099裏話:アドルフは二人を想う2
「ありがとうございました」
カッセード領都にあるベルブルク家の別邸。
スターチス伯爵と俺の親父殿が親しくなったことから建てられたそこに、なんのアポイントも無くやってきたヴィンリードはそう言って頭を下げた。
こいつ、確かまだコッセル村に居るはずじゃなかったか?
抜けてきたのだろうか。
魔力泉が落ち着く目途がついたのを確認して、俺は急いで帰る準備を進めていた。
急に家を空けてしまったから仕事が溜まっているだろう。
アカネ嬢に声をかける暇もなかったが、まぁ恩を売るような真似をするのは野暮というものだ。
そう思っていたのに、何でコイツが来る?
慌ただしく帰り支度をしている騎士たちに指示を飛ばし、俺は嫌な顔を作ってリードに歩み寄る。
「お前が俺に礼を言うな。お前の為に来てやったみたいだろう」
「貴方はアカネの為に来てくださった。しかし結果的に俺達が助かったのは事実ですから」
物わかりのいい言葉と素直な感謝。
他の誰に向けられても尊大な態度で返してきたのに、コイツに言われると居心地が悪い。
「しおらしい貴様は気味が悪い」
「ええ、僕もそう思いますのでそろそろやめます」
「……」
やはりコイツは嫌いだ。
「傷はいかがですか?」
「うん?ああ、知っていたのか」
「後で兵士から報告を聞きました。俺ではアカネを守るのに間に合わなかった。流石です」
一人称が変わっている。
こちらが素なのだろうか。
呟くように告げたリードはどこか気落ちしたようにも見えて、おそらく口調が乱れたことにも気付いていない。
…やりづらいな、何だこの空気は。
頭を掻きつつ言葉を探す。
「結果的にそのアカネ嬢に俺の方が命を救われたわけだから、どちらが恩人かは分からんがな」
「貴方は大切な存在を守り切った。それが全てです」
思わず口元が歪む。
図体はそれなりにでかくなっている癖に…
「…ヴィンリード、お前、何があった?」
しょげた子供のように見える、恋敵のはずの男。
せっかく諦めようとしているのに、何で優位な立場であるはずのお前がそんな状態なんだ。
「アドルフ様は…絶好調に見えますね」
「俺が不調だったことなどない」
「そうですか…アカネが落とせないと分かっても?」
「お前の歯はいつになったら服を着るという文明行為を覚えるんだ」
油断すると突き刺してくる。
こいつは薮蚊か何かだろうか。
溜息をつき、言葉に迷いながら口を開く。
「…俺は、あの時死んだと思った」
「…相当な怪我だったと聞きました」
「だが、不思議と後悔も恐怖も無かった。惚れた女を守る為に死ぬのは悪くないと思えた。そう思えるほどの相手と出会えたことに感謝すらしたよ」
ああ、何でこんなことをコイツに話してるんだろうな。
「それならせっかく拾った命だ、我武者羅にあがいてみようと…思いかけたがすぐに気が変わった」
「なぜ?」
「アカネ嬢が誰を想っているのか思い知ったからだ」
何でそれを本人に伝えてやらなければならんのか。
しかしヴィンリードは不思議そうな顔をする。
「彼の話を聞いたんですか?」
「彼?」
「アカネが想っている相手です」
…なんだ、話が食い違っている気がするな。
これだけはハッキリ言葉にしたくなかったのに…誘導しているとも思えないしややこしくなる前に言ってやるか。
「お前だろう、ヴィンリード」
「はい?」
「事が済んで、彼女が真っ先に探したのは誰の姿だと思う。お前だ。お前の姿を見た途端、彼女は安堵したように笑ったんだ。彼女が一番信頼しているのは、常に姿を探しているのはお前だ、ヴィンリード」
そうハッキリ告げてやっても、想像していたようなこ憎たらしい反応が返ってこない。
もの言いたげに唇を噛み、俯くだけだ。
これ以上何を言って慰めれば気を持ち直すんだ。
そんなことを考えてしまうような数秒の間のあと、奴はようやく口を開いた。
「それでも、違うんですよ。それだけじゃ足りない。一番の信頼を得ても、彼女の一番は他にいる」
もしその言葉が事実なら、アカネ嬢は全く悪女と言う他無い。
まぁ、どうせ何か行き違いが起きているだけなんだろうが。
これ以上首を突っ込んでやる義理は無いな。
俺はそこまでお人好しじゃない。
最後に発破かける程度にしておいてやろう。
「そうか、それなら俺にも希望があるかもしれんな。気が変わった、あがいてみるとしよう」
「…聞いてなかったんですか、彼女の一番は他に居る。その心が変わることなんてない」
「お前は予言士か何かか。拗ねるのは勝手だが自分の予測を押し付けるな。なんにせよ、まだ今は俺の恋人だ。他の男に手出しをさせるものか」
不満げな視線を向けられた。
おっと、もう一押しか。
「この件の始末にしばらく忙しくなるだろう。それが落ち着く頃…期限が来る前に、最後にデートくらい誘おうかと思う」
そう言ってから俺は踵を返し、振り返りながら最後につけたした。
「男女が二人きりで会うんだ。アカネ嬢の気が変わることになっても恨むなよ」
「当てが外れて落ち込むアドルフ様を慰める準備をしておくことにします」
ようやく生意気な言葉が聞けた。
あんなに鼻持ちならなかったはずの皮肉に安堵するとは。
自分に内心で苦笑しながら、後ろ手に手を振りその場を後にした。
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「…ヴィンリードが大喜びしそうだ」
自室のベッドに寝転がりながら額を押さえて呻いた。
湖畔の別荘のサロンで。
つい先ほどまでの光景がよみがえる。
組み伏せた腰は細かった。
いつもの明るく強気な態度が嘘のように思えるほど簡単に倒れた体は強張っていて、口は気丈を装っていたが緊張が伝わってきた。
…とはいえ、緊張してはいるものの震えてすらいなかったのだから、本当に俺を信頼しているんだな。
嬉しいような、もどかしいような…複雑な心境だ。
しかし…
「アカネ嬢には酒を飲ませすぎるなとヴィンリードに言っておいてやった方がいいかもしれんな」
序盤は良かった。
顔を赤くして陽気に酔う彼女は可愛かった。
が、ある一定ラインを超えると酔い方が変わるらしかった。
まさかもう一度からかおうとして抱き寄せようとした瞬間に、俺が脱がされそうになるとは…
『いい筋肉してますね。さすがベルブルク家ですね。いやーいいと思いますよこの胸筋。あれ、なんで避けるんです?やめろってなんで?何で嫌がるんですか?先に近寄ってきたのそっちですよね?しかもさっき私のこと押し倒したくせに、やり返されるのは嫌とか我儘じゃないですか?普段超俺様なくせに怖気づいてるんですか?私結構アドルフ様の俺様な感じ気に入ってるのに残念ですね。あっどこ行くんですか!』
以上が、彼女のカウンターを受けて俺が現場を脱出するまでに、寄越された弾丸のような言葉達だ。
恥を通り越して恐怖を感じた。
というか、俺様だと思われていたのか…
プライドが高い自覚はあるし、家に恥じない振る舞いをしているつもりだから否定はできないが…
…彼女が気に入ってるならいいか。
いや、問題はそこじゃない。
きちんと距離を取らせても、酔うとああなるのでは意味がない。
あれに恐怖を感じず好都合と考える男だって世の中にはいるのだから、まずい酔い方だ。
例のメイド達はこれも止めてくれなかった為、慌てて解散することにしたが…
まぁ、流石に他の男と飲んでいる時にはもっと気にかけてやるだろう。
メイド達にまで安全な男認定されているのは腑に落ちないが、あれでアカネ嬢はメイドに愛されているようだからそこの心配はしていない。
が、メイドがいない時に酒を飲むシーンも社交界ではあるからな。
ヴィンリードが彼女の酒癖を把握しているならいいが、先ほどは俺が動揺させてしまったせいかかなりハイペースで飲んでいたし、初めてあそこまで酔った可能性もある。
だとしたらヴィンリードに注意させた方がいいだろう。
「しかし奴は何をやってるんだ」
アカネ嬢の無防備な様子を見るに、まだ奴との仲は進展していないのだろう。
彼女はどうも自分の評価が低い所がありそうだから、ヴィンリードの方からハッキリ口にしてやらなければ…
と、そこまで考えて首を振る。
なぜ失恋直後に恋敵の心配をしてやらなければならんのか。
「…失恋、か」
そうか、俺は失恋をしたのか。
そこでようやくストンと何かが胸に落ちる気配がした。
失恋を自覚してスッキリするというのも変な話だが、これまでに経験のなかったこの状況に感情が追い付いていなかったのも事実だ。
できるなら…したくはなかったな。
それは己のプライドだけが理由ではない。
きっと自分なら彼女を幸せにできる。
そんな自負があった。
俺の予想が確かで彼女がヴィンリードを選んだとして、その恋を成就させるのは容易ではない。
奴は性格が悪いが…それを除いても大きな問題を抱えた存在だ。
おそらくあの笑みが曇る様な出来事が、いくつも起きることになるだろう。
ヴィンリードの言うようにその想う相手が他にあるなら、それはそれで問題がある。
少なくとも彼女が社交界で他に親しい男がいるとは聞かないから、だとすればその相手は平民だ。
家督を継ぐ必要のない立場とはいえ伯爵令嬢が平民に嫁ぐのは難しい。
伯爵夫妻は彼女の望みをできるだけ叶えようとするだろうが、貴族の結婚はその家だけでなく、貴族社会全体を巻き込むものだ。
スターチス家の利権を狙う他の家からの妨害は容易に予想できる。
もし…彼女の想う相手が俺だったなら…
伯爵家であれば家格としてもそう問題は無いし、そもそも親同士の仲が良く、両親はアカネ嬢の事を気に入っていた。
当家ならスターチス家の不安定になりがちな財政も支えてやれるし、彼女の膨大な魔力や抱えている秘密ごと守ってやれる。
順調に結婚への道のりが開けることが想像できた。
もし、彼女がそれを理解して、俺のアプローチを受けていたら…
早々に婚約発表の舞踏会を開いて、だが彼女は人目が苦手だそうだから小規模な内輪だけのものの方がいいだろう。
式の時には今度こそ真っ白なシャクヤクのようなドレスを仕立てさせて、俺は彼女を引き立てるようその場くらいは主役を譲ってやる。
ここでも招待客は少ない方がいいだろうが、ロイエルの領民たちには気に入られていたから、お披露目の機会くらいは作った方がいいかもしれないな。
花が好きだと言う話だから、ロイエルに一つ庭園を増設して好きにさせてもいい。
そうしたらまたきっと、あの光が散る様な笑みを浮かべるんだろう。
「…くだらん」
意味の無い夢想に気付いて首を振った。
彼女は俺を選ばず、二人の道は分かれた。
それが現実だ。
だが、せめて…
もし彼女の幸せを後押しできる機会があれば、彼女の困難を退ける機会があれば、もう一度だけ手を貸そう。
そしてそんな俺を受け入れてくれる婚約者を見つけて、精一杯その人を幸せにしよう。
月末の騎士叙勲式典前夜舞踏会には、最後にもう一度だけ彼女と踊る約束をしている。
それが最後だ。
そして俺はきっと、最後まで彼女が気に入ってると言った"俺様"な態度を崩さずにいよう。
せめて彼女の良い思い出になれるように。
そんなことを考えながら、そっと目を閉じた。
いつもご覧いただきありがとうございます。
もしアドルフとアカネが結婚したら…詰襟を着たアドルフを酔っ払ったアカネが剥きにかかるイベントがいずれ起きるでしょうね。
書けなくて残念です。




