6 トラシアスの戦い(2)
フラミニウス軍はアレチオに到着し、一夜を明かした。
明くる日、早朝から晴れない天気だった。フラミニウスは嫌な天気だと思った。下手に進軍を開始して天候が悪化し、気づかぬうちにクラッスス軍と離れてしまっては連携が取れない。彼も歴戦の武将。今日はアレチオの街で待機するに限る、と考えていた。
その時、フラミニウスに急報が届く。
「昨夜、近隣の都市が3つ、ハンニバル軍に陥落しました」
「なんだと」
フラミニウスは知らせを届けた急使に声を荒げた。
「そして、多くの難民がこのアレチオに押し寄せており、ハンニバル軍の蛮行の数々を口にしております」
「ハンニバルめ」
フラミニウスは頭に血が上った。しかし、冷静さを失っていたわけではなかった。クラッススがいるリミニに急使を送った。ハンニバルを発見、アレチオに急行されたし。分けた軍を合流させ、ハンニバルを討つのだ。
しかし、さらに悪い知らせが届いた。
アレチオに少年の死体が運ばれてきた。体中に無数の刺傷。そして、背には“ロマーネに死を。腰抜けのロマーネ兵に失笑を送る”との文字が刻まれていた。
フラミニウス軍の兵士たちは激怒した。そして、多くの兵士がフラミニウスの前に集まり、声を上げた。彼は眼を閉じ、腕を組み、黙って兵士の言葉に耳を傾ける。
ロマーネの人民が血を流しているのに我々は待機するのか。なぜハンニバルを追わない。腰抜けと言われて黙っているのか。将と同じく武人としてのプライドが高い兵たちは暴走寸前だった。新たな急使がフラミニウスの前に現れる。
「トラシアス湖畔近くの都市にハンニバル出現との一報が入りました」
フラミニウスは立ち上がった。
「クラッススにトラシアス湖畔へ向かうと伝えろ! 両軍で挟み撃ちにしてくれる!」
将の一声に兵たちは歓声を上げた。
総勢3万の軍勢は強行軍と化し、ハンニバルを追った。その速度はすさまじかった。彼らの士気は頂点に達していたのである。
トラシアス湖畔を目指す道中、目線の先に燃え上がる都市があった。その都市から離れる騎兵が見える。ハンニバル軍だ。やはり湖畔に向かっている。
「敵に背を向け逃げ出すとは、どちらが腰抜けだ!!」
フラミニウスは怒声をあげた。行軍速度がさらに上がる。
湖畔に近づくにつれ、霧があたりに立ち込めてきた。フラミニウスは一抹の不安を覚えた。しかし、軍全体の士気の高さ、自身の戦歴を鑑みて、ハンニバルを追うと決める。我が軍だけで倒す。
ハンニバル軍の騎兵は湖畔にぶつかると、湖沿いにある街道を行軍した。丘陵の間を通る幅の狭い道であった。左右は小さな崖。兵数人が並んで進める幅しかない。フラミニウス軍は細長く伸びながら後を追った。フラミニウス軍の騎兵が、ハンニバル軍の後方をとらえようとした。
その時、ハンニバル軍の騎兵が行軍をやめる。くるりと振り向き、フラミニウス軍の騎兵とぶつかった。戦闘開始である。フラミニウス軍の騎兵の勢いはすさまじく、倒した敵兵を踏みつけながら、進み続けた。そして、騎兵に続いてすべてのフラミニウス軍の歩兵が街道に入った。
「ぬるい、ぬるいぞ、ハンニバル!!」
その時、立ち込めていた霧が晴れた。
崖の上に無数の兵がいた。ハンニバル軍だ。フラミニウスは悟った。この狭い街道に誘い込まれたのだと。崖の上で隻眼の武将、ハンニバルが見下ろしている。
「ハンニバル、きさま、待ち伏せとは卑怯だぞ。武人のプライドは無いのか」
フラミニウスが叫んだ。
「無い」
ハンニバルは全軍に攻撃の合図を送った。
カルータのエルフ族魔法構成術士たちが崖の上からフラマボールを放った。多くのフラミニウス兵が燃えた。場は混乱した。このままでは総崩れになる。
「ラッパを吹け! 撤退だ! 後退しろ!」
フラミニウスはようやく現状を悟った。
「逃がすものか」
ハンニバルの手に火花が散った。彼の得意技のひとつアルブス(雷鳴)が放たれた。威力はすさまじかった。一瞬の閃光とともに数十人のフラミニウス兵がその場に倒れた。
降り注ぐ魔法攻撃をかわしながら、フラミニウスは退却を試みる。しかし、兵が渋滞を起こし動かない。
「我が軍の後方からスパルタクス奴隷軍が攻めてきました」
四面楚歌。
フラミニウスは最悪の事態を想定し、死を覚悟した。