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1-5


 パイプ音楽が奏でられ、その朗らかな音色が耳に届く。

 フィリスは剣を研ぎながら、それを何となしに聞いていた。


 今は彼を印象付けるあの黒の兜を脱いでおり、その素顔が夜風に(さら)されている。金色の髪に黒い瞳と(そう)()に擦り切れた表情と疲れ切った眼光。


 フィリスを(かたど)る容姿は(よわい)十八という若さに見合わぬ()(もう)を経てしまっている。


 その姿はむしろ戦いの連鎖に身を置く()(せつ)と言うよりか、戦災で恋人や家族を失い(しょう)(ぜん)としている人間に近いだろう。だがそんな弱々しい空気からも時折、付近に在る者を刻みつけるような強烈な敵意が放たれる。


 目立つ場所で武具を研いでいるフィリスに誰一人近づかないのがその証拠だった。


 フィリスが現在いる位置は丘のようになったこの街の中でも高い、足場が突き出たような一角だ。眼下には柔らかい(いん)()(とう)が放つオレンジの光と人の賑わいを(のぞ)くことが出来る。


 軽やかに(かな)でられる音楽の出所は分かっていた。フィリスの居る足場のすぐ下にある酒場からだ。そこからついでに肉料理の香ばしい匂いも一緒運ばれてくる。


 その食欲をそそる香りに、そういえば昼からずっと食事を取っていないことを思い出す。しかしこの場から動くのも(おっ)(くう)だった。ぼんやりとしながらも剣を研ぎ続ける。


 フィリスは昼の戦いの後からずっとスベラの街にいた。


 連合国軍側の追撃があるやも知れぬし、そうなれば消耗している王国軍の既存戦力では太刀打ち出来ないだろう。


 であるからこそ、フィリスたち〝特別機動部隊〟の残留が求められた。


 特別機動部隊というのは戦争の中で新たに設立された、ガウゼルを擁する機動部隊であり、基本的に王国軍本隊の支援を任される増援担当だ。従って今日のような(きゅう)()にある戦場へと送り込まれる。


 彼らは命令系統が本隊などから独立しており、そのフットワークの軽さとそしてフィリスの並外れた実力から現場の士官たちに重宝されていた。しかし特別機動部隊の存在をよく思わないものも多い。


 何分彼らは寄せ集めの(よう)(へい)たちなのだ。あるいは他の部隊で使い物にならないとあぶれたものたちが行き着く受け皿。


 目立った戦果を挙げているから許されるものの、そうでなければ本軍に(あご)で使われる立場の集まりだ。険のある対応を取られるのもやむないのかもしれない。


 何とはなしに手を止めて、フィリスは今日戦場となった草原を見下ろした。今もまだ連合国軍の(しかばね)が幾つも横たわっている。それらが夜の闇を孕んでおどろおどろしい空気を(まと)っていた。その耳にも命を奪われた者たちの悔恨と(えん)()の声が届きそうだ。


 軍本部は敵の追撃があるやもしれぬとフィリスたちを残したが、しかしフィリス自身それはないだろうと確信していた。


 結構な兵力を失って尚、しつこく付け狙うほどの価値も無い戦線から後方の小さな街だ。時折高官が訪れているとは言うが、ただそれだけ。

 自分たちの面子を考えて救援を寄越したに過ぎないはず。


 今でこそ、王国軍という異物を受け入れたスベラの街とは比較的友好的な関係を築けているが、対外的に見れば王国軍の占領という状況である。これを奪還に出なければ、――少なくともその振りだけでも見せなければ自軍の(そん)(もう)具合を悟られる。そんな風に考えでもしたのだろう。


 片手間に作業をしながら思索に耽っていたフィリス。そこにふらりと一人の客が現れた。


「今、いいでしょうか?」


「どうした、ロイス」


 ロイスと呼ばれた男は癖のある金髪を揺らしながら、ほのかに笑みを浮かべた。年の頃は相当若い。二十代手前の装いだ。また(まと)う雰囲気や空気など、およそ戦いには向かないだろう気優しさが身体に(にじ)み出る人物だった。


 その本名をロイス・ラーナ・アインハーグと言う。彼は多少は名の知れている騎士の家の出であり、本来であればこのような急造の寄せ集め部隊に配属されることなどあり得ない人間だ。


 そんな彼が何故ここに居るかと言えば、以前の戦場で所属していた部隊が自分以外全員戦死するという憂き目に()ったからだった。


 その過程はフィリスも詳しくは知らなかったが、何であれ部隊の中で自分一人生き残ったような人間が陽の当たる場所にいられるはずもない。それを原因にロイスは()(せん)され、この部隊に送られることとなったという具合だ。


 だがロイス本人としては部隊の全滅云々という切欠は別に、フィリスとこの特別機動部隊との出会いに幸運を感じていた。


 本軍とはまた異なったこの特別機動部隊の奔放な空気、そして徹底的な実力主義、加えてその頭領となるフィリスの人並み外れた武勇。


 いずれも騎士となるべく育てられたロイスにとっては新鮮で、ここに居心地の良さを覚えていた。


因子(ティフル)晶体で剣を研いでおられるんですか?」


 フィリスの質問をはぐらかすように、ロイスは訊ねる。


「そうだな」


 因子を貫通させ、その真価を発揮させる魔術具。それらを戦いに用いるのであれば、常に十全に因子で満たしておく必要がある。


 その為、武人は因子(ティフル)晶体と呼ばれる青く透明な鉱石。これで自分の装具を磨くのだ。そうすることで因子晶体から装具に因子が巡り、戦闘においてその能力を遺憾なく発揮出来る。


 戦場という自身の破滅を賭けた場所では僅かな綻びさえも許されない。フィリスが剣を研ぐ手も慎重で丁寧だった。


「その、……よければ自分にやらせてもらえませんか?」


「いい。俺の武器だからな」


「……そうですか」


 提案を断られたロイスは悲しげに応える。


 だがロイスの頼みを断った理由は、単にフィリスが己の半身である武具の扱いやメンテナンスを他人に任せたくなかったというだけのこと。


 だから別にロイスの言葉であるから断ったなどということはなく、しかし断られた当の本人にとっては他意を感じずにはいられない一言だった。少し困って俯きながらも、彼は話を続ける。


「それよりどうして下に来られないんですか? 部隊の皆、隊長を待ってますよ。今日の武勇伝を聞きたがってますから」


「いい。俺が混じっても辛気くさいだけだ」


 つまらなそうに言うフィリスを、ロイスは必死に否定した。


「そんなことないですよ! 皆隊長が来ると毎回大喜びしてるじゃ無いですか」


 滅多なことが無い限りフィリスは部隊の面々と交わらない。特にこうした自由時間は大抵気ままに武器の手入れをしたり、眠ったりと一人で行動することが多い。故にフィリスが稀に宴席に入ると部下たちはいつも歓喜して迎える。


 そんな反応は分かっているし、たまにはそういった場に出るべき事も分かっているが、それでもフィリスは気が乗らなかった。


「いずれにせよいいんだ。ここで静かにしているのが俺の性に合ってる」


「そうですか……」


 楽しむための場に招くことを無理強いしても意味が無い。

 本当はロイスがここに来たのはそれとなく酒宴にフィリスを誘う為だったのだが、こうあっさり断られるとどうしようもない。


 内心密かに落ちこみながらもそれを隠したいが為、口を開こうとするが話すべきことが見当たらない。当然寡黙なフィリスが何かを話すわけでも無く。会話が途切れて嫌な沈黙が生まれてしまう。


 ロイスは無理矢理に自分の頭の中から会話の種を手繰って、再びフィリスに話しかける。


「にしても今日の戦場もご活躍凄まじかったですね」


「どうだかな」


 活躍という謂われをするのに、フィリスは違和感を禁じ得なかった。

 戦場での活躍と言えば、とどのつまり、いかに上手く人殺しを行ったかという点に尽きるのだ。それを凄まじかったと評価されて、どう対応して良いのか。


「はい! たった一人で先陣を切って戦場を駆け抜け、見事味方の窮地を救われたんです。あんなの隊長にしか出来っこありません!」


 ロイスがその顔に見せる子供じみた憧憬は最早、フィリスには眩しさすら覚えた。


「俺もいつか隊長みたいになりたいです、なんて思ったりして……」


 含羞の色を浮かべて言うロイスに、フィリスはきっぱりと断じた。


「そんなことに何の意味も無い」


 それは心からの言葉だった。


 何も生み出すことの無い、何も得られない死の尖兵。それこそフィリスが自分自身に行う偽りなき評価だった。


 だからこそ、仲間である人間にそれを目指すと言われれば、当然諫める他ない。


「でも、俺にとっては憧れですから」


 しかしロイスは依然として顔を紅潮させてそう言うのだ。

 どうしたものかとフィリスは頭を悩ませていると、また別にこちらへ近づく人間の気配を感じ、そちらに意識を切り替えた。


「……何か用か」


 フィリスのその声が自分にかけられたものでないと気付くと、ロイスは慌てて後ろへと振り返る。

 立っていたのは王国軍の青い軍服を綺麗に着こなした一人の軍人。怜悧そうな瞳とその身に漂わせるのは洗練された武人らしい無骨な雰囲気。


 その佇まいからも、そして軍服の襟章からも、彼が士官であるとすぐ分かる。


「特別機動部隊隊長、フィリス・ステイプティア殿でよろしいか?」


 問いかけられてフィリスは、自軍の上官に向けるべきではない険の強い眼差しで相手を睨み付ける。


 だが何分こうして上官が自分のところへ足を運ぶという時、大抵ろくでもない仕事を押しつけられるのだ。そうでなければ、故も知らぬような走狗たちを纏め上げるフィリスに、わざわざ声をかけるはずも無い。


「それが?」


 並々ならぬ警戒心と共に放たれたその一言に、士官はその表情をぴくりとも変えずに返す。


「私はロウル・ディリア・デュラーグ大尉だ。東部方面軍司令が貴殿をお呼びだ。宿舎にまでご足労願う」



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