48.一歩
レオが起きると、すでに食卓にはパンが置いてあった。焼きたてらしく、実に芳醇な香りだ。
「これ、どうしたの?」
「先ほど買ってまいりました。近くにパン屋さんがあったもので」
「レオ様。洗面所も掃除終わってますんで、顔洗ってきてください。お三方揃ったらお食事にしましょ」
いつから起きていたのか、すでにヴェラとデリアはびしっとユニフォームを着こなして、忙しく立ち働いていた。言われた通りに洗面所にいき、洗顔を済ませる。
寝坊はしていない。しかし、部屋は昨夜よりもさらに片付いているし、洗面台は磨いたように輝いている。
「二人は今朝、何時に起きたの?」
ダイニングに戻って訪ねると、キッチンの汚れと格闘していたヴェラが小首をかしげた。
「覚えておりませんが、お日様が昇るちょっと前でしょうか」
「それで、眠くないの? 昨日だって、ずいぶん疲れていたはずだけど」
「ぐっすり眠らせていただきましたので、眠気はまったくございませんわ。木の根を枕にして眠った夜に比べれば」
うっと嗚咽を漏らしそうになっている。誰にとっても旅は困難なものだ。
そこに、身支度を整えたイルザとリタが合流する。レオと同じように、食卓のパンに驚いているようだ。
「買ってきたものだけで申し訳ありません。明日からは、温かいものをご用意いたします」
「出来合いで申し訳ねーですけど、さ、席についちゃってください!」
これもどこで買ってきたものか、気づけばコーヒーを淹れたデリアが待ち構えていた。デリアは昔から、コーヒーを淹れるのがとてつもなくうまい。ふわっと、膨らむように香りが漂った。
「いやー、こうしてまたレオ様のお世話ができるなんて、あたしはホントに幸せですよ」
「わたくしも、涙が出そうなほどうれしいですわ」
満面に笑みを浮かべて椅子を引いてくれる。しかしその手を、レオは掴んだ。
「気持ちはうれしいけど、ダメだよ。ヴェラ、デリア、今日からは給仕はなしだ」
「えっ」
気の毒なほどに顔が青ざめる。
「も、申し訳ございません。わたくしたち、何かミスをいたしましたでしょうか」
「す、すみません、二度としねーので、なんとかご勘弁いただけねーでしょうか」
このままだと床に頭を付けてお詫びをされかねないので、レオは慌てて手を振った。
「違う違う。ごめん、言い方を間違えた。ふたりも一緒に食べようって言いたかっただけなんだ」
「へ?」
「一緒に、ですか?」
言われていることの意味がわからないと言わんばかりに、ふたりが顔を見合わせる。そもそもが奴隷、その後に召使いとして登用したとはいえ、もちろんレオと食卓を囲めるような身分ではない。
城にいたころからイルザやリタとは訓練後に庭でお茶を一緒にすることがあったが、ふたりの役割はその傍に侍って完璧な給仕をすることだ。並んで座るなど、考えられない。
「拒否は許さないよ。ここはもう城じゃないし、僕はもう王子じゃない。給仕されながら食べるより、一緒に囲んだ方がおいしいに決まってる」
慌てて否定しにかかるふたりの機先を制し、レオはそれで話を打ち切ってしまった。イルザやリタにも無言で促され、ヴェラとデリアがおずおずと席につく。
居心地悪そうに尻の辺りをもじもじさせているのがいじらしくて、レオの口元がついつい緩んでしまう。
「よし、じゃあこの5人が、今日から家族だ。一緒に食べよう。いただきます」
* * *
「いらっしゃい。その顔を見るに、問題なく倒せたみたいね?」
「はい、楽勝でした」
「言うわねえ」
苦笑いのハンナである。
朝食後、家の片づけと掃除を続けるというふたりを家に残して、レオたちは迷宮管理局にやってきた。いつものように、担当はハンナが引き受けてくれる。
「でも、冒険はしていないので、今日は本当にバジリスクの魔石しか持ってきてないんです」
「十分よ。昨日、たっぷりポイント交換したばかりでしょ」
「それはそうなんですけど、やっぱりちょっと物足りないなーって」
「生意気ねえ」
「えへへ」
言いながら、収納袋から取り出した紫色の魔石を渡す。少し持ち重りするくらい、大ぶりなものだ。それがふたつ。
さすがのハンナも一瞬だけ見とれて、いつもの作業をはじめる。レオの方も慣れたもので、ライセンスももう渡してある。
「クエストポイントも足りてるし、魔石もちゃんと階層試験の魔物だって判定できた。よし、じゃあこれで……」
魔力印が生成されて、ライセンスに捺される。ぼう、と黄金色の輝きを帯びる。銅や銀の時と、違うのは輝きの色だけだ。
それでも、さすがにこみ上げるものがある。銀級でいた時間は、それなりの長かったし、濃密だった。迷宮冒険者として暮らした日々だった、という実感がある。
やがてハンナがゆっくりと微笑み、恭しい手つきでこちらにライセンスを差し出してきた。
金色である。陽の光をはじいて、眩むほどに美しい。
「はい。おめでとう、レオ君、イルザさん、リタ。これで晴れて、あなたたちは金級冒険者になりました」
「ありがとうございます、ハンナさん。ここまでこれたのも、ハンナさんが親切にしてくださったおかげです。これからも頑張るので、よろしくお願いします!」
手を差し出される。ハンナは透き通った、清々しい笑顔を浮かべている。レオはためらわずその手を握り返した。
ハンナの、ペンしか持たない華奢な手が、冒険者にふさわしい厚さと固さになったレオの手に包まれる。
「金級はね、これまでとは少し違う。冒険者の中のたった1%しか到達できない高み。それはつまり、みんなの尊敬を集め、あこがれの対象になるっていうことなの」
「はい、責任重大ってことですね。今までよりも気を引き締めないと」
「ううん、違う違う、その逆。レオ君たちはね、今まで通りでいいの。いつまでもずっと、そのままの姿勢でいいのよ」
「え?」
「迷宮を愛して、迷宮に愛されて、日々を楽しく過ごすこと。明るく、夢を持って、人生を謳歌すること。それがね、金級に求められる、もっとも大切な役割なの。だから、堅苦しく、肩ひじ張ったりしなくていい」
ハンナは目を細めて、もう一度小さく、おめでとう、と言った。
「迷宮管理局の名において、皆様を最新の金級冒険者に認定します。人類のフロンティアを切り開く冒険者として、より深みを目指すことを期待します」
「はい。今度は、領主を目指します!」
「うん。レオ君には目的がある。こんなところで足踏みしてる場合じゃないもんね。今日もこれから迷宮に?」
「はい、早速31層に行ってみようと思います」
「気を付けて。もちろん今まで通り、階層が深くなれば魔物は手強くなるわ。でも」
「その分、見返りも大きい」
先回りをされたハンナが、にっこりと笑う。
「そう。どこまで行っても変わらない、それこそが迷宮の最大の掟であり、最高のロマンだからね。行ってらっしゃい、大戦果を期待してるわ」
「はい、また数日後に!」
片手をあげて、管理局を飛び出す。
懐には、金色のライセンス。足はもちろん、いつものように大入口へ向いている。
身体が、飛ぶように軽い。
手も届かないような遥かな夢に思われた、迷宮都市。それが、少しずつ近づいてきた。おぼろな、幻のような輪郭が見えている。
故郷。帰るべきところ。暖かい、安らかな居場所。追われ、失ったものを、もう一度この手に取り戻す。
50層に到達し、階層試験を突破する。
戦利品を売り、金貨10万枚を集める。
そして、特級秘宝【迷宮の種】を手に入れる。
頭の中でやるべきことを指折り数え、レオは大入口の淵に立った。
この奈落の底に、求めるものがすべてある。
なるほど、迷宮。墓穴であり、死地であり、人類最後のフロンティア。
レオは気づかない。奈落を見つめる自分の瞳が、かつてないほどに輝いていることに。
未開の地に挑む冒険者は、少年の皮を破り捨て、一個の男として立っている。
いかなる困難が待ち受けようと、もはや歩みを止めることはない。ほしいものを手に入れるまで、この足は止まらない。
一歩を踏み出す。慣れ親しんだ、ひんやりと重たい迷宮の大気が全身を包む。
「さあ、今日も頑張ろう」
「はい」
「やったるぞー!」
傍らには頼れる仲間。恐れ以外のすべてを抱き、レオは再び、闇の大地を踏んだ。




