072パパッと回収
狭い裏路地。
その頭上で、見えない床があるように真っすぐ立ってこちらを見下ろす人影。
煤けたローブ。
闇夜に浮かぶ金色の瞳。
「…マリー!」
思わずあだ名のまま呼んでしまった。
けれどマリーは嫌そうな顔もせず、どこか嬉しそうに口元を緩める。
「ほらな、忘れられてたわけでも嫌われてたわけでもなかっただろ」
そんな言葉が聞こえてきたのは、私の真横。
「わっ」
「よう、久しぶりアカネ。いや、アカネ伯爵令嬢、か」
片手を上げて意地悪く笑うエルマン。
いつの間にこんなところに?
忍者かな?
なんにせよ、その忍者に私の正体はばっちりバレているようだ。
「あんたさー、この前マリエルのこと盛大に無視ってくれちゃっただろ。あの後なだめんの大変だったんだぞ」
「う、そ、その節は…」
「その話はあと。アカネ、怪我はない?」
私の側に降り立ったマリーは、油断なく男たちを見渡しながらそう問いかける。
「う、うん。ありがとう。でもどうしてここに…」
「さっき冒険者ギルドに行ったら、職員に相談されたんだよ。スターチス家のご令嬢が一人で夜遊び中だってな」
「う…」
一人だってばれてる。
さらに、エルマンとマリーにスターチス家の令嬢だってことまでばれた…
「言っとくけど、あんたが伯爵令嬢なのは最初に会った時から俺は気付いてたぜ?」
「えっ、なんで!?」
「アカネ、今はそれどころじゃない」
マリーからお叱りが入った。
はい、そうですね。
「それで、どいつが味方?」
「え、ええと。この男の子たちは私を守ってくれてた」
ファリオンとヴェルナー君を味方と言っていいかはわからないけど、少なくともこの二人の不利益になることは避けてほしい。
そんな気持ちでそう告げる。
「そう…ならこの二人の命は取らない」
物騒な返答を寄こされた。
「この人は?」
続いてマリーが見たのはローザだ。
「えっと、変態?」
「アカネ様、随分じゃないか!?」
仲間だと思われたくない気持ちが言葉に出てしまった。
「…触れないでおくことにする」
それが正解です、マリエル先生。
「これでも私はアカネ様を助けようと思って来たというのに」
「あ、そうだったんですか。ごめんなさい」
確かに一触即発のタイミングで声をかけてくれたもんね。
空気が読めてなかったんじゃなくて、あえて来てくれたらしい。
「アカネは私が守るから大丈夫」
「…そうらしい。私はこれで失礼するよ。ああ、アカネ様」
ローザはこちらにウインクを寄こした。
「貸し、一つだよ」
「ええー…」
別にローザのおかげで事が片付いたわけでもないのに。
すごく嫌な人に借りができた。
呆然とする私をよそに、マリーは線引きの末残った男たちを睨みつけた。
彼らは敵と認定されたらしい。
えっと、つまりこの人たちの命は奪うってことなの?
この物騒な世界で、人死にを目にすることが無かった私はやっぱり箱入り娘なんだろう。
初めて荒事が起きそうな予感に、心臓が縮こまる。
「待った、マリエル」
「何?」
「こいつらはシルバーウルフだ」
マリーを制止したのはエルマンだった。
だけど、そんな言葉ではマリーの冷ややかな表情は崩れない。
「知ってる。だから何?」
「盗賊団にも掟はある。奴らはどうも掟破りをやらかしたらしい。おイタした野郎の始末のつけ方も掟で決まってんだよ」
「そんなものを私が気にしてやる義理なんか無い」
「一番血を見せなくて済むとしても?」
そう言いながらエルマンは私の方をちらりと見やった。
その意図に気付いたらしく、マリーもこちらに視線を戻す。
「私がまとめて氷漬けにして騎士団に引き渡すのと何が違うの」
「コトのでかさが大違いだろ…まあそれを除いても、だ。盗賊団内での見せしめは必要になる。こういう馬鹿な野郎が減れば蛮行も減るんだから、これも平和につながる一つの手段じゃねぇの?」
「…盗賊団を壊滅させたらいい」
「そう簡単な話じゃないのはあんただって分かってるはずだ。それなら、もっとマシな奴が多い組織になってもらった方がいいだろ?」
「…奴らを取り逃がしたり、またアカネの身に危険が及ぶようなことになったら許さない」
マリーはそう言って一歩下がり、私をかばうような体勢をとりつつも場を譲った。
マリーイケメン。
さっきからいろんな人に守ってもらってお姫様みたいだなぁ。
状況がうまく呑み込めていない私は、そんな暢気なことを考えていた。
エルマンは満足げにうなずき、ファリオンとヴェルナー君に近づく。
「よう、ファリオン。久しぶり」
「…お前、魔女を追いかけて賊抜けしたっていうのは本当だったのか」
「戻ってきたのか?エルマン!」
「悪いなヴェルナー、そういうわけじゃない」
エルマンは二人と知り合いだったらしい。
盗賊団にいたころ、ファリオンとエルマンが親しかったというのは本の中と同じだ。
「それよりベオング。お前まだ、んなことやってんのか」
「ふん、育ててもらった恩も忘れて団を抜けた腰抜けが俺に何の用だ」
「お前に育ててもらったわけじゃねーしー。で、その荷台に乗っかってんの、何だよ。まさかお菓子の山なんて言わねーよな?」
エルマンが指さしたのはベオングが押している荷車。
私がさっき突き飛ばされたのは、これにぶつかったからだ。
布がかけられたそこに何が乗っているのか、傍目にはわからない。
「オメーにゃ関係ねぇよ」
「その通り、お前が何を運んでようと俺の知ったこっちゃねぇわ」
カラカラと笑ったエルマンは、軽薄な声のトーンを落とし、ファリオンに囁く。
「あれ、お前は噛んでねーだろうな」
「囮用に連れてこられただけだ。ヴェルナーと一緒にいたところでシリウスから強引に抜かれた。抜けようと隙を伺ってた矢先にこの状況だ」
「なら問題ない。お前らはまだ狼の子だ」
二人が交わした会話の意味は分からない。
分からないけれど、エルマンは満足げに笑った。
「ファリオン。こいつらとっとと片づけるぞ」
「死体を出すと王都から出にくくならないか?」
「殺さねーよ。掟に乗っ取って首領に引き渡す」
「どうやって連れて行くつもりだ」
「シリウスの副長の一人が王都内にいる」
「まさか。そんな話聞いたこと無いぞ」
「団の中でも重要機密事項なんだろうな。俺が知ったのは抜けてからだ」
「どうして抜けた後にそんな情報が入って来る」
「魔女様のお守りすんのは後始末大変なんだよ。抜けた後の方が裏稼業の連中と顔が繋がるようになっちまった」
…意味はわからない、分からないんだけど。
多分普通の伯爵令嬢が聞いちゃいけない情報がちょいちょい混ざってる気がする。
今更遅そうだけど、耳をふさいでおいた。
誰かに口封じとかされそうで怖い。
そうして話がまとまったらしい二人の動き出しは早かった。
話し合い中にも隙が無かったのか動けずにいたベオング達は、瞬く間に地面に伏していく。
どう戦っているんだか、私が血まみれスプラッタを見ることは無かった。
攪乱するために参加しているらしいヴェルナー君の短剣によって、たまに赤いものが宙を舞っているけど、致命傷には至っていなさそう。
五分もかからずに片づけてしまった。
それを見届けて、マリーはフンと鼻を鳴らす。
「それで、そいつらどうするの?」
「シルバーウルフの首領に引き渡す。俺もこいつらに付き添うわ。夜明けまでには合流するから、マリエルは先に戻っててくれ」
エルマンの返答に、マリーは不服そうだ。
「残りの二人は?」
「…こいつらは俺の友人なんだ。見逃してやってくんね?」
「…盗賊は嫌い」
「シルバーウルフ盗賊団の悪評は一部のああいう奴らの仕業がほとんどだぜ?」
エルマンは苦笑してベオング達を指さした。
「…盗賊は、嫌い」
眉根を寄せて、同じ言葉を繰り返すマリー。
ますます苦笑を濃くしながら、エルマンはマリーの頭を撫でた。
「…分かってるって。今日だけだ」
「撫でるな。アカネ、立てる?」
エルマンの手を振り払い、マリーは私を引き起こしてくれた。
「あ、ありがとう。あの、マリー、この前はごめんね」
ギルドでマリーを無視して立ち去ってしまったこと。
いつか会いに行って謝らなくちゃと思ってたから、こうして会えてよかった。
「…いい。アカネの立場を知ったから」
そう言って首を振るマリーは、本当に怒ってはいないようだった。
おそらくエルマンが私の事情を察して説明してくれたんだろう。
私が伯爵令嬢であること、マリーと出会ったあの出来事はお忍びだったであろうこと。
…できる男だね、エルマン。
私たちがそんな話をしている間に、エルマンとファリオンは男たちを荷台の上に積み上げてどこかへ去ろうとしている。
慌てて声をかけた。
「ま、待って!」
私の言葉に振り返る三人。
ファリオン…盗賊団にいることが分かったのはいいとして、また会いたいと思っても、会えるかどうかわからない。
冒険者ギルドみたいに所在を聞ける施設何か無いんだから。
ヴェルナー君も、リードやお母様達が心配してる。
エルマン…は、どうでもいいとして。
けれど何て声をかけていいか分からない。
「あのっ、あの…ファリオン、私…」
「…悪いけど、俺はあんたを覚えてない」
言い淀む私の姿を見て、何を思ったのか。
ファリオンは少しだけ申し訳なさそうな顔をして、そう返答した。
「あ…」
「俺は今の生き方を変えるつもりはない。なくした記憶にも興味がない」
短い言葉。
だけどファリオンの意思は十分伝わった。
彼は記憶がない。
だけど過去の記憶を探る気も、元の生活を取り戻す気も無い。
私とファリオンは初対面だけど、そうでなかったとしても、彼は私の存在を切って捨てた。
はっきりとした、拒絶をされた。
目の前が真っ暗になる。
やっと会えたのに。
何かする間もなく、こんな…
「でも…俺を見つけてそんな嬉しそうにする奴がいるって知って…少しだけ、嬉しかった」
そんな言葉が聞こえて、いつの間にか俯いていた顔を上げた。
その横顔は無表情だったけど…ほんの少しだけ、頬が紅潮して見えた。
嬉しかった?
私がファリオンを探していたことで、ファリオンが喜んでる…
「あ、あ…ありがとう!」
震えた声でひっくり返ったお礼を言う。
「なんであんたが礼言うんだよ」
思い描いていたのと同じ姿のファリオン。
そんな彼が、苦笑とはいえ私に微笑んでいる。
…夢を見てるんだろうか。
「おいコラ!不良娘!」
そんな私の感傷をぶった切るような声が聞こえた。
またもや頭上からだ。
なんなんだ、頭上からの登場流行ってるのか。
見上げた先には声で予想した通りの人物…リードが居た。
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<Side:ヴィンリード>
あのバカ女…
そんな呟きを口に出さなかっただけ、俺の外面は仕事をした。
謁見の真っ最中に、イイコのヴィンリードの仮面を外すことは無い。
アカネは知らない。
髪飾りの魔物の能力は、声を届けあうだけじゃない。
アカネが何か予想外の行動を取ればすぐに俺に報告が入る。
城を飛び出した不良娘の情報は、遅滞なく俺のもとへ届いていた。
くそ、普通の護衛用の魔物も作っておくべきだったな。
髪飾りは俺と声が繋がってしまう為か置いて行かれた。
アカネの魔力を思えば、まともにやりあえばアカネが暴漢なんぞにやられることは無い。
まともにやりあえたらの話だ。
頭脳派とはとても言えないようなアカネには搦め手がよく効くだろうし、小細工なしの武力に出られたとしても、アカネが対人戦闘を抵抗なくこなせるとも思えない。
アカネが何を思って飛び出したかはわかる。
あの時冒険者ギルドで果たせなかった目的の為には、監視の目が外れた今がチャンスだとでも思ったんだろう。
とっとと回収しにいかねーとな。
騒ぎを起こすのは俺としても望まない。
不審に思われないように会話を切り上げ、俺も部屋を抜け出す。
確かあいつは偽外套とか風魔術の加速とか使えるようになってたな。
アカネを守る上で本人の能力把握は重要だ。
一応何ができるようになっているのか情報収集は欠かしていない。
…アカネはバレてないとか思ってそうだけどな。
それらの能力を使えば冒険者ギルドには十分もかからず着くはずだ。
追いかけるには俺も魔術を使うしかない。
風魔術で体を浮かせ、障害物をすべて飛び越えて飛行する。
会ってすぐアカネに魔力を流してもらえば…まあ多分、持つだろう。
ファリオンは冒険者ギルドにいない。
つまり…アカネがファリオンの行方を知る手立てはない。
その事実を知ったアカネがどういう行動に出るか…
「…くそ…こんなことなら俺が一緒にいるときに、もう一度ギルド連れて行っとくんだったな」
アカネが異世界の人間だと知ったあの日、どうしてこうも悲壮感なく状況を受け入れているのかと不思議に思った。
確かに伯爵令嬢の立場は一般市民が羨むものだ。
しかし、アカネは元の世界のことも少し話してくれたが、文化が大きく異なるようだった。
たとえ裕福な家の娘だとしても、文化の違いのストレスは大きいはず。
ましてや元の世界でアカネは貧しい生活を送っていたわけでも無さそうだったのだから尚更だ。
本の中の登場人物"勇者ファリオン"のことが好きだと知った時、驚きもしたが納得もした。
アカネがこの世界にいるのを受け入れているのは、ファリオンが理由だ。
ファリオンに会いたいから、アカネ・スターチスの生活を受け入れている。
それなのに、ファリオンに会えるかもしれないという希望が消えてしまったとしたら…
冒険者ギルド近くの路地裏に降り立つ。
ぐらりと視界が揺れた。
体の奥からこみ上げる衝動を抑え込む。
全部壊してしまいたい。
首を振る。
早くアカネを見つけないと…
しかし冒険者ギルドを覗く間もなく、一本離れた路地から聞き覚えのある声が聞こえた。
『ありがとう!』なんてひっくり返った声は、いつだったかの潰れたガチョウと同じものだ。
ありがとうじゃねーよ、何もありがたくねーよ。
すっかりささくれた心を抱え、もう一度魔術で飛び上がり、目的の路地を見下ろした。
アカネの側にはローブを被った一人の少女。
確かあれは…マリエル・アルガント?
そして二人の視線の先には、薄汚れた服を身にまとった少年が三人。
男どもの体を山積みにした荷台を引いている。
…なんだこの状況。
とりあえずアカネは無事らしい。
それが確認できればそれでいい。
…やばい、早くしねーと。
「おいコラ!不良娘!」
そう呼びかけると、こちらを見上げたアカネは…涙目だった。
ぎょっとしつつ近くに降り立つ。
状況を確認したいが…限界が近い。
「アカネ、疲れた」
「へ?」
へ?じゃねーよ。
「あ、ああっ!大丈夫!?」
呆けた顔を見せたのは一瞬で、アカネはすぐにこちらに走り寄って肩に触れた。
流れてくる心地よい魔力。
数秒してざわつきが収まり、いつの間にか止めていた息を吐きだした。
ようやくできた余裕。
そして改めて周囲の人間を見て…気付いた。
また息が止まる。
前方でこちらを見つめている三人組。
黒髪の男は…知らない奴だ。
でも他の二人は知っている。
一番背が低い十二歳ごろの少年。
間違いない…ヴェルナーだ。
そしてその横にいる、金髪に銀色の瞳を持つ男。
…うんざりするほど知っている顔だ。
「ファリオン・ヴォルシュ…」
思わずつぶやいた名前に、隣のアカネがピクリと体を揺らした。
嘘だろ?
ファリオンが盗賊団にいることは知っていた。
だけど、アカネの立場でそうそう探し当てられる相手じゃない。
なのに、なんでこんなタイミングで二人が出くわす?
王都のど真ん中だぞ。
奇跡みたいな確率だろこんなの!
「お迎えが来たなら、早く帰った方がいい」
硬直していた面子を動かしたのは、マリエル・アルガントの一言だった。
感情に乏しい表情ながら、アカネを心配そうに見つめている少女。
…なるほど、確かにアカネと同じような魔力の気配がする。
悪くない感覚だ。
向こうもそう思っているのか、目を細めてこちらを見ていた。
アカネが恐れていたのはこのシチュエーションのはずだ。
それなのに、アカネの視線はファリオン・ヴォルシュに貼りついたまま。
…頭いっぱいかよ。
いらだちをこめて、アカネを強引に抱き上げた。
「わっ、リード!?」
「さっさと帰るぞ」
「え、でも…」
アカネは戸惑いがちに、路地の向こうに立つ三人を見ている。
…いや、正確には一人の男を、だろう。
しかし俺の行動を後押しするように、黒髪の男が焦ったような顔でファリオン・ヴォルシュに声をかけた。
「まずい。そろそろ見回りの兵士がこの辺りを通る時間だ。いくぞ、ファリオン」
「…ああ」
立ち去る三人を、アカネは『あ…』と名残惜しそうな声を漏らしつつ見送った。
その場に残ったのは俺達とマリエル・アルガントだけだ。
「…マリエル・アルガント。アカネを助けてくれたみたいだな。礼を言う」
「別にいい。でもアカネは危なっかしいところがあるから、ちゃんと手綱を握っておいて」
「マリーにまでじゃじゃ馬扱いされた…」
アカネがひっそり落ち込んだような声を出していたが、夜中に城を抜け出す令嬢がじゃじゃ馬でなくて何なのか。
「貴方も、強い魔力を持ってるみたいだけど」
金色の双眸が、俺を見据える。
「あいにく、俺はあんたの望む答えを持ってない。とはいってもアカネの症状は何とかしたいところだからな。交換できる情報ができたら連絡をする」
「…わかった」
そう言ってマリエル・アルガントは踵を返した。
さて、俺達も帰るとするか。
パパッと回収 (不良娘を)




