083笑顔を守る
<Side:ヴィンリード>
夕食後、俺がノックしたのはシェディオンの部屋の扉だった。
明日は早くに出発するから本当は俺もさっさと寝ないといけない。
だけどその前に一仕事済ませておくことにする。
ちょうど世話役のメイド達が離れたタイミングを見計らったから、人払いの必要は無いはずだ。
「入れ」
その声に応じて入室すると、ベッドの上で上体を起こしていた彼は少し驚いたようだった。
「リードか。どうした?」
「少し用事がありまして」
「用事?」
ベッドの脇に置かれた椅子に腰かけると、シェディオンは訝しげな表情をしつつも口を開いた。
「申し開きに来たのか?」
「申し開き?」
やましいことなどないが。
今度はこちらが驚いていると、強面がずいっと近づいてくる。
「アドルフ様とアカネのことだ」
「…ああ」
つまり、何でお前がついていながらこんなことになってんだって話か。
「アカネのうっかりとトラブル体質にまで責任持てませんよ」
「お前はそれでいいのか」
思わず眉を跳ね上げる。
おっと、もしかして俺の気持ちを慮って話を振ってくれたのか?
シェディオンは俺がアカネを好きだと思ってるからな。
…今となっては間違っていないんだが。
とはいえ。
「僕はアカネが幸せであればそれでいいんです」
「…アカネと何があった?」
物凄く胡散臭そうな顔をされた。
失礼だな。
「距離を詰めればアカネが戸惑う。僕はアカネが遠慮なく頼れる存在でありたい」
「……」
あ、しまった。
シェディオンが難しい顔をして黙り込むのを見て気付く。
意図せずして責めるような言葉になっていた。
「すみません、含むところは無かったんですが」
「分かっている。それより、お前はアカネへの想いを自覚したのか」
「否定はしません」
「…辛くは無いか」
ああ、またか。
心配げな表情。
それが恋敵にむける顔かよ。
本当にこの義兄はお人好しだ。
最初は警戒していたくせに、一度懐に入れた相手にはどこまでも甘いらしい。
辛いか辛くないかと聞かれれば。
…辛いに決まっている。
あの夜。
アカネに聞かれた言葉を何度頭の中で繰り返しただろうか。
『リードは私に、何を求めてるの?』
酷く痛い問いだった。
まるで当初アカネに近づいた目的から、最近の幼稚な独占欲まで、全て見透かされたようだった。
きっとそうじゃない。
幼稚な独占欲を持て余すあまりに暴走していた最近の俺の態度を受けて、アカネはどうしたらいいか分からなくなったんだろう。
アカネは俺を信用している。
依存に近いと言ってもいい。
これはうぬぼれじゃない。
アカネが異世界の人間であること、強大な魔力の弊害として異常な悪夢に悩まされていること。
これだけの大きな秘密を打ち明けている相手が俺だけなんだ。
寄りかかるようになるのも無理もない。
そして仮とは言え魔王になった俺はそれを受け止められるだけの力がある。
一番近い場所にいるのは俺だと思っていた。
だけどそれはうぬぼれだった。
何の因果か、それともこれが運命ってやつなのか。
シルバーウルフ盗賊団にいるファリオンとアカネが出会ってしまった。
でっかい盗賊団の下っ端の一人と、伯爵令嬢だぞ?
普通出会うことなんてないだろ。
ってことはやっぱり、運命なんだろうか。
運命にせよ偶然にせよ、あの時からアカネの態度はおかしくなった。
俺への態度がよそよそしくなったのは他でもない、ファリオンと出会ったせいだろう。
とはいえ実際に会ったファリオンは、アカネが好きだと語っていた本の中の人物とはまるで違ったはずだ。
…俺は、ファリオンが記憶を失っていることを知っていた。
当然だ。
奴が記憶を無くしているのは俺のせいなのだから。
もちろんアカネはそんなこと知らないはずだが、まるで察しているかのように俺への態度が硬化した。
ファリオンが盗賊団にいると知っていて黙っていたことに怒っているのかとも思ったが、どうも怒りでは済まされない思いを持たれてしまったらしい。
悪夢の時にすら縋らず、接し方に迷っているような様子を見て俺は悟った。
どうしたってアカネはファリオンに惹かれるんだと。
本の中とは違うのに。
その容姿か、それともファリオンという事実が大切なのか。
なんにせよアカネの心は覆しようがないほどファリオンにあるらしい。
俺の想いには応えられない。
だけど悪夢のことなんかでどうしても俺に頼らないといけないことがある。
そりゃどう接していいか分からなくなるはずだ。
何を求めているのかと聞いたアカネは、一体どんな気持ちでそんな問いかけを口にしたんだろう。
自分の想いに蓋をしてでも、俺の望みに応えようとしたんだろうか。
俺を頼る代償に。
せめて俺ができることは、そのしがらみをリセットしてやることだけだった。
俺は奴隷。
その線を越えない代わりにずっと側にいる。
俺の手で守ってやる。
それでいい。
それこそ俺の望みだったんだから。
命令されるのが当たり前の存在になる。
それが精いっぱいの俺の譲歩で、愛情表現だった。
だから、俺は笑みを作る。
「僕はアカネの願いを叶え続ける存在になる」
そしてシェディオンに向かって手をかざした。
「?なにを…」
「じっとしていてください」
手のひらから零れ落ちる魔力が光をまとい、シェディオンの体を包み込んだ。
身構えていたシェディオンはすぐに体の異変が悪いものではないと気付いたようで、その力を抜いて目を見張っている。
「…これは…」
「…いかがですか?」
「痛みが全くない。しかも…」
「包帯を取らせていただいても?」
「…ああ」
厳重に覆われていた包帯を解くと、擦り傷ひとつない綺麗な左腕が見えた。
ずらした眼帯からも、濁りのない濃茶の瞳が眩し気に細められている。
「信じられん…お前がアカネ同様全属性の魔術を使えることも、光魔術…とくに治癒魔術の腕が高いことも知っていたが…あの治癒術士より上だとは」
シェディオンは仮にも領主。
手配できる範囲で最も能力のある治癒術士に治療を頼んだだろう。
それでも大きくえぐれた腕や失った眼球を再生させることはできなかったようだ。
「昔から治癒魔術は得意だったんです」
「リード、感謝する…とは言えだな…さんざんアカネのことを言っていたが、お前も気をつけろ。これほどの力を知られれば周りが放っておかないぞ」
「承知しています。僕がこの力を使うのはアカネの為だけですよ」
「…俺を治したのもか」
「貴方が元気でいないと、アカネが悲しむので」
俺の返事に、シェディオンはしばし考え込むそぶりをした。
「ヴィンリード」
席を立とうとする俺に、声がかかる。
「俺に勝ち目はあると思うか」
勝ち目。
それはアカネが恋い慕う相手を恋敵と思ってのことだろう。
シェディオンはアカネに好きな人がいることを知っているが、その人物と出会いを果たしたことまでは知らない。
だというのにこんな問いをしてくるなんて、何か思うところがあったのだろうか。
「…残念ながら、無いかもしれませんね。シェディオン様にも、俺にも」
俺は緩く微笑んで答え、部屋を後にする。
「…"俺にも"?」
シェディオンのそんな呟きは聞こえなかった。
それどころじゃなかったからだ。
「…くそ、心臓が全身を駆け巡ってるみてーだ」
歯噛みして足早に廊下を進む。
シェディオンの怪我は酷く、思ったより魔力を消費してしまった。
幾度か魔術を使って分かったことがある。
多くの魔力を使うほど、魔王の魂が覚醒しようとする力が強くなる。
魔力消費の多い魔術を使うほど、意識が持っていかれそうになる。
とはいえ中程度の魔術を使用しても、そのまま放置して収まるわけではない。
変わるのは長時間耐えられるかどうかだけだ。
アカネ曰く、魔王としての覚醒が本当に切羽詰まっている時は、俺の周囲の音や色がおかしくなるのだという。
俺に自覚は無いから具体的に何が起きているのか分からないが…
だからこそアカネ以外の人物が近くにいるところで大きな魔術を使うのは避けていた。
今回もそこまで魔力を持っていかれないと思っていたのに。
まぁ、シェディオンの反応を見るに、周りに影響が出るほどまではいっていないんだろう。
でも早くアカネの魔力を流してもらわないと、このままじゃまずい。
こりゃ歴代の魔王があっという間に覚醒していったわけだ。
俺は奇跡的に近くにアカネという存在がいた。
だから魔王としての力は中途半端な状態だが、強力な力を自分の意志の下で使用できる。
しかし、アカネが近くにいなければ…
安易に魔術を使用して、あっという間に魔王の魂に飲み込まれていただろう。
本当に何なんだろうな、この仕組みは。
マリエル・アルガントと同じ魔力を持つアカネ。
つまりマリエル・アルガントも魔王を鎮める力があると思われる。
全属性が均等にまじりあった魔力の性質なんて、おそらく世界に俺達くらいだ。
俺はもともと二つの属性しか使えなかった。
この魔力比になったのは魔王の魂を受け入れてからだ。
迷宮にとらわれていたマリエル・アルガントも、とらわれる前と後では魔力の質が変わったと聞く。
これは偶然じゃないだろう。
一体どうして…
ああいや、めんどうくさい。
全部壊してしまえば何も考えなくて済むのに…
「…やべ」
意識が飛びかけてた。
目的の部屋の前に来ていたことに気付き、手荒くノックをする。
「はい?」
返事をしたのはアカネだった。
すでにティナとエレーナは下がっているのか、部屋の中には一人の気配しかない。
「俺だ」
「…リード?」
ガチャリと鍵が開けられる音が聞こえ、ドアが開くのを待つ余裕もなく乱暴に開け放った。
「わっ」
目を丸くしているアカネの姿を見つけ、すぐさまその腰を抱き寄せて掻き抱く。
「ひゃっ…ちょ!?」
「アカネ、疲れた」
早口でその言葉だけを告げると、息を呑むような音が聞こえて間もなく魔力が流れ込んでくる。
戸惑ったように回される腕。
触れ合ったところ全てから伝わる魔力が優しく全身を撫でていく。
ぬるま湯に浸かった時のような感覚に、目を閉じた。
どれくらいそうしていただろうか。
「あ、あの…リード?大丈夫?」
アカネにそう声をかけられるまで、俺は微睡んでいたようにも思う。
力の抜けかけた俺を支えるのが大変だったのか、アカネはふらついていた。
「あぁ、すみません。大丈夫です」
慌てて体を起こし、きつく抱きしめていた腕を解いた。
背後を見れば、一応ドアは閉まっている。
良かった、誰かに見られていることは無さそうだ。
しかし安堵して視線を前に戻すと…真っ赤なアカネが俯いていた。
…やっちまった。
切羽詰まってたとはいえこういうことを無くすために奴隷としての線引きをしたのに。
「り、リード…さっき…」
言いにくそうにアカネが口を開く。
さっき?
思い返すと、抱きしめる以外にも失態をおかしていた。
「あ、すみません。呼び捨てにしました」
「…いや、謝らなくていいんだけど…」
何か言いたげに視線を彷徨わせたアカネは、思い直したように言葉を止めた。
「それより、何があったの?魔術使ったんでしょ?」
「ああ…ちょっとシェディオン様を治療してきました」
俺の回答にアカネは目を見開いた。
「治療!?治せたの!?」
「はい。痕も無く。あ、いや…もともと顔にあった傷は残ってるんですが」
「それは仕方ないよ。時間たってるし。だけどそれ以外は治ったってことは…つまり、元通りの生活ができるってことでしょ!?」
「まぁ、そうですね」
「っ…ありがとうリード!」
感極まったように抱き着いてくる小さな体。
アカネからって…久しぶりだな。
最近特に柔らかくなってきた感触に何とも言えない気分になりながら、それを受け止める。
手は背中に回さない。
ただ支えているだけだと言うのを示すために肩に添える。
…さっきやらかした後だから今更だろうけど。
その状態に違和感を覚えたのか、アカネは不思議そうな表情で顔を上げ、ハッと気付いたように体を離した。
「で、でもそれなら私も一緒に連れて行ってくれたらよかったのに」
そうすればすぐに魔力を流してもらえるから、こんな危険を冒さずに済んだ。
それは俺も思ったけど、正直治せる確証が無かったんだよな。
そこそこの腕がある治癒術士も無理だったって話だし。
期待だけ持たせて『やっぱ無理でした』ってのはしたくなかった。
こうしてすぐに会いにくれば大丈夫だろうとも思っていたし。
「すみません、シェディオン様と二人で話したいこともあったもので」
「ふーん…でも魔王覚醒したら大変なんだから気を付けてよね」
問題児を見るような目をされた。
アカネにだけは言われたくない。
こんな返しをすれば喧嘩になるだろうけど。
「まぁそれでも…ありがとね、リード」
「…はい」
興奮気味に治癒魔術のコツを聞いてくるアカネは、ひょっとして明日からの遠征で治癒魔術を使うつもりなんだろうか。
また暴走したら大変なことになりそうだから、やめておいた方がいいんじゃねーかなー…
しかし張り切った笑顔を見ていると水を差すようなことも言えない。
…まぁいい。
何か起きても俺が絶対なんとかしてやる。
何はともあれ…シェディオンの負傷を知ってからずっと曇りがちだったアカネの表情が明るくなって良かった。
この笑顔を守れるならそれでいい。
その為に、誰より頼りにされる存在になる。
それ以上を望んだりしない。
…そんな誓いがどうしようもなく脆いことを知っている俺は、腕を伸ばしそうになる衝動を堪えるように、また後ろで手を組んだ。
いつもご覧いただきありがとうございます。




