黒百合の嫁入り
嫌がらせも一年続けば上等なもので、大した根性だなと妙な感心すら沸いてくる。
・・・・・・と言うか、手段がみみっちぃのよね・・・。
伯爵さまに嫁いだら呪われるぞ的な不幸の手紙が届いたり、結婚前の挨拶やら式の打ち合わせやらでリルゼンタール家に出向けば使用人全員から総無視されるわ、仕出しされたティーセットのお皿に虫の足―どう見ても玩具から外したもの―が添えてあったり。
いや、添えるんじゃなくてカップの中に入れなさいよ。子供の悪戯じゃないんだから。
何というか、上流階級は使用人までお上品に仕上がってしまうのだろうかと疑問になる。
だからまぁ、この程度なら可愛い物だとして流してきたのだけれど――
「――まさか結婚式当日に花嫁の衣装を切り刻むなんて相当必死なのね」
眇めて見る正面、私が着替えるまでマネキンを着飾るはずだったウェディングドレスは無残にも切り裂かれ、辛うじて布が何か所か引っかかっていると言う有様だった。
それはもう徹底的で、ちょっとした手直しやその場凌ぎの修復も出来ないくらいの手の込みよう。
・・・・・・とは言え、これはちょっとまずいわよね・・・。
結婚式はリルゼンタールのお屋敷がある直轄領の教会で執り行われることになっている。
となれば、誰がどういう意図でやったかは明白で、かといって今更式を中止にするのもだいぶ厳しい。
どうしたものかしら、と眉間を皺をほぐす様に右の人差し指で撫でれば、
「如何致しますか、お嬢様」
背後に控えてくれていたマーカスが、私に窺ってくる。
「別に下手人を捕らえる必要はないし、意味もないわ。とは言え、もうキリーは会場入りしているし式まで時間もないから、式後に向こうの家に持っていくはずだったドレスを出して頂戴。あ、とっておきのやつよ?」
「・・・・・・しかし、あれは」
「良いのよ。武家の娘に余計な飾りは無用、と、そう言う事にしましょう。社交界の私の呼び名にも重なるし、私の手持ちで一番お金掛かっているのだから、十分意味は通るでしょう」
そう言ってマーカスを見れば、彼はそれ以上は何も言わないで速やかに私の要求を叶えてくれた。
面倒な事言って申し訳ないわね、と思うけれど、それを口にする気はない。
私が生まれた時から我が家に仕える執事なのだから、当然私の性格だって熟知している。
言っても無駄だと、ちゃんと分かってくれているのだろう。
まぁ、これが最後のわがままとして尊重してくれているだけかも知れないけれど。
「――お嬢様、ドレスの準備が整いました」
掛けられた声に、ご苦労様と応えフォンティーク家のメイドたちに身を任せた。
あれよと言う間に準備が整えば、ちょうど式の時間となり、結論から言えば式はめっちゃ騒然となった。
なにせ、新婦が黒のドレスで入場したのだから、当然と言えば当然である。
バージンロードを歩いていく最中、会場に出席しているリルゼンタールの使用人たちが酷く狼狽えて居るのが見えて、ちょっと申し訳なく思う。
・・・・・・と言うか、フォンティークの人間があの程度で退く訳が無いのよ。
きっとカレン母様だって、顔色一つ変えずに私と似たような事をするだろう。
フォンティーク家とはそういう家だ。
普通の貴族令嬢ならばショックを受けて泣いて逃げるだろうけれど、悲しいかな我が家は聖王国最強の脳筋一家。戦場で培ったメンタルを舐めないでいただきたい。
ため息一つ着いて、キリーの元まで歩みを進めれば、彼からエスコートの腕が伸びて来た。
表情を見れば苦虫を噛み潰したような顔で、この結婚が心底気に入らない事がありありと見て取れる。
それでも、私を妻として尊重してるのか、単に女たらしの性で癖が出ただけなのか分からないけれど、腕を伸ばしてくれた事を意外に思いながら、私は彼の手を取って隣に並んだ。
てっきり望んでいない結婚を強いた生家への当てつけで、私を無視すると覚悟していただけに、何となくキリーの人柄が窺える。
「・・・結婚式に黒を着てくるなんて、平民に熱を上げている私へのあてつけか?」
「・・・まさか。どうせ貴方は式に来ないのだろうから、花嫁としてではなく輿入れする”黒百合”としてこの場に立つと思っていただけですわ」
お互いに小声で一言交わせば、彼はそれきり何も言わず、伯爵家長子としての顔で神父様へと向き直った。
学生時代から変わってないその顔に、懐かしさを覚えながら私も同じように神父様へ顔を向ける。
あとはもう事前説明や打ち合わせで言われた通り、儀礼的な挨拶や誓文を唱えて式は滞りなく進行して無事フォンティーク家とリルゼンタール家の婚姻が果たされる事となった。
残る今日の予定は、リルゼンタールのお屋敷へ入るだけだったのだけれど――
「――どうして・・・どうして来ちゃったのですか、ユーリカ奥様ぁ・・・」
屋敷に入るなり、リルゼンタール家のメイドの一人が涙声で出迎えた。
彼女の他にも、恐らくは屋敷の使用人全員が控えていて、内心ちょっと引いたのは内緒だ。
よくよく見渡せば、何度か屋敷を訪れた時見かけた顔や式場で狼狽えていた顔も全員揃っており、つまりメイドの言葉はここに居る全員の総意なのだろう。
ちなみに、キリーは私を玄関まで連れてくると、そこで役目は終わったと言わんばかりに去っていった。たぶん、さっさと領地に招いた愛人の所へ戻りたかったのだろう。
私を出迎えたメイドは、皆よりも前に出ている事から、きっと私の傍仕えを任された子だと予想がついた。
今にも感情が決壊して泣き出しそうなメイドの頭を、掌を乗せるようにして軽くポンポンと叩いて、
「どうしてと言われても、貴方たちの嫌がらせを見て思っただけよ。あぁ、気遣われてるなって」
嫌がらせは一年続いたのだ。それも、まるで子供のような小さな嫌がらせでしかなくて。
私の嫁入りが嫌で、絶対に認められないのであれば、まるで足りない。
何より、フォンティーク家の使用人たちが私にお伺いを立てるまでもなく放置し続けたのだ。
悪意があれば、私に判断を求めるだろう。害意があれば、私が何か言う前に対処する。
そんな彼らが見て見ぬふりをするならば、それはこの家の使用人たちが仕える家に背くと分っていてもなお、私に結婚を翻意させようと必死だったことに他ならない。
・・・・・・だとすれば、嫌がらせのニュアンスが変わるのよ。
来るな、ではなく、来ないで。
来ないでください。来てもいい事無いですよ。来ない方が幸せになれます。
それは、最早拒絶と言うより私を慮っての気遣いだ。
「花嫁衣裳を切り刻むのをうちの使用人が止めなかったのは、たぶん、気持ちが分かったからでしょうね。そこまでしてでも止めたいのか、って」
だからこそ、マーカスの如何しますか、だ。
このまま嫁ぐのか、それとも気遣いを受け入れ引くのか。
結局、私は我を通してフォンティークとリルゼンタール両家の使用人たちの思いを踏みにじったのだけど。
「切り裂かれたドレスを見た時、あぁ、本気なんだって思ったわ。じゃあ、しょうがないわねって」
ここまで気遣われたら、もう行くしかないじゃない、と。
結婚までの間、私はひたすら領地の運営に従事した。
その過程で、リルゼンタールの現状も耳に入って来たのだ。
現リルゼンタール伯爵は領地経営は人並みだけどとてもいいひとで、だからこそ悪意ある人に騙されやすく、借金が嵩んで領地の経済は火の車。
邪神討伐した一行の一人であるキリーヘ王家が贈った褒章を、補填に充てざるを得ない状況にまで追い込まれている。
そんな家に嫁ぐなんていらぬ苦労を強いられるのは明らかで、わざわざ不幸になりに来る私を、この家の使用人たちは見捨てられなかったのだ。
この家と道連れになるのは自分たちだけで充分だと、私を遠ざけようとした。
・・・・・・善い人達よね。
だから、しょうがない。
「フォンティークの女はね、気遣われたなら倍にして返すの。相手が遠慮しようがお構いなしで、意固地になればなるほど押しつけがましく押しかける。私はそういう面倒くさい風土の地を治める家の一人娘よ」
つまり、
「フォンティークで一番面倒くさい女よ、私。あんなに必死になられたら、そりゃあ来るのは当然でしょう?」
勉強不足だったわね、と笑いかければ、ついにメイドが決壊した。
最初にう、と吐息が漏れ、次の一瞬で叫びのようなあ、の長音が屋敷の玄関に響く。
零れる涙を、右、左と拭ってやるけど治まらず、次から次へと溢れ出て止まらない。
「だがら・・・っ! そんなおぐざまだからっ、おとめしだかった・・・んです! おくざまは・・・っ、みすてられない人だから・・・って! やしぎのみんな・・・っそれはおなじで! だから―」
「―私に嫌われようとしたのよね? だから嫌がらせもちっちゃくて、私一人に集中させて」
本来であれば、仕える家が決めた婚約者に嫌がらせなんて問題なのだけれど。
彼らがしたことと言えば、怪文書だったり無視だったり私が呑んでしまえば済んでしまう話だ。
そもそも私に響いていないのだから、嫌がらせとして成立してない。
むしろこの程度で問題とするのは、フォンティーク家の器が知れるというものだ。
けれど、
「そういう気遣いをする人、私は好きよ。だから来たの」
「おぐさま・・・ぁ」
「私の嫁入りと引き換えで、現リルゼンタール伯爵は運営業務から手を引きます。以降、次期当主が確定するまでの間、リルゼンタール夫人である私が代理として運営を引き継ぐ事になるから、みんな手を貸してね?」
私の言葉に、メイドの子が息をつめた。それはほかの使用人たちも同じで、みんな目を見開いていて戸惑うような表情だ。
いいわね? と左から右へ、一人一人の顔を確認するように見ながら念を押せば、一拍の間を置いて、
「かしこまりました、ユーリカ奥様!」
玄関ホールに集合していた全員が、声を揃えて言った。
それは、泣き顔で顔をぐしゃぐしゃにして嗚咽を漏らすメイドの子も例外ではなく、
「せっかく可愛い顔なのにこんなに泣いて・・・しょうがない子ね」
「もうしわけ・・・っありません、っおくさま」
いいのよ、と笑いかけながら頭を撫でれば、一瞬身を震わせて、弾かれたように私を見た。
そして、袖で涙と鼻水を一生懸命拭い始めて、大きく呼吸をして泣き止もうとする姿が何ともいじらしい。
やがて彼女は大きく深呼吸を一つして、居住まいを正し、
「誠心誠意、お仕えいたします。ユーリカ奥様」
笑みの顔で、そう言った。
それは、小さな花がほころぶような、とても可愛い笑顔だった。
嫁入り前・結婚・家入りと1話ごと区切ろうかと思ったけれど、本題そこじゃないな?と大幅カット