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ディア・クロニクル  作者: 瀬織津ヒロム
ハンニバル戦記 前編
11/13

8 各所の動き。

 クラッスス軍はトラシアス湖畔に向かっていた。



 その途中、アウグスはアトロンの異様なざわめきを感じた。湖畔の方角から多くのアトロンが流れ出ている。湖畔で戦闘が開始されたのだ。



「戦闘が始まっているぞ」



 アウグスは馬の尻を鞭で叩いた。急がないといけない。



「アウグス、戦況はどう思う?」



 馬で並走するミルフィアが言った。



「兵の数は同じ3万だ。フラミニウスもそう簡単に敗れはしまい。しかし、激戦になっていることだろう」



 湖畔に近づくにつれ霧が深くなってくる。その霧に死臭をまとったアトロンが混じっている。アウグスは予想を変えた。



「すでに……敗退しているかもしれない」



「おいおい、戦闘が始まって、4時間しか経っていないぞ。いくらなんでも勝敗が決するには早すぎるだろ」



 キクチヨが疑問を呈した。



「急ぐぞ!!」



 クラッスス軍がトラシアス湖畔についた。そして、霧が晴れた。



 先頭を走っていたクラッスス本陣から叫び声が聞こえてきた。



 アウグスは馬を飛ばし、本陣に追い付いた。



「何があったのですか?」



 アウグスはクラッススに問いただす。



 クラッススの瞳は血走っていた。憤怒。怒りで彼は言葉を忘れてしまった。



 アウグスは湖畔を見た。湖の一部が赤く染まっていた。そして、狭い街道にフラミニウス兵2万の無残な亡骸が転がっている。その多くが燃えて黒焦げになっていた。アウグスは吐き気をもよおした。しかし、こらえた。すべてを飲み込むのだ。この屈辱を忘れてなるものか。



「アウグス、君の意見を聞き入れなかったことを詫びよう」



 クラッススの顔は真っ赤になっていた。いけない。クラッススはハンニバルを追うつもりなのか。フラミニウスのように待ち伏せされ大敗するぞ。アウグスは命に代えてもクラッススを止めると決心した。



「全軍撤退。ロマーネに戻るぞ」



 クラッススは冷静に言った。



「行軍経路は?」



「安心しろ。ハンニバルは追わない」



 アウグスは胸を撫でおろした。



「はい。首都に戻りましょう。ハンニバルに攻められる前に」



 クラッスス軍はロマーネに向かった。



 ※



 フラミニウス軍の全滅は、シリネ島にいるスッラにも届いた。



「フラミニウス軍が全滅だと!!」



 老将スッラはシリネ島メジナの軍事拠点で雄叫びを上げた。フラミニウスの父はスッラの旧友だった。



「仇を取るぞ!」



 彼の闘志は年を重ねても弱ることは無かった。彼の脳裏に第一次カルータ戦争の光景が浮かんだ。バルカ・プポルス。ハンニバルの父。激戦を交わしたカルータ最強の武将の子が、ロマーネ本国を蹂躙する。なんと因果なことか、とスッラは心の中でつぶやいた。



 彼は1個師団をメジナに残し、4個師団でハンニバル迎撃に向かった。



 ※



 夕飯時。ガリリア地方キャストの里。その近くにカエサル軍の陣営があった。陣営の周りにはキャスト(猫人族)カネム(犬人族)ジャイアント(巨人族)が入り乱れて酒を飲み交わしていた。そこには男女、種族の差はなかった。カエサルは戦に敗れた部族を蹂躙しなかった。その部族丸ごと傘下に収めた。だからといって、ロマーネの文化を強要することも無かった。



 カエサルは戦に敗れた猫族の族長に言った。



『カエサルは自分の考えに忠実でありたい。それは君たちも同じだろう。だから、カエサルは他人の生き方を認める。そして、もし君たちが再びカエサルに刃を向けることになったとしても、それは仕方ない。自分の考えを偽ることなく生きることがカエサルの願いだからだ』



 族長はこの男の器ならついていける、と思い、彼の前で膝をつき、服従の行動を示した。



 カエサルの寛容。彼は壮大な寛容性を掲げ、ガリリアを平定するつもりなのだ。



 執政官カエサル・フェニックスと法務官ピノキオ・コルネリウスは陣営の中でチェスを行っていた。



 カエサルは口元に手を当て、考えている。彼の額は広い。前髪の生え際は少し後退している。瞳は青。その青い瞳は常に遠くを見ているように透き通っていた。頬は少しエラが張っている。チェスの対局相手、ピノキオと容姿を比べたら、かなり見劣りした。しかし、彼が発する強い意志はアトロンに働きかけ、体の周りを青く染め上げた。



 それを目視できるものは少ない。体内に相当数のアトロンを持つものしか、目視できないからだ。しかし、ピノキオには目視できないまでも、感じることはできた。



 彼は多くの執政官を輩出した名門コルネリウス家に生まれた。容姿は銀色の短髪。整った顔立ち。青い瞳。明るい性格。そして、名門出身という気品を兼ねそなえていた。元老院、平民、ともにピノキオの言動を注視していた。彼はロマーネのアイドルなのである。



 カエサルと人気を二分するピノキオは25歳の若さで法務官に任命された。そして、元老院派に入った。



 ある日、彼はスッラに言われた。



「カエサルはわが元老院派の最大の敵になる。ピノキオ。お前はやつを監視しろ」



 カエサルは元老院派の対立派閥、平民派を率いていた。スッラは自分の地位を脅かすものはカエサルしかいない、と確信していたのだ。



 ピノキオはカエサルの行動をちくいちスッラに報告する。しかし、その報告書を何度も書いているうちに、自分がカエサルのファンになっていたことに気づいた。ガリリアでの活躍。瞬く間に仲間を増やす器の大きさ。そして、政敵であるピノキオを暖かく受け入れる寛容力。カエサルの器の大きさは、スッラを超えている、とピノキオは思っていた。



「うむ。どうしたものか」



 カエサルは腕組をした。



「カエサル殿、降参ですか?」



 ピノキオは嬉しそうに言った。



「カエサルは降参しない」



 カエサルは余裕の表情を浮かべた。チェスの戦局はカエサルに分が悪い。



 その時、カエサルの右腕、アントニアが陣営に入ってきた。とても慌てている。彼女は20代半ば。人族。美しい顔をしている。身長は180㎝もあり、カエサルと体の大きさに大差はなかった。長い髪をポ二―テールにしているが、そこに女性が追及する美は感じられない。ただ、長くなった髪が邪魔なので後ろに束ねているだけ。鍛え抜かれた身体には無数の傷が、激戦を潜り抜けた猛者であることを物語っている。特に右頬にある刀傷は彼女の美しい顔を汚すことなく、一種のタトゥーのように輝いていた。



「フラミニウス軍3個師団がハンニバルと激突。全滅しました」



「なんだと」



 ピノキオが驚いた。



「クラッススは何をしていたのだ!」



 カエサルの陣営にもクラッススが軍を率いていることは伝わっていた。



「軍を2手に分け、ハンニバルを追っていたようです。そのため、救援に遅れてしまったとのこと」



「愚かな! 私がハンニバルを侮るなと、あれほど忠告したというのに」



 ピノキオは激怒した。



「起きてしまったことは仕方ない」



 カエサルは静かに言った。



「本国から救援の要請があったのか?」



 カエサルはアントニオに聞いた。冷静だった。



「はい。至急、ロマーネに戻られたし、とのこと」



「カエサル軍は今、犬族長ウェルスとの決戦を前に陣容を固めているところだぞ! ここでキャストの地を離れては、ウェルスの思うつぼだ」



 ピノキオがアントニオに詰め寄る。



「落ち着きなさい」



 カエサルがピノキオを止めた。



「ロマーネに戻ろう」



 カエサルは言った。アントニオとピノキオが驚嘆した。



「キャストの地はどうするのですか?」



「アントニオに任せる」



 カエサルは決断が早かった。



「ここに2個師団を置く。そして、私は第10軍団とともにロマーネへ行く」



 第10軍団。カエサル直下のガリリアでその強さを知らぬものはいない、最強の師団である。



 その時、ピノキオは師団数の矛盾に気づいた。



「カエサル軍は全4個師団です。残り1個師団はどうするおつもりですか」



「ピノキオ、君に任せる」



 カエサルはチェスの続きを始めた。クイーンを手に取る。ルールを無視し、ピノキオのキングの前に置いた。



「チェックメイトだ。君なら意味がわかるだろう」



 ピノキオは理解した。ハンニバルの唯一の弱点を。ハンニバルを追いつめるすべを。




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