30.冒険者たち
ローザが、わずかな苛だちを含んだ微笑を浮かべてレオに語り掛ける。
「酒場が楽しかった? レオ君、それ、なんの話?」
「楽しかったんです。冒険者の先輩たちがいっぱいいて、いろんなことを教えてくれました。僕たちは新参者で、よそ者で、ライバルになるかもしれないのに、こぞって有益な情報を教えてくれた」
「だから、それは今するべき話なの?」
「冒険者って、そういう人たちなんだと思いました。ほかの冒険者のことを、決して蹴落とそうなんて思ってない。みんなが助け合って生きている。――きっと、あなたたちもそうだったと思うんです」
「………」
レオは、ローザに向かって話してはいない。ただ、フラーク兄弟に対してだけ、言葉を紡いでいる。
それでも、エルマーもローザも、もうレオの話を遮ろうとはしなかった。
「僕たちを殺しても構わないと思った? それは違う。それは、違います」
そうするべき立場ではないとわかりつつ、レオは続ける。
「あなたたちは何度も何度も、しつこいくらいに僕たちに言いました。魔石を渡せば終わりにするって。不意打ちでこちらを攻撃することもできたのに、ちゃんと警告もしてくれた。初撃はあえて急所を外した。それは、僕たちを殺したくなかったからでしょう?」
「買いかぶりだ。そんないい話じゃない。魔石を渡してもらった方が楽だったからだ。君たちは手ごわかった。戦闘を避けようとしただけだ」
「でも、じゃあ、どうして、あの時イルザの手を取らなかったんですか? 捨て石になってでも時間稼ぎをすることを選んだんですか?」
フラーク兄弟の瞳が揺れる。
「それは……」
「僕たちが逃げるための時間を作ってくれました。そうしても、自分たちには何の得もなかったのに。実際、あの猶予がなかったら、僕たちはローザさんたちに助けてもらえなかったかもしれない」
兄弟の顔がゆがんだ。必死に張り付けた悪者の仮面を維持しようとするかのように。
「命を救ってくれました。あなたたちは、立派な迷宮冒険者だったんだと思います。だからこそ、仲間に害が加わるのはつらかったはずです。つらかったのは、僕たちじゃない。傷ついたのは、僕たちじゃない」
「違う……」
「傷ついたのは、あなたたちの誇りのほうだ」
レオは静かに、深く、兄弟に頭を下げた。
そんなことができる立場ではないことはわかっている。それでも、気持ちはすべての冒険者を代表しているつもりだった。
本当の被害者はフラーク兄弟だったはずだ。呪いなんてものを一身に受け、誰にも相談できず、汚名を甘受して、傷だらけの誇りを抱えて、それでも彼らは戦い続けた。冒険者たちを守るために。
それはなんて尊くて、なんて険しい道のりだっただろう。なんて厳しい、地獄のような半年間だっただろう。
思うほどに、レオの瞳から、涙があふれた。この人たちにかけるべき適切な言葉は見つからなかった。だから陳腐な、使い古された言葉を告げるしかない。せめて、ありったけの真心を込めて。
「今日まで、ありがとうございました」
呼応するように、イルザとリタが頭を下げた。三人のその姿を見て、兄弟の動揺はいっそう甚だしくなった。意味もなく手振りを交えて、混乱を示す。
「違う、違うんだ、俺たちは、ただ……こんな俺たちを受け入れてくれた人たちに、迷惑をかけたくなくて、でも、結局はいろんな人を死なせてしまって……だから、だから」
「だから、自分たちは罰を受けるべきだって? 悪いけど、わたしもそんな考えには賛成できないよ」
ようやく出番だと心得たように、ローザが会話を引き取りにかかる。言うべきことを言ったレオは、もう自分の出る幕ではないことを理解している。
あとは、賭けるだけだ。この気持ちが、伝わっていることを。
驚きのまなざしで、フラーク兄弟がローザを見ている。エルマーはすでに苦笑いだ。
ローザは、ちぇっとかわいく舌打ちした。
「まったく、大したお裁きだよ。こんな芝居を打たれたら、わたしたちだってほいほいと管理局に突き出すわけにはいかない。でしょ?」
最後の言葉はエルマーに向けられた。
「そうだな。これはレオ君に一本取られた。半分は、おれたちに言ってたんだろ?」
「そういうわけじゃないですけど……」
「でも、おれたちが君の気持ちを汲んで、彼らの無罪放免に協力することを期待した。違うかい?」
「それは、ちょっとだけ」
ちょっとだけ、ね、と笑って、エルマーはフラーク兄弟を真正面から見据えた。
「いま、彼らが言っていたことに偽りはないか? 君たちは、彼らを助けるために捨て石になった?」
「………」
「この期に及んで無言とは、なかなか見上げたものだ。君たちは、恥とは何かを知っている。……フラーク兄弟、苦労したな」
ぐ、とウドの喉から音が漏れた。嗚咽に変わる前に、飲み込んだ。
意地だろう。それが最後の、男としての。
「無言は肯定と受け取る。もう一つ、質問だ。こんな目に遭ったら、もう冒険者はこりごりか? 冒険者になったことを後悔しているか?」
「……していません。俺たちはハイスンボーンに来て、迷宮冒険者になって、ようやく呼吸ができた。冒険者をやめるくらいなら、死んだ方がましです」
「いい答えだ。そうだな、おれたちは畢竟、そういう人種だ。迷宮にとらわれた、迷宮でしか息ができない種類の。ああ、そうか。だからこそ、呪いは君たちを選んだのかもしれない」
笑って、エルマーは振り返った。許可を求めるように、ローザとエデルに視線を巡らせる。ふたりは何も言わずに、微笑みだけを返した。
熟練のパーティだけが持ち得る、視線だけの濃密なコミュニケーションだった。
「フラーク兄弟、噂にはすこし聞いていたよ。久しぶりに金級を目指せる冒険者が現れたって。上級になると、顔ぶれが代り映えしなくてね、いつだってルーキーは歓迎なんだ。君たちに会えるのを、楽しみにしていた」
「エルマーさんが、俺たちの名前を……?」
「誓えるか? もう一度、金級を目指すと。ほかの冒険者たちに、夢や希望を与える存在を目指すと」
はっと息をのむ間があった。その問いの真意を理解できないものは、この場にいなかった。フラーク兄弟は拳を震わせ、やがてこらえきれないように一滴、涙をこぼした。
迷宮の床に、清らかなしずくが染みを作る。それが乾ききってしまう前に、ふたりは声を振り絞って、言った。
「はい」
うん、とエルマーが満足そうにうなずいたのが、すべての終わりの合図だった。
「なら、君たちの安全は月欠けの夜が請け合った。管理局にはおれたちから話を通そう。なに、こう見えて意外と、管理局には顔が利くんだ」
最後の台詞は、冗談だったのだろう。現役最深記録保持者が交渉できれなければ、誰が管理局と会話できるというのか。
泣き崩れながら感謝の言葉を繰り返すフラーク兄弟の肩に手を置いて、エルマーが笑う。
「お礼なら、言うべき相手が違う。この場を差配したのは彼だから」
「い、いえいえ、僕なんて、何も。ただ助けられてばっかりで」
視線を受けたレオが、必死で否定の意を示す。その様子を見て、ローザが吹き出し、エデルがほほ笑んだ。
それから数分もして、平静を取り戻したフラーク兄弟が、一足先にポイントフラッグを使って帰還した。最後に、レオ達に、何かあればいつでも声をかけてほしい、命に代えても恩は返すと、重い言葉を残して。
「さて、これで一件落着かな。あー、肩こった」
「よく言う。ローザは何もしてないだろう」
「いや、ナックラヴィー倒したの、わたしなんですけど?」
「そういえばそうか。すっかり忘れてた」
笑いあう月欠けの夜に挨拶をして、そろそろレオたちもこの場を去ろうかというとき、ふいにローザに視線をからめとられた。
「そうそう、レオ君。最後にひとつ、君に聞かなきゃいけないことがある」
「僕にですか?」
「そう。どうしても腑に落ちないことが一つだけ残っていてね。君なら、その答えを知ってそうだと思うんだけど」
にこりとした笑顔が怖い。ローザが一歩、距離を詰めてくる。
「君、迷宮の精霊に会ったね?」
 




