097私の騎士
カデュア王都内には桜の木が多く植えられている。
セルイラより少し見ごろが遅かったこの地の桜は、騎士叙勲式が行われている今、ちょうど一斉に散っている頃だった。
王国騎士団本部も例にもれず外縁部に桜が植えられていて、花びらが舞い散る美しい景色の中、演習場に真っ白な騎士服を着た男性たちが集まっていた。
端に建てられた天幕には騎士たちの身内を含め招待客が集まっている。
平民の家族らしい人たちも多く見られた。
区画は分かれているけれど、私達もここからシェドを見守っている。
新人騎士たちは騎士団長からの訓示を聞いた後、前方中央に用意された壇上に一人ずつ登っていく。
軍事系の大臣や騎士団幹部に見守られる中、金髪の女性から一人ずつ剣を渡されていた。
年は四十に差し掛かろうというその女性は、その年を感じはしてもなお美しい。
キリリとした目じりは高い矜持を感じさせ、その振る舞いは気品に溢れて隙が無い。
まさに王家の格を表すような彼女こそ、この国の王妃エミーリア様。
私の伯母にあたるわけだけど、国王陛下以上に緊張する相手だ。
前回の謁見時に顔は合わせたけれど、それ以外であんまり話したこと無いし、こうして遠目に見る限りいかにも王妃様っぽくて私みたいな似非令嬢は無礼者!って言われちゃいそうで…
とはいえ付け焼刃の作法でたどたどしく剣を受け取る新人騎士達を平然と受け入れてるんだし、厳しいのと器が小さいのは違うかも?
叙勲式では必ず王家の誰かがこうして剣を渡し、騎士たちは王国を守る剣としての誓いを行う。
王様が出てくることはあまり多くなく、王妃様が行うことが多いらしい。
二人とも都合がつかなければ王子がしたりもするんだとか。
ついにシェドが登壇する。
人を威圧するような強面も、豪傑揃いの騎士団幹部の前に立てばいくらか和らぐ。
シェドは貴族よりも武闘派が向いてるんだよねぇ、見た目だけは。
王妃様から剣を受け取り、シェドは彼女といくつか言葉を交わす。
おそらく誓いの言葉を言っているんだろうけど、ここまで声は届かない。
剣を携え降壇する義兄をじっと見つめていると、不意に視線が絡んだ。
それまで演習場全体を睨みつけるような真顔…もとい、真剣な表情だったのに、私と目が合っただけでその口元を緩め、シェドはふわりと笑みを浮かべた。
雪解けのように緩んだその表情に、それを間近で見た平民上がりの騎士たちがにわかにざわつく。
まだ式典途中だから声こそほとんど上がらないものの、シェドの視線の先を追って天幕をチラチラ見る人も少なくない。
あーあ…『天幕に婚約者でもいたのか』って後で聞かれちゃうぞー…
貴族の中ではシェドのシスコンぶりがそこそこ知られてきているけれど、平民たちはそうじゃない。
私達のことを知らない騎士からは突っ込みを受けるだろう。
その問いかけは…
シェドにとって辛いものになったりしないだろうか。
いや、それとも…
『お前も年頃だからな、出会いを増やした方がいい』
シェドが以前口にした言葉を思い出す。
もう、私の事は吹っ切ったんだろうか。
そんなことをぼんやり考えているうちに式典が終わり、王妃様や幹部層が立ち去った後に演習場が招待客に解放される。
家族達に囲まれて改めて騎士になったことを祝われる新人騎士達。
まぁ、うちの場合は王様に言いくるめられて仕方なくみたいなところがあるから、正直お祝いムードではない。
任務遂行って感じだ。
「カッセードとセルイラのことは私に任せて、しっかり務めを果たしておいで」
「はい」
お父様のそんな言葉で一度会話が途切れ、シェドは不意に私へ視線を向ける。
「あー…アカネ」
「はい」
何か緊張しているのか。
また真顔になっていて、凄味が出てしまっている。
傍から見たら騎士が令嬢を恐喝しているように見えることだろう。
しかしすっかり慣れている私は苦笑くらいしか浮かばない。
「この本部にも小さいが庭園がある。そこは外部の人間も立ち入りを許されている場所で今日も解放されているんだ」
「へぇ、そんなところがあるんですか」
「あぁ。そう珍しい花は無いが、庭師の腕は確かだそうでな…」
「……」
えぇと、つまり見に行かないかってことかな?
遠回しだな。
何を遠慮してるんだろうか。
空気を読んだお父様とお母様が小さく笑って、シェドの肩を叩いて立ち去った。
リードは奥歯になんだか大きなものが挟まったような表情をしていたけれど、大きく溜息をついて顎をしゃくる。
行ってこいってことらしい。
「帰りに一人にするわけにはいかないから、適当に時間潰して待ってるよ」
「うん、有難う」
「…リード、すまん」
シェドの謝罪に、リードは前髪を引っ張りながらため息をつく。
「謝るようなことをアカネにするつもりなんですか?」
「いや、そんなことは…」
「それなら謝罪は不要です。どうぞ、行ってきてください」
むすっとしたリードのそんな言葉に後押しされてシェドは頷き、私の手を取った。
騎士団本部の庭園は小さな公園程度の大きさで、人気のない静かな所だった。
確かに街でよく見かけるありふれた花ばかりだけれど、どれも生き生きと咲いている。
庭師の腕が良いのは本当だろう。
専門的なことはわからないけど、きちんと手がかけられている。
思わず緩んでいたらしい私の頬に大きな手が触れる。
驚いて振り返れば、優しく微笑んでいるシェドが居た。
「シェド?」
突然どうしたのかと伺うように声をかければ、そっと手が離れていく。
「今改めて思い出した。俺は、お前のそんな笑顔を守りたいとずっと思っていたんだ」
唐突に寄こされたストレートな言葉に目を見開いた。
一拍遅れて気恥ずかしさに襲われる。
「な、なに言い出すんですか、急に。式典終わってそうそう女を口説くなんて騎士としてどうかと」
「口説いているわけではない」
天然タラシか、と思わず突っ込みたくなったけれど、シェドの目は真剣だった。
茶化せない空気に唇を閉ざす。
「…アカネ、前に…俺がおかしなことを言って、お前を怒らせたのを覚えているか?」
その言葉で思い出すのは雪の積もる街で雪だるまを作った時のことだ。
命を落としかけたアドルフ様を羨むようなことを言うシェドに私は怒り、しばらく気まずい時期があった。
「…あれは、思わず言ってしまった言葉でしょう?」
「そうだな、本意ではなかった。だが嘘でもないんだ」
そんなことを口にしたかったわけじゃない。
だけど心にもない言葉だったわけでもない。
確かにあの時のシェドは本当にアドルフ様を羨ましく思っていたんだろう。
「ずっと感じてはいたが、あの時改めて…俺はつくづく未熟なんだと思い知った。他の男と己を、どうしたって比べてしまう…女々しいと思うか?」
肯定も否定も期待していなさそうな問いかけに、私はハッキリ首を振る。
「そんなの、人間だったら当たり前じゃないですか」
私だってしょっちゅう自分と誰かを比べている。
マリーと自分、お母様と自分、お姉様と自分。
詮無いことだと思いつつも、比較しては落ち込んで立ち直ってを繰り返すのは日常茶飯事だ。
慰めではなく本心からの言葉だったけれど、シェドは自嘲するようにため息をついた。
「だが、自信の無さの表れでもある。他者と己を比較してしまうのは当然のことだとしても、そこで己を顧みて向上を望むのと他者を羨み己を蔑むのでは全く違う」
耳が痛い話だ。
人を羨んだり自己嫌悪に陥ったりしがちな私にぐさぐさ刺さる。
まさか自分の言葉が私をえぐているとは思ってもいなさそうなシェドは、真剣な表情で私に向き直った。
「こうしてお前と距離を置けるのは、おそらくいい機会なのだとも思う。俺は王国騎士団で己を磨き直す。お前の隣に立つにふさわしい男になれるように」
私はそんな決心をしてもらわないといけないほどの女じゃない。
それに、距離を置くことが正解みたいな言い方は、なんだか寂しかった。
そんな不満が漏れていたのか、シェドは宥めるように私の頭を撫でる。
「それまでは…騎士としてこの身を剣に代え、この国を守る。お前が毎日あんな笑顔を浮かべていられるように」
私を見つめるこげ茶の瞳はどこまでも優しくて、私は仕方ないなぁと不機嫌を引っ込めて苦笑を浮かべた。
「他の男性を勧めるようなこと言って来たし、もう私のことは吹っ切ったのかと思いましたけど」
「…正直、諦めようかと思った時もある」
意外にも素直に認められて、一瞬言葉を失った。
その時に抱いた感情は、寂しさと…少しの安堵。
けれどしっかりその気持ちに向き合うより先に、シェドは『だが…』と話をつづけた。
「おそらくそこで諦めれば、俺は一生己を呪いながら生きることになる。そしてお前のことも、きっと忘れられないままだ」
「…それは誰も幸せになれなさそうですね」
「だろう?」
思わずそう返すと、シェドも苦笑して同意する。
「だから、もう少しだけあがくことにした…お前に思う相手が居ることは分かっているんだが」
その言葉には曖昧な笑みを浮かべてごまかした。
肯定も否定も、今の私にはできない。
「あきらめの悪い男で済まないな」
「それは前から知ってます」
私の返答にシェドは苦笑して、演習場から聞こえた笛の音に振り返る。
「あれは?」
「召集の音だ。もう行かなければな」
新人騎士たちはここで家族たちに別れを告げ、そのまま騎士団の宿舎に入る。
会いに来ることはできないわけじゃないけど、新人は特訓漬けでしばらく忙しい日々を過ごすことになるだろう。
「私はもう少しこの庭を散策してからリードのところに戻ります…シェド様、頑張ってください」
そう笑みを浮かべて見せれば、シェドはまるで眩しいものでも見たように目を細めた。
「ああ。アカネ、元気でな」
そしてその場を後にする背中を見送り、私はしばし庭園の花を見てぼんやりしていた。
リードが待っているから早く戻らなくちゃと思うのに、足が動かない。
シェドが私を諦めようとしたと聞いた時に感じた寂しさと安堵。
そしてもう少しあがくと言われた時に覚えたのは呆れと…これもまた、安堵だった。
彼に対する感情が何なのか、未だに分からない。
けれどその答えを出す前に、シェドは騎士になってしまった。
貴族出身の騎士は家の都合をある程度考慮される。
先のカッセードのようなことがあれば、そちらの対応を優先できるだろう。
けれど逆に言えば、それほどのことが無ければ騎士としての職務を全うしなければならない。
魔物や盗賊の討伐に赴くこともあるし、ほとんど顔を合わせることはできなくなるだろう。
騎士主催の舞踏会があればエスコートするなんて言っていたけど、新人は激務に追われてほとんどそんな暇はないはずだ。
行けたとしても数年後の話だろう。
アドルフ様、そしてシェド。
数日の間に親しい人が一度に離れてしまったような感覚に、ぼんやり視界が霞みだして焦った。
まずい、こんなんじゃますますリードのところに戻れなくなる。
「お別れはすみましたか?」
「…リード」
…見られないうちに何とかしなくちゃと思ってたのに見られた。
いつの間にか背後にいたリードは、袖で強引に涙をぬぐっている私を見て苦笑した。
「目を傷めますよ」
「…ごめん」
「シェド様も厄介な相手を好きになったもんですよね。アカネ様はずっとたった一人だけが好きなのに」
シェドを憐れむようでいて自虐的なその言葉。
反射的に何かを返そうとしてしまうけれど、結局言葉は何も出てこなかった。
口を開いては閉じて、最後に唇を引き結んだ私を、リードは微笑んで眺めている。
「…俺は離れませんよ」
「え?」
「たとえ未熟だとしても。俺は絶対にアカネ様から離れませんから」
遠回しな告白みたい。
ていうかいつから聞いてたのよ。
いつもならそう茶化せるのに。
熱くなった頬の上で涙の痕が乾いていく。
…知ってるよ、前にも聞いたから。
リードは私から離れない、ずっと。
その事実は頭で反芻するごとに熱を帯びて、私の心臓をゆるゆると縛る。
まるでいつだったかの景色を上書きするように、桜吹雪の下、リードが私の手に口づけた。
跪いて私を見上げる赤い瞳は、騎士のように清廉な覚悟を孕んで見える。
それなのに別の意図を期待するような自分の体の熱が妙に俗っぽく感じて、私は後ろめたくて仕方なかった。
いつもご覧いただきありがとうございます。
アドルフ視点の裏話を挟んで五章は終わりです。




