50.第31層
潜るほどに深くなるのが迷宮だ、という。
当たり前の話だ。強いて言うほどのことでもない。潜るほどに浅くなる場所があれば、そっちの方が異常だろう。
しかし、と31層の地を踏みながら、レオは思っていた。なるほど、潜るほど深く、か。
単純な深度の話ではないのだろう。のめりこみ方、あるいは魔的な魅力、そういうことだ。深い階層に到達すればするほど、迷宮の魅力にとらわれる。抜け出せなくなる。はまってしまう。
もうすっかり虜だな、とレオは自嘲する。
「レオ様?」
「ごめん、なんでもない。金級に上がれたのがうれしくて、つい」
「うんうん、うれしいよね。よーし、この調子で領主まで一直線だ!」
リタは元気に歩く。陽気に振る舞いながらも全身で警戒していることは、いまさらたしかめるまでもない。
積み上げたスキルのおかげで30層の魔物を倒すのはもう苦労がなかった。31層になったところで、その現実は変わらない。
31層に踏み入っていきなり遭遇したハイーオーガやコカトリスとの戦闘を経て、レオは自分たちの力がこの階層でも通用することを確信していた。
「今日の目的は31層の攻略、つまり32層への階段を見つけること。でも、無理はしなくていい。31層でキャンプを張ってもいい。ゆっくりと順応していこう」
「まずはこの階層に慣れる、ということですね。今回の探索のキャンプは何日くらいを?」
「デリアとヴェラのことも気にかかるから、まずは三泊でいこう。それからひとつ、わがままを聞いてほしいんだけど」
「なんでしょう?」
「鉱石が欲しいんだ。魔鋼青晶と、龍水石あたりが採れるとベストだと思ってる。しばらくは、この二つの鉱石と魔石の収集をメインにやっていきたい」
魔鋼青晶と、龍水石は金級以下の階層でなければ採掘できない。31層で見つけるのは困難だが、40層あたりまでいけば運が良ければ目にすることもある、というレベルの鉱石だ。
使用用途はもちろん多くあるが、もっとも一般的なところでは、
「武器、ですか?」
「うん。決めたんだ。どういう武器を作って、扱っていくべきか。僕のための武器」
「なるほど、それで魔鋼青晶と龍水石なのですね……」
レオは何も言っていないが、イルザはすでに考えを見抜いてしまったようだ。さすがの察しの良さだ。一方、リタは首をかしげるばかりだった。
「んんー、どういうこと? なになに?」
「まだ確信持ててないから、鉱石が採掘できたらリタにはまた相談するよ」
「えーなにそれ。仲間外れやだー。ずるいー。レオ様いじわるー!」
「こらリタ、静かになさい。そうでないと――」
イルザの忠告は遅く、魔物の咆哮が轟く。このフロアは天井が異常に高い。声は、頭上から降ってきた。
影が落ちる。そして、凶悪な牙のひらめき。翼の羽ばたきが巻き起こす風で、髪が乱れる。
「へえ、さすが31層」
見上げた先に魔物の影を見つけて、リタが笑う。八重歯を牙のようにとがらせて、獲物を見つけた肉食獣のように獰猛に。
「翼竜――ワイバーン。こんなのまで、迷宮内にいるんですね」
「上等じゃん。あたしの双剣の錆にしてあげるんだから」
旋回する竜を挑発するように双剣を抜き放ち、リタが壁を駆け上がる。戦闘態勢を取るワイバーンの翼めがけてイルザの氷魔法が飛ぶ。
三人とワイバーンの戦闘がはじまった。
* * *
「そういえばレオたちな、この間ついに上がってきたらしいぜ。金級まで」
「あれ、いまさら? 思ったより時間かかったね。ゆっくりやってたのかなあ?」
三時間の死闘の末に仕留めたブラックゴーレムの亡骸の上にあぐらをかいて、ローザ・ファーナーは笑った。戦闘で腹に一撃受けたせいで、口元が血で汚れている。毎度のことだが、エデルの治癒魔法がなければとっくに死んでいただろう。
99層である。月欠けの夜のポイントフラッグの一本は、常にこの階層に立ててある。迷宮もここまで深くなると、実は魔物とのエンカウントはほとんど起こらない。一週間もぐって魔石の収穫がない、ということだって決して珍しくはない。
その代わり、遭遇する魔物の強さは桁が違う。ナックラヴィーなど相手にならないほど凶悪な魔獣たちが巣くっている。
そういう意味では、今回の探索は運がよかった。99層に踏み入って数時間で、ブラックゴーレムという大物に出くわすことができた。何度か死にかけたが、こうして無事に仕留めることもできた。大収穫だと言っていい。
「あいつら、センスはあったがスキル構成はお粗末だったし、大したアイテムも持ってなかったからなあ」
あごひげをさすっているのは、もちろんエルマーだ。戦闘はローザとエデルに任せっぱなしにするというのがエルマーのスタンスなので、まったくの無傷だった。
その代わり、この巨体から魔石を取り出すのはエルマーの仕事だ。ブラックゴーレムの素材となると、魔石以外にもいろいろな使い道がある。なるべく丁寧に解体して収納袋に詰めている。
「だからこそ、わざと銀級上位で足踏みをしたんだとしたら、賢い選択だったよねー。なかなかやりますなあ、レオ君たち」
「一気に駆け上がったあげく、準備が足りなくて階層が改まった瞬間に事故的にリタイヤって話もよく聞く。大胆かつ慎重ってのは、迷宮冒険者の資質だ」
「金級を抜けるのに、どれくらいかかるかな。40層の階層試験はそれなりに手ごわいだろうから」
「お前がどれだけレオたちに期待しているか知らんが、気長に待つしかないだろうよ。何年かかったとしても、ここまでたどり着いてくれれば、それだけで御の字だ」
「そうだねえ。気長に待ちましょうか。わたしたちも、やれることをやりながら」
立ち上がって、ぐっと背を伸ばす。エルマーの解体作業はもう少しかかりそうだ。ローザは退屈交じりに、虚空に拳を打ち出した。
迷宮冒険者は楽しい。スリルがあるし、夢があるし、生きているという実感も味わえる。最強の座について約二年。前人未踏の領域にまではまだ踏み込めないが、現役としてはずば抜けた実力を持つ月欠けの夜は、管理局ではアンタッチャブルな存在になりつつあった。
極みに近づけば近づくほど、目標はおぼろになっていく。誰にも理解されず、誰にも協力を仰げない。
その一方で、現役最強の三人をもってしても、100層の階層試験には、まだ勝てない。一度挑み、死にかけて命からがら撤退したあの日から半年。まだまだ力が及ばない確信がある。
習得して意味のあるスキルはまだある。欲しいレア素材も残っているし、装備にも改良の余地がある。向上心は尽きない。しかし、刺激が足りないのだ。
目標は遠く、張り合うだけの相手もいない。手を組めるだけの強者もいない。
孤独な王者は、端的に、ちょっと行き詰っていた。
「早く来てほしいなあ、レオ君」
女王は、暗闇の中で、笑顔を浮かべながら待っている。
この退屈を吹き飛ばす可能性を持った人間の訪れを。
* * *
結局、最初のアタックでレオたちは予定通りに三泊四日の探索を行った。
多くの魔石を回収し、33層まで攻略を完了し、ポイントフラッグは34層に立てた。目的の鉱石は発見できなかったが、リタの双剣の強化に使えそうな風銀摩鋼を採掘できた。
魔石を売って管理局で新たに獲得できたポイントは、約80万。1日あたり20万ポイントだったと考えると、やはり銀級までとはレベルが違う。
もはや慣れっこになったハンナが、頬杖をつきながら聞いてくる。
「この80万ポイント、今度はどう振るの? また基礎スキルのレベルを上げる?」
「いえ、今回はちょっと違う使い道を考えているんです。三人で分けると、僕の分は27万ポイントくらいか……」
さて、と振り分けに思案しているレオに、イルザが声をかける。
「いえ、レオ様。今回の80万は、すべてレオ様がお使いください」
「それはダメだよ。僕ばっかり強くなっても仕方ないから」
「いいえ、今回はレオ様が使用するべきです。だって、今後の探索で目当ての鉱石が見つかったとしても、扱えるだけの素質がそろっていなかったら、宝の持ち腐れになってしまいますからね」
イルザがいたずらっぽく笑ってそう言う。レオは、降参、と言う代わりにため息を吐いた。
「本当に、イルザは何でもお見通しだね」
「レオ様のことですから。リタも、それでいいですね?」
「何のことかわからないけど、もちろんOK。その代わり、ちゃんと何をしようとしているのか教えてね」
じゃあお言葉に甘えて、とレオがスキル表に手を入れる。そこに書かれた「新規取得希望スキル」を見て、ハンナは目を丸くした。
「なにこれ、どうしてこのスキルを?」




