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13.酒場にて

 時刻は夕刻を回ったところで、西の空は朱を流したように赤い。しらじらとかかる月の横に、気の早い星たちが姿を見せ始めていた。

 酒場へ向かう道すがら、往来のわきでふいに立ち止まったレオは、目を細めて頭上を見ていた。


「レオ様?」

「どうしたの、レオ君?」

「夕日。ハインスボーンに来て、はじめて見たなと思って」


 判で押したような繰り返しの日常は、人間から情緒を奪い去る。毎日には変化が必要なのだ。


 この十日間というもの、昼前から迷宮に潜り、真夜中にのそりと地上に這い出す日々を繰り返していた。

 昼過ぎから夜にかけて、空が刻々色をあらためていく時刻を、だからレオは、この町で眺めたことがなかった。


「きれいだね。明日もいい日になりそうだ」


 レオは朗らかに笑い、足を取り戻してふたたび先頭に立った。後ろから、女ふたりが顔を見合わせて続く。


「レオ様は、変わりませんね」

「なにが?」

「どんなに忙しい日々の中にあっても、ちゃんと周りを見てらっしゃる。心に余裕と、弾力がある」

「のんびりしているだけだよ。そんなにかっこいいものじゃない」

「そうかな? 私も、レオ君のそういうところ、素敵だと思うけど」

「ハンナさんまで。やめてくださいよ」


 両側から美女に腕を取られて、レオは道を行く。なんて羨ましいやつだ、と非難の目を向ける通行人も、レオの顔立ちを見るとあきらめたように顔を伏せた。両脇よりも、当人のほうが美しいくらいだ。


 輝かしい頬を彩るのは、若さか、王気か。未来に対する希望か。

 いずれにしても、本人には知るすべもない。


*  *  *


 大、とか、超、とか頭につけてもいいくらい、酒場は繁盛していた。かなり広いホールに、赤ら顔がひしめき合っている。

 混雑を抜けて、ちょうど空いたらしいテーブルを見つけ、丸太を切ったような椅子に腰かける。


「このうちの、そうね、三割か四割くらいが迷宮冒険者ってところかしら」

「そんなに?」

「そりゃそうよ。ハインスボーンは迷宮管理局の町だもの」


 そういわれれば、ただの町人にしては屈強な見た目の客が多い。男性に交じって、三割ほどの女性もいるが、どれも男顔負けの大きなジョッキでエールを流し込んでいる。

 店内を見回したハンナが何人かに手を振った。顔見知りなのだろう。ジョッキを片手に、むくつけき男の一団がふらりと寄ってきた。


「おおっす、ハンナちゃん。酒場に顔を出すなんて珍しいな」

「そう。こっちの方々にご招待されてね。今日、銅級ブロンズに上がったの。久しぶりの十日上がりよ」

「んんー?」


 赤ら顔をぐっと近寄せてくる。目つきが細くなっている。怪しいものを見る目だ。息も酒臭くて、思わず顔を背けそうになる。


「こんなちっこいのが、十日上がり? 今日から銅級ブロンズだってぇ?」


 わらわらと男たちが寄ってくる。なにやらじろじろと見分されているようだ。数人の体格のいい男に囲まれると、どうしても緊張してしまう。

 何か因縁をつけられるかもしれない。横でイルザが身構えるのがわかった。

 が。


「そりゃあ久しぶりに、イキのいいルーキーだ! かわいい顔してやるじゃねえか!」


 ひげ面がにっと破顔して、気持ちのいい笑い声があたりに満ちた。周囲の客たちも、へえ十日上がりかあ、やるねえ、などとはやしてくる。


「レオ君。こちら、君たちと同じ銅級ブロンズのアーバンさん。冒険者歴は長いから、何かあったら相談するといいわ」

「つっても、万年銅級ブロンズのくすぶりだがなあ! はは、よろしく頼むわ」

「あ、はい、レオです。こっちはイルザ。よろしくお願いします!」


 差し出された手を握ると、分厚い手のひらでぐっと握り返された。獲物は剣か、斧だろうか。

 この腕なら、相当な重量の武器でも難なく振り回すだろう。


 これで、万年銅級ブロンズ


「じゃ、これ以上邪魔しちゃ悪いな。今度、迷宮で会ったらよろしく」

「はい、ありがとうございます!」

「アーバンさん、ベテランらしく、この子たちのフォローしてあげてね」

「ちぇ、ハンナちゃん、ずいぶんお気に入りだな。俺たちがいくら酒場に誘っても断ってばっかなのによ」

「ごめんなさいねー、また今後、懲りずに誘って」


 やだよやだよ、どうせ振られるなら誘わない方がマシだ、と快活に笑って、男たちは元のテーブルに戻っていく。


「び、びっくりしたあ」

「因縁つけられるとでも思った?」

「そ、それは」


 図星なので口ごもると、ハンナは楽しそうに手を振った。


「迷宮冒険者はね、ああいう人たちが多いの。明日も知れない身だし、そもそも普通の生活ができなくなってここに流れ着いた人も少なくない。外の世界では疎まれることが多いからこそ、仲間意識は強いのよ」

「そうなんですね。てっきり、競争相手だからいがみ合うものかと」

「ま、そういう人もいるにはいるわね。でも少数派。私、冒険者のそういう空気が好きなのよね」

「そういう空気?」


 うん、とハンナは笑った。


「いつも助け合うわけでも、いがみ合うわけでもない。でもお互い認め合って、かすかな連帯感でつながっている。さっぱりしてて、わかりやすい人たち」

「なんとなく、わかります」

「そう? よかった。それじゃ、お酒とつまみを頼みに行こうか。あっちのカウンターで買えるから、一緒に行きましょ」

「はい! ごめん、イルザ。申し訳ないんだけど、この席を取っておいてくれる?」


 イルザは一瞬だけ眉をひそめたが、すぐにあきらめたようにため息をついた。


「仕方ありませんね。レオ様、くれぐれもお気をつけて」

「大丈夫だよ、カウンターで食事とお酒を買ってくるだけなんだから」

「いえ。泥棒猫というのは、気が付いたら横にいるものですから」

「? よくわかんないけど、スリに気をつけろってこと? わかったよ、じゃあ油断しないで買ってくる」

「はい、行ってらっしゃいませ」


 ハンナとともに席を立って、カウンターへ向かう。

 エールとフィッシュフライ、ナッツなどを買って席に戻る。高い買い物ではないが、城を出てから倹約を重ねてきたレオにとっては、久しぶりの贅沢な出費になった。

 しきりに遠慮するハンナを説き伏せて、会計は三人分まとめて、約束通りにレオが持った。


「ハンナさんは、お酒、好きなんですか?」

「そうね、嫌いじゃないわ」


 ハンナの返答に、思わずレオの頬が緩む。


「なに? 変なこと言ったかしら?」

「いえ、違うんです。僕の知り合いが言ってたんですけどね、嫌いじゃないってことは大好きって意味なんだって」

「ま、そうね。たいていの物事は、たしかにそうかもしれない」


 などという会話しながら席に向かっているとき、近くのテーブルで大きな物音が立った。


 反射的に目をやると、先ほどアーバンと一緒にいた男が床に倒れている。その向こうには、仁王立ちに立つ、やや小柄な女性の姿。

 どうやら、この女の子が男を張り倒したらしい。


「あんた、いまどさくさにまぎれてアタシのお尻触ったでしょ!」


 頭から火を噴きそうなほど怒っているその女性の顔に、レオの視線はくぎ付けになる。

 あり得ない。あり得ないけれども、レオはその顔に、たしかに見覚えがあった。


「なに、知り合い?」

「いや、知り合いっていうか、なんか似てるっていうか」


 その顔をよく見ようと一歩前に足を踏み出すと同時、女の子とレオの視線がかち合った。

 あ、間違いない、とその名をレオが呼ぶより早く、


「あー、レオ様!」


 と叫んだ女の子が弾丸のように飛んできて、レオに飛びつく。


「わ、ちょ、リタ!」


 小柄なレオに、その突進をゆるぎなく受け止めることはできず。


「わああ!」

「あちゃー」


 せっかく買った飲み物とつまみが、あえなく宙を舞うことになった。

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