部活を辞めたらいいことが起こった話
どうも。初めましての方は初めまして。そうでない方は、いつもありがとうございます。
イラストは、辞めてハッピー(^ω^)というのを表しています。
あんまりねちねち書いたつもりがない話ですが、もしかしたら不快になるかもしれません。
ぶっちゃけた話…………あ、なんでもないです。気になる方は、Twitterで絡んでください。はい。
それでは、どうぞ!
高校に入学して初めての夏休み。そのラスト一週間で私は部活を辞めた。
もともと、習い事や勉強なんかの掛け持ちがありながらやっていた。それは、入部前から分かっていた。それぐらいのことは、根性で乗り切ろうと思っていた。だが、予想外のことが起こった。部活に私の居場所がなかったのだ。
私が入ったのは、ア・カペラをする部活だった。歌う曲は、バラード系ばかりではなく、流行りのものも取り入れていた。歌っている先輩がきらきら輝いていてとっても魅力的だった。私もそんなふうになりたい! そう思った。でも、いざ入ってみて、蓋を開けたら違った。きらきらじゃなくて、どろどろだった。
三年生の先輩がいたときは、よかった。みんな仲が良くてちゃんと面倒を見てくれた。でも、いなくなったら空気が変わった。
高校の部活は、先輩が後輩の面倒を見るものだと思っていた。実際、個人で高校の大会に出たときどこの学校も先輩は、後輩の面倒を見ていた。後輩は、先輩について学び、先輩は、後輩を可愛がっていた。
だが、そこは違った。先生も先輩も誰も面倒なんて見てくれない。入って右も左も分からないのに全部丸投げだ。
それでも私は頑張った。
どんな音楽も心が大切だ。心を込めたり、心を一つにして作品を作り上げる。
それぞれグループに別れて一人一パート歌う。曲を覚えることも必要だが、仲良くなるのも必要だった。少なくとも私は、みんなと仲良くなろうと努力した。努力すればみんなそれに応えてくれると思っていた。
パートは、全部で六つ。ソプラノ、アルト、テナーのコーラス。一番低い音を出すベース。曲によって、ボイスパーカッション いわゆるボイパがある。そして、メロディーを歌うリード。
頑張ったおかげで、最初の曲でリードができた。有名な青いネコ型ロボットのOP曲だ。どんな曲も私は、いつも心を込めて歌う。私自身が楽しみながら。誰が笑顔になれるように願いながら。
それなのに、皆に「声が変だ」と言われた。とても悲しかった。最初は、笑ってやり過ごしたが、何回も何回も言ってきた。
胸の奥が痛くなってその場にいたくなかった。別の部屋に行き、落ち込んでいると皆は逆ギレしてきた。そのとき思った。自分の居場所は、ここじゃないんだと。
それでも、入部する前に「ア・カペラは、グループで一人一パートでやるから三年間やり続けてね」と顧問から言われていたから辞めようとは思わなかった。
まあ、嫌なことばかりじゃなかった。楽しい思い出もあ…………いや、ないな。振り返ってもいいことはなかった。
リードができた曲は、コンテストに応募する関係でビデオを撮った。そのときも少し嫌だった。主人公(青いネコ型ロボット)役だった。女子は、私以外に二人いたがその子たちは、ヒロイン役だそうだ。へー、そうなんだー。へー……………。笑顔が若干引きつっていることに気づいくことは、大切だよ。
その後、本格的にグループが決まった。毎朝登校する子と同じクラスの子とその他もろもろの男子三人。まだ基礎がなっていないのに激ムズの曲をすることになった。これが後の辞めた理由の一つになる出来事だ。
部活中は、本当に居場所がなかった。女子は、私を含めて六人。男子は、四人。女子は、偶数だから一人になることはない。と思っていたが現実は、甘くなかった。毎朝一緒に登校する友達は、私と同じクラスの子といた。もう二人は、同じクラスということもあるせいかずっと一緒。もう一人は、不登校になり部活に来なくなった。
結果、私は、一人になった。もちろん努力はした。例えば、どんな感じになりたいとか、どんな曲を歌いたいとか。でも、反応は無反応。こんなのどう? とか聞いても無反応。そのうち、一人はしゃいで張り切っているのが馬鹿らしくなった。最初の時もそうだったようにみんな冷たい。
それなのに、こっちが引っ込んだらなぜか、別の子が待ってましたとばかりに手を挙げて発言する。すると、私の時には無反応だったくせに皆そっちについて行く。
どんな気持ちでそれを見ていいのかわかんなくなった。
個人的な大会に出るために休んだことがあった。その前日がちょうど終業式の日だった。部活で忙しかったから練習があんまりできていなくて、せめて前日ぐらいは追い込みをしようと帰ることを顧問に伝えた。
「明日、大会があるので帰ります」
「はあ?」
背筋が凍りつくとはこの事だ。とはっきりわかった。
(お前何言ってんだ?? はァ??)
という声が聞こえた気がした。
私は、前から帰ることは伝えていた。だが、その日は運悪く課題の曲ができているかチェックするテストがあった。本当は、終業式までに私だけ先に済ます予定だった。が、顧問の都合が悪くなり結局できていなかったのだ。
なんとか、帰れることになったがいまでも顧問の言葉が耳に残っている。
「努力してないとは言わないけど、努力が見えない」
それって努力してないって言っているのと一緒じゃん。本当にやりたいことをする時間を削って部活してるのに……。
次の日の大会は、うまくできなかった。実力が足りなかったのと練習不足。それだけだ。
大会の帰りの車の中で私は、お母さんに顧問の愚痴を聞いてもらった。一緒に悲しんでくれたし、怒ってくれた。少しだけ心が軽くなった。
余談なのだが、その話をした直後、調子が悪く二、三日前から熱風がでていたエアコンが嫌な音を立てた。彼は、帰らぬ人となった。
悪いものでも吸ってくれたのだろうか? それは、ありがたいがこの異常猛暑のときにエアコンがつかないなんて地獄に等しいのだが……。
今年の夏の大半は、車が地獄になった。
夏休み、七月の週は全て午前中に補習、午後に部活というスケジュールだった。別に、テストの結果が悪かったわけじゃない。私のところともう一つのクラスは大学進学のために勉強のためだ。
しかし、まあ、顧問は、馬鹿なのかあろうことか、こんなことを言っていた。
「あんたたち、全然できていないんだからせめて、午前中のうちに来て練習したらどうなの!?」
私のグループは、女子はその日全員補習があり午前から学校にいはいた。それなのに、わざわざ女子の方に向いて言ってきたのだ。言うなら男子に言ってくれ。
夏休み前のことがあり、顧問のことがますます嫌いになった。
つーか、初心者に激ムズの曲をやらすのが間違ってると思う。
結局、曲が完成しないままのひが続いた。そんなある日、入学当初から教頭直々の推薦で東京に行く期間があった。事前に、顧問から先輩や同級生に言ってもらっていた。合計四日間開けることになっていた。あまり休んではいけない空気だったので、とても気まずくなった。しかも、帰ってきた日の二日後に本番があったから、尚更心苦しかった。
東京に行っている間、別に観光していたわけじゃない。研修だ。宿泊しているところから一歩も出ず、講師の先生のありがたいお話を聞いていた。寝るのはどう頑張っても十一時から十二時。朝は、5時半起き。私は、ある程度まとまった睡眠をとらないといけない体質だった。慣れない環境でよく眠れるわけもなく、疲れの取れないまま朝を迎える。昼間は、そのせいでとても眠たい。けれど、話を聞くために寝てはいけない。
一番大変だったのは、行ったことのない東京という未知の土地に一人で行き帰ってきた。田舎育ちの私はそれだけで、とても疲れた。
それだけじゃない。帰りのバスが遅れ、私はぐったりしていた。懐かしい街を目にした途端、疲れが一気に吹き出し顔がげっそりしていくのがわかった。
お母さんから「おかえり」の次に出た言葉が「疲れてるね」って言われたのが何よりの証拠だ。
家に帰り、荷解きをして部活のグループチャットと顧問に休むことを伝えた。すると、先輩から【来い】というメッセージがきた。しかも、二人から。
次の日の朝、もう布団から体が動かなかった。結局、その日は部活に行かなかった。その日の夜。学年部長の子からグループのメンツだけのチャットグループにメッセージがきた。【うちらの曲が出来ないのは、皆が集まらないからだよ。一部が頑張っていてもダメだからさ、ちゃんと来てよ。来ないと意味無いよ】
そっか意味ないのか。その日は、精神的にも疲れていたから余計胸に刺さった。
本番の日、そこに自分の居場所がなかった。最後の写真撮影のときほかの女子は、先輩と仲良さそうに喋っていたけど私にはなかった。同級生すらその日は、私に誰も話しかけてこなかった。
お盆休みに入り、ふと立ち止まり振り返ったときに、部活という大きな足枷に気づいた。
居場所がなく、自分なりに頑張っても努力が見えないと言われるところになぜ、自分入るのだろうか。
グループに迷惑がかかる? そんなこと知ったこっちゃない。自分のやるべき事は他にある。例えば、勉強とか勉強とか勉強とか。
「先生、私、部活辞めます」
お盆明けの最初の日にそう言った。私は、そのまま帰れると思った。だが、
「じゃあ、明日はオープンスクールで忙しいし、土日は休みだから月曜日にみんなと話しましょうか」
と言われた。
心がどす黒くなるとがわかった。
(今更、何を話すのさ? だいたい、皆、グループのために辞めないでって言うに決まってるんじゃん。つか、十人以上対一人とかもはやいじめじゃん)
心では反発した。
月曜日、いつも通り発声練習をしてそのまま本題に入るのかと思った。が、顧問は、人の心が分からないようだ。気まづい話の前に、なぜか文化祭の話を持ちかけてきた。
文化祭といえば校内で自分たちの演奏を見てもらえる絶好の機会。突然盛り上がる。みんなワイワイ楽しそうにアイディアをだす。
みんなが盛り上がるにつれ、私の心は盛り下がった。
盛り上がってるなか、自分からその話を切り出すのがどんなに辛かったか。話し出した途端に重くなる空気。険しくなる顔。
その後一人一人、コメントがあった。まあ、皆「止める気は無い」とか、「悲しい」とかそんな薄っぺらい言葉を口にする。終わってからすぐに記憶から削除したからあんまり覚えていない。唯一、はっきり覚えているのは、毎朝一緒に登校していた友達だ。
それまで、俯いていたくせに自分の番になり、声をかけらると
「え? なに??」
という顔になり、続いてどういう状況なのか隣の子に聞いた。状況を把握するとわっと泣き出した。言葉をつまらせながら喋るその姿に心がすっーと冷めていった。
さっきまで何も聞いていなかったくせに。なんで泣き出すのさ? あと、そこまで仲良かったかな?
心の中で自分の声が聴こえた。
前にもその子に対して冷たい感情を持ったことがあった。「声が変だ」と言われたとき、その子だけには、嫌だったと伝えた。けれど、悪いなという顔にはなったが謝っては来なかった。
別の日、その子を待って本を立ち読みしていたとき後ろから膝カックンをしてきたのだ。やっと借りた大好きな本。ちょうど一番盛り上がるシーンでそれをされたのだ。思わず大声を出して怒った。
私は、そんなに怒るほうじゃない。友達には、いつも明るく接している。だから、向こうも驚いていた。向こうが悪いとはいえこちらも冗談に本気で怒ってしまったことに謝った。そのときも、あっちは、謝ってこなかった。
後日、その事を友達に私が異常とい感じで話していた。
これからできるだけ話したくない。そう思った。
それから、先輩からも言葉をもらったが何一つ心に届かなかった。居場所のない世界にいても心苦しいだけ。ささっとやめたい。
最後の挨拶を交わし、音楽室から出る。
出る時、ものすごく悲しくなった。それは、何があっても三年間続けるぞ! という気持ちでここに来た数ヶ月前の私を私自身で裏切ったからだ。
音楽室は、四階。階段を一段一段ゆっくり降りる。
「もうここに来ることは無いね。寂しいね」
「そうだね」
「でも、やめて正解だよ。足枷は必要ない。息苦しいところいてもきらきらした自分になれないよ」
「そうだね」
「そうだよ。どんな選択も偶然も人生の必然さ」
降りるたびに、もう一人の自分が話しかけてくる。いつも明るくて、ネガティブなことは考えない自分。
私の中には、何人も私がいる。彼女は、その中での中心人物だ。
彼女は、いつだってポジティブ思考だ。たぶん、それが私の基本的な性格。そして、周りに常に不安を持っている私や、すぐにイラつく私がいる。彼女たちは、私であって、私は、彼女たちだ。
罪悪感を持つ私が消える。入れ替わるようにポジティブな私が現れる。心の中で手を取り合う。
「さあ、前を向こう」
家に帰って、グループから退室する。ちゃんと薄っぺらいお礼のコメントを残してからね。
ふと、メールが届いているのに気づいた。そこには、前に応募した文具のプレゼント当選のお知らせの文字。
次の日、久しぶり買ったお菓子が当たりがついていた。
「ほら! 足枷が外れたらいい風が吹いてきたでしょ?」
金だと一枚でいいが、銀だった。銀だと五枚集めなくてはならない。ちょっと残念。
「細かいことはいいじゃん」
私が心の中で苦笑する。
「嫌なことは逃げてもいいんだよ。逃げれることは、逃げる。いて、楽しいことよりも苦しいことが上だったらさ、勇気を出せばいいんだよ」
心の中にいるもう一人の言葉。
「でも、これは、逃げれないから頑張らなくちゃね」
私は目の前に積み上げられた課題を見る。
「時間を戻すとか出来ないかな?」
「時計の針を反時計回りに回したら戻るよ」
「…………」
とりあえず、手の運動……じゃなかった。単語書きのプリントを手にとる。
残り期間は、一週間。それまでに終わらさなければ。
私は、手伝ってくれなさそうだ。
逃げるが勝ち。そんな言葉もあるのですから、逃げれるものは、逃げていいんです。
まあ、課題からは逃げれないので頑張りますわ。