37:変な扉を開いたよ、ヴィンセントくん!
「えぇい、何なんだ……彼女はっ……!」
――中庭の大木に手を付き、ヴィンセント・フォン・セイファートは苦しげに呻いた。
彼にとって女性とは、自分を囃し立ててくれるだけの存在であるはずだった。
誉め言葉しか言わないメイドたちに、勝手にすり寄ってくる貴族の子女たち……。
生まれてすぐに母を亡くしたヴィンセントにとって、それだけが女性というモノの姿だった。
だがしかし……ソフィア・グレイシアは違っていた。
底辺貴族の娘でありながら、仲間や貧困層を侮蔑したことに激怒し、辛辣な言葉を山ほど放ってきたのだ。
『黙りなさい豚』と言われたのは初めての体験だった。あのとき受けた未知の衝撃を、ヴィンセントは今でも忘れていない。
そんな愚か者に対し、いつかは王子としての力を分からせてやろうと思っていたのだが――、
「っ……愚かなのは、僕だったということなのか……!?」
唇を噛み締めながら、ヴィンセントはポロポロと涙を流した。
“アナタは国を代表する『王族』なのよ……!? そんなアナタから蔑まれたら、いずれそれは風潮となり、貧しい人たちは国全体から迫害されることになってしまうわ……!”
彼女に糾弾されるまで、まったく気付いていなかった。
圧倒的な地位を誇る『王族』として、これまで軽はずみに行ってきた差別的発言。
まるで巨人が人間を小人扱いするように、差別という意識すらなく放ってきた言葉の数々が――やがて国民に広がり、国家の和を乱す可能性があったなんて……!
「クソッ……僕は……僕は……!」
白い握り拳を大木にぶつけるヴィンセント。
本当に、頭をガツンと殴られたかのような思いだった。精神的に未熟な彼であるが、今までの言動が国家の不信に繋がっていたかもしれないと思えば、流石に反省せざるを得ない。
そして何よりも……家族である父王や彼を補佐する二人の兄たちが、そのことを教えてくれなかったのがショックだった。
彼らはヴィンセントを国政に一切かかわらせようとせず、ソフィア・グレイシアとの決闘で負けた際にも、淡々と『恥を晒した責任を取り、騎士団を辞めろ』と告げただけであった。
――“自分の間違いは自分で気付け”と言外に言われてるのかもしれないが、ヴィンセントは直感的にわかっていた。
所詮、王位から最も遠い『第三王子』である自分は、まったく期待されていないのだと。家臣たちからも甘やかされ、好き放題に育てられたのがその証拠だった。
だが、しかし。
「……ソフィア……ソフィア……っ!」
そんな自分を、ソフィア・グレイシアは叱りつけた。はじめて、叱りつけてくれた……!
しかも彼女は差別的な風潮を生まないために、あえて過剰な物言いをしていたというのだ!
これまで出会ってきたメイドや貴族の娘たちは、誰もが王族から気に入られることしか考えていなかったというのに……ソフィア・グレイシアは貧民層を守るために、自身が恨まれることさえ覚悟していたのである……!
なんという高潔な精神――まさに貴族としての鑑……!
その真実を知った瞬間、ヴィンセントは自分が恥ずかしくて恥ずかしくて堪らなくなった。
それと同時にこうも思う。
ハオ・シンランという最上級魔法使いと死闘を繰り広げ、多くの人々を守り抜いた『国の英雄』……そんなお堅い称号は、ソフィアにはふさわしくないと。
なぜなら彼女は、ポロポロと涙をこぼしながら『もう誰も傷付けたくはない』と呟く、優しい心の持ち主でもあったのだから……!
まるで澄み渡る水のような……あんなに綺麗な涙が流せる者なんて、清らかな心の持ち主か役者顔負けの生き汚い悪女だけだろう。もちろん前者だとヴィンセントは信じている。
そんな彼女を称するならば、まさに『聖女』と呼ばざるを得ない――!
「あぁ……聖女、ソフィア……!」
熱くその名を口にしながら、力強く顔を上げるヴィンセント。
キラキラと光るその瞳には、一つの意思が燃え盛っていた――!
「聖女ソフィア……! 僕の悪いところをもっと言って欲しいッ! 僕はもっと……キミに叱られたいッ!!!」
十六年間生きてきた中で、女性に対してこんな気持ちになるのは初めてだった――!
特に、ソフィアの最後の表情が忘れられない。
おそらくは年下だというのに、まるでお姉さんのような顔付きで、『フフッ、励ましてくれてるのね』とからかってきたあの表情……!
それを思い出すたびに、ヴィンセントの背中にゾクリと謎の高揚感が走る――!
「まさかこれがっ……恋だというのかぁぁああああッ!」
高鳴る気持ちを抑えきれず、空へと叫ぶヴィンセント。
……かくしてソフィアの思惑は全て裏目に出て、歪んだ愛を持つ男がまた一人増えたのだった……!
・童貞を騙した結果がこれだよ、ソフィアちゃん――!
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