098裏話:アドルフは二人を想う1
<Side:アドルフ>
フェリクス王子が主催する舞踏会にスターチス家の次女が来ると知ったのは当日のことだった。
顔を合わせたこともない令嬢だったが、さすがにその名前を忘れたことは無い。
アカネ・スターチス。
以前、親父殿が俺の婚約者にと話を持ってきた令嬢であり、俺が了承するより先に辞退の申し出が届いた相手だ。
断りの手紙の筆跡はシェドのもので、それだけで状況の察しはつく。
あのシスコンが方々の縁談を踏み倒して回っている噂は俺の耳にも届いていたから、なんとなくそうなる気がしていた。
とはいえ公爵家からの申し出まで断るなんて何を考えているのかと俺の方が頭を抱えたものだ。
厳しい視線にさらされるのは、その大事な妹本人だと言うのに。
しかしそのおかげでアンナ嬢の悪評が薄まったのは事実。
アカネ嬢の悪評を払ってやるのはアンナ嬢に比べれば容易い。
俺が動けば何とかなるのだから。
とはいえ彼女はまだ社交界デビューもしておらず、なかなかその機会に恵まれなかった。
それが今日、ようやく機が巡って来たらしい。
そしていざ会場でそれらしき人物を教えられて、俺は目を丸くした。
「…クライブ。まさか、あれか?」
「はい…しかしアドルフ様、ご令嬢をあれ呼ばわりはどうかと」
「すまん、予想外だったからな…」
彼女の母であるフェミーナ・スターチスは王女の中でも殊更美しいと評判だった方で、その娘であるコゼット・パラディア王子妃も目を疑うほどの美女だと聞く。
血のつながらないシェドの容姿が浮いているのは仕方ないとはいえ、彼女は血が繋がっているはずだが…
「決してお美しくないわけではありませんよ」
「ああ、そうだな」
絶世の美女とは言えないが、令嬢たちの中で見劣りする容姿というわけでもない。
シェドが築いた破談の山さえなければ、それなりに男から声のかかる令嬢だと思う。
俺の想像がフェミーナ夫人を基準にしてしまっていたのが良くなかっただけだ。
…まぁ、貴族のうちで姿の似ない子供の話などよくあること。
スターチス家にもいろいろあるのだろう。
まさか本当に血が繋がっていると思っていない俺はそんなことを考えていた。
しばらく義理の兄と思しき青年と話していた彼女は、義兄に促されてようやくこちらに気付いた。
俺の前に立った時、彼女は震えていた。
それもあって、第一印象はか弱い普通の令嬢だったのに…まさかそれが五分と経たずに覆されるとは。
「それで、シェド様は魔術の先生にも厳しい顔するんですよね」
「未婚の令嬢に男性の教師がつくとなれば無理もないだろう」
「カルバン先生にそんな気絶対ないのに。むしろ結構冷たいんですよ、私には」
「あえてそう接しているのかもしれんな。疑惑を持たれれば解雇されるだけでなく余計な追及をうける羽目になる」
「あー…わからなくはないですけど、多分あの人は素ですよ」
「だとすれば、アカネ嬢が話しやすいということだろう」
「アドルフ様にとってもそうですか?」
「そうだな。女性として扱わなくて良い」
「どういう意味ですか!」
男同士と交わすような軽口が飛び交う。
とはいえ、自分で言いつつも女性として扱わないと言うことは無い。
触れている腰も手も細く、話の内容とギャップがあるせいか特に意識してしまう。
しかし話す内容は本当に他愛もないものばかりで、お互いの腹の内を探りあうこともなければ、互いの立ち位置を意識して振舞わなければならないこともない。
こんなに気負いなく人と話したのは久しぶりだ。
家族相手ですら、両親が安心できるよう立派な嫡男として、手本となる兄として緊張を解くことが無かったから。
「冗談だ、アカネ嬢は愛らしいと思うぞ」
「さっきも聞きましたよ、それ。他に褒め方ないんですね」
怒ったような語調ながら、彼女は思わずと言った風に笑った。
ああ、この令嬢は笑うと愛らしいな。
彼女が笑うとキラキラ光が散るような感覚を覚える。
容姿の優れた女性は他にもいる。
しかし世界がそれを望んでいるかのように、彼女の美点に意識が向いてしまう。
特別良く見えているわけでもない。
ただ、普段なら見落とすかもしれないその人の魅力に気が付けるだけ。
つまり、彼女はもともとそれだけの魅力がある人なのだろう。
もっと笑顔を見たくて次々に話を振り出したのが良くなかった。
気付けば俺は、人生で初めての失態を演じていた。
出会ったばかりの女性と、二曲連続で踊ってしまうとは…
==========
「ふぅ…」
知らず溜息をついていた。
宵闇に沈む廊下の向こうに、メイドを連れた彼女が消えていく。
俺の失態をごまかすため、アカネ嬢が期間限定の恋人となることが決まったのはほんの一時間前。
しかしその判断をする時も、彼女は淡々としていた。
こうも無感動に相手をされたのは初めてだ。
色恋に疎い子供なのかと思えば、過去の体験を匂わせるようなところもあり、第一印象に反して彼女のイメージはミステリアスというものに変わっていた。
こうも気になる女性は今まで出会ったことがない。
彼女がさっきまで居た隣の空気が霧散するのすら惜しくて、俺はしばらくそこに佇んだままだった。
「アドルフ様」
少し離れて後ろをついてきていたクライブが声をかけてくる。
「…帰るか」
「ええ…変わったご令嬢でしたね」
「お前も相当な変わり者だと認識されたと思うがな」
まさかあの状況でコイツが結婚を申し出るとは思わなかった。
しかもおおよそ想像しうる限りで最悪なプロポーズだ。
「いけると思ったんですけどねぇ」
「…お前、頭は悪くないと思っていたんだがな」
「私は頭いいですよ?」
「そうか、それなら見通しが甘いんだな」
俺の返答に『酷いですね』と言いつつも表情一つ変えないクライブにため息をついた。
馬車に乗り込むと、しばらく間を置いてからクライブが口を開く。
「それで、これからどうなさるんです?」
アカネ嬢のことだろう。
「ひとまず手紙は定期的に送るとしよう。王都内や互いの領地で行われる主要な舞踏会には彼女を連れて参加する」
ひとまずそれで対面は保たれるだろう。
所詮は仮の恋人だ。
それくらいでいいはず。
それなのに。
「アドルフ様、楽しそうですね」
どういうわけだか俺は、またあの令嬢に会うのを楽しみにしているらしかった。
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取り急ぎ、翌日には手紙を書いた。
内容は恋仲らしく、相手を褒め、情を乞うようなもの。
互いに王都内にいるから、手紙のやり取りに時間はかからない。
返事はすぐに来た。
ダンスを褒める言葉が書いてあった。
そんなこと、その場では言っていなかったじゃないか。
仮にも公爵家嫡男だ。
ダンスはそれなりに訓練を積んでいるし、自信もある。
あぁでも確かにアカネ嬢と踊っていた時は、他の話ばかりをしていたからな。
そして最後の文章に、目が留まる。
『次の舞踏会でお会いできるのを楽しみにしています』
手紙に慣れていないのか、どこか固い筆跡に硬い文章。
しかし、その言葉は妙に胸に残った。
そうか、アカネ嬢も俺に会うのを楽しみにしてくれているのか。
きっとその時の俺が冷静だったなら。
もしくは他の令嬢からの手紙だったなら。
ただの社交辞令として目を滑らせて終わっただろう。
それなのにその言葉を、アカネ嬢が声に出しているのを想像しただけで、俺の眼は曇り、全身が熱くなった。
「クライブ、出かけるぞ!」
すぐさま屋敷を飛び出して、ドレスのオーダーをしに行くくらいには。
そしてそんな俺を止めてくれる者もおらず、その暴走を指摘されたのは舞踏会も終わり、彼女が王都を発った後のことだった。
「あのねぇ、アタシも確認不足だったわよ?でもまさかアドルフ様に限ってそんな迂闊な発言すると思わないじゃない?」
アカネ嬢がちょうどセルイラに着いたであろう頃。
まだ王都に滞在していた俺は、ミス・グレイと向き合って話をしていた。
…いや、正確には説教を受けていた。
もちろん、俺が紛らわしい発注をしたことについてだ。
「それは…彼女のイメージを聞かれたから、だな。ちょうど目についた花がイメージにあうと…」
「あらそう、イメージに合うからそう言ったの。真っ白なドレスが作られちゃうとは思わなかったってぇのね?ベルブルク家の嫡男様ともあろうお方が、白い花イメージのドレスが何を意味するのか分かってないなら無知がすぎるし、分かってて言ってたなら浅慮と言う他無いでしょうが」
幾分低い声で言われて、俺は口を閉ざした。
ああいや、そうだな。
言い訳をしても仕方がない。
「…悪かった」
「アタシに言わなくてもいいわ。結局ヴィンリード様のおかげで何とかなったもの」
「俺からもヴィンリードとアカネ嬢には謝罪を入れておく」
「ヴィンリード様はともかく、アカネ様にはおやめなさい。せっかく何も言わずに男を立ててくれたのよ。気遣いを指摘すればかえって失礼ってもんよ」
「立ててくれたのにこうしてわざわざ説教しに来た男がいるわけだが」
「あん?」
「…女性がいるわけだが」
凄味に負けて言い直すと、ミス・グレイは大きなため息をついた。
「アタシは親切で説教しに来てさしあげたのよ。どうやらアドルフ坊ちゃまはアカネ様のこととなると注意力散漫になるみたいだもの。そのうちまたなんかやらかすわ」
断言された。
しかし否定できる材料がない。
実際に俺はやらかしている…二度も。
だが。
「…どうかな、幾分頭は冷えた」
二度目の舞踏会で見た彼女の表情。
俺との関係を何とも思っていないような様を見れば、流石に浮かれていた足も地に降りる。
「ションボリしてる暇があんなら、ちょっとビジネスの話に耳を貸してくれないかしら」
このおと…女は感傷にも浸らせてくれないらしい。
「ビジネス?」
「例の、ヴィンリード様がやってくれたカモフラージュの話よ」
言われて、眉根に皺が寄りかかるのをぐっとこらえた。
平静を装い、無言で続きを促す。
「地獄蝶の鱗粉を使った染色法を取ったのよ。はじめて聞く方法だったけど、正直アタシも自棄だったから好きにさせてた。彼にはね、色持ちがよくなるって聞いてたの。早速アトリエに戻って実験してみたわ。そしたらね、夜になると色が変わったのよ」
…なるほど、そういう仕組みだったか。
地獄蝶は日中と夜で色が変わる性質がある。
それを利用してのことだったらしい。
アカネ嬢のドレス装飾の一部の色が変わったことは、俺だけでなく複数の貴族が気付いていたことだった。
朱色から真紅へ。
色合いとしては似通っているからそうと気付かなかった者もいるが、流行に目敏い者は彼女の衣装に注目していた。
あの色が変わった仕組みは何なのかと、俺に探りを入れてきた者もいたが、俺はとぼけるしかなかった。
てっきり魔術具の一種で、エスコートする男の瞳の色にでも変わるのかと思ったが。
…俺がエスコートを続けていたとしても、ヴィンリードの瞳の色に変わっていたわけか。
ますます鼻持ちならん奴だな。
「いくつか実験してみたけれど、染色の前に鱗粉にした処理をしておけば、かなり異なる色にも変化させられるみたいなの。こんな染色技術は聞いたこと無いわ。どうして彼がこんなことを知っていて、そして世間には公表していないのか分からないけれど…とんでもない話よ!」
「そうだな。おそらく実用化できれば貴婦人たちのドレスには軒並み採用されるようになるだろう」
「地獄蝶が狩りつくされる可能性さえあるわ」
「しかし、その経緯を知った以上、リードの介入なしにそのビジネスを後押しする気にはならん」
鼻持ちならん奴であっても、先にその技術を見つけた人間がいるのにそれを横からさらうような真似は許容できない。
この技術をヴィンリードが開発したのかは怪しいが、少なくとも今分かっている限りでの先駆者は奴となる。
しかし俺の言葉に、ミス・グレイは心外だと言わんばかりに眉を跳ね上げた。
「あら、当然よ。アタシがお願いしたいのは、ヴィンリード様に話を繋いでほしいってことと、ベルブルク家の後ろ盾よ」
「他の貴族への牽制か」
「そういうことよ」
既に色が変わった様を目撃している貴族はいる。
今後地獄蝶を使用した染色を商業化するにあたり、どこかにそれが漏れれば利権を奪われかねない。
そこで役に立つのが公爵家の威光というわけだ。
「…全てはヴィンリードの返事次第だ」
俺から話を寄こして、奴が頷くとも思えないが…
そう思いつつもヴィンリードに手紙を書くと、すぐに乗り気な返事が返ってきた。
妙に話を早く進めたがる様子で、まさか既に利権問題に巻き込まれているか、本来の発見者ともめているのではと訝しむが、そうではないらしい。
この技術を知っているのはおそらく自分だけだと嘯いていたが、だとすればどうやってこれを知ったのやら。
話を早く進めたかったのは、金が必要になりそうだからとのことだった。
ああ、そういえば今スターチス家は大変な状況だったな。
ただでさえ借金が趣味のような家ではあったが、今はカッセードの混乱が長引いている。
奴も家の為に収入を得ようとしているのだろう。
ならば仕方ない、俺も少し本腰を入れてやるか。
そうしてしばらくの間、俺はアカネ嬢だけでなくヴィンリードとも手紙を交わし続けた。
アカネ嬢は俺とヴィンリードのやり取りを知らない様子だが、まぁわざわざ言う必要もないだろう。
奴も己の金策を彼女に知られたくないかもしれんしな。
しかしある日、ヴィンリードから届いた手紙に目を通すと、その内容はいつもと随分毛色が違った。
「アドルフ様、険しいお顔をなさってどうされました」
執務室には今俺とクライブしかいない。
それもあって気を抜いてしまっていたようだ。
表情に出すとは未熟だな。
「ヴィンリード様から何か挑戦的なお手紙でも来ましたか」
「ああ、かなり挑戦的だな」
その内容は…正直あまり良くないものだった。
カッセードの状況、スターチス家の財政。
そこまで俺に明かして悪用されたらどうするのかと叱りたくなるほど詳細なレポートがあり、誰の目から見てもスターチス家の状況は悪かった。
さらに、その上でアカネ嬢がカッセードに直接乗り込むという。
アカネ嬢は状況を改善する策があるが、その策を実現するには物理的な突破力が足りない。
そしておそらく彼女はそこに気付いておらず、現地で困る羽目になるだろうと。
そうして忙しくなるから、もし俺がこのまま遠く離れた地で大人しく待っているのであればしばらく連絡が取れなくなるだろう。
…と、まぁ遠回しなようでいてどこか直接的な挑発というか要求を混ぜ込んできた。
その概要を伝えると、クライブは得心したように頷く。
「なるほど、アドルフ様」
「なんだ」
奴は相変わらずの無表情のまま、俺をじっと見た。
「ヴィンリード様から信を得られたのですね」
「……」
否定はしない。
あいつは鼻持ちならず、どうも顔を合わせれば嫌味を交わしあってしまうが、手紙で言葉を交わす限りではそう相性が悪くなかった。
奴は頭がよく、話は要領を得ていたし、こちらの立場も尊重する。
俺もその態度には誠実に応えていたつもりだ。
だからこそ、こんなどこかに漏れれば恥ともなりかねないレポートまでつけてきたのだろう。
俺ならば悪いようにはしない。
そして期待に応えると思われてのことだ。
「…クライブ、すぐに私兵を集めろ」
「かしこまりました。男同士の熱い友情ですね」
真顔でこっぱずかしいことを言うな、コイツは。
「違う。大切な恋人が危険な戦地に赴くと言うんだ。守りに行かねば男が廃るだろう」
「なるほど」
『そういう体ですね』なんて声が聞こえたのを黙殺する。
ヴィンリードの為か、アカネ嬢の為か。
正直なところ俺は、判別できずにいた。
いつもご覧いただきありがとうございます。
おや?エレーナの様子が…とかなりそうな展開ですが、別にそっちのフラグではないです。
アドルフ視点の裏話、ちょっと長くなってしまったので二つに分けました。
今日中にもう一話更新する予定です。




