これから馴染む朝
翌日、リルゼンタール夫人として迎えた初めての朝は、すっきりとした目覚めだった。
とりあえずとして通された寝室のベッドから上半身だけ起こせば、視界の左から差し込む朝日が眩しくて左の手を翳す。
何となく、ここはフォンティーク領ではなくリルゼンタールなのだとはっきり突き付けられた気がした。
・・・・・・フォンティークの私の部屋は朝日じゃなくて夕日が差し込むのよね。
枕横のチェストに置いていた懐中時計を取って、時刻を見れば短針がルビーを、長針がラピスラズリを指していた。つまりは、朝の7時。
フォンティーク領に居た頃ならば寝坊したと焦る時間なのだけれど、
「・・・・・・起きるべき…? それとも久々に二度寝してみようかしら・・・」
どうしようかと左を見れば朝日が通る小窓があり、その向こうには青に染まり始めた空がある。
空の色は結局同じだな、とそんな事を思った。
同じなら、起きてもいいか。
未だ御付きのメイドが起こしに来ないけれど、元々騎士団所属で戦場にも立った事もあり、そもそも前世では一人暮らしだったのだから寝起きの支度くらい一人で出来る。
ベッドから降りて、一瞬クローゼットはどこかしらと迷ったりしたものの、無事身なりを整えて部屋を出た。
白のブラウスに少しタイトめの黒いミモレ丈のスカート。
貴族の女性としてはだいぶ地味ではあるけれど、騎士系家系であるから美しさより実用性重視と言う脳筋一家の出としてはこれで十分である。人の意見は知らん。
そもそも私はカレン母様の娘で、我がことながら容姿は整っているのだ。
ついでにカレン母様の立ち振る舞いをみっちり叩き込んであるのだから、服装が落ち着いていたところで私をとやかく言う人はいない。
偉大なりしは我が母カレン・フォンティークである。
そんな事を思いながら、玄関ホール前の階段を下りて食堂の扉を開けば、
「お、奥様!? もうお目覚めになられたのですか!?」
朝食前のテーブルを整えていたメイドの子が私に気付いて駆け寄ってきた。
昨日、私を出迎えた時に泣いた子―シリルだ。
子犬が跳ねるようにこちらに来る彼女に連動して、ブリムの左右を挟むようにツーサイドアップに纏めた髪が縦に揺れる姿が、小柄な体型と合わさってどことなくパピヨンを連想させる。
栗色の大きな目は、散々泣き腫らしてせいか一晩経ってもまだちょっと赤いけれど、それでも彼女の愛嬌を損ねては居なかった。
「私も自分の生活周期をすっかり伝え忘れてたから、今日の所はお互い様よ。それに、フォンティークに居た頃は5時には起きていたから、久々にめいっぱい眠れたわ」
5時、と言う言葉に、シリルは少し表情を曇らせた。どうやら早起きは苦手らしい。
つい、ふふ、と声が漏れて、私に気付かれた事を察したのか、あ、と声が漏れて慌てたように口をつぐみそんな自分に一瞬ばつの悪い顔をして、すぐ首を軽く振って冷や汗付きの笑みで私に向き直った。
とにかく表情が忙しい子らしい。
「すぐに朝食をご用意致しますので、奥様はお席でお待ちください」
はいはい、とシリルの頭を一撫でして、言われた通りに食堂の扉から一番近い席に着く。
髪に触れた時、ぴぇ、と鳴き声が漏れていたけれど、食堂から厨房へ去っていくシリルに慌てた様子は無いから恐らく無意識だったのだろう。
待っている間に今日の予定を頭の中で組み立てていれば、シリルやほかのメイドたちによってあっと言う間に朝食の皿が並んだ。
パン、スープ、サラダ、蒸し鶏、フルーツ。
常識的なラインナップではあるけれど、素材からして結構お金掛かってるなぁと分る。
パンは力を入れなくても裂くように千切れるし、裂いた傍から小麦のいい匂いが香って来た。
ドレッシング替わりに黄色がかったジュレと和えられたサラダは、噛むほどに広がる野菜の風味を舌で溶けた柑橘系のジュレが宥めるように受け止める。
・・・・・・彩りもいいし、調理人たちも腕利き揃いなのね。
しつこいけれど、フォンティーク家は脳筋家系。味より栄養優先の気が強くて、貴族的な食事を久々に摂ったなぁと妙な感慨がきた。
「あぁ、そうそう。この後、領地を少し見て回るから留守にするわね」
傍に控えてくれているシリルに言って、パンの最後の一欠けにスープの皿に残った水気をしみ込ませて口に入れる。
「戻ったら仕事するから、私が出ている間に書類とか纏めて出しておいて頂戴」
「かしこまりました、奥様。すぐご用意致しますので、サロンで緩やかにお待ちください」
「それと、ブーツに履き替えるわ。騎士団所属が長くて、外を歩くときにヒールだと落ち着かないのよ」
本当に落ち着かない。
前世OL時代は毎日のように履いて通勤していたのに、今はもう踵に感じる頼りなさが不安で仕方なく感じてしまう。
微苦笑の顔で頼むと、シリルは素直に頷いてくれた。
そして、食後のコーヒーを満喫して、彼女に促されサロンで待機する。
だだっ広いサロンは本棚が並べられた壁側と平行にして3連両開きの一面窓が並んでいた。
・・・・・・全部解放すれば、庭園に繋がって屋外兼用のパーティ会場という訳ね。
フォンティークの家にはなかったなぁと思い、そもそもパーティを開くなんて発想がない家だったと思い出してため息一つ。
いや、よくよく考えれば倉庫みたいに使ってた部屋が、ちょっとこの部屋っぽかった気も。
小説や漫画ではだいたいテンプレとして完備されてたけど、実際はそんなものかーってちょっと納得してたのだけど、もしかしてうちがおかしいだけ・・・?
ンー・・・?
「お待たせしました、奥様。・・・奥様?」
掛けられたシリルの声にそちらを向けば、ブーツを抱えた彼女の後ろには3人の男が立っていた。
青の布地に金の縫製細工を施された騎士の平時制服を着込んだ男達だ。
青と言う事はリルゼンタール領所属。ちなみにフォンティークは黒の布地に緑と金の細工だ。
と言うか、
「・・・・・・護衛を用意してとは頼んで無いのだけれど・・・」
「奥様おひとりで街に出られるお積もりですか!?」
騎士の一人が信じられないと言う顔で前に出た。
「買い物をしたい訳でも、会いたい目当ての人がいる訳でも無いのだから、一人で平気よ」
「で、ですがもし何かあったらどうするのですか!」
「リルゼンタールは穏やかな土地柄で治安も悪くないと聞いています。それとも、それはただの噂で実際は女一人出歩くのは危険、と言う事ですか?」
「そんなことはありません! 人々はみな気前よく朗らかです。それでも万が一奥様の身に何かあったらどうするのですか!」
なおも食って掛かる騎士に、ちょっとびっくり。
職務に真面目だなぁとするか、融通効かない頑固だなぁとするか悩み処だ。
けれど、言っておかなければならない事がある。
「・・・・・・そもそもとして、貴方たち、私より強いの?」
私の言葉に、騎士たちが全員息を詰め、そして表情を険しい物に変える。
まぁ、プライドを逆撫でされたに等しいのだから、気持ちは分からないでもない。
力を疑われると言うのは、騎士にとって誇りと言う逆鱗に触れる。
それを私は知っていて、だから言う。
「フォンティークの黒百合が咲くのは綺麗な庭園ではなく荒れた戦場よ? リルゼンタールが娶ったのはそう言う女なの。騎士が令嬢や婦人を護るのは当然だけれど、同じ騎士が騎士を護るなら、どういう事か分かるでしょう?」
「護る対象より強くなければ、むしろ邪魔と。奥様は、私たちが貴女より弱いと仰るのですね」
「違うと言うなら、3人がかりでいらっしゃい」
言い切って、真正面から騎士たちと向き合えば、果たして彼らは静かに一歩引いた。
納得行ってないのは表情から見て取れるけれど、それでも通じた事に私は安堵する。
・・・・・・騎士だものね。
決して、私を優先してはならない。彼らの仕事は領民の守護であって、私の保護では無いのだ。
彼らの言う万が一が起こった時、私を優先して領民に被害が出ては困る。
それをちゃんと弁えている人たちで良かった。じゃなきゃ、一人一人丁寧に話して回らないといけなかったから、それは酷く面倒くさい。
話は終わったとばかりに、シリルからブーツを受け取って履き替える。
やっぱりブーツは楽でいい。履き慣れた感触に満足しつつ、サロンから出ようとした瞬間、
「―ご無礼お許しください奥様」
「だから、3人同時にと言ったでしょう」
右脚を軸にして体全部を回す様に振り返って、腕を伸ばせば、私に殴りかかろうと伸びていた騎士の腕を払う結果となった。
勢いに流されて騎士の全身が無防備となり、直角の角度で掌底を彼の顎にぶち込む。
一瞬、騎士のつま先が床から離れ、踵に重心が寄った所で右の足を空いた腹に蹴りこめば、容易く尻餅をつく事となった。
「本来、仕えるべき家の夫人に殴りかかるのは問題ですが、騎士同士のマウント取りはいつでもどこでも起こる事。そもそも格付けは私から振ったものですし、貴方の試しは不問とします。
貴方たちが仕える家に嫁いだ妻は、女である以上に騎士の気が強いのだと理解しなさい」
いいですね、と言い含めれば、騎士たちが揃って頷いた。
視界の端でシリルが、わぁ、と小さく手を叩いている姿が見えて、ちょっと苦笑。
とは言え、これで序列は決まっただろう。
これで心置きなく外出できるとサロンを出ようと扉に手を掛けて、ふ、と騎士たちに振り替える。
「そうそう、私、本領は魔法だから、私を護る必要がある時は傍を固めるのではなく、敵を減らす事を優先なさい」
信じられない物を見たような目で騎士たちが私を見たけど、コクコク首を下に振ったから恐らく通じでは居るのだろう。
そのことに満足して、私は屋敷の外へ出た。
・・・・・・それにしても、私、変な事言ったかしら?
やっとなろう系お約束のフレーズ使えて満足