぁ。
しばらくそんな彼らを眺めながら歩き続けると、街並みが途切れて農林地帯に出た。
東に果樹園が並び、西は段々畑のように菜園やら小麦畑が広がっている。
街道の先に見えるのは大森林と遠く聳える山峰の連なりだ。
リルゼンタールの興りは、元々農産業で財を成した事が始まりらしい。
やがては政治にも食い込んで、いつの間にやら伯爵位まで昇りつめたと言う。
この辺、設定資料集のテキストファイルにも載っていなかったから、大変興味深くて勉強が捗った。
行間を詰めているような、シナリオの裏側を覗いているようなわくわく感を今でも覚えている。
「・・・・・・とは言え、所詮は一次産業で安定収入なのは良いけど、儲け自体は小さいのよね」
田畑の畦道を歩きながら、畑の様子を見て収穫量や時期を頭の中でメモしていく。
量は確保できるけれど備蓄するには過剰で、結局値段自体が抑えられたまま他所の領地と取引されるのだ。
何とか二次産業で加工品をいくつか作りたい所である。
・・・・・・収穫物の質自体は良いのだから、間違いなく人は呼べるはず。
どうしたものかしら、と首を傾げれば、
「おいおい、どうして貴族のお嬢さんがこんなみすぼらしいトコに居るんだ」
敵意を隠しもしない男の声が掛けられた。
そちらを見れば、大柄で年配の恐らくはこれから農作業だろう男性が、訝しむ半目を私に向けていた。
自虐的なフレーズは、彼の表情と声音を考えたら言外にお前みたいなやつが来る所じゃないと言っていて。
端的に表せば、私は目障りなのだろう。
「視察よ、視察。今年収穫できるであろう農作物はどれくらいか、それをどう売ってやろうかって」
「そんなのは領主さまが考える事であって、アンタみたいな小娘が口を出せるモンじゃないだろう」
どうやら、私がリルゼンタール夫人とは気づいていないようだった。
まぁ昨日式が終わった後はそっこで屋敷に入ったのだから、領民たちが私の姿を見る事なんて無かったから当たり前なのだけど。
とは言え、ベルク侯爵の一人娘って事で容姿含めて私は割と有名だと思ってたのだけど、案外そうでもなかったらしい。
「その領主さまが昨日引退なされたから、私が視察に出ているのよ。知っているでしょ? 昨日、リルゼンタール長子が他所の領地から嫁を取ったって」
「あぁ、坊ちゃんに愛される事のないお飾りの嫁がきたって、夕べはみんなで盛り上がったもんだ。
何をやらかせばそんな惨めな罰を受けちまうんだ、と。どんなくそったれなのかを肴にして麦酒がそれはもう進んだ進んだ」
「なら、今日も私を肴にして美味い酒を飲みなさい。あぁ、安酒は駄目よ? ちゃんと奮発して」
は、という声と共に、男が一瞬動きを止めた。
そして、右の手で両目を覆って天を仰ぎ、
「はっは、アンタがそうか! 坊ちゃんを縛る為だけに連れて来られた無用の嫁! だったら猶更余所者に口出されたくねえなぁおい! お飾りはお飾りらしく屋敷で仕舞われててくれねえか」
私を指さして笑う男の目にはうっすらと涙すら浮かんでいた。
うーん、多少はこういう拒絶を覚悟していたけれど、思ってた以上に差が凄い。
まさか馬鹿にされるとは思っていなかった。
けれど、一つ気付く事がある。
屋敷の人たちは私に同情的だったけれど、目の前の男は私に敵対的だ。
それはつまり、
「キリーは案外領民に慕われているのね」
ちょっと意外。
「坊ちゃんは昔から俺たち平民に優しくてなぁ。いずれ俺も君たちと同じ立場になるんだって、気さくに接してくれた。俺らの畑を率先して守ってくれたのは坊ちゃんだ。だからみんな、坊ちゃんには幸せになってくれよと願ってた」
でもよぉ、と男が言う。
「そんな坊ちゃんに愛する女が出来た。みんな喜んださ。例え平民の女でも、坊ちゃんが見初めた女だ。きっと幸せに暮らせるってな。それなのになんだ、結婚って。そんなもん、坊ちゃんを家に縛り付ける楔でしかねえ」
何で来たんだ。
キリーにとって私は邪魔でしかなくて、だったら自分たちにとっても敵だと、男の台詞からそんなニュアンスがありありと伝わってくる
・・・・・・分からない訳では無いのだけど。
それでも、
「―しょうがないじゃない。キリーがどれだけリルゼンタール家から離れたくても、長子なんだもの。リルゼンタールの経営は火の車で、けれどキリーは家を継ぐ気は無いと役割を放り投げちゃって。弟さんは優秀だけど別宅で療養に専念しなければいけなくて」
「ならば何故来た! それが分かっているなら、嫁ぐ事だって断れただろうに」
「だから言ってるでしょう? しょうがないじゃないって。貴族のわがままに振り回されるのはいつも領民で、そして大概の場合、領民に罪など無いのだから。なら、来るしかないじゃない」
貴族と言うのは大変だ、と転生した21年でしみじみ感じたのだ。
お金があって、美味しいもの食べて、お茶会やら夜会に出て、コイツラ優雅で羨ましいなんて前世では思ったりもしたのだけど。
いざその立場に立ってみたらとんでもない。
政治家と大企業の社長を兼任しているようなものだ。その重圧足るや何度吐きそうになったことか。
ゲームやら漫画やら小説で描かれていない行間を埋める日常作業は想像を絶した。
フォンティーク家があのままだったらどうなってしまうのか、一年間ずっと突き付けられた。
「―リルゼンタールが機能不全に陥らないように、貴族の責務を果たしに来たのよ」
まぁ、それだけじゃないのだけど。
キリーの今の現状は、ゲーム展開の煽りを受けたようなものだ。
私はそれを知っていて、後ろめたさも少しだけある。
何より、カレン母様の時と同じようなどうにもならなさが、たまらなく頭に来たのだ。
だから来た。
「分かったのなら、ちょっと教えてくれないかしら。見てきた感じ、作付け面積と収穫量が釣り合わないのよ。絡繰りが分からなきゃ、削って良いのか駄目なのか判断できないの」
「あ、ああ・・・リルゼンタールの土地は霊山と大森林が近いせいか土精と樹精が他所より活性化してる。だから、土壌は彼らのお陰で豊潤で、作物は生き生きと他所より多く、他所より大きく育つ。
一つ辺りは小さな差だが、数が増えればいくら同じ面積だろうと差は大きくなっていく訳だ」
応える男の顔は、どこか居心地悪そうで、私と目を合わせようともしなかった。
それでも素直に回答が帰って来たから、恐らくは言い過ぎたとでも思って気まずさの表れかもしれない。
キリーの妻である事に納得はしていないけれど、リルゼンタールの貴族としては認めてくれたのだろう。
着いてこいと言うので、大人しく従う事にする。
「農地として恵まれてはいるが、その分、作物を狙う獣や虫は当然多くてな。その上、食うに困った人間が盗みにも来る。つまり、畑の維持には他所以上に人手が必要になっちまってる」
そして、年配の男が立ち止まり、右を差した。
指先の方を見れば、森林へ続く小道があり、それを挟むようにして畑が続いている。
「去年、坊ちゃんの凱旋直後に夜盗にそこの畑がやられた。坊ちゃんが追い払ってくれたが、収穫待ちだった野菜はほとんどダメにされ、持ち主の一家は子供が二人居て、更に女房は今臨月だ。今年作物を出荷出来なきゃとてもじゃないが生活できねえ」
「貴方から見て、その家の作物はどうなの」
「旦那は樹精に好かれる性質らしくてな、ついでに腕も良いから作物は活き活きとして、味も良い」
「今年は何を育てる気かしら」
「金が欲しいから、知り合いに頼んで紅晶人参と甘石カボチャの苗を揃えたそうだ。単価重視とは言え、どうせきっちり育つだろうから儲けは出る。リルゼンタールの家でも恐らく食卓に出る事もあるだろう」
「農具はどうなの?」
「地元製が殆どだな。フォンティークやイルシュテンのものは使い勝手がよく長持ちするとは聞くが、うちで揃えるには中間費用が嵩んで無理だ。中には頑張って揃えたヤツも居るが、自慢してきたらその日は酒の席からハブる」
そこの畑のやつだ、と顎で示した。
「俺はもう長い事使ってきた地元製のが手に馴染むが、果樹園のやつらは若い奴も多くて渋々って顔で我慢している。地元製は土精にウケは良いが、樹精はどうやらお気に召さないらしく、果樹園としてはご機嫌取りが大変だそうだ」
ちなみに、土精や樹精は、この世界の魔法を管理する精霊である。
かつては魔法の管理は神様がやっていたらしいけれど、いつからか神様は姿を消してしまい、精霊が
その役割を託されたと学園の授業で言っていた。
精霊は自然そのものの具現であり、彼らの気分次第で恩恵を受けたり不利益を被ったりする。
【始まりと終わりのミィス】では、火・水・風・土・光・闇と言う王道の六種だけ登場したけれど、実際には樹・氷・空など、多岐にわたって存在が確認されている。
「アンタとしては残念だろうが、見ての通りリルゼンタールは小川が流れていても水源と呼べるのは霊峰の雪解け水くらいで、水精は拗ね気味だ。つまり、農地をこれ以上増やしたいなら何か策が要るし下手に減らすと折角の強みを自分で殺す事になる」
男の声音に、試されているような、頼まれているような感覚を得た。
本当に領主をするなら、どうにかしてくれ、と。そんな感じで投げられた気がする。
・・・・・・どうにかするけどさぁ。
どうしたものだろうか。
いくつか思案を上げて見て、結局は屋敷に戻ってこれまでの事を見ないと迂闊な事な言えないなと思う。
だから、この場で年配の男に言葉を返すなら、こうだ。
「―しょうがないけど、何とかするわ」
「なら、また、来い。俺からここのやつらに言っておくから、ジェリドに用があると言えば通じるだろう。それと、俺が言う事じゃないだろうが、護衛は付けてこい。居るだけでも箔は着く」
「本当に、貴方が言う事じゃないわね」
お互いに苦笑して、別れた。
来た道をそのまま遡るように屋敷へと戻れば、何故かキリーが玄関から出てくる所に出くわした。
「意外ね、貴方が屋敷に寄り付くなんて」
「君には関係ない事だろう」
確かにと思えたから、そうねと答えた。
すると、彼は意外そうな顔で私を見て、それが何だかおかしくて、
「私たち、夫婦である前に同級生でしょう? だから、世間話くらいはいいじゃない」
微苦笑付の声で言えば、キリーは居心地悪そうに視線を逸らした。
その仕草がまるで悪戯を叱られた子供のように見えて、漏れそうになった笑みを慌てて手で隠す。
「私にとって、イオリの話が出来るのは貴方だけなのだから、それくらいの距離間は許して頂戴」
「そういえば君は、イオリやイルシュテン嬢と付き合いがあったのだっけ」
どうせバレてるだろうなと思ってたけど、ほんとにバレてたらしい。
だからなのか、彼は少し悩む間を開けて、そうだな、と頷いた。
「どうやら君は私よりも屋敷の者に好かれているようだし、確かに同級生なのだからそのくらいは私も譲ろう。ただ、今日の所は分が悪いからこれで失礼して、またいずれと、そう言う事でいいだろうか」
「ええ、行ってらっしゃい」
再び彼が意外そうな顔をして、けれどそれきり何も言わずに去っていった。
鳩が豆鉄砲を食らったような顔を、イケメンがすると割と愉快な事になるなんて初めて知った。
・・・・・・しばらくはツボりそうねこれ。
そんなことを思い、今度こそ笑みを隠さないまま屋敷の扉を開ける。