06.第2層
2層に進んでも、生息する魔物の種類は変わらなかった。隅々まで探索したわけではないので確証はないが、おそらく採取できる植物や鉱物にも変化はない。
「ちょっとだけ、魔物の数が増えてる?」
「そのようですね。効率よく狩るのであれば、2層のほうがよさそうです」
2層に進んで一時間で、さらにゴブリンとコボルトを3匹ずつ狩ることができた。
「これで合わせて27匹か。どうせなら、昇級の条件の50匹、今日中に片付けちゃおうか」
迷宮内の総滞在時間が120時間を超えないと昇級はできないのだから、焦って狩っても意味がないことはわかっていた。ただの気分の問題だ。
そもそも、このペースでやっていれば、積極的に狩りにいかずとも十分に達成できる。
「滞在時間を除くと、昇級の条件達成までは魔物をあと23匹、鉱石を一種類、植物を三種類採取です。すべての討伐・採集条件を今日中にクリアしてしまったほうが、あとで気が楽になるかもしれません」
「じゃあ残り五時間の目標はそれでいこう」
鉱石を探し回って採掘をしていると、ゴブリンとコボルトは放っておいても寄ってきた。もっとも、武器持ちはいない。やはりこの階層ではレアだったらしい。
さらに一時間ほど歩き回ると、壁がほんのりと赤く染まっている個所を見つけた。迷わずロングソードで砕く。
「よし、赤鉱石だ」
「これで鉱石の条件は達成ですね」
単純な強度では黒鉱石の方が高いが、赤鉱石は魔力を通しやすく、魔法具に加工しやすいという特徴を持つ。これはこれで需要のある鉱石ということなので、ありがたく収納袋にしまう。
ご多分に漏れず、音に惹かれてやってきたコボルトを瞬殺して、魔石を回収。あと22匹。
「じゃあ、あとは植物採集だね。残り四時間で見つけられるといいけど」
心配は杞憂に終わった。
次に見つけた水場でミズタケを、広場のようなところでヒール草とシビレ草を一気に採取して、植物の条件もクリアした。その間にも魔石の回収は進み、青鉱石や赤鉱石、アカタケもいくつか手に入った。これも貴重なものではないが、銅の欠片も採取した。鉱石のカテゴリに入る。
探索可能時間を3時間を残して昇級条件をほぼクリアした二人に立ちはだかる唯一の問題は、空腹だった。
「迷宮から一度出ちゃうと次に潜れるまでに12時間のインターバルをおかないといけないんだよね? 総滞在時間のことを考えると、あと3時間ぎりぎりまで粘りたいところだけど」
「レオ様、でしたら採取したアカタケでひとまず空腹をしのいだらいかがでしょうか」
「そうだね。そうしよう。あんまりおいしくないってことだったけど……」
「この際、味は気にしていられません」
「じゃあ、適当な場所を見つけて食事にしようか」
どこか腰を落ち着けられる場所はないかと探索すると、間もなく水場が見つかった。手ごろな石もあるので、そこに腰かける。
湧き出る水でまずは喉を潤す。石が雨をろ過しているのか、迷宮内の湧き水は、山奥の清水に勝るとも劣らない清浄さだ。迷宮内は、少なくとも低層階においては水場が豊富で、水分に事欠くことはないという。
収納袋からアカタケを二本取り出して、水で軽く洗う。なんの変哲もないきのこだ。イルザが起こしてくれた火で軽くあぶってみるが、特に食欲はそそられない。
「生食にも耐えるということですが、せめて焼いたほうが味はマシになりそうですから」
「うん、ありがとう」
表面をあぶってから、裂いてみる。相変わらず、特に香りはしない。思い切って一口かじってみるが、
「うーん。味がしない」
「食感も奇妙ですね。水気は薄いのに、やけにぐにぐにと弾力がある」
なるほど、これはまずい。これだけの空腹を抱えているのにありがたみがない、というのもなかなかすごい。
栄養価は高いらしいのだが、さすがにきのこ一本では十分に腹が膨れたとはいかない。それでも、もう一本袋から取り出して食べようという気にはならなかった。
「カエルのほうがマシだったね」
「言わないでください。なるべく忘れたいんです」
旅の途中、沼で獲った巨大カエルを水に沈めて泥抜きし、あぶって食べたことがある。見た目こそ衝撃的だったが、実のところ、レオは結構あの味が気に入っていた。
イルザもおいしいとは言っていたが、さすがに二度、三度と食べたいとは思わないということか。
「うーん。ちょっと物足りないけど、あと3時間くらいなら耐えられるかな」
「そうですね、外に出たらなにか食べに行きましょう。条件達成までは、あと3匹ですから余裕があります」
その後ももくもくと採集にいそしみ、討伐数は間もなく50を越えた。
変わったものを見つけたのは、残り時間が2時間を切ったころだった。
「ねえイルザ、これ、なんだろう。ちょっと白っぽい石があるんだけど」
「白、ですか?」
「うん。白鉱石はこんな階層にはないはずだから、なんだろうなって」
レオが見つけたのは、表面が白く覆われた奇妙な石だった。光を当てると、きらきらとわずかに桃色に光る。せっかくなのでロングソードで叩いてみると、ぼろりと崩れた。
「あれ、これ、もしかして」
「レオ様?」
レオはロングソードの腹を使って、こぼれた岩をガリガリと削った。それから削りカスを指先で掬い取り、ぺろりと舐める。
口中に、さわやかな刺激が広がって、唾液の分泌が促進される。うまい。
「やっぱり。これ、塩だよ。岩塩だ」
「岩塩? たしか、低層で見つかるのは相当に珍しいという話だったかと思いますが」
「でも、しょっぱいもん。ほら、イルザもちょっとなめてみて」
「えっ」
レオが指先を差し出すと、イルザを顔を赤くして「なんて大胆な」とか「いいのでしょうか」とか小声でぶつぶつ言った後に、舌なめずりをしてレオの指先をなめた。付着した塩をなめとるだけにしてはやけに念入りに舐られ、指先がもぞもぞする。
「ん……おいしい……」
唇をぺろりと舐め上げ、細めた目で微笑を浮かべている。背筋がぞくりとする。なんで塩をなめとっただけでこんなに蠱惑的な雰囲気になるのか理解できない。
妖しげな表情のイルザから目をそらして、なるべく平静を装いつつ、レオは再び岩塩に触れた。
「これ、持って帰ったら売れるのかな?」
「迷宮産の塩は高値がつくと聞いたことがあります。かさばりますが、収納袋にはまだ余裕がありますので、採取して帰りましょう」
「うん。でもさ、ちょっと、いま試してみない?」
「試す?」
収納袋からアカタケを取り出して見せると、イルザもすぐに納得したようで、再びきのこをあぶってくれた。
そのうえに、岩塩を少し散らして、ふたり一緒にほおばる。
「これは……」
「おいしい!」
不思議なもので、先ほどまでは何の味もしなかったきのこが、塩を振りかけただけでほのかな甘みが際立って、得も言われぬ味わいになった。まるで別の食材になったかのようだ。
塩、おそるべし。
「かつて、山間部では白い黄金とまで言われたものですからね……」
「この辺の岩塩、採れるだけ採っておこうか」
それから30分かけて、手分けして岩塩を取りつくす。
「時間もそろそろ近づいていますから、今のうちに1層に戻りましょう」
懲りずに襲ってきたゴブリンを返り討ちにして、血をぬぐう。イルザの炎が肉を焼くにおいにも、もうすっかり慣れてしまった。
「ねえ、イルザって迷宮に詳しいよね?」
「迷宮についての基礎知識は、学院での必須科目でした。ここだけの話、学院生にはひそかに迷宮冒険者を志望している者もいたので、彼らから雑談交じりに聞いたこともあります」
「王立学院の生徒が冒険者志望?」
基本的には貴族か、豪商の子息子女しか入学ができない名門校である。門戸は開かれているのだが、いかんせん、学費が高いのだ。
そうした家柄の人間は、往々にして冒険者などという明日をも知れぬ職に就くことを嫌がる。学院生に冒険者志望がいるなんて、レオには意外だった。
「そう驚くようなことでもありません。冒険に血がたぎるのは、若者の特権ですから。もっとも、実際に卒業して冒険者になった、という人は、私は寡聞にして知りませんが」
「そう、そうだよね。王立の魔法学院まで卒業して、わざわざ冒険者になるんて」
と言いかけて、レオは口を閉ざした。自分の雑談の相手がそもそも何者であったのかを唐突に思い出したのだ。
「その……ごめん。僕のせいで、イルザまで冒険者なんてものに巻き込んで」
「レオ様。それはもうやめましょう」
「でも」
「いま、私、とても楽しいです。迷宮に潜って、野生のきのこに採れたての塩をかけて食べるなんていう経験は、ふつうの人生ではできません」
「イルザ」
「私は後悔してません。レオ様について国を出たことも、こうして冒険者になったことも、この先ずっとレオ様を支え続けることも、です」
イルザの完璧な笑顔に反論を封じられたレオは、ただ頭を下げることを返答に代えた。
これほどの忠誠に、どうやって応えればよいのか、まだ少年にすぎないレオにはわからなかったのだ。
もっとも、下心ありありのイルザの献身を、忠誠と呼ぶべきか否かはあやしいところなのだが。