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○新暦九九七年 ナスダの春 第三週九日 アリッラ連合国領スベラの街
翌日。懇意にしている酒場に朝から総勢十二名の特殊機動部隊の面々を招集した。
四つのテーブルを占領している彼らの顔は総じて気怠げだった。昨日の戦勝の酔いが醒めきっていないこともあるのだろうが、何より休日にいきなり総員にを集めることなど滅多にないこの部隊で、急な総員招集は剣呑に過ぎたのだ。
そして実際、フィリスの口から端的に発せられた内容は全員を愕然とさせるに相応しい話だった。
「昨日、ナルタ伯爵に暴れ槍の討伐を依頼され、俺はこれを受諾した」
朝の眩い陽差しが天窓から入り、長閑な酒場。そこを一時、平和な沈黙が支配した後、一気に反論とざわめきが巻き起こった。
「暴れ槍の討伐!? 冗談だろ!?」
いの一番にそう言ったのはグラン・マズラフ。刈り上げた頭に濃い顎髭、小太りした丸い体型、だが鍛え上げられた筋肉を持つ壮年の男だ。その巨体から振るわれる大斧は剛力を見せ、敵をなぎ倒すように屠っていく。しかし見た目とは裏腹に時折繊細というか臆病な一面を見せることが多い。今回も強敵との対峙という未来に、条件反射で反感を覚えていた。
「暴れ槍って言うと、あのとんでもない大きさの槍を使うっていう?」
そう若々しい声で訊ねるのがエピ・カルーラスだ。彼はこの部隊の中でも一番の若手であり、十四、五であるそうだ。その本当の年齢は彼自身もよく分かっていない。
見掛けは茶色の乱れた髪に、浮ついた目つき、へらへらとした笑みを常に刻んでいる。また口調や態度も随分おざなりなもので、時間や規則に対してもルーズだ。そういった面を見ると飄々とした頼りなさを感じるが、その容貌と軽薄な性格とは裏腹に剣の実力では隊の中でも図抜けている。その為、完全な実力主義たるこの部隊では彼もしっかり発言権を得ていた。
「そ。〝エルデカインの護り手〟なんて粋な渾名まで付いちゃってる正真正銘の化け物」
エピの質問に答えたのが、ペリル・ロバトン。
黒く目にかかるまで長い撫でた黒髪と、狐のように細い目つき、ほっそりとした体つきはむしろ女性に程近い。戦闘には特殊な曲剣、シャムシールを用いる。その柔ある奇怪な剣術は手練れにも苦戦を強いる、彼もまた部隊の中でも猛者の一人。
「うへぇ……絶対会いたくな~」
ペリルの言葉にエピはげっそりして返す。一方でグランは未だに深刻な顔つきで再びフィリスに事の次第を問う。
「フィリス、まじでやんのかよ」
「もう決まったことだ」
諦めたように淡々とフィリスは話す。だがその無機質すぎる喋りが、グランの神経を更に刺激した。
「あんなの相手にしたとあっちゃあ命が幾らあっても足りねぇぞ」
「心配するな。あいつの相手は俺一人でする。お前らは俺がヤツまで辿り着く道を作るのと、戦っている間、横槍をいれさせないようにするだけだ」
フィリスは話を受けたその時より、自分一人で戦うつもりだった。結局魔術師同士の戦いにおいて、余計な手助けはただ邪魔になるだけだ。
むしろ味方の安否を気兼ねして戦わねばならなくなる以上、足手纏いになると言っても良い。
傲慢なようではあるが、しかしそれが偽りなき事実だった。
「お、おい。そういうこと言ってるんじゃなくてだなぁ!」
だがグランはフィリスの考えを別に取ってか、慌ててそう言う。するとぽつりと小さな、しかし通る声がその場に発せられた。
「俺たちに、拒否する権利があるか……?」
全員の注目を集めたのはこの特別機動部隊の副隊長を務めるラミ・ハザルフだった。
長身痩躯で白い肌に長い手足を備え、何より特徴的なのが落ちくぼんだ頬に血色の悪い顔というところ。まるで病人然とした姿だ。また普段殆ど喋らないことも相まって、その存在は薄い。
しかしフィリスにとって彼はこの部隊の中でも厚く信頼を寄せるうちの一人だった。
剣の腕は元より、冷静な思考と判断力、またフィリスに対し過度な信用を持っていないところも副隊長という座に付けるに適当な男だ。
「ま、ないわよねぇ。あたしたちなんて所詮はちょっと名が売れてきただけの傭兵崩れの集まりだし」
同調したペリルがそう言うと反論する気風は隊の中から一斉に消え去っていく。
「だったらやるしかない。そうだろ、隊長……?」
「ラミの言葉通りだ。手当も出るし、報償の額も破格だ。それにここで話を断れば、以後永遠に俺たちに仕事が回ってくることは無い」
話しながらもフィリスは全体を見渡す。その中には覚悟を決めてはっきりとした戦意を見せるものもあれば、最後通牒を受けたかの如くげっそりと落ち込む人間もある。やはり暴れ槍との戦闘というのはこれほど絶望的で危険なものなのだと、フィリスは改めて知る。
「どうしても文句がある奴は作戦当日にも居残れば良い。話は以上だ」
そう最後に残してから、フィリスはその場を去った。
話が終わり席を去ったフィリスを酒場の外までロイスは追いかけてきた。
昼下がりのスベラの街は王国軍の人間で溢れており、随分な盛況を見せている。だが幸い特別機動部隊が貸し切っている宿屋の近くに人はいない。話をするのに適当で無い場所であることは分かっているが、しかしどうしてもフィリスの思うところを問い直したい。
ロイスは肩で息をさせながらも、焦りに衝かれて声を上げた。
「ほ、本当に戦われるんですか。あの暴れ槍と」
問いを投げられてフィリスはやむなく立ち止まる。
「そう言ったろ。話を聞いてなかったのか」
平らな口調で返すと、ロイスは一層悲痛な口調で訴えた。
「でも……俺、一度見てるんです、その暴れ槍を」
黙ってロイスの熱の入った語り口をフィリスは聞き続ける。
「信じられないヤツでした。凄い大きさの、……五メレンはある槍を振り回して戦うんです」
五メレンと言えば大の大人三、四人分ほどはある長さだ。およそ人間が得物として扱う武器ではないだろう。
「一振りするごとに味方が大勢死んでいきました。俺は臆病で地面に這いつくばって震えてたから何とか助かりました……でも仲間は全員亡くなりました。……本当に情けないヤツです、俺は」
「それでもお前だけが生き残ったのなら、それが正しいんじゃないのか」
別に他人がどれだけ死のうとも、自分が生き残っているのであればそれが正着。死すれば全て終わり。故に生きていることこそが何より正しい。それがフィリスという人間の現実的な死生観だった。しかし一方でフィリス自身は自分の命にそこまで拘泥していない。
人を殺め、人を喰らいながら生きている身だ。そんな人間が真っ当に生き存えようなどと、あまりにも虫が良すぎる話だ。然るべき時、そう遠くない瞬間に罰が下る。それは当たり前の事として既に受け入れていた。
「……だとしても、いや、そんなことはいいんです。ただ俺は隊長のことがどうしても心配なんです」
「……心配、か」
死に対する歪な覚悟を持つフィリスに対し〝心配〟などという配慮は当ての外れたものだろう。
であるからこそあのように苛烈に、昨日ロイスが讃えたような勇猛果敢な、あるいは無思慮で無謀な蛮勇を振るうことが出来ている。
今更他人に身を案じられたところで、フィリスに根付いた感覚、死への諦観を無くすことなど出来ようはずもない。
「俺はもちろん、隊長が負けるなんて思ってません。でもフィリス隊長がいなくなったらこの部隊はお終いです」
「大げさだな」
フィリスは確かに旗頭として活躍している。だがその消滅がすなわち隊の消滅であるのかと言えば、また別だ。
ラミを始め、ペリルやエピ、グランなど一癖二癖あるが有能な人間が揃っている。彼らが居残りさえすれば、せめて戦争の終わりまではこの部隊は存続し続ける。頭を失ったところで、また違う人間がそこに据えられるだけ。それが部隊という組織なのだ。
「それに、……前にも言った通り俺にとってあなたは憧れなんです。これから生きていく上で道しるべのような人なんです。そんなあなたを失ってしまえば、俺は……」
あくまで心配そうに呟くロイスに、フィリスはしばし思案した。そしておもむろに首元に付けていたネックレスを取り外す。その先に歪な金属体が繋がっている品だった。繋がる金属体は一つ一つは小さな立方体で、それがじくざくにくっついて出来ている。
またその金属体は黄金色に輝いているが黄金ではない。感じる因子の波長からおそらく何らかの魔工金属であると察してはいたものの、断定は出来ない。総じて一段と奇妙な品だった。
「これを貸しておく」
「何ですか、これ」
恐る恐る受け取りながらもロイスは訊ねる。
「俺の師匠から預かった品だ。だから無くなると困る」
フィリスに武の何たるかを叩き込んだ峻厳たる師。その人から曰くありげに受け取った品だ。失うことは許されない。
「次、帰ってきたときに返して貰うつもりだ。大切に持っておけ」
「は、はい!」
戦場では使い古されたこんな手口だが、ロイスを安心させるには十分だったようだ。
上気した顔で大切そうにネックレスを扱うロイスを見て、そう感じる。
だがそんなちんけな約束でフィリスの生存が間違いなく確約されたというわけでもない。
戦いの場における生き死になど、まさに天運だ。誰一人として知る由もない、不確実な未来。そこにまるで試すように身を投じ続ける自分とは一体何なのか。そんなふとした疑問が沸き上がり、そしてすぐに消えた。その必要が無い。
何せ物事の意味を問う行いなどに、大抵何の価値もありはしないのだから。