近代日本政治
2018
【出題意図】
問1は、授業の内容に関する文章の穴埋め。授業に毎回出席して入れば解ける問題であり、出席を確認するために出題した。問2は、語句説明。授業でやや細かく説明した用語をしっかり理解し、復習しているかを問うものであった。問3は論述。授業内容を理解した上で、それを論理的に再構成し、具体的に表現する能力を問うものであった。
【講評】
問1は全問正解者が例年より多かった。こちらが指定した条件を無視した解答や誤字といったケアレスミスも少なくなかった。試験時間が70分もあるので何度も見直すようにしてほしい。問2(1)は、文官任用令の説明。軍部大臣現役武官制と混同しているものが少なくなかった。(2)は元老の説明。西園寺公望の説明に力点をおいたものが多かったが、伊藤、黒田、山県、松方、井上、西郷、大山と明治の元老についての言及が少なかった。どちらの問題も良い面や悪い面など、多面的な説明を期待したが、一面的なものが目立った。問3は、論題を試験前から事前に公表しており、毎週の復習を怠らなければ、十分に対応できたものと思われる。レジュメは毎回事前に配布しており、受講者はいつでもダウンロードできるが、レジュメはごく簡単なものであり、授業に出ずレジュメを読んだだけでは論述に対応できない。そのため毎講義ごとに復習するよう注意した。しかし答案の中には、レジュメにある用語を並べただけで、バラバラの文章になっているものや、論理的に繋がっていないものが少なくなかった。このような答案は大きな減点対象となった。毎回の出席、復習を期待したい。論述内容は、①第一次世界大戦後の新状況に対してとった日本の対応、②満洲事変がもった様々な次元での「危機」、のどちらかを選択するものだったが、どちらもオーソドックスなテーマであり、問2同様できるだけ幅広い多面的な理解を期待した。①であれば、軍、政党、宮中、言論界、学界など様々な政治・社会集団で対応は一枚岩出なかったこと、②であれば、日本にとっての危機、中国にとっての危機、東アジアや国際社会にとっての危機、など危機を多層・多角的に考察すること(侵略と抵抗という単純な枠組みだけでは説明できないということ)がポイントであった。政治史に限らず、幅広い視野と現象の多面的理解は常に求められているはずである。今後もこうした取り組みを続けていってほしい。
2017
【出題意図】
設問1は近代日本政治史の基礎学力を確認し、設問2は簡潔かつ要点をおさえた説明能力を問い、設問3は論理的思考能力、歴史解釈のバランス感覚、歴史の多面的理解が備わっているかを見ることに出題者の意図があった。
【講評】
例年以上に設問1の全問正解者が多かった。設問2は例年と出来はほぼ変わらなかった。設問3は講義にしっかり出ていたことがみてとれる答案が多く、その点では高い学習効果が確認できた。他方で、キーワードは押さえているものの、レジュメを丸写ししているせいで、全体の文意が取れないものが散見された。講義内容を理解し、自分の言葉で、論理立てて答案を作成するよう心掛けてほしい。
2014
<出題意図>
1の語句説明では、事件や人名を誰にでも分かるように、エッセンスを捉え、それを簡潔に説明できるかどうかを求めた。
2の論述は、日中戦争が泥沼化した要因に対して、単純化せずに様々な角度から(中国の国内要因、日本の国内要因、国際的要因など)考察させることを意図して出題した。
<講評>
1の出来はそれほど悪くはなかったが、こちらの出題意図に反し、行数の指定を大幅に超えるものや、文字を小さくして大量に記述するものが多かった(減点対象とした)。
2の出来も悪くなかった。例年通り5題の論述を事前に予告して、その中から1つ出題したが、概ねしっかりと対応できていたように思われる。
奈良岡期
2015
<出題意図>
講義中に強調した重要かつオーソドックスなテーマにかかわる問題を、論述形式で出題した。(1)は、明治憲法体制の基本的特徴に関する問題である。明治憲法体制の「分権性」とは、欧米や現代日本における「三権分立」とは意味合いが異なる。戦前日本の政治体制について、内在的に理解しているかどうかを問うた問題と言える(レジュメは主に第7回を参照)。(2)は、1920-30年代の日本における政党政治の展開過程について問うたもので、標準的な問題である(主にレジュメ第11回を参照)。
<講評>
明治憲法においては、各政治機関がそれぞれ十分に連携しないまま天皇の主権行使を補佐する体制が取られ、責任や決定の所在が不明確であった。(1)では、このことについて、議会と内閣の関係が曖昧であったこと、行政権が内閣に一元化されていなかったこと、議会や内閣と対抗し得る枢密院が存在したことなど、立法府と行政府の関係を中心に説明することが求められた。採点にあたっては、史実が正確、詳細かつ論理的に説明されているかを重視した。
(2)は、1)1924-32年の政党政治の基本的特徴や展開過程、2)その中における憲政会・立憲民政党の動向について、具体的に説明できているかを採点ポイントとした。採点にあたっては、(1)と同様、史実が正確、詳細かつ論理的に説明されているかを重視した。1924年以前あるいは1932年以降の政党政治について延々と説明するなど、史実理解に大きな混乱が見られる答案も見られたが、かなり厳しく減点した。
2014
<出題意図>
問題1では、基礎的な知識の定着を確認するため、穴埋め形式で用語問題を出題した。どの用語もごく基礎的なものである。
問題2では、講義中に強調した重要かつオーソドックスなテーマにかかわる問題を、論述形式で出題した。①は、大正政変の過程や意義について問うたものである。基本的な問題であるが、いわゆる1行問題で、一切ヒントを示さなかったので、難しく感じられたかもしれない(レジュメは第7回を参照)。②は、1920-30年代の日本における二大政党政治の展開過程について問うたもので、標準的な問題である(主にレジュメ第9回を参照)。
<講評>
問題1は足切りのみに利用し、15問中正解数が7問以下の答案は採点しないのを原則とした。ただし、正解数7問以下の答案(187名中45名)にも全て目を通し、論述に見るべきところがある答案については採点し、一部は合格とした。他方で、問題1で正解数が8問以上であっても、問題2の出来が良くない答案は不合格とした。
問題2①は、1)二個師団増設問題、軍部大臣現役武官制、桂新党(立憲同志会)の結成、第一次護憲運動などに触れながら、第一次西園寺公望内閣総辞職から第三次桂太郎内閣総辞職までの過程を説明し、2)世論が政治に決定的影響力を及ぼし、その後の二大政党政治形成の契機となったという意味で画期的な事件であったことを指摘すれば良かった。採点にあたっては、史実が正確、詳細かつ論理的に説明されているかを重視した。字数の条件を満たしていない答案も採点したが、相当の減点を行った。苦し紛れからか、大正デモクラシーの説明をしている答案が相当数見られたが、当然ながらそれだけでは不十分であり、厳しく減点した。
問題2②は、1)1924-32年の二大政党や各政権の特徴、2)二大政党政治の崩壊原因について、具体的に説明できているかを採点ポイントとした。採点にあたっては、史実が正確、詳細かつ論理的に説明されているかを重視した。字数の条件を満たしていない答案も採点したが、相当の減点を行った。1924年以前あるいは1932年以降の政党政治について延々と説明するなど、史実理解に大きな混乱が見られる答案については、かなり厳しく減点した。