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勝利を確信する連合国軍の騎兵部隊。
その中でも、巧みな捌きでガウゼルを乗りこなし、戦場を縦横無尽に駆け回る戦人。彼こそ連合国軍に勝機を生み出した最初の一騎がけを行った人物。
纏う甲冑、その形は丸みを帯びて鈍い銀色。そして赤地に金獅子が描かれた肩掛け。兜の隙間から見えるのは涼やかな凜々しい顔立ち。名をレリル・クレッサードと言った。
彼はこの辺りを任されている領主エルデカインに重用される武家クレッサードの次男である。そしてまた今回の急襲における陣頭指揮を任されていた。
それは戦勤めに過ごしてから初めて拝領した大任であり、彼の威勢は普段より一層高まっていた。
「進めぇッ! ガヴァルディアの木猿どもは瀕死だ! 突き崩せッ!」
ガウゼルに騎乗しながらレリルの凜冽な声が飛ぶ。
するとその言葉に呼応するように彼に付き従う連合国軍の兵達は気勢を上げ、その太刀筋には更に磨きがかかる。死に体の王国軍は足掻くこともままならず刻一刻と戦力をすり潰されていく。
自身、声を上げながらもレリルの乗るガウゼルは敵陣左方から抜けだし、転回しながら再び再度敵陣の最中へと飛び込んだ。
重鎧を着込んで剣を振るう兵達、その集団から迸る威圧感と言えば凄まじい。無機質な金属鎧の反射とおどろおどろしい返り血が瞼に焼き付く。だがレリルは加速を緩めない。
いやむしろ敵が近くなったと見るや更に足下のペダルを押し込み、車体の速度を増させる。
レリルのガウゼルは駆ける。そして剣を振るう度に一人、二人、三人とその一撃で身体の一部かあるいは命を無慈悲に奪っていく。
無論、王国軍とてその横着を黙って見守っているわけではない。隙を窺い、槍や剣でもってガウゼルを狙うが、しかし何か女神の守護にでもかかっているように簡単に躱していき、返す一撃で悉く打ち倒されていった。
そして今もまた連合国軍は着実に包囲の輪を広げていた。街を背にした王国軍の横陣は見る間に数を減らし、反抗もままならない中、ただ後退を続けていた。
「右翼は後退、左翼側に展開しつつ敵の包囲を打破せよッ! 包囲を崩せればまだ目はあるッ!」
戦線の後ろに立ち、護衛兵に囲まれながら総指揮に声を荒げる人間が、この王国軍を指揮するデレス・フランダー少佐である。
彼の指揮官用に設えられた鎧は王国印が押された特別製で、また清冽な青の外套を上に身に纏っている。
その顔に刻まれた濃い皺と長く白い顎髭は、老いた人間優しげな雰囲気を醸すと共に、峻厳さを感じさせた。
彼は王国への敬愛は深かったが、反面王国の勝利の為には部下の犠牲も厭わない気質を持っていた。どれほど人員を投入し、またどれ程失おうとも王国軍の勝利に貢献出来るのであれば構わないという考えを持っている。
だが、そんな勝敗に強く固執するデレスも最早この戦場にまともな勝機が一つも転がっていないことを悟っていた。
悔しいがレリルの言葉通り、戦況は連合王国軍に大きく優位だろう。
既に先ほどの指示もまるで王国軍の耳には届いていない。死の恐怖に混乱し浮き足立った兵士たちは彼の制御を離れていた。
押し込まれていた右翼側は更にやり込められ、弧状の包囲を切り抜ける僅かな可能性を感じた左翼も気付けばもう戦意を失っているのか、段々と後ずさっている。敗北は確定的、デレスは屈辱に歯がみしながらも叫ぶ。
「偉大なるガヴァルディア王国に仕える兵として、意地を見せよ!! その最後の血の一滴まで戦い抜けッ!」
デレスの叱咤がかまびすしい戦場に虚しく響いた。こんな叫びに何の戦術的価値も無いのはデレスとて理解している。だが彼にしてもこうして声を荒げるほかに出来ることなど無かった。他に何かあるのだとしたら、せめてこの全身に走る諦観に抗うこと程度だろう。
指揮官とそれを守る護衛兵たち数人は、端から削ぎ落とされていく味方たちの死に様をただ呆然としながら見据え続ける。それは筆舌に尽くしがたい絶望感と恐怖だった。
――ようやく辿り着いた。レリルはそう独りごちた。
楕円型の敵陣深くに切り込んだ先からよく見える、少し離れた最後方。残り僅かな王国軍の壁にそれでも手厚く守られ、味方騎兵部隊も中々到達出来なかった位置。
そして更に数人の守備兵に囲まれながら、指示を飛ばすあの相手はまず間違いなくこの軍勢の将。
あれを討てば未だ悪あがきを続けるガヴァルディアの兵たちも潔く抵抗を諦めることだろう。
……いや、この集まりを『兵』そしてそれを指揮する人間を『将』と呼べば些か言葉が余る。そう嘲りを向けながらも、しかしこの手勢をヤツが率いていることは事実だろう。
戦場の喧噪の中、レリルは度が過ぎた興奮を抑えるべく、小さく息を吸い込んだ。
そして操作用ハンドルを片手に剣を構える。
アクセルを踏み込み、レリルのガウゼルは空気の弾けるような音共に更に加速する。
味方の隙間からまるで漏れ出るように現われた一機のガウゼル。おそらく魔術砲による牽制を破った勇気ある一騎だろう。身体を低く抑え、飛鳥のようにこちらへ向かうその姿にデレスは瞠目した。そして来るべき時が来たのだと悟った。
「ここは我々が、少佐は部隊に撤退の指示を!」
デレス周囲の護衛兵たちが総出で剣を抜き放った。
「よせ、馬鹿者ッ!」
その叫びも虚しく、勇ましい声を上げながら護衛の一人が吶喊する。
「あああああああッ!」
高速で向かい来るガウゼルに対し果敢に斬りかかった姿は一見勇猛に感じるが、しかしレリルからすればそれはただの蛮勇だった。
あるいは彼はいち早く、この先の見えない窮地に白黒付けたかったのやもしれない。
恐怖と怒りに溺れた護衛兵は剣を払ったが、レリルはそれを騎乗しつつも身体の反りだけで難無く躱す。更に片手の剣をすれ違い様に首元へ差し込んだ。
ガウゼルとのすれ違い様、瞬きする間もない一瞬の攻防。その結果護衛兵の首元から切断された頭部が吹き飛び、赤い血飛沫をまき散らした。
だがそれだけではレリルは終わらなかった。勢いそのままに、小さな弧を描きながら転進。再び相見えるとレリルはガウゼルの速度を乗せた鋭い突きを放った。咄嗟に剣を構えるデレス。
ガウゼルに騎乗しつつの突きと言うこともあってレリルの剣の照準は甘く、胸元を狙った一撃はデレスの剣の平面に当たって、辛くも難を逃れた。しかし移動速度の乗った強力な一撃に大きく仰け反り、転倒間際で何とか踏みとどまった。
奇跡のような命拾いにほっと胸をなで下ろしながらも、だが今受けられたのは何でも無い偶然でしかなく、次に剣戟を交わせばただあっさりと死ぬこととなるだろう。
そんな死の覚悟を胸にしつつも、また頭の別の部分でデレスは相手の手腕に喫驚していた。敵はガウゼルの操縦技術だけではない。剣の腕も相当だ。
自軍の敗北という状況に切歯しつつも、しかし〝この男に殺されるなら良い〟そんな感傷を抱いてしまうほどにデレスは相手の力を認めてしまっていた。
戦場を所狭しと走るレリルはその速度のまま王国軍最後方を抜けて再び深く転進。車体前部が僅かに傾く。
切り返したレリルのガウゼルが再び矢のような疾走でデレスの下へ向かう。
レリルの機動を阻もうと残りの護衛兵がまたも壁のように立ちはだかるが、往復の度、一人、また一人と為す術なく崩れ落ちていく。
全くと言って良いほど活路を見いだせないレリルの攻撃に対して、遂に最後の護衛兵がデレスを庇うためガウゼルの進路に突き進み薙ぎ払われ、命を落とした。
大敗を喫した将たるデレスにもう逃げ場などは無く、この勝機の薄い強敵と真っ向きって戦うほかにない。
勢いままデレスの元を過ぎ去ったレリルのガウゼルは、もう一度転進し、弾丸のような速度で必殺の間合いへと向かう。
いよいよとなった一騎打ち。互いに考えることは同じだった。
すれ違う瞬間、先に一撃を叩き込めるかどうか。それだけだ。速度の乗った相手との交差であるなら、ただ一撃が十分な致命に能う一撃となることだろう。
老兵は生涯一番の窮地で自らの命に諦観しながらも、それでも戦い抜くという意思はあった。
自分が今まで忠を尽くしてきた王国へ報いるため。いや、……違うか。それよりもむしろ戦いの中で死にたいと、そんな憐れな騎士の矜持に囚われていただけか。
デレスは自問したが、しかし短い思考時間の合間に自分の考えを切って捨てた。覚悟を決めた。握りを深めた。せめて今、この目の前の敵を討ち、味方の死と王国の勝利に報いること、それこそ全て。
疾走するガウゼルと剣を構えるデレス。瞬く間に二人の影が交錯する。
ほんの微かな時間が煮詰められ、引きのばされた刹那。先に動いたのはデレスだった。
剣を引き、そして眼前へと差し迫ったガウゼルに剣を放つ。
デレスの薙ぎ払う一撃はレリルが上半身の動きだけで躱し、対してレリルはそのままデレスの左腹部へと斬り込んだ。
――鎧を断ち、肉を切る感触。
そのままレリルのガウゼルはしばらく慣性で進み、デレスと距離が開く。
確かに剣に手応えはあった。加えて振り返って見れば、相手はそのまま蹲っている。
感覚からしてこの一瞬の攻防に勝利したはずだが、しかしまだ分からない。己の一撃の真偽を確かめるため、レリルのガウゼルはデレスより少し離れた位置に停車する。
そこから降車し、敵に近づくとデレスは震えながら顔をこちらに上げた。
「……我が王国に栄光あれ」
血を口元から零しながら、そんな一言を必死に紡いだ。
しかしそれもつかの間、息を軽く吐くと同時に血が溢れるように噴き出し、悲鳴もなく再びデレスは地面へと倒れ込んだ。
そしてレリルは静かに横たわった遺体から首を奪い取る。
討ち取ったデレスの首を手に、レリルは戦場を巡った。自軍の勝利を叫び、王国軍の戦意を奪うためである。
「敵指揮官の首は獲ったぞ! 敵はもう頭を失って、あとはもがく手足だけだ! 今すぐ楽にしてやれ!」
レリルの言葉は足掻きを続ける王国軍に対し、確実なるトドメとなった。
その報せを聞いて、残り僅かの懸命に抵抗する王国軍兵士も流石に気力を失い剣を落としていた。愕然とし、戦意を失った敵兵を前に最早戦うこともせず勝ち誇る連合国軍兵。
普段は厳として油断を禁じるレリルであったが、この時ばかりは勝利を得たものと決めつけた。
というよりも最早決着は付いていたのだ。
敵の兵は皆膝を折って士気を失くし、敵将は討ち死に、これを勝利と呼ばずして何と呼ぶか。
火照った身体に清々しく感じる風を受けながら、悠々と戦場を巡回し、初の〝指揮官としての勝利〟その余韻に浸っていた、その時だった。
――異変が起こったのは。