20.第9層
4層以降の探索は、拍子抜けするほど順調に進んだ。
危険らしい危険もなく、罠にかかることもなく、5層、6層、7層と攻略は進む。
ゴブリン、コボルト、ホブゴブリン、マタンゴ、アルミラージ、オーク。
このあたりで出くわす魔物は、基本的な実力と知識があれば、まず無傷で処理できる。たまに天井の高い部屋に入るとハーピーに遭遇するが、それもイルザの魔法で難なく撃退した。
収納袋には、順調に魔石が溜まっていった。ハイオークほどではなくとも、オークやアルミラージ、ハーピーらの魔石は、確実にコブリンやコボルトよりも多くのポイントになるだろう。
唯一の問題は、発掘だった。
「ダメだ、やっぱり砕けないや」
9層に降りてしばらく進んだところで、銀色に淡く光る壁面を見つけた。
鉱石が手に入ると思ってロングソードを振り下ろしたところ、手にしびれが走るだけで、壁はびくともしなかった。
「アタシがやってもダメだから、単なる力不足とかじゃなさそう」
レオに続いて双剣をふるったリタが、つまらなそうに肩をすくめる。
ふたつ上、7層からだ。
鉱石を見つけて採掘しようとしても、レオやリタの武器では歯が立たない。何度試しても、欠片すら回収できなかった。
明らかに2層までではお目にかかれなかった鉱石が目の前に埋まっているのに、掘り出すことができないというのは、なかなかストレスの溜まることだった。
打つ手なく、後ろ髪をひかれながらも採掘を諦めて先に進んではみたものの、8層、9層においても状況は変わらなかった。
「専用の武器か道具が必要なのかもしれません」
「それって、前にイルザが言ってた【黄金のつるはし】とか?」
たしか、迷宮管理局のポイント交換アイテムの中に入っていたはずだ。
正確な必要ポイントは覚えてないが、まったく手が出ない、という値段ではなかった。
「まずはアレを手に入れるのがベストかと思いますが、しかし、武器でも破壊することは可能なはずです」
「えー。でもアタシの双剣、結構イイ奴だよ? これより高い武器ってそんなに多くないと思うけど」
「単純な硬度の問題ではないのでしょう。おそらく」
と言って、イルザが収納袋の中に手を突っ込む。取り出したのは、6層で採掘した赤鉱石だ。
それを右手に持って、思いっきり振りかぶる。
「イルザ?」
がん、と鈍い音がして、赤鉱石が砕けた。破片が杖の輝きを反射してきらりと光る。
売ればいくらかになる鉱石だったので、ちょっとだけもったいない気持ちになる。
しかし、見るべきものは砕けた赤鉱石の方ではなかった。
「あ、ちょっと欠けた……?」
どれほどロングソードを打ち付けても傷一つつかなかった壁面に、わずかな傷が入っていた。
「え、ちょっと、すごいじゃん、イルザ。もしかして怪力の持ち主……?」
「そんなわけないでしょう。私の腕力はあなたの半分もありませんよ」
「じゃあ、なんで壁が欠けてるの?」
はあ、とイルザは深くため息を吐く。どうしてこんなに察しの悪い奴がレオ様のおそばに、などと愚痴が始まっている。
それを聞き流しながら、レオは指先で壁面に触れる。ひんやりとした手触りに、欠けたばかりの傷がざらつきを添える。
「迷宮内で採れた石だから?」
「ええ、そのようです」
レオの回答に、イルザが満足そうにうなずく。それから、意味ありげな視線をリタにやって、またため息を吐いた。
先ほどの意趣返しか、ここぞとばかりにリタをいじめるつもりらしい。
「ちょ、ちょっとー。そんな目で見なくたっていいじゃん」
「そんな目? そんな目とは「この程度の問題にまったく見当もつけられない愚か者を見る目」のことですか?」
「うっ」
「であれば、それは仕方のないことでしょう。だってリタは「この程度の問題にまったく見当もつけられない愚か者」のようですから。違いますか?」
「ううっ」
「違うなら違うと言っていただければ謝罪して目つきを改めます。しかしリタが「この程度の問題にまったく見当もつけられない愚か者」なのであれば態度を改善するのは無理です。さあ、どちらなのです?」
「う、うわーん。レオ様ー、イルザがいじめるー!」
べそをかきながらひっついてきたリタをなだめて、レオは苦笑する。
「イルザ、もうその辺に」
「失礼しましたレオ様。お見苦しいところを」
恭しく頭を下げるが、口元が緩んでいる。イルザってやっぱりちょっとSっ気あるよなあ、とレオは背筋にわずかな寒気を感じた。
ただ、リタをいじめているイルザはとってもイキイキしているので、実のところ見苦しいどころかむしろ普段よりも魅力的な笑顔だったりする。
が、そんなことは口が裂けても言わない。後が怖い。
「つまり、迷宮内で採れた鉱石で加工した武器であれば、採掘もできるってことなんだろうね」
「その通りです。さすがレオ様」
「えー、でもさー、鉱石を取るには採掘しなきゃいけないじゃん。採掘するには鉱石で加工した武器が必要って、それ無理ゲーじゃない?」
「だから、そのための迷宮管理局ってことなんじゃないかな。魔石を集めて、まずは管理局で【黄金のつるはし】みたいな採掘用の道具を手に入れる。それから適した鉱石を採掘して、自分の武器や道具を作っていけばいい」
「あ、なるほど。はー、レオ様、頭いーなー!」
しきりに感心しているリタに、イルザが冷たい視線を投げている。
「これは真剣なアドバイスですが、リタはもう少し自分の脳みそで物事を考えるクセを付けた方が良いかと思います」
「ぐぎぎぎ」
となると、いま溜まっている魔石で次に交換するべきは、やはり【黄金のつるはし】ということになりそうだ。
他に欲しいスキルやアイテムはいくらでもあるが、順序は守った方がいい。
「イルザ、【黄金のつるはし】の必要ポイント数、覚えてる?」
「いえ、恥ずかしながら。お役に立てず申し訳ありません」
「いいよいいよ、僕だって覚えてなかったし。今回手に入れたオークやアルミラージの魔石が何ポイントになるかもわからないし、地上に戻った時に改めて今後の作戦を立てようか。ハンナさんにも相談に乗ってもらって」
「それがよろしいかと思います。どうしますか、そろそろ戻られますか?」
洞窟に潜って、じきに十時間になろうというところだ。連日の十二時間潜行のおかげで、心身ともにまだ疲れは感じない。
「ふたりが疲れてなければ、魔物も手ごわくないし、もう少し潜ってみよう。できれば本当に10層まで行ってみたいし」
「かしこまりました。私は問題ありません」
「アタシも疲れてないけど、そろそろおなか減ったから、なにか食べません? さっき採取したキノコとかいいんじゃないでしょうか!」
さっき採取したキノコとは、アカタケのことだ。顔つきからすると、リタは味を期待しているらしい。
イルザの顔を見ると、無言でうなずかれた。力強く。
どうやらレオにも、ちょっとだけ、イルザのSっ気が伝染してしまったようだ。
「そうだね、リタ。じゃあ、次の水場で火を起こして、アカタケを食べようか」
「アカタケっていうんですね。楽しみだなー、迷宮で採れるキノコってどんな味がするんだろう」
ものすごくまずいよ、とは言わず、にこりとほほえみだけを返して歩みを進める。舌なめずりでもしそうなリタの横顔を見るイルザの目が、邪悪に微笑んでいた。
* * *
アカタケショックは思ったよりも深刻で、リタが目に見えてやる気を失くしてしまった。味もさることながら、レオにいたずらされたことがショックだったらしい。
さすがに罪悪感を覚えて、虎の子の岩塩を振りかけたものを食べさせてやると、ようやく機嫌が直った。
高くついたいたずらでしたね、と笑うイルザは、それでも満足そうだ。
こういう悪い顔をしている時の方が圧倒的に美人に見えるのは、明らかにまずい傾向ではなかろうかと、レオは己の前途にそこはかとない不安を覚えるのだった。
「さて、それじゃ、10層へ降りる階段を探そう」
ひとしきり休憩をした後に火の始末する。立ち上がって、どちらに進もうかと考え始めた矢先だった。
迷宮の中では珍しいほどに、明るい声を聞いたのは。
「お、いたいた、冒険者じゃん!」
男性二人組の、おそらくは冒険者らしいペアが、こちらに向かって歩いてくるところだった。
「はろー。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「え、ええ。なんでしょうか」
「君たち、今回はどれくらい迷宮に潜ってる?」
「今日は……そろそろ10時間くらいです」
口調は軽く、警戒心のかけらもない。それでも、わずかにレオは身構えた。リタに至っては、さりげなく剣の柄に手を当てている。
全体から醸し出されるオーラは軽薄そのものであるにもかかわらず、二人組の挙措にはわずかな隙もなかった。
相当な手練れだ。
少なくとも銅級のレベルではない。
「じゃあさ、ハイオーク、見なかった?」
「え?」
「俺たち、管理局に依頼されて<階層違い>の討伐に来たんだけど、なかなか見つからなくて」
口調ほどには余裕がないのだろう。表情の端々に、わずかな焦りが見えた。
男の一人が、腰袋からライセンスを取り出してこちらに見せる。銀色の光沢が、彼らが銀級であることを教えてくれた。
「ハイオークなら、先ほど僕たちが退治しました」
「は?」
「遭遇したのは4層に入ったところで……」
「いや、でも君たち、銅級だろ?」
「そうですが、運が良かったのか」
男ふたりが顔を見合わせる。
「ちょっと信じられないな。討伐したなら魔石を持ってるだろ? 見せてくれないか?」
「構いませんが……」
収納袋からハイオークの魔石を取り出す。ひときわ大きい魔石なので、すぐに見分けることができた。
「これです」
「……本物だな」
「ああ、間違いない」
男たちが、当然のことのように魔石に手を伸ばす。それを嫌って、レオが魔石をひっこめる。
ちっと舌打ちが聞こえた。男たちの視線がこちらに向くと同時に、レオの前にリタが立った。
「お兄さんたち、討伐はアタシたちが終わらせたんだから、もう用事はないよね? 行っていい?」
「そりゃあ、ダメだ」
「なんで?」
「なんでってなあ」
男のひとりがガシガシと髪をかく。先ほどまでの親密な空気はどこにもない。
「なあ、その魔石、俺たちに売らないか? 相場の倍の金貨でいい」
「どうして?」
「理由は言えない。どうだ?」
何か事情があるのだろうか。だったら、譲ってもいいかもしれない。そう思い始めたレオを差し置いて、リタが前に出る。
「やだ。売らない」
「なんでだよ」
「お兄さんたち、人にものを頼む態度じゃないし、理由も言えない人に売るものはない。そもそも、さっきから、「断ったら力で奪う」って態度に出てるのが気にいらない」
「はー、じゃあもういいや。こっちも時間がねえんだ」
すらりと剣が抜かれた。もはや戦意に隠れもない。冒険者同士、いかなる理由によって戦わなければならないのか、まったく理解できない。
しかし言葉の出番がすでに終わっていることはレオにもわかった。
彼らは、こちらを襲いに来ている。ならば当然、迎え撃たなければならない。
リタが双剣の鞘を払う。闇の中でさえ、双つの刃は獰猛に閃いた。鋼たちに劣らぬほどの煌めきがリタの双眸に宿る。戦意と怒気が、少女の顔を、らん、と彩っている。
「アタシ、そういう態度は男らしくないと思うなあ。そんなに魔石が欲しいなら、自分たちで獲ればいいじゃん。獲れるなら、だけど」
「はっ。まぐれでハイオーク倒したくらいで、銅級が粋がんなよ。いいから魔石を渡せ、金は出してやる。断れば痛い目を見るぞ?」
「そちらこそ、銀級だからって大きい顔はしない方がいいと思いますが。格下相手にしか強く出られない小物に見えますよ?」
イルザまで杖を構えて舌戦に参加する。こうなると、戦闘は避けられそうにない。
一瞬の後、迷宮の湿潤な大気を切り裂いて、刃が走った。




