070染まっていく
<Side:アドルフ>
曲が終わり、アンナ嬢と礼をしあう。
無理に作った笑みは、おそらく周囲には気付かれないだろう。
アンナ嬢は…思っていた以上に頭のいい女性だった。
まさか婚約解消をしたこちらの意図に気付いていたとは。
踊っている最中、ずっと小声で言葉を交わしていた。
婚約した目的、そして解消した理由。
彼女はどちらも察していた。
そして察していたからこそ、彼女は社交界から遠ざかっていた。
「アドルフ様、私のことはもうお気になさらないでください」
「アンナ嬢…」
微笑む彼女に無理をしている様子は無い。
何か吹っ切れたようだった。
「アカネ様を見ていると…細かいことを考えて動かないのは勿体ないって思うようになりますの」
その言葉を聞いて、思わず笑ってしまう。
アンナ嬢と話していて、含みのない笑みが互いに漏れるのはアカネ嬢の話をしている時だけだった。
「…貴女の潔白は、俺が保証しよう。何かあっても貴女の身はベルブルク家が極力お守りする」
「ふふ、期待は致しませんわ。アドルフ様はベルブルク家の大義をお貫きになって」
思っていたより強かな女性だ。
力強い笑みを残した彼女のもとに、次のダンスの相手を求める男たちが寄って来る。
アンナ嬢の社交界復帰成功に、ほっと胸をなでおろした。
…さて、アカネ嬢は大丈夫だろうか。
視線を巡らせ、壁際に目的の人物を見つける。
人込みで頭しか見えないが、アカネ嬢は自分の手元に目を落とし、何か呆然としているようだった。
ヴィンリードはそんな彼女を支えるように寄り添っている。
その二人に近づき、声をかけようとして。
息を呑んだ。
ヴィンリードに支えられている彼女を彩る赤が、あまりに鮮烈で。
このホールにあるすべての色彩を吹き飛ばすような、強烈な赤。
彼女の身に着けるグローブと、胸元を飾るコサージュは彩度の低い朱色だったはずだ。
俺の瞳の色と同じ…
しかし、今のこの色はどうだ。
白い肌を際立たせる、鮮血のようなこの色は。
こちらに気付いて視線を寄こしたのは、彼女の義兄。
細められたその瞳の色。
そして奴の耳元を飾るピアスの色を見て、察した。
…ああ、そういうことか。
「アドルフ様、すみません。アカネはやはり本調子ではないようなので、本日は連れ帰りたいと思います」
「え…え?大丈夫ですよ、リード様」
「無理しちゃダメだよ」
戸惑うアカネ嬢を諭すヴィンリードの表情は柔らかく、まるで妹を気遣う良い兄だ。
「…白々しい」
「え?」
思わず声に出ていたらしい。
アカネ嬢が驚いたような顔をこちらに向けた。
しかしもう今更取り繕ったりはしない。
これほどの挑発を受けていなしてやるほど、俺の矜持は安くない。
「…アンナ嬢はどうするつもりだ。この場に連れ出したのはお前だろう」
俺からエスコートを頼んだことを棚に上げて、そう言い放つ。
「僕は彼女の入場パートナーを務めただけです。あの様子であれば問題ないでしょう」
ヴィンリードの視線の先には、男女問わず囲まれて微笑むアンナ嬢が居た。
…確かに、あの様子であれば誰かが退場パートナーを務めるだろうし、場合によっては…
「もしくは主催の方にお願いします」
主催者であること。
そして致し方なく入場パートナーが先に退場してしまったこと。
これだけの大義名分を用意してやれば、お前がエスコートしたって問題ないだろ、と。
毒気のない笑みを浮かべて、言葉の裏にそんな趣旨を含ませてくる。
自分が考えていたのと同じことだ。
それなのに、こいつに言われると策にはまったようで苛立たしい。
…元は商人の息子だって?
顔に出やすいアカネ嬢より、よっぽどこいつの方が食わせ物で貴族らしい。
できれば俺がアカネ嬢を送っていきたいが…主催の身ではこの場を離れられない。
いや、それが無くとも、何のかんのと理由をつけてこの男は俺を近づけさせないだろう。
…くそ、シェドがライバルってだけでも面倒なのに。
俺とヴィンリードのやり取りをみて、おろおろ視線を彷徨わせる少女。
可愛らしい容姿ではあるが、もっと美しい女性はいくらでもいる。
清廉で高潔で頭のいい女性だって。
なのに、どうしてこうもこの少女にばかり…
俺が黙ったのをいいことに、ヴィンリードはアカネをゆっくり立ち上がらせた。
「それでは、失礼します」
「おい…」
最後に何か言ってやろう。
そう思っていたのに、呼び止めるより先にヴィンリードはこちらを振り返って、小声で告げた。
「四月二十日」
「…なに?」
呆ける俺を他所に、奴はまた笑みを浮かべた。
「十分でしょう?」
ようやく気付く。
期限を決められたのだと。
あの舞踏会の日から、ちょうど半年。
しょせん俺たちの関係は期間限定のものだと、言い渡された。
何故お前にそんなことを決められないといけないのか。
カッと血が上った頭も、申し訳なさそうな顔で会釈するアカネ嬢を見て一気に冷えた。
これだけの距離だ。
アカネ嬢にはさっきのヴィンリードの言葉も聞こえていたはず。
彼女が浮かべたのは…申し訳なさそうな表情。
決して寂しそうではない。
俺のことを気遣ってはいても、この関係がいつか終わることに惜しむ気持ちなどない。
はっきりそう分かってしまった。
退場する二人。
タイミングを見計らったように、俺の周りを取り囲む令嬢たち。
「…俺は馬鹿だな」
そのつぶやきは、嬌声にかき消されて響かなかった。
何を舞い上がっていたのか。
彼女の態度がこれまでの女性のそれと違うからといって、なぜか俺が彼女の特別であるような気になっていた。
彼女も俺に惹かれているかもしれない。
手紙を読んでそう思った。
手習いの文章のように当り障りのない内容だったのに。
それなのに、彼女の言葉として脳内で再生した時、ずいぶん特別な響きに聞こえていた。
何てことは無い、単に彼女が普段は言わないであろう言葉を社交辞令として書いてくれただけのこと。
これまで幾人もの女性と交際をしてきた。
その時に交わしていた手紙のどれより熱のこもらない言葉の羅列に、俺はかつてなく心を揺さぶられていたらしい。
そんな独りよがりに気付いていたから、あいつは笑ったんだ。
いくら彼女をエスコートしていても、力強く肩を抱いても、その心は俺に無いと知っていたから。
おそらく彼女のドレスに細工をしたのはヴィンリードだろう。
当てつけのように、俺の瞳の色から自分の瞳の色に変えやがった。
…上等だ。
まだ半年ある。
仮初とはいえ恋人の地位を利用してせいぜいあがいてみるとしよう。
まあ、彼女の心を奪うのは容易ではないかもしれないが…
『ヴィンリードが好きなのか』と聞いた時の彼女の顔を思い出して、内心で苦笑した。
相変わらず作り笑顔が下手だな、アカネ嬢。
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<Side:アカネ>
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「う、うん」
ガタゴトと揺れる馬車の中。
私はティナに介抱されながら王城へ向かっていた。
…何でこうなった?
しばらく座らせてもらって、ゼリーとかをお腹に入れて、リードとも普通に話せて。
体調はかなり落ち着いてたのに。
私とリードが身に着けている小物類の色が変わったことに気付き、その意図を問いただす間もなくアドルフ様がやって来た。
そしてあっという間に帰る流れに持っていかれて、リードは勝手に期限まで宣告してしまった。
いやまあ、自分ではなかなか言い出せないことだからある意味助かったんだけどね?
人目を惹くほど鮮やかな赤は、夜のぼんやりした明かりの中でもよく目立つ。
ティナも気付いているようで、チラチラと視線を寄こしていた。
リードがやったことに気付いているティナは、何か言いたげだ。
しかしあきらめたように一言『シェディオン様にも…』なんて呟くのが聞こえた。
もし、シェドとも色を交換して何かドレスを作りたいっていう話なんだとしたら、私とシェドって配色が全く同じだからお互い真っ黒になるだけだと思うよ…
リードは窓の外に目を向けたまま黙り込んでいる。
全く…アンナを置いてきちゃって。
でもきっと、今のアンナなら大丈夫だろう。
大勢の人に囲まれて、毅然と立っていた彼女の姿を思い出す。
アドルフ様も気にかけてくれてるだろうし、もともと入場パートナーをつとめるっていう申し出をしただけだしね。
それに、アンナよりも私を優先してくれた。
単にアドルフ様への当てつけっぽかったけど、何にせよ私の方に来てくれたことが、無性に嬉しくて…
その嬉しい気持ちへの罪悪感が、心を蝕んでいく。
私が好きなのはファリオンなのに。
アンナはきっと、リードが好きなのに。
あまりにも長い、王城までの道中三十分。
馬車から降りてウィステリア棟に入った後も、部屋までの道をリードがエスコートしてくれる。
ただし、相変わらず黙ったまま。
耐えかねたのは私の方。
「ティナ、ごめん。ちょっとリードと話がしたい」
部屋の前まで来て、私はそう言った。
この前とは逆に、人払いをしたのは私。
ティナもリードも、少し驚いた顔をしている。
ティナは何か言いたげに口をへの字にしつつも、頷いてその場を下がってくれた。
「…どっちの部屋に行く?」
「こ、ここでいい。すぐに終わるし」
廊下に人影は無い。
少し話すくらいなら誰にも聞かれないだろう。
『それに、こうやって話せるでしょ?』
念話で声をかければ、リードは訝しげな顔をした。
『何でそこまで部屋に入るの嫌がるんだよ?』
『あんたが何するかわかんないからでしょ!』
念話は感情の起伏もそのまま伝わる。
私の返答は怒りと共に伝わっているはずなのに、なぜかリードは満更でもなさそうな笑みを浮かべていた。
『何期待してんの?』
『期待なんかしてないわよ!馬鹿!』
ああもうほら、話が進まない。
『リード、これどういうつもりなの?』
『これって?』
『とぼけるのもいい加減にしてよ!』
きっと私の顔は泣きそうだ。
とぼけるのもいい加減にして。
それは自分自身にも言いたいことだ。
もどかしい感情が胸を焼く。
どうしてこんな気持ちになるの。
どうして…目の前にいる人は。
『ねえ、私のこと…』
蓋をしていた感情を引き出して、ずっと気になっていたことをハッキリさせようとした、その瞬間。
「さっさと行きなさい!」
「ええええ邪魔しちゃダメですよぉ!あんなにいい雰囲気なのに!」
廊下の隅からそんな声が聞こえてきた。
「二人して黙ったまま百面相してるだけじゃないの。不毛な時間を続けさせても仕方ないでしょう」
「お二人はぁ!私達には分からなくっても見つめあうだけで通じ合うものがあるんですぅ!ティナってば本当に野暮なんだから!」
「シェディオン様とであれば空気を読むわよ」
「今も読むべきですってばー!」
「貴女が伝言を頼まれたんでしょう?まったく…仕方ないわね、私が行きます」
エレーナの制止を振り切って歩み寄るティナを、私とリードは半眼で見つめる。
このメイド達って、本当に…
「ヴィンリード様、陛下がお呼びです」
「…は、国王陛下?」
まさかの言葉に、さすがのリードも声に動揺をにじませた。
いや、まって。
エレーナ、もしかして…
国王陛下のお呼び出しなんて大変なものを、空気を読んで告げないでおこうとしてたの?
ちらりと視線をやった先のエレーナは、手を合わせて『ゴメンネ』ポーズをしてくる。
違う。
『ティナを止めれなくてごめん』じゃない。
そこは優先順位間違っちゃいけない。
「リードだけ?私は?」
「お呼び出しはヴィンリード様だけのようです。舞踏会から早めに戻ったことをお知りになって、ちょうど時間が空いているから都合が良ければ話をしたいと。旦那様もご一緒されるそうです。おそらくメアステラ家に関するお話ではないかと…あの家は王室御用達でしたから」
「なるほど…」
私は行かなくていいのか…良かった。
また謁見の間で恥をかかないといけないかと思った。
リードは面倒くさそうに溜息をつきつつ、踵を返す。
その背中を見送った後、私は手元のグローブに視線を落とした。
真っ暗な廊下に沈む紅。
リードの瞳の色。
…聞き損ねちゃったな。
このドレスを脱いでしまえば、またいつも通りに戻ってしまう。
魔法が解けたように、今抱えている感情がうやむやになっていく。
"いつも通り"に蓋をされた疑問を掘り返すのは、日常の中では難しいのに。
…なんて私の感傷などお構いなしに、ティナとエレーナは私の礼装をさっさと解いていった。
『念のため、念のためピカピカにしておいた方がいいと思うんですよ』なんていらん気をまわして念入りに体を洗ってくれるエレーナと、すべての寝支度が終わるや否や『ゆっくりお休みください。ノックの音など聞こえないほどに』なんて言いつつ私をベッドに寝かしつけるティナ。
嵐のように二人が去っていった室内は、耳を打つような静けさに覆われていた。
時間はまだ九時すぎだ。
私が寝るにもちょっと早い。
ティナとエレーナはお互いに正反対の気遣いをしてさっさといなくなっちゃったし、アルノーやエドガーは王城にいる間私の護衛につくことは無い。
リードは今王様に呼び出されてるし。
私の相手をしてくれそうな人は誰もいない。
「…誰もいない?」
そう口に出して、全身が粟立つ。
王都に来て初めてじゃないだろうか?
ティナやエレーナの監視もなければ、リードも国王陛下の相手で手一杯。
きっといつもなら、夜中に抜け出そうとしてもリードがすぐさま気付いてしまったことだろう。
方法は知らないけど。
だって魔王だし。
だけどさすがのリードも、謁見中にまで私を見張ることなどできまい。
…え、もしかしてこれってチャンス!?
カチコチと進む秒針の音と共に心拍数が上がっていく。
迷っている時間も惜しい。
寝間着のままコートをひっつかみ、乱暴にフードを被りながら部屋を飛び出した。
すれ違う城の使用人も、各所に立つ衛兵もこちらに視線すら寄こさない。
よし、私の魔術は王城でも通用する。
カルバン先生に教えてもらった数少ない闇魔術、偽外套。
相手から自分の姿を見えなくするものだ。
魔物や悪人に襲われた時、逃げられるように教えてもらった。
本来魔力を馬鹿食いするものらしく、普通の人は数分程度隠れるのが精いっぱいらしい。
また、自分より魔力が低い相手にしか通じないとか。
だけどそこは私。
余裕で一時間くらいは姿を消せるし、私より魔力の高い人なんてそういない。
悪用しないようにってカルバン先生には言われてるけど、ちょっと夜中に抜け出すだけだから!(それを悪用という)
大丈夫、危ないことに巻き込まれそうになったらちゃんと逃げの一手を使う。
周りに迷惑かけたいわけじゃないし。
そうしてすぐに戻れば、きっと誰にも気づかれない。
…無茶なことをしている自覚はあった。
一般常識に疎い私。
トラブルを起こさないとも限らない。
こんな寝間着姿にコートを被っただけとは言え、上等な服を着ていればいいとこの娘だってすぐわかるだろうから、悪い人に目を付けられる可能性もある。
そうなれば、いったいどれだけの人に迷惑がかかるか…
それでも…『きっと大丈夫』と言い聞かせながら私は城を抜け出した。
一人の名前を呟きながら。
「…ファリオン」
私がこの世界にきた原因であり、まったく文化の違うこの国で、それでも頑張っていこうと思えた理由。
五年前からずっと、私の心を支えてくれている人。
本の中の人だから、私の恋情はただの空想の域を出なかった。
だけどこの世界に来て、初めて触れ合える存在として意識できるようになった。
その分どんどん強くなる想いを、私は持て余していた。
持て余していたから…こうして他の人に心が揺れ動くんだろうか。
一目会いたい。
一目会って、私の気持ちを確かめたい。
その一心で、足を動かした。
周囲の景色は、あり得ないほどの速さで後ろへ流れていく。
風魔術による加速を施しながら、街を疾走していた。
本当は魔力による身体強化というものがあって、一般的な戦士とかはそれを使って身体能力を向上させる。
これは自分の魔力を体内の強化したい場所に循環させるだけのものだから、魔力消費がほぼなく、魔力をあまり持たない人も使える便利な技。
だけどそこは、やっぱり私。
強化に使うには体内の魔力量が多すぎる。
それをやると体に負荷がかかりすぎて怪我をするか、うまく回せなくて駄々洩れてドラゴン令嬢再びになるからやめとけとカルバン先生に言われている…
その代わりの高速移動術がこれだ。
風魔術で作った推進力で、自分の体を押し出すことで高速移動する。
応用すればちょっとした壁なら飛び越えられる。
城壁もこれで飛び越えた。
ぶっちゃけそれができるなら、足を動かさなくても飛ぶような移動が可能なはずなんだけど、私はこっちの方がイメージしやすくて制御できる。
もちろん、燃費は最悪。
私にとっては何てことないけど。
最初のころはうまく方向転換できなくって壁に激突しまくったり、近くにいるカルバン先生もろとも吹き飛ばしたりしたっけなぁ。
先生はこともなげに着地してたけど…
私がこんな魔術まで使えるようになっていることをリードは知らない。
以前カルバン先生に素性を疑われて思いっきり衝突してたけど、その翌日、リードは卒業認定を出された。
『僕から教えられることなさそうだし』と微笑むカルバン先生と、『そうですね、先生には教わることなんかなさそうです』と微笑むリードは大変怖かった。
そんなわけで、今の魔術の授業はカルバン先生とマンツーマンになっている。
たとえ私が寝室にいないことに気付いても、まさか城下に出ているとは誰も思うまい。
パッと行ってギルドにファリオンっていう冒険者がいるかを聞いて、サッと戻るだけだ。
もし居ると分かっても、今日はおとなしくすぐに帰る。
冒険者ギルドにいることさえわかれば、あらためて何か理由をつけて、会えるように手続きしたらいい。
これなら心配かける前に帰れるはず。
そんなことを言い聞かせながら、城下町の通りを抜けた。
「うわ、なんか今すごい風が…」
そんな声も風にさらわれていく。
前方に現れた見覚えのある建物。
偽外套を解除すると同時にその建物へ飛び込んだ。
…うっかり黒木の扉から。
アドルフはここで諦めてくれる予定だったのに…
リードの煽りスキルのせいで終わらなかった…
というか王都編、こんなに長くなるはずでは…




