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ディア・クロニクル  作者: 瀬織津ヒロム
ハンニバル戦記 前編
4/13

1 ミリス陥落

『私にはひとつだけ悔いがある。あの時、アラン・アグリードを手放したことだ。それ以外、我が人生に悔いはない』

死期を悟ったハンニバル・プポルスの言葉。





挿絵(By みてみん)






 ロマーネ共和国北部、地方都市ミリス。



 この都市の北に急峻なアルプス山脈がそびえる。アルプスはミリスの住民に多くの恵みを授けた。大量のアトロンが山下に降り注ぎ、この地一帯は広大な穀倉地帯と化していた。多くの農場が作られ、様々な種族の奴隷たちが働いている。



 ロマーネ最大の富豪クラッススが所有する農場に人族の奴隷アラン・アグリードとその母、ダイアンが住んでいた。



 アランは幼少期から不思議な子供だった。



 ひとりでぶつぶつと呟き、空にあらぬものが見えると言い出した時もあった。ダイアンはそんな息子を頭ごなしに否定せず、暖かく見守った。もう少し大きくなったら、不思議な言動が落ち着くはずよ、とダイアンは思っていた。



 しかし、アランの不思議な能力は成長とともに大きくなった。鍛錬を必要とするアンキミアコンスト(錬金構成術)(略称AC)で鋭利な金属を精製し、カルポスコンスト(身体構成術)(略称CC)で身体を強化して、周りを驚かせた。



 特に耕作期間に使用する鍬のACは素晴らしかった。彼はその鍬を持ち、CCで強化した体を使い、瞬く間に農場を耕した。農場の管理人マゾロフは彼を寵愛したが、ダイアンは一抹の不安を覚えていた。



 アランの父はすでに他界した。同じ奴隷で稼ぎも悪かったが、普通の男だった。アランの才能はどこから来たのか。ダイアンはわからなかった。



 マゾロフの農場は穏やかだった。キャスト(猫人族)カネム(犬人族)ルポス(人狼族)の奴隷がいさかいもなく、一緒に働いている。そこでアランは汗を流して働いていた。彼が振り上げた鍬はまぶしい陽を浴びて美しく輝いていた。



 創成歴3015年。



 アランは15才をむかえ、りりしい青年に成長していた。黒の短髪。美しい黒目。贅肉のない鍛え抜かれた身体。少しやんちゃな雰囲気。そして、いつか簡単に壊れてしまうと錯覚させる儚さを兼ねそなえていた。全身から危険な香りがした。それは内に秘めたアトロンが外にあふれ出たせいなのか理由はわからない。だが、ミリスの女性を虜にしたことは確かだった。



 アランは若くして、マゾロフから農場を任せられるまでになり、母とともに奴隷最下層の生活から抜け出していた。少しばかりの親孝行ができた。彼は嬉しかった。



 アランはいまだに奴隷である。ロマーネの奴隷は重ねた努力に対して、それ相当の報いが与えられる。地道に働き、金を貯め、ロマーネ市民権を自費で買えば奴隷の身分から解放された。さらに出来の良い奴隷はパトロネス(支援者)が市民権を買い与え、クリエンテス(被保護者)として働かせることもあった。アランは地道に金を貯め、パトロネスのマゾロフから信頼も勝ち得ている。あともう少しで奴隷の身分から解放され、ロマーネ市民として胸を張って生活できる。アランの未来は明るかった。



 春の暖かい朝日が、簡素な家に張り込む。アランはダイアンが作った朝食を食べていた。



「あなたのような息子を持てて、私は幸せよ」



 ダイアンは感慨深げに言った。



「ありがとう。母さん」



 アランはパンをほおばりながら言った。



「今日はどうするの」



「畑は奴隷農夫に任せて、俺は狩りに行ってくるよ」



「またおいしい鹿肉を食べたいわ」



「わかった。とびっきり大きい鹿を取ってくるよ」




 アランはパンを口に加えながら、アルプス山下の森に向かった。



 アランにとってこの森は庭だった。森を覆うアトロンがすべてを教えてくれる。普通の人間にアトロンは見えない。しかし、アランには色を帯びて見える。赤、青、黄。それぞれが意味を持っている。



 アランはCCで強化した体を使い、うっそうと茂る木々の枝を飛び移りながら、森の奥へ進んでいく。そして、鹿を見つけた。大きな角を持ち、体は大きい。アトロンの色は赤。良質な肉質に違いない。アランはグラディウス(ロマーネ国内で広く普及している短剣)にACを施した。枝から飛ぶ。鹿がアランの存在に気付いた。しかし、逃げる暇もなく、鹿の首筋にグラディウスが刺さった。鹿は悲鳴を上げ、その場に倒れこんだ。



 アランは鹿の血抜きをしている時、アトロンの風を感じた。空を見上げる。濃い赤が青空に交じっている。彼が形容するアトロンの風は天変地異、戦乱、身内の死などの前触れを知らせるものだ。第六感。虫の知らせ。霊能力。小さい頃、このことを周りに言うと気味悪がられた。アランは成長するにつれ、周りの雰囲気に同調するすべを身につけた。人は異物を嫌うものだ。



 感じたことを素直に言って、周りから気持ち悪がられるのは嫌だなぁ、とアランは思った。自分の胸の中に閉まっておこうと決めた。しかし、決意はすぐさま覆させられた。



 アルプスが泣いている。震えている。おびえている。アランの眼に赤く燃え上がるアルプスが見えた。あれほどの赤いアトロンを見たことがない。炎の燃料は殺意だ。炎は瞬く間に辺りに燃え移り、この森も村も農場も焼き尽くしてしまう。戦争だ。戦争が始まる。



 大変だ。アランは急いでミリスの村に戻った。



「敵だ! 敵が来るぞ!」



 アランは村を走り回り叫んだ。しかし、誰も耳を貸さなかった。



 無理もない。南は首都ロマーネの守衛軍団、北はアルプス、東西は海に挟まれた地形のため外敵から侵略された経験がなく、彼らの危機意識は皆無だった。



「マゾロフの所のアランじゃあないか。敵が来るってどういうことだ」



 マゾロフの親友が話しかけてきた。



「敵がアルプスを越えてやってくる」



 男はポカンと口を開けた。



「アルプスを越えてくるんだよ」



 アランは反応の鈍い男に怒鳴った。



「北にはカエサル軍がいるのだぞ。それにあの険しいアルプスを越えてくる軍隊がどこにいる」



 男は冷静に言った。



「本当だ!」



 アランが叫ぶ。



「15歳にもなって、現実と空想の境もわからないのか」



 男の表情が変わってきた。



「現実をわからないのはどちらか、今にわかるぞ」



 アランはそう言い終えると男に殴られた。唇から血が流れる。



「いい加減にしろよ。俺たちの不安を煽ってそんなに楽しいか」



 騒ぎを聴きつけたマゾロフが慌てた様子でやってきた。



「アラン! なにをしているのだ」



「マゾロフ、どういう教育をしているのだ。こいつ、嘘の情報を流して、都市のみんなを心配させたのだぞ」



「申し訳ない。アラン、なにを言ったのだ」



 アランは唇から流れる血を拭う。



「アルプスを渡って、敵が攻めてくる」



 マゾロフの顔がこわばる。



「本当か。見たのか」



「見ていない」



「まさか、またアトロンの風を感じたというのか」



 アランがうなずく。



「アトロンの風だと!! またふざけたことを!」



 男は吐き捨てるように言った。


 マゾロフはその場を鎮め、アランを自宅に帰した。マゾロフはクラッススに見いだされた元奴隷である。そのため、奴隷の心情を理解した良心的なパトロネスとして、ミリスで尊敬を集めていた。彼が呼びかければ住民が避難を開始するだろう。しかし、それには根拠が必要である。15歳の青年の現実味のない話だけでは、いくらマゾロフであろうと、住民を動かせない。



 アランは家に帰り、母に森で見た光景を話した。



「アルプスが燃えていたのね」



 母は真剣にアランの声を聞いている。そして、身支度を始めた。



「ここを離れるわよ」



「母さん、俺の話を信じてくれるんだね」



「息子を信じない母親は、母親失格だわ」



 アランとダイアンは軽く身支度を済ませ、南の森に向かった。いくばくか歩いた時、アランは、再びアトロンの流れを感じた。その量は前回とは比べものにならない。空だけではなく、森全体に及び、緑を赤く染め上げていく。まるで森全体が火の海になったと錯覚させるような強い赤だった。



 地響きが鳴る。男たちの雄叫びが聞こえる。ダイアンが震え出した。アランは間違っていなかった。本当に敵が攻めてきたのだ。



「母さん、丘に登ろう」



 アランが走り出す。



 二人は森にある小さな丘に登った。そして、ミリスを見た。大軍がミリスに向かっている。正確な総数はわからない。しかし、数万の軍勢であることは確かだ。ミリスの城壁は瞬く間に破壊され、大量の歩兵が流れ込む。ここまで1時間とかかっていない。



 抵抗するものは躊躇なく殺された。弱者は捕縛され、ミリスの広場に集められた。あまりに手際が良すぎる。アルプスの北に住む蛮族とは思えない。



「カルータ軍に違いない」



 アランは無意識に呟いた。



「カルータですって……」



 創成歴2981年。地中海に浮かぶシリネ島をめぐって、ロマーネとカルータは戦争を開始した。それから14年も続く長期戦になるとは両者とも思っていなかった。疲弊した両者は休戦協定を結んだ。



 創成歴3014年、第一次カルータ戦争で活躍した執政官スッラが、軍を率いてシリネに進行した。その報復のためカルータ軍はアルプスを渡ってきたのだ。



「マゾロフさんが……」



 アランは感情に任せて、走り出そうとした。ミリスに戻り、恩人でもあるマゾロフを助けるつもりだ。



「アラン! 行ってはダメよ」



 ダイアンが体で止める。



「俺はマゾロフさんに恩がある。ロマーネの男は義理を返さないといけない」



「命あってのことよ。ミリスに戻るなんて母さんが許さない」



「母さん、ごめん」



 アランは母を振り切った。



 ※



 カルータの将軍ハンニバル・プポルスはユナシア大陸最西端のヒスパニア地方で生まれた。彼の父、バルカ・プポルスは第一次カルータ戦争を指揮した将軍だった。しかし、休戦協定を結んだ母国に嫌気を指し、アフリナを出て、ヒスパニアの地におもむいた。



 バルカはハンニバルとドバルの兄弟を育てた。兄ハンニバルの才能は突出していた。バルカは息子たちと宿敵ロマーネへ赴くことを願っていた。しかし、彼を病が襲った。



「お前たちとロマーネを倒せなかったことが心残りだ」



 とロマーネへの恨みを呟きながら死んだ。兄弟はロマーネを恨んだ。



 そして、創成歴3014年、執政官スッラがシリネに進行したのを皮切りに、兄弟はロマーネ本国を急襲する作戦を立てる。



 兄ハンニバルが第一陣としてアルプスを越えロマーネ本国を急襲、第二陣としてドバルが救援に向かうという大胆なものだった。しかし、その作戦は困難を極めた。



 アルプスの行軍は想像を絶していた。途中、アフリナから連れてきた戦象は寒さに負け動けなくなった。多くの兵が倒れた。そして、飢えが襲った。ハンニバルは片目の視力を失う。4万の兵は半分の2万まで減った。無謀にも思えたハンニバルの行軍を部下たちはついてきた。



 ハンニバル軍はついにアルプスを登り切った。



 ハンニバルは光を失った左目を抑えた。



 痛み。



 彼は目の痛みより、多くの兵を失った指揮官としての精神的苦痛の方が勝った。しかし、彼は熱い思いを携えたまま無念の死を迎えた兵に報いるため、前を向いたのである。



「私についてきたすべての兵よ。われらは宿敵ロマーネの地を踏んだ。我がハンニバル軍の名は歴史に刻まれることだろう」



 高らかに発せられたハンニバルの声に、兵たちが歓声で答える。その時、ハンニバルの背中まで伸びた髪がなびいた。左眼には痛々しい眼帯。頑健な体。馬に跨る彼の姿は絵になった。もしハンニバルの絵画を描くなら、この場面しかない。



 ハンニバルは愛刀のバルディウスをかかげた。剣は電流を帯び、輝いていた。彼はエルフ(長命族)ホモネス(人族)のハーフであり、電撃系のマギコンスト(魔法構成術)が得意だった。



「行くぞ」



 彼の合図とともにハンニバル軍はアルプスを一気に下山した。その勢いのままミリスへ向かう。彼らは飢えていた。大きな穀物庫を持つミリスに狙いをつけたのは当然だった。ミリスは瞬く間に蹂躙(じゅうりん)される。そして、ミリスの代表者的立場であるマゾロフがハンニバルの前に連行された。



「穀物庫の鍵を渡せ」



 ハンニバルは簡潔に言った。



「断る」



 マゾロフが動じずに言った。



「死ぬぞ」



「私はロマーネの男だ。死を恐れない」



 マゾロフはわかっていた。ハンニバルはこのミリスを兵站(へいたん)(兵士への物資の配給)基地とし、ロマーネ半島北部の各都市を攻めるつもりだと。



「では、用はない。死ね」



 ハンニバルはマゾロフの首を躊躇(ちゅうちょ)なく切り落とした。



 穀物庫の鍵は次点の指導者がすぐに渡した。そして、市民の命の安全を担保に、ミリスは降伏した。




 ※



 アランは森をかけていた。木の枝から枝へ飛び移りながら、さらに速度を上げた。アランは無意識のうちにCCを使い、体を強化していた。そして、燃え盛るミリスに近づいてきた。ミリスの城壁にカルータ軍がいる。手には奪った財宝が握られていた。アランは護身用のグラディウスを手に取り、ACをかけた。殺してやる。



 斬撃。



 城壁のカルータ兵士の首が飛ぶ。そして、財宝が地面に落ちた。



 別のカルータ兵が唖然としている。そして、剣を抜く間もなく切り倒される。



「敵兵!!」



 カルータ軍に見つかろうと関係ない。アランは駆け出した。速い。多数の敵がいようと速度が落ちない。アランは一直線に広場へ向かった。マゾロフが倒れている。首がない。



「きさまぁ!」



 アランはハンニバルに切りかかる。その時、アランはグラディウスに巨大なアトロンが流れていくのを感じた。ハンニバルがバルディウスを抜いた。



 衝突。



 甲高い金属音とともに剣がぶつかり合った。一瞬、あたりが静寂になった。これからロマーネを攻める将軍が早々に戦死する。あってはならないことだ。



「良い太刀筋だ」



 ハンニバルはアランを弾き飛ばす。その時、周りの兵がアランに切りかかろうとした。



「殺すな。捕まえろ」



 部下たちは10人がかりでアランを抑え込もうとする。しかし、アランは暴れた。



「人殺しめ!!」



 アランは叫んだ。



「これは戦争だ。人を殺さないでどうする」



 ハンニバルの手が震えていた。バルディウスを持っていた利き手がしびれる。それを隠し、ハンニバルは冷徹に言い放った。



「将軍、どうしますか。八つ裂きにしましょうか」



 部下の一人が言った。



「はて……どうしたものか」



 その時、ダイアンが兵に連れられてきた。



「私の息子です。どうかご慈悲を」



 ダイアンはアランを追いかけてきたのだ。



「こいつは我がハンニバル将軍の命を狙ったのだぞ。斬首だ」



 部下のひとりが息巻いて言った。



「ならば、私の命を代わりに差し上げます」



 ダイアンは頭を下げた。そして、地面にひれ伏した。



「頭をあげろ。お前の気持ちは理解した」



 ダイアンが顔を上げる。



「ならば望み通り、自らの死で償え」



 バルディウスがダイアンの胸に刺さる。



「母さん!!」



 ダイアンはその場に倒れた。地面に赤い血が流れ、広がっていく。



「母さん!!」



 ダイアンは反応しない。アランは見た。ダイアンの体を覆っていたアトロンが流れ出るのを。すぐさま駆け寄って、アトロンをかき集め、体内に戻したい。体内からアトロンが無くなったら死んでしまう。



「じゃまだ!」



 アランは周りを蹴散らし、ダイアンに近づこうとする。しかし、さらに10人の部下が覆いかぶさる。アランは止まった。そして、ハンニバルを睨んだ。



「良い眼だ。美しい戦士の眼だ」



 ハンニバルはアランに見とれていた。赤いアトロンをにじませる美しい瞳を。





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