096さよならダーリン
騎士団長様の、おそらく毎月テンプレになっているのであろう有難いご挨拶を経て、いよいよ舞踏会が開催された。
お母様達は私達より少し遅れてやってきたけれど、顔の広い二人はあっという間に人々に囲まれていなくなってしまう。
ベルブルク公爵夫妻も忙しそうだから、私達の相手をしてる暇はなさそうだなぁ。
まぁ、私とアドルフ様に関する話を聞いたらフォローしてくれるでしょ。
舞踏会とはいうものの、踊る人はそう多くない。
なんせ新たに騎士になる人たちは平民上がりの人も少なくない。
平民が腕っぷし一つで得られる唯一の爵位が騎士爵なんだ。
そういう人達は踊れないし、こういった場でのマナーも付け焼刃。
参加する貴族はいろいろと大目に見てあげるのが習わしらしい。
もちろん私も気にしない。
よっぽど失礼にあたらなきゃいいんだよ、そんなの。
アカネ・スターチスは詰襟に寛容です。
「アカネ…あまり人を凝視するな」
「おっと、失礼」
最初のワルツをシェドと踊りながらも、私は周囲の騎士に目を走らせてしまっていたようだ。
「…二曲目はアドルフ様と踊るんだったな」
「はい。その予定です」
シェドにエスコートされる、アドルフ様と一曲だけ踊る、この二つが今回のミッションだ。
「…二曲目だけだぞ」
「分かってますよ…さすがに同じ失敗を繰り返したりしません」
心外だと怒って見せるけれど、実のところ自信は無い。
夢中になると我を忘れやすい性格なのは知っているし、この前だってそんなつもりなかったんだもん。
でもさすがに今回はアドルフ様がしっかりしてくれてるだろう…多分。
「俺はこの後あいさつ回りをするが、二曲目が終わった後は絶対にリードから離れるんじゃないぞ」
シェドが周りの騎士を気にして言っているのに気づき、思わず苦笑した。
「別にほっとかれても他の騎士様にちょっかいを出したりしませんよ」
「逆だ。お前の発言を聞いていた騎士たちがどうやらお前に興味を持っている」
おや、それは気付かなかった。
「騎士様が私に無体を働くことは無いと思いますが」
近くで制服を見せてくれると言うのであれば、こちらとしてもやぶさかではない。
そんな下心でそう返すと、シェドは半眼で私を見た。
「…注目を浴びることになるし、ひっきりなしにダンスの誘いを受ける可能性があるがいいのか?」
「あ、リードから離れないようにします」
またも他の騎士を見そうになっていた自分の顔を慌てて戻す。
シェドがそろそろ私の扱い方を心得てきているようで、なんか悔しい。
「そもそもだ、今は俺と踊っているのに他の男に視線を向けるのは失礼だと思わないか」
間直にあるこげ茶の瞳を見つめて目を瞬かせた。
グイグイモードのシェドが久しぶりで、ときめくより先になんだか懐かしくなってしまう。
「妹に言うセリフじゃないですね」
「…それを言うな」
「俺の制服を見ろと言うことならば遠慮なく」
「そういう意味でもない…」
私の返しにシェドが脱力するのも久々にみる光景だ。
嬉しくなって笑みがこぼれた。
気まずい期間は辛かった。
何だかんだ言って、やっぱり私はシェドとこうしてじゃれあう時間が好きだ。
好きのベクトルは違えど好意を持っているのは同じ。
変に開いた距離感が寂しかったらしい。
「…アカネ、頼む。頼むから他の騎士と踊ることになっても笑うな」
「ええ…それはそれで失礼なのでは」
それに私の笑顔にそんな破壊力を感じるのは貴方を含めごく一部の男性だと思いますが。
無表情で踊ってたら去年のセルイラ祭と同じように遠巻きにされることになると思う。
間もなく曲が終わり、私とシェドは礼をして離れる。
体を離す間際、名残惜し気に私の手を撫でたシェドには気付かない振りをした。
「未だにシェドを惑わせているのか」
「人聞きが悪いですね」
アドルフ様はたまたま近くで踊っていたのか、すぐ背後からそんな事を囁いてきた。
「シェド、妹君を借りるぞ」
「はい」
二曲目が始まる前に、私の手をシェドから引き取ったアドルフ様は、ホールの中央へと歩いて行った。
「ちょ、そんな目立つ場所で踊るんですか?」
「堂々としていた方がいい。こそこそと踊っていてはかえっていらん邪推をされる」
なるほど。
何の憂いもなさそうに踊っている姿を見せつけて、その上で一曲踊ったらすっぱり離れる作戦ってわけだ。
私たちは手を取り合い、間もなく始まった二曲目の緩やかなメロディに体を揺らす。
「こうしていると初めて会った時の舞踏会を思い出すな」
「そうですね。あの時も二曲目でしたっけ」
「シェドは怒り狂っていたが、あの時俺たちの話が盛り上がったのは奴の話題のせいだったんだがな」
「そうでしたね。そういえばあの時話の途中になっていたシェド様と猫の話ですけど…」
「ああ、仲のいい猫がいるという話だったな」
もう半年も前の事。
カッセードの件もあってずいぶん昔の話に感じる。
せっかく恋人になったけれど、私たちはアドルフ様主催の舞踏会以来、半年もの間、一度も踊ることは無かった。
その時間を埋めるように、あの時の話の続きを持ち出して談笑する。
しかし曲が終わりに差し掛かると、アドルフ様は話を途切れさせて低い声で呟いた。
「…これで最後だ、アカネ嬢」
「…はい」
その言葉に胸が痛む私は気が多いのだろうか。
いや、きっとそうじゃない。
これからも友達のように接することができるならそれでいいんだから。
だけどそれも叶わない。
この貴族社会に男女の友情というものは一般的じゃない。
妙齢の男女が仲睦まじくしていればそういう仲だと思われる。
互いの今後の為に、距離を置かないといけない。
元恋人だった私たちはなおさら、関係が続いていると思われないように…おそらく、こうして踊るのも最後になるだろう。
今度こそ正式にアドルフ様の婚約者となる人を心配させちゃいけない。
だから、仕方ない。
「…全く…すぐ顔に出す癖を早く治せ」
「す、すみません…」
恥ずかしくなって小さくなる私に、小さな呟きが落とされた。
「あの日…おやすみと言い交して別れた時にして欲しかった表情を、今になってするのか」
それはロイエル領で過ごした夜の事を言っているのか、初めて会ったあの日のことを言っているのか。
そしてその時に…きっと今私がしているであろう、寂しげな表情を見せていたとして、何かが変わっていたのか。
私にはよく分からない。
だけど…
「なんで、笑いながら言うんですか」
シャンデリアに照らされた彼は、傲慢な笑みを浮かべていた。
見慣れたその微笑がなんだか眩しく見えて、私も寂しさを苦笑で塗り替える。
「アカネ嬢にえらそうな事を言っていて、俺が出来ていないのでは話にならないからな」
一瞬何の話か分からなくて首を傾げた。
そんな私に気付いて、アドルフ様はまた笑う。
「やはり、もう少し練習した方がいいぞ、アカネ嬢」
そう言われてふと頭をよぎったのは、出会った日の夜に言われた言葉だ。
『隠すつもりならもう少し作り笑顔を磨くことだな』
それが意味するところに気付けないほど、私は鈍くない。
曲がそこで終わったのは、私にとって幸運だっただろうか。
きっとなんて返していいか分からなかっただろうから。
曲が終わり静寂が落ちる刹那、朱色の瞳と視線が交差する。
その色が揺らいで見えたのは気のせいだろうか。
すぐに礼をとることになって、再び確かめることはできなかった。
ざわめきを取り戻すホールの中で、私たちはゆっくり手を離す。
改めて向き合った時、その瞳はまた勝ち誇る様な笑みに細められていた。
「俺ほどの男を捕まえておかなかったこと、いずれ後悔するぞ。アカネ嬢」
高らかな宣言に、思わず私の口元も緩む。
「後悔するのが楽しみなのは初めてです」
きっとそれは貴方がもっと立派になって幸せな姿を見せてくれる、そういう予言に他ならないから。
そんな日が来るのを、私はきっと心待ちにできるだろう。
三曲目が始まる前に、私達はそっと背を向けあった。
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その後、声をかけてくれた令嬢達との談笑が一区切りついたタイミングで私は会場を離れた。
同志を見つけられたのは嬉しかったけど、今はどうにもテンションが上がりきらなくて…
「そんな顔してると、どちらが失恋したのかわかりませんね」
バルコニーで涼む私に付き合ってくれながら、リードがそんなことを言う。
…どんな顔してたんだろ。
お母様たちに猫かぶりをしている時にはできる作り笑顔を、どうしてもこういう時にはできない。
「あんまり落ち込んでいる素振りを見せると、アカネ様に非があって破局したと噂されますよ」
「いいよ、アドルフ様が悪くないっていう噂になるならそれでいい」
バルコニーに預けた腕へ顔を埋めてそう返すと、少し怒ったような語調が聞こえてきた。
「…それは、アドルフ・ベルブルクを侮り過ぎです」
顔を上げてチラリと見上げれば、リードが眉根を寄せて室内を見つめていた。
視線の先を追いかければ、多くの女性に囲まれていつものように自信に満ち溢れた笑みで応対するアドルフ様がいる。
「…うん、そうだね」
私が醜聞を被らないといけないような人じゃない。
きっとそんなことをしてもかえって手を煩わせるだけだ。
彼は私の汚名をすすごうと動いてくれてしまう。
そういう人だ。
「私の方が引きずってちゃ駄目だ」
感傷に浸ったってただの自己満足だ。
アドルフ様が喜ぶこともないし、私が幸せになることもない。
ぐっと背筋を伸ばす私に、リードは表情を和らげた。
「一番の気晴らし方法をお教えしましょうか?」
「…なに?」
「体を動かすことですよ」
脳筋かな?
思わずそんな突っ込みが頭をよぎる中、差し出された手を見つめる。
骨ばったその手は、かつて私と握手を交わしたときとはすっかり変わって見える。
男の子の手じゃない。
男性の手だ。
思わずまじまじと眺める私に焦れたように、リードは私の手を強引につかんで歩き出した。
…あれ、なんかデジャヴ。
去年のセルイラ祭の舞踏会でもこんなことがあった気が…
そこまで思って血の気が引いた。
そういえば、時間的にそろそろ最後の曲じゃないの?
今回は舞踏会の趣旨上簡単な曲が多いけれど、最後の曲は決まっていて、どの舞踏会でも同じ。
舞踏自慢達の見せ場を作る為なのか知らないが、一番難しいステップの曲が流れるんだ。
それは今回だって変わりない。
「ま、待って待って、リード…様っ!無理無理無理…!」
そりゃダンスは上達してきている。
だけど最後の曲だけは別格だ。
本当に自信のある人しか踊らないんだから。
目立つしポカする気がしてならないし、私の心臓が今日一番の縮み上がりを見せる。
泣きそうな声で訴える私を振り返り、リードはとってもいい笑顔を見せた。
「感傷が跡形もなく吹き飛びそうでしょう?」
鬼かな、コイツ。
あ、魔王だったわ。
涙目の私をホールの中央へ引っ張り出し、魔王は小声でささやいた。
「大丈夫です。言ったでしょう?俺が貴女の奴隷であるうちは、惨めな思いなんてさせないから」
結論から言おう。
曲が終わった時、会場中の拍手が私たちに贈られた。
最後の曲は男性が女性を高々と抱き上げて回る、ハッキリ言ってアクロバティックな動きが多く、男女ともに技量が求められる振付だ。
女性の方も綺麗に回れるように体幹がしっかりしてないといけない。
だから最後の曲は外見も引き締まった男女が多いのだ。
動きが派手な分華やかなんだけど、当然のように私はこのダンス得意じゃない。
教わってはいるけれど、綺麗に踊れた試しが無かった。
なのにどうして拍手喝さいを浴びるほどきれいに踊れたのか。
…一つだけリードに言うなら、『風魔術ってそういうためのものじゃない』ってことだろうか。
繊細な魔術操作は流石なんだけどさぁ、魔王化するリスク冒してまですることじゃないと思うんだよね。
私も周囲に気付かれないよう魔力流すの大変だったし。
ただでさえ難しい曲なのにさぁ。
だけどお陰で確かに感傷は吹き飛んだし、正直に言えば何だかんだで楽しかった。
来る前は憂鬱だったし、さっきまで落ち込んでたのに今は自然と笑顔が出ている。
きっとこれで、アドルフ様や周囲にも引きずっていない姿を見せられたはずだ。
同じく最後の曲を踊っていたアドルフ様と目があった時には、俺様スマイルとは違う、優しい笑顔を向けてもらえた。
ありがとう、さよなら、ダーリン。
ちなみに…実はリードがアドルフ様と半年前から文通していて事業まで一緒に起こしていることを知り、『男同士ってずるい』と私が地団駄を踏むのは数日後のことだ。
仲悪そうにしてたのは何だったのよ!
いつもご覧いただきありがとうございます。
いつの間に二人が仲良くなっていたのかは章終わりの裏話にてアドルフ視点で書こうかと思ってます。
五章の本編自体は次で終わりです。




