094別れ話
別荘を出た私たちは再び馬車に揺られ、今度は東を目指している。
ロイエル領に残る大きな遺跡を見てみたいと私が話したからだ。
そこを経由して再び公爵邸に戻り、もう一晩お世話になったら王都へ出発する予定となっている。
昼前には現地についた。
森の奥、木々に飲み込まれつつある大きな石が転がる場所だった。
それらの石にはうっすら彫刻の後が見られ、形も整っていて人の手が加わっていることがわかる。
ここは大昔に神が住んでいたとされる場所だ。
神殿ってやつだろうか。
神聖な場所であるはずなのに、こうして森と一体化してしまっている。
人が管理をしていない証拠だ。
かといって土地の管理者であるベルブルク公爵家を責めるわけにもいかない。
この世界の各地にあるこうした神様の住居跡地はほとんどこんな感じらしい。
神様の信仰が篤いわけでもないこの国で、そこに手をかけろというのが無理な話。
だってそれぞれの遺跡に名前さえついていないのだから。
強いていうならロイエル領にあるからロイエル神殿遺跡とか?
遺跡までの道が整えられているだけ、ここはかなりマシ部類だろう。
長い年月ずっとそこに佇んでいたのであろう、柱のようなその石にそっと手を触れてみた瞬間、頭がひと際ズキリと痛んだ。
…意味ありげなタイミングだけど、もともと二日酔いで痛む頭では判断がつかない。
とりあえず神様が現れて何か語りかけてくると言うことは無かったので、そういう王道展開に縁がないことだけは確かなようだ。
草木に飲み込まれたその場所に生活感などあるはずもなく、本当に神様がそこに居たのか私にはわかりそうにない。
「アドルフ様は神様の存在を信じてますか?」
思わずそう尋ねていた。
唐突な問いかけだったけれど、アドルフ様は馬鹿にするでもなく、私の隣にたって神殿の大きな瓦礫を見上げながら口を開く。
「…アカネ嬢は神をどう思う?」
問いを問いで返された。
だけどそれは話を濁すと言うより、そのスタンスを聞かないと話がしづらいという意図を感じたので素直に答える。
「いるのかいないのか半信半疑です。すみません」
もとの世界では正直そんなに信じてなかった。
でもこの世界はファンタジーだ。
神様が残したとされる不思議な魔術具もたくさんあるし…
だけどあんまり神様って信仰されてないんだよね。
神様の逸話があるわりに、世界の主要な宗教は精霊信仰。
パラディアの結婚式が精霊に愛を誓うものなのがいい例だ。
「謝る必要は無い。多くの人間がそうだろう。そうでなければ神を祀る神殿がこうも失われてはいない」
「そう、この世界って何故か精霊信仰が強いですよね」
「他の世界を知っているような口ぶりだな」
おっと。
「精霊信仰が強くなったのは実利があるせいだ。精霊は直接力を貸してくれるからな」
「えっ、精霊って実在するんですか?」
「存在を疑う者の前には現れないと聞く」
「……」
私みたいなやつですね、分かります。
「精霊は実在する。俺も見たことがあるからな。信じる者に対して力を貸すのもどうやら事実らしい。その力は生活にも戦にも役立つ。信仰が広まるのも当然だ」
信じた恩恵が実際に感じられるなら、そりゃ確かに広まるだろうな。
でもそれなら…神様を信じる恩恵は無かったってことなんだろうか。
少なくともその存在について語る人を私は見たことがない。
「もし神様が本当にいるなら…今どうしてるんでしょうね」
魔物が溢れるこの世界をどう思ってるんだろう。
魔の五十年間、苦しみにあえぐ人々をどうして助けてくれなかったのか。
それとも今まさに魔物を抑えるべく頑張ってくれてる?
もしくは魔物も等しく愛していて、これも自然の摂理って考えてたんだろうか。
無神論者に近かった私ですら、この世界でこういう神殿を見ると、厳かな気持ちでそんなことを考えてしまう。
「神は実在する…いや、もしかしたら今は居ないかもしれないが、かつてここに居たのは事実。俺はそう思っている」
そう語るアドルフ様は何か思い悩むような表情で、その根拠を問える雰囲気では無かった。
かつてここに居たけど、今は居ないかもしれない…
だとしたら、一体どこに行ったんだろう。
「あのぅ、アカネ様ぁ…そろそろいきませんか?ここ虫が多くって」
そんな弱音を吐いたのはエレーナだ。
虫よけのハーブで編んだブレスレットをつけてはいても限界がある。
私もちょっと顔の周りを飛び交う虫は気になっていた。
…まぁね、遺跡とか普通の令嬢が行きたがる所じゃないし、森の中で虫に出てくるなという方が無理な話。
「そうだね、帰ろうか。アドルフ様、有難うございました」
「ああ」
アドルフ様が私の手を引きつつ道に差し掛かる草や枝を払ってくれる。
こんな場所にもかかわらずエスコートは完璧だ。
感心しながら歩いていると、不意にアドルフ様が動きを止めた。
「どうかされました?」
「…ミサンガが」
「え?」
私から一度手を離し、アドルフ様は屈んで何かを拾い上げた。
見覚えのある配色の帯。
私があげたミサンガだ。
結び目の近くからぶっつり切れてしまっている。
「さきほど枝に引っかかったはずみで切れたらしいな」
「あ、大丈夫ですか?怪我とか…」
「問題ない」
ミサンガを切っちゃうくらいの枝だ。
ちらりと見えたアドルフ様の手首には赤い筋が見えた。
ちょっと切れてるように見えるけど…
問題ないと言っているのにあんまり突っ込むのも野暮だろう。
それにアドルフ様は機嫌良さそうに笑っている。
「これで願いが叶うんだろう?」
この人、本当に信じてるのかな。
意外と素直で可愛いところがあるようだ。
それにしても、この場合はどうなんだろう。
自然に切れた場合に願いが叶う、ハサミとかで人為的に切るのはアウトって聞くけど。
…でもまぁ、こんな嬉しそうにしている相手に水を差すようなことは言えない。
「そうですね。叶いますよ、きっと」
アドルフ様が何を願ったか分からないけど…
少なくとも何かしらの幸運がこの人に訪れればいいな。
「しかし、切れるのが目的であるものとはいえ、せっかく貰ったものが壊れるのは忍びないな」
「あはは、幸運と引き換えだと思ってあきらめてください」
「それもそうか」
==========
その日の晩。
公爵邸のサロンで、私たちは再び晩酌をしていた。
そう、また呼び出されたのだ。
この屋敷には公爵たちの目もある。
また昨晩みたいに暴走することはお互い無いだろうと判断して付き合うことにした。
ただし、『アカネ嬢はこれだ』と言って渡されたのはぶどうジュースだった。
…えっと、また二日酔いになるといけないからだよね。
いやぁ私の恋人は優しいナー。
そんなわけで片やワイン、片やジュースを傾けながら静かな夜を過ごしていた。
高台にある公爵邸のサロンからは街並みが見下ろせる。
現代日本と違って夜間の明かりは少ないけれど、その分星空と街並みが同時に見えてなかなか綺麗だ。
じきに日付も変わるであろう時間になると、旅疲れもあってか瞼が重くなってくる。
カクンと首が傾いたのにハッと気づき頭を振る私を見て、アドルフ様が小さく笑う。
「眠そうだな。疲れたんだろう」
「あはは、今日は遺跡まで行きましたしね。ちょっとはしゃぎすぎました」
うたた寝しかけた私にも、怒るでもなく気遣ってくれる。
本当にできた人だ。
私にはもったいない恋人だった。
もうすぐ日付が変わる。
壁にかかった時計は今日が残り五分も無いことを教えてくれていた。
この分針が十二時を指す瞬間が、恋人ごっこ終わりの合図だ。
それなら最後に、きちんとお礼を伝えたい。
「アドルフ様」
「ん?」
「今日まで、本当にありがとうございました」
ペコリと頭を下げ、そのまま言葉を続ける。
「私は…認めたくないところですが、貴族令嬢らしくないところがたくさんあったと思います。うまく男性を立てられないし、筆不精だし…いい恋人じゃなかったと思うのに、アドルフ様はいつも私に歩幅を合わせて大切に扱ってくれて。プレゼントだけじゃなくて、かけてもらった言葉も優しいエスコートも、本当にうれしかった」
声が震える。
あれ、私何で泣きそうなんだろう。
驚いて顔を上げると、私の顔を見てアドルフ様も驚いたような表情をしていた。
言葉を止めることもできなくて、そのまま最後まで伝えたいことを言いきる。
「デートも本当に楽しかったです。ありがとうございました」
そう呟いた拍子に頬を涙が伝う気配がした。
アドルフ様は目を見開いたまま、私の頬を指先でぬぐってくれる。
「…なぜ泣いてるんだ」
なぜ、何故なんだろう。
二人してポカして恋人ごっこをすることになって。
形だけだって思ってたのに、思ったより純粋なアドルフ様がなんか本気っぽくて戸惑って。
だけど私に恋人らしさを無理強いすることなく、今回のデートだって私を楽しませるためだけに動いてくれていた。
…あ、そっか。
「嬉しいみたいです」
「嬉しい?」
注いでくれたのと同じだけの愛情を返せない不甲斐なさ。
涙の理由にはきっとそれもある。
だけど一番は嬉しかったんだ。
生まれて初めての恋人。
その関係は仮初のもので、互いの気持ちが通じ合ったものじゃなかった。
だけど私はそんな恋人にとても大切にしてもらえた。
それが嬉しかったということだけを伝えられればそれでいい。
「優しい恋人に恵まれたなって。この半年間、アドルフ様と過ごした時間は少しでしたけど、その間はずっと楽しかった」
そう答えると、アドルフ様は息を呑み…なぜだか彼まで泣きそうに微笑んだ。
「アドルフ様?」
「…本当だったな」
「え?」
「願いがかなった」
願い…
ミサンガの話だろうか。
結局アドルフ様が何を願ったのか、私は知らなかった。
それが、今『叶った』と言ったのは?
「俺が何を願ったか知りたいか?」
「は、はい」
「アカネ嬢を泣かせたかったんだ」
「え」
俺様属性にドS属性まで追加されたの?
どっかの魔王様じゃないんだからそんな属性付与しまくらなくても。
だけど、混乱する私に小さく笑って、答え合わせをするようにアドルフ様は優しく言葉を足した。
「今度は、嬉し涙を流させたかった」
目を瞬かせる。
「今度…?」
「カッセードではあまりに悲壮な泣き方をさせてしまったからな。まぁ、あの涙も俺の為と思えば悪くなかったが…惚れた女を泣かせるなら、嬉しいものの方がいいだろう」
涙で熱くなっていた頭が、冷える前に再燃する。
「かっこよすぎます」
「今更惚れても遅いぞ。もう契約は終わりだ」
その言葉に驚いて時計を見ると、ちょうど全ての針が頂点を通り過ぎたところだった。
「さて、手のかかる恋人が居なくなったことだし、本格的に婚約者探しをするとしようかな」
不敵な笑みを浮かべるアドルフ様に、私は目じりの濡れた感覚を無視してくしゃりと笑った。
「別れたそばから次の女の話をするなんて酷い人ですね」
こうして私は、人生初の彼氏との別れ話を終えた。
==========
黒い渦が私を取り巻いている。
質量とは異なる膨大な圧を持つその中から一つ、私の目の前に飛び出してきた。
それを覗き込むと、人の影が見えた。
誰かが泣いている。
その嘆きは誰に向けたものでもなく、その慟哭は誰に聞かれることも無い。
『私は近いうちに消えてしまう』
その人は男にも見えたし女にも見えた。
老人にも見えたし若者にも見えた。
不思議な雰囲気をまとうその人を、私は見たことが無いはずなのに、何故だかとても懐かしく感じた。
『どうして彼らは忘れてしまうのだろう』
忘れていない、と叫びたかった。
だけどその声はあまりに小さい。
この人を繋ぎとめるには足りない。
『愚かで愛しい子供たち。君たちは血を流す未来を選ぶしかない』
そんな悲痛な呟きが、世界に吸い込まれていった。
「アカネ」
きっとこの世界で一番耳になじんでいるであろう声が聞こえて、私の意識はそれから引きはがされた。
「アカネ」
「ん…」
目を開くと、そこは見慣れない寝室だった。
公爵邸の客間だと思い出すのに少しだけかかる。
ヘアバンドがいつの間にか外されていて、私の上体は起こされ、誰かに抱きしめられている。
…いつも通りの状態だ。
誰かなんて考えるまでも無い。
「リード」
「はい」
「…なんでここに居るの?」
そう、ここは公爵邸。
いまはアドルフ様と別れ話をした後遅い眠りについた夜だ。
時計の針は三時を示している。
先ほどまで自分がまた何か夢を見ていた記憶はある。
うまく思い出せないけれど、真っ黒な夢に似ているようで少し違うし、歴代魔王の夢とも違う様に思えた。
とはいえ普通の夢だとも思えない。
そしてリードがこうしてここにいるのなら、やっぱりまた"何か"と繋がっていたのだろう。
それはそれとして、再度言うがここは公爵邸。
ここはロイエル領で、リードはセルイラ領にいたはずなのだ。
私がたとえ悪夢にうなされていたとして、いつもそこから引き戻してくれるのがリードなのだとして、今回はどうしようもないはずだった。
しかし私の問いかけに、リードは体を離して心外だと言うような顔を見せた。
「俺はアカネ様の奴隷ですよ?」
「あんた最近答えに困ったらとりあえずそれ言っとけばいいと思ってない?」
まぁ、あらかたまた勝手に魔物を作って私が悪夢を見ていないか検知できるようにしたりしたんだろう。
移動に関しては今更だ。
だって魔王だもの。
それこそすぐに私のそばに転移できるような何かまで作っているのかもしれない。
だって魔王だもの。
多分翌朝目を覚ましたらこの屋敷のどこにもリードはいないんだろう。
だって魔王だもの。
…おかしいな、エレーナの妄想って意外と現実のものになるのでは?
デートの邪魔するのなんて朝飯前じゃない?
さすがに空気読んでやらなかったみたいだけど。
自分で考えて思わず脱力した。
その力の抜けた体は再びリードに抱きしめられる。
悪夢の恐怖感は早くも薄れていたので抱きしめてくれなくても良かったんだけど、まぁいいかと好きにさせた。
それに気を良くしたらしいリードの腕に力がこめられるのを感じながら、再び目を閉じる。
さっきの夢はなんだったんだろう。
今日遺跡に行った時に感じた頭痛がこの予兆なのだとしたら…
あの不思議な人物は、ひょっとして神様?
…いやいや、まさか…いやでもこの世界だし。
だけどそういえば、アドルフ様の双子の妹に言われた言葉にも"神"ってフレーズが入っていたはず。
ああそういえば、運命を変えたければ勇者に会えって言われたんだったな。
ベオトラに会おうにもどこにいるか分からない。
ファリオンのことだとしたら…彼に会ったところでどうしろっていうんだろう。
彼は私とこれ以上交流することを拒絶していたのに。
それにシルバーウルフ盗賊団にいるわけだから、そう簡単に居所を掴めるわけでもない。
それに、勇者に会うことで一体なんの運命が変わるというのか。
既にこの世界は私の知っている運命とは違う方向に進んでいるのに。
アドルフ様が言っていたように時が来れば分かるのかな。
そんな身も蓋も無い結論を出した私は、リードのぬくもりを感じながら微睡みの世界にまた身を投じるのだった。
いつもご覧いただきありがとうございます。




