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幾つもの轟音が、そこに響き渡っていた。
春の澄み渡る青い空、そして足下にたなびく群草と静かに流れる一本の浅い清流。
そこに見える全てが牧歌的な装いで、本来であればそこは生命に溢れ穏やかでとても長閑な風景のはずだった。
だが今この草原に充ち満ちているものは〝血と鉄〟というおよそ平穏という概念から程遠い剣呑だ。
昼の陽気に当てられて鈍く輝く鉄鎧、向き合う兵達のその手に収まる前装式小銃と、血を浴びて生々しい色気を放つ刀剣、そして血気に歪んだ兵士の凶相。
このアイリア大陸を席巻する『ガヴァルディア王国』と『アリッラ連合王国』これら両国による戦端が開かれて既に二年。
その諍いは領土とエネルギー問題に端を発していた。
ガヴァルディア王国領土内に大規模エネルギーである〝龍管〟が発見されたのがおよそ三年前のことである。
これの領有権を強引に主張したアリッラ連合王国軍がガヴァルディア王国領土内に侵攻を開始し、王国東端の『メノリス』を電撃的に制圧、実効支配した。
また対抗するガヴァルディア王国軍はメノリスの奪還を目指し応戦するが、守るに有利なメノリスの峻厳な地形に阻まれ苦しめられていた。
籠城する連合国軍に戦況は膠着し、その主戦場の名を取って銘打たれた『メノリス戦争』は泥沼の戦いが今なお続いていた。
○新暦九九七年 ナスダの春 第三週八日 アリッラ連合国領エルデカイン・スベラ平野
主戦場たるガヴァルディア王国領メノリスより南東にあるエルデカイン。
その傍らに座す青銀山脈、そしてずらりと居並ぶ広葉樹。あるのは見渡す限りの青と緑。
メノリス戦争勃発よりはや二年。
この地では小競り合いとでも言うような小規模な戦闘が幾度となく繰り返され、その度にこの緑の大地に血と鉄が横たわった。
今日という日にもまた同じように小さな戦闘が、エルデカイン領土内スベラにて始まっていた。
凄まじい唸り共に、穏やかな空を切り裂く砲弾が行き交い飛翔する。なだらかな放物線を描き飛び込んだ砲弾は幸い千名を超える王国軍の陣営に命中することは無く、ただその脇の地面を大きく掘り返すだけに留まった。
そして王国軍も同じく砲弾による反撃を試みる。二人一班の砲兵が素早く弾込めを行い、取っ手を引くと轟音と共に、速やかに砲身からこぶし大の弾が放たれる。
そして砲台よりも更に前衛たる盾持ちの兵と、それを遮蔽物に銃撃を繰り返す銃兵。長閑な平原の戦場に砲弾の雨と銃弾の嵐が舞う。
しかしこれ程までに苛烈なやり取りであっても、結局は本格的な接近戦に至るまでの前哨戦でしか無い。
近年の戦場は初手に互いの機動力を削ぐ砲弾と銃弾による牽制を行うことが一般的だった。
ただこれらはあくまで牽制でしかなく、勝敗を決定づけるほどの力は無い。何分、互いに身につける鎧が堅牢なのだ。
彼らの鎧、その鈍く輝く装具は〝魔術合金〟と呼ばれる特別に剛な代物で出来ている。魔術的な過程を経て冶金された金属、そしてそれで作られる鎧は単発式歩兵銃の弾丸などものともしない。
この装備を纏う兵達にとって銃弾のやり取りなど、小さな石つぶてを投げ合っているようなものだ。雌雄を決するには近接し、同じ魔術合金で作られる剣とその鍛え抜かれた剣技で以て争うほかにない。
しかし、いかな鎧の防御に守られているとあっても、その隙間に命中すれば痛打となり得る弾丸の雨だ。軽々には近づけないというのが実情で、だからこそ、両陣営とも機を窺うように銃撃と砲撃を飽きなく延々と繰り返すのだ。
だが、この永遠に続くような長い均衡も崩れ去るときは一瞬である。
現に今、この膠着を打ち破るべく、連合国軍側から突撃を敢行しようと陣営から飛び出した機影があった。
彼らが騎乗し移動に用いるのは馬では無い。戦場に馬を駆る時代は終わった。
現代、それに取って代わったのは、これもまた魔術の秘技によって生み出された魔術具〝ガウゼル〟と呼ばれる品だ。
その外見は滑らかで流線型のフォルム。白い車体にアリッラの国色である赤い横線がよく目を引く。車輪などは付属せず、まるで大地を滑るように進む姿はさながら橇だろうか。そして搭乗者はそれに跨がって乗りこなすのだ。
このガウゼルの機序であるが、内蔵する魔術機構により、地面に対し斥力を発生させそれで橇のように地面を滑りながら進む。
従って険路などの走行も容易く、戦場においての機動に革命を引き起こした。
そしてまた特筆すべきはその移動機構だけでなく、動きの速さ、つまり移動速度にも目を見張る物がある。
基本的に現代戦においては全身を魔術合金による装甲で覆うのが主流である。慣れない人間にとっては動くのにも苦労がいる重武装だが、しかしそんな重量を抱えた人間一人を乗せようと、ガウゼルはこれまでの機動力だった騎馬と比べ、かけ離れた速度を生む。
更にその速度を利用しながら繰り出される剣や槍の威力は圧倒的で、昨今の戦場において必要不可欠な軍備となっていた。
その高機動装置ガウゼルを駆る連合国部隊は自陣から迅速に展開し、そのままその速度を維持したまま敵陣へと向かう。
これを黙って見過ごせるわけもない王国軍はすぐさまガウゼル迎撃用の砲撃を開始した。
銃弾は物ともしない魔術合金の鎧だが、しかし砲を直撃すればひとたまりも無い。特に複雑な機構を搭載したガウゼルは言うに及ばずだ。
「撃て! 撃ち続けろ! 奴らをこれ以上近づかせるな!」
砲兵指揮官の声と共に、部隊は矢継ぎ早に砲弾を詰め込み、発射し、その工程を愚直に繰り返す。
用意されていた僅か十三機の砲門は機動するガウゼル部隊に狙いを付け、ひっきりなしに砲弾を撃ち放った。
しかし悉く躱される。
距離もさることながら動く的に小さな砲弾を当てるというのはそう容易いことでない。何分仕組みが原始的なだけ、照準も全て砲兵に任され、砲兵たちはそれぞれ自身の勘に頼って砲撃するのだ。これでは命中する方が奇跡というもの。
とは言え、降り注ぐ砲撃は命中しないまでもガウゼル部隊を釘付けにする効果はあった。
敵が魔術砲で攻撃してくるというのは機動部隊にとっても織り込み済みの展開だったが、しかし分かっていたからといってどうこう出来るものでも無い。
そもそもが拮抗する戦局に変化をもたらすためだけの機動展開である。今すぐに直接的な戦果を得るためのことではない。
中々接近しきれないガウゼル部隊は、勢いよく飛び出したものの今度は安全圏でうろうろと平野を回り始めた。
相手騎兵を押さえつけるという一定の効果を見せた砲撃による制圧だったが、しかしたかが数十機の砲台による攻撃だ。無論隙は在った。
完全に手動操作である砲撃は、その差こそ微妙な程であるが、その弾幕が集中する地点と攻撃がまばらで粗い地点が存在する。
そんな微かな違いを好機と見込んで飛び込んできた勇気ある一機のガウゼル。搭乗者は姿勢を低く構え出来うる限りの最高速度で迅走する。
「突出してきたものがあるぞ! 狙い撃て!」
砲の陣頭指揮の怒声が響くが、しかしその場当たり的な甘い指揮では咄嗟の標的修正や砲弾の補充が追いつかない。
慌てた準備の後にようやく放てた砲弾も最早遅く、またガウゼルに騎乗する人間の腕もあったのだろう、あっさりと水平移動で躱された。
すぐ隣で閃く幾つもの爆着を横目に、その手綱は何の動揺も無く、ただ真っ直ぐ迷い無きまま平野を駆けるガウゼル。
そして気付けば、敵の手出しを受けない〝遠距離〟という砲兵の優位、それは瞬く間に失われていた。
結局二度の砲撃のチャンスしかないままに、ガウゼルに接近を許した戦線。
魔術砲を守るために歩兵たちは打って出たが、しかし巧みな操縦に翻弄され剣も槍も届かない。
歩兵の攻勢などまるで相手にせずいなし続け、その一騎がただ一心に狙ったのは敵の虎の子である魔術砲とその砲兵だ。
近接戦の想定がないこれらはまさしく脆弱であり、疾走するたった一騎に次々と砲は破壊される。
そうなればガウゼルに対する牽制は失われ、混乱に乗じた他の騎兵部隊は王国軍を蹂躙せんと敵陣中へ深々と飛び込んだ。騎兵隊は敵の陣中をすり抜けるように巡り、そこかしこで殺戮をばらまいていく。
平たい紙に針で穴を通すが如く、騎兵の攻勢に王国軍の横陣はあっさりと擦り切れ崩れていった。
そしてそのタイミングを狙っていたかのように、後ろから続々と群れる人影が現われる。
連合国軍の歩兵部隊である。彼らは騎兵突撃に混乱する王国軍の様子を好奇と見て、そのまま敵陣になだれ込んだのだ。
雄叫びを上げながら飛び込んだ歩兵部隊達はまるで飢えた野犬のように敵の血と肉を貪り、かき回され切った王国軍の手勢はろくに戦うことも、引くことも出来なかった。
王国軍の国色たる青を纏った兵達は次々折り重なるように倒れていき、その屍は次行く兵達が無惨に踏みしだいていく。
もうその時既に王国軍の敗北は決定的なものとなりつつあった。