ユーリカ・イルン・フォンティーク
ユーリカ・イルン・フォンティークは、侯爵令嬢である。
”獅子帝侯爵”ベルクハルト・フォンティークの一人娘。
見目はかつて”百合姫”と謳われたカレン・フォンティーク譲りであり、母が白なら娘は黒だろう、と社交界では囁かれているとか居ないとか。
学生時代は成績優秀―あくまで学生全体の平均と比べるなら―で、特に秀でていたのはさすがは獅子帝の娘と言うべきか、戦闘関連であり女生徒の中では右に出るものはなかったと言う。
その為、彼女は学園を卒業と同時に父であるベルクハルト侯爵が有する私設騎士団に加入し、父の傍らで聖女の邪神討伐が進む2年もの間、隣国と聖王国の国境線を守り続けた。
―というのが、ゲーム上での私のプロフィールだ。
だから、知らなかった。
思いもよらなかった、と言ってもいい。
フォンティーク家はそもそも武官の一族で、先祖代々武功を重ね続けた結果領地が広がり、領地に合わせて爵位が上がり、やがて侯爵にまで昇りつめたと言う戦争特化の騎士系貴族だ。
聖王国南西、隣国と国境線が近い一帯すべてが領地として与えられている事からも、国から我が家の戦働きを期待されている事が分かる。
・・・わざわざプロフィールに国境を護り続けたって記述されてた理由ってこれよね。
とは言え、貴族は貴族であり、領地を治める義務は当然あってそれは武官であるフォンティーク家も例外ではない。
な・の・に!
―ベルク父様、本気で戦闘ガン振りの内政才能0じゃない・・・!
まさか敬愛するベルク父様が、救いようがないほど脳筋だったなんて。
フォンティーク家の執務室で、父様のデスクに座りながら執事に渡された経営状況を示す書類を手に、私は頭を抱えることになった。
濁ったあ、の連音を呻きとして天を仰げば、視界の端には雲一つない蒼空と穏やかな陽光が差し込んでいて、気分的にちょっと落ち着いた。
改めて書類に向き合えば、書いてあるのは各事業の赤字、赤字、赤字。
更には、領地からの収入自体も落ち込み気味で、赤の補填は父様が武功を上げて王家から頂いた褒章品を売り払って強引に工面すると言うもの。
・・・・・・確かに各貴族の領地経営とかメインの本筋に関わらないとは言え、これは酷いわ。
行間を埋めるならしっかりしてほしい、ゲームの作者。
「・・・脳筋が侯爵で領地どうやって経営してるのかって、確かに思わなくはなかったけれど・・・」
呟く声は、自分でも分かるくらい弱い。
ベルク父様は侯爵なのだ。当然、領地の規模も膨大で更には国境線を一手に引き受ける場所にある。
だから、文官が優秀なんだろうなって、前世でも今世でも思っていた。
それがまさか英雄戦力単騎でのゴリ押し経営だったなんて、誰が思うのか。
・・・いや、そのゴリ押し経営で蝶よ花よって育てられたから私が言えたことじゃないのだけれど。
大事にしてくれたと思う。
カレン母様が生きていた時も、亡くなってからも、余り会話を交わした思い出は少なかった。
それでも、私が喜ぶならとたまに顔を合わせればお土産を用意してくれたり、どこかに行きたいと言えば連れて行ってくれた。
女なのだから、貴族の娘なのだから、とそう言った事で私のやりたいことを止める事は一度だってなかった。
油断、というのだろうか。それとも、もう馴染み切ってしまってそれを当然としてたのだろうか。
ゲームでも回ってたのだから、今世でも同じように回ってるのだと思っていたのだ。
それが良い事なのか悪い事なのか、分からないけれど、
―このままじゃダメなのは、分かっているのよ。
何故なら、世界は一先ず平和を手にしたのだ。
邪神騒動を利用して聖王国に介入しようとした隣国は、散々私たちフォンティーク家に喧嘩吹っ掛けて来ていたのに、今はもうその気配すらない。
魔物による災害だって、邪神が討伐されてからというものめっきり落ち着いてしまっている。
つまりは、父様の自転車操業的領地経営は遠からず立ちいかなくなってしまう。
どうしたものかしら、と思い、しょうがないわね、と嘆息した。
手遊びに胸にかけられた懐中時計に触れれば、銀製の冷たさがちょっと心地いい。
厳密には、聖別した純銀で作ったらしいけど、だから何が違うのか私はよく知らない。
・・・だってこれ、カレン母様が私にって作ってくれた贈り物だもの。
遺品では、ないのだ。
「私はもう長くなくて、大きくなったユーリを見る事は叶わないのだけど、それでも、お母様はユーリの大きくなった姿を見る事を諦めなかったのよって、その証として、贈りたいの」
カレン母様が、そう言ってベルク父様にお願いしたらしい。
貴方が、ユーリが大人になったと認めたのなら渡して欲しい、と。
立ち絵では懐中時計ぶら下げていたのは覚えていて、一向にそれが手元に来る気配がなかったので首を傾げていたけれど、なんてことはなかった。
断罪イベントの日、ユーリとハウメアと別れた後帰宅したら、普通に父様から卒業祝いだと渡された。
ユーリカの登場は二部からだし、騎士団所属で戦闘機会も多いだろうにどうして壊れやすい時計なんて下げているんだろうと気にはなっていたけれど。
・・・・・・こんな大事な物、一瞬だって手放したくないわよね。
時計を渡された直後、父様から逃げるように自室に駆け込んで、十四年ぶりに母様を思い出して泣いた。
それ以来、私は可能な限りずっと懐中時計を肌身離さず下げている。
母様のリクエストにより、文字盤の数字は宝石で加工されているらしく、0から11までそれぞれ異なる宝石があしらわれていて、母様贅沢趣味だったっけと首を傾げつつ、何だかんだ私は気に入っていた。
この世界、ゲームと同じだからなのか、そもそもゲームが前世世界で作られた影響なのか、一日は24時間で一年は365日だったりする。
なので、この時計は実用品としてとても重宝していた。宝石細工のお陰でアクセサリとしても申し分ないのもとても有難い。
とりあえず、時刻を確認して見れば丁度お昼時。
・・・・・・ベルク父様がお帰りになるのはいつも20時過ぎてからだから・・・。
「マーカス! お昼はサンドイッチで良いから執務室に届けさせて。それから、今年の予算案をまとめた書類全部用意して頂戴。あと、領内各地からの要望書も全部ね」
部屋の前で待機してくれていたのだろう我が家の執事に指示すれば、彼は何も言わず速やかに叶えてくれた。
その手際に、何となく理解する。
・・・・・・父様、お金だけ用意してだいたいの事はマーカスにぶん投げてたのね・・・。
何かあったら自分が責任取ればいいだろう。出来ない自分がやるよりはマシだろうと、自分が稼げる間それで回るならとか思っているに違いない。
いやいや、それで健全に回るなら世の中苦労しない。
それになにより、
「父様…ほんっきで領主向いてないわね…」
マーカスが用意してくれた予算案と計画書を見比べながら、がっくりと肩を落とす。
・・・・・・出る案出る案全部承認して、全部実行とかどう考えても無理でしょ…。
「今年はもう無理にしても、来年からはどうにかしないと…。進行してる事業の優先度決めて、ああでも一度視察に出ないと行けないし、その前にまず――」
やるべき事が多い! ほんっとに多い!
でも、と思う。そして、だからか、と納得する。
昨日、父様に言われた事を思い出す。
「ユーリカ、お前を嫁に出す」
それ以上話す事は無いとでも言うように、父様は釣り書を寄越して私を下がらせた。
・・・・・・初めて、父様と距離を感じたわね。
見捨てられた訳でもない。見放された訳でもない。それでも、手を離されたのだ、と感じた。
もう自分の娘ではなく侯爵家の娘として扱うと言う事なのか。父様の中で私の嫁入りは確定してて他家の娘として扱うと言う事なのか。
どちらにしても妙に腑に落ちなくて、落ち着かない気を逸らそうと渡された釣書を開いてみれば、見知った人の肖像が描かれていた。
”麗しき剣閃”キリー・リルゼンタール。
【始まりと終わりのミィス】における攻略対象の一人で、リルゼンタール伯爵家の長子。
武器は双剣で、魔法禁止かつ一対一という条件下であれば、ヴェイン王子をも圧倒すると言われている。
彼の戦い方はまるで躍っているようだ、ともっぱらの評判である。
とは言え、このキリーという男はとんだ曲者であると言わざるを得ない。
ヴェイン王子がお約束通りの完璧王子だとするならば、キリーはお約束通りの女たらしキャラなのだ。
甘いマスクを武器にして女性に言い寄り、彼の赤い瞳で見つめられれば如何なる女性も蕩けてしまう。
そんな彼の愛情ルートは、彼に唯一興味を持たないヒロインに興味を惹かれて、ちょっかいを掛けるうちにいつの間にか本気の恋心が―という、王道的な物だった。
・・・友情ルートはどっちが早く本気になれる恋人を見つけるか競うのよね。
いや、そこはお互いくっつけばいいだけでしょってついつい突っ込んでしまったのを覚えている。
「政略結婚は覚悟してたけれど、よりにもよってキリーかぁ・・・」
いつの間にか握りしめて歪んでしまった予算案と計画書を放り出して、腕を上げて身体を伸ばす。
さて、と改めて書類たちと格闘を再開しながら、どうしたものかと思う。
ぶっちゃけ、政略結婚に対して特に思う事は無いのだ。何せ私は前世の記憶を持って転生したのだから。
二十五年生きた中で、初恋も経験したし恋愛だってした。だからまぁ、私は恵まれているのだ。
貴族社会に生きる女性が真っ当に恋愛して幸せ一杯の結婚をするなんて早々無い。
結婚はまぁ、前世でも経験してないけれど現代社会を生きた私だ。そこにあんまり夢を見る事は出来ない。
ならば、結婚に関してはこの世界の貴族女性と条件は同じで、けれど私は恋愛を経験できた。
・・・・・・そんな私が、政略結婚なんてしたくないですなんて、言える訳ないわよ。
言える訳無いのだけど、
「どうして愛人囲ってるキリーなのかしら…? と言うか、あの女たらしが愛人の住む家を自分の領地で与えてるってベルク父様はご存じなの・・・?」
邪神討伐した一員であるキリーが、凱旋後すぐ旅の中で出会った女性を自分の元へ招いたと言う話は聖王国の中で結構有名な話だ。
だからまぁ、リルゼンタール家が私、というか妻となる女性をキリーに与える理由は察しがつく。
もしもゲームでの設定通りならば、キリーはリルゼンタールの家を出たいはずなのだ。
彼は、自分の弟こそ当主に相応しいとして、実家に反発しあてつけるようにして浮名を流し始める。
・・・けれど、弟は身体が弱くて、そんな彼を救う愛情ルート以外では当主になれないのよ。
イオリが選んだのはヴェイン王子だ。キリーじゃない。
なら、弟は未だ病床に就いていて、兄もまた、リルゼンタールの家を投げ出せないでいる。
弟が大好きな兄は、決して自分の家を身勝手に捨てられない。
―これは、駄目だ。
昨日、急に父様から婚約の話をされて、キリーの釣り書を見て、どういうことだと今日執務室で色々見てみればなるほど全部繋がるじゃない。
気付かなければよかったと思うけれど、気づいてしまえばもう駄目だ。
「・・・しょうがないわね」
これは、私じゃないとだめだ。
たぶんフォンティーク家もリルゼンタール家もよくある政略結婚のつもりなのだろう。
「マーカス。父様に、昨日の話お受けするって急ぎで伝えて」
継ぎたくない家から出ていきたいのに、出ていけない。
聖女に救われて彼を解き放つはずだった弟は未だ救われていない。
・・・カレン母様。
ゲームは終わったはずなのに、ゲームの影響をそこかしこに感じる。
EDを迎えた世界のはずで、ハッピーエンドを迎えた世界のはずで。
それでも世界は続いているのだ。
世界にフィナーレなんてない。
だから、私はキリーを見捨てられない。
「・・・ほんと、しょうがない」
自分の事ながら、心の底からそう思う。
かくして、私とキリーの婚約は確定し、式は来年という事になった。
奇しくもその日は、私、ユーリカ・イルン・フォンティーク21歳の誕生日。
そして、次の日から嫌がらせが始まった。