007奇跡の子マリエル
「うぅん…」
唸りながらパタリと本を閉じる。
先生から借りたこの本は、有名な冒険者20人の半生をつづったものらしい。
マリー…マリエル・アルガントもその中に入っていたが、残念ながら私がもともと知っていた以上の情報はなかった。
むしろ世間からのマリエルの評価が芳しくないことがうかがえる、悪意を感じるデタラメ情報が混ざっている。
人嫌いな彼女だから、どうしたって人付き合いはうまくいかない。
悪い噂が立つのは仕方のないことだ。
そしてこの本は、本人への取材ではなく人々から集めた情報を元に書かれているのだろう。
魔力制御の仕方とか、今後のストーリーの動きとかについてヒントが得られればと思ったんだけど…
そううまくはいかないみたいだ。
ため息をついた瞬間、それをかき消すようにノックの音が響く。
「アカネ、入っていいか?」
シェドお兄様の声だ。
「どうぞ」
入ってきた兄に、私の向かいのソファを勧める。
「どうだ、何かわかったか?」
兄の目線は机の上の本に向けられている。
どうやらマリーの話を気にして来てくれたらしい。
兄にも少しだけマリーのことは話してあった。
私と同じ体質をもつ彼女のこと。
「制御方法などの役に立ちそうな情報は特に…」
「そうか…そのマリエルという女性は生まれつき魔力が高いのか?」
「いいえ、彼女は元は普通の魔術師でした。
80年近く前に行方不明になった時点では16歳の駆け出しの冒険者だったようです」
マリーについて一般の人が知っている知識としてはおおよそ三つだ。
常人にはあり得ない魔力を持っていること。
行方不明になっていたが、60年以上経ってから当時の姿のまま発見されたこと。
それ以来年をとっていないこと。
そう、彼女は実際は生まれてから90年以上経っているけれど、16歳の少女のまま生き続けている人なのだ。
「行方不明になっていた間に力を授かったということか?」
「…そうですね…この本によると、彼女は迷宮内で仲間とはぐれて魔物に捕まり、
その後、魔王に魅入られて強大な魔力を授けられた、と」
しかしこの話にはいくつも誤りがある。
確かに彼女は迷宮で行方不明になった。
この世界で言う迷宮というものは、バルイト地方の地下に広がる複数のダンジョンを指す。
いずれも最奥まで到達した者は無く、多くの冒険者はその完全攻略を目標としている。
歴代の魔王は全員がバルイト地方で発現しているため、魔王と接触したという話はいかにももっともらしく聞こえるが…
『ホワイト・クロニクル』内で彼女が話していた過去はそういったものではなかった。
そもそも仲間とははぐれたのではなく、彼女はパーティーのメンバーに裏切られたのだ。
当時のパーティーではかなわない高ランクのモンスターに遭遇した時のこと。
メンバーはマリーの足を傷つけて囮としてその場に残し、その隙に逃げてしまった。
彼女が未だに人間嫌いでパーティーを組もうとしない理由の一つは、その事件のせいで人を信用できないからだ。
しかしそんなことは私は知らないはずなので口にしない。
本に書いてあったことをそのまま伝えた。
「魔王…!?」
兄の顔色が変わる。
無理もない。
妹と同じ体質の人の原因が魔王だなんて聞いたら。
「彼女が迷宮内で行方不明になったのは確かなようです。
ただ、この本は若干マリエルに対して悪意のある書き方をされているので、
すべてを信用しない方がいいかもしれません」
暗に魔王とは関係ないかもしれないと匂わせてはおくが…
本当に関係ないのかは私にも分からない。
取り残されたマリーは、気付いたら迷宮の中で巨大な何かの結晶に閉じ込められていた。
身動きできず、飢えることも老いることもなく、60年以上という気が狂うような月日を、しかし狂うこともできないままそこで過ごした。
三代目魔王討伐の際、勇者ベオトラが放った斬撃が地下のダンジョン内にまでおよび、その衝撃で彼女をとらえていた結晶が壊れた。
そうしてようやく彼女は助かったのだ。
彼女が奇跡の子と呼ばれているのはこれに由来する。
迷宮で行方不明となる冒険者は少なくないが、何十年と経ってから発見された人など彼女の他にはいない。
ましてや英雄の一撃のおかげとなれば人が好むストーリーだ。
この本にも『ベオトラが聖剣の光をもって魔王の呪縛からマリエルを解き放った』と書かれていた。
…まったく大衆が好みそうな書き方をしている。
実際は偶然攻撃の余波がマリエルの結晶に当たっただけだし、ベオトラは彼女が閉じ込められていたことなど気づいていなかった。
なんなら結晶が割れたことすら知らず、二人が初めて顔を合わせたのはマリーが助かって15年以上経ってから…
ファリオンを通して知り合った時のことだ。
今のこの世界ではマリーはファリオンとも出会って居ないはずなので、おそらくベオトラとも顔を合わせていないのでは無いだろうか。
「魔王にまで話が及ぶとなると…アカネとは関係があると言いにくいな…」
「まあ、少なくとも私は魔王に会うような環境ではありませんからね」
迷宮にもぐる冒険者でもない限り、魔王と出会うことなどまず無い。
「マリエルが強大な力を授かったのが迷宮から生還して以後、
というのはおそらく本当なのだろうな。
話に聞く彼女の実力が初めからあれば、そう簡単には迷宮内で行き倒れることはないだろう」
「ええ。行方不明になる前は、駆け出し冒険者らしい実力だったようです。
この本にも、力不足で魔物に捕まったとあります」
マリーが高い魔力を発揮するようになったのは結晶から抜け出した後だ。
崩落していく迷宮から脱出するべく浮遊の魔術を使った彼女は、迷宮を突き破って遥か空の彼方まで飛んで行ってしまった。
もちろん意図した出力ではない。
彼女の知っている浮遊の魔術は、体を浮かせて障害物をよけながらスムーズな移動を可能にする程度のものであって、断じて上から直接的に抜け出そうと思っていたわけではなかった。
迷宮を突き破り、その上とんでもない高度から落下した彼女が生きていたのは奇跡としか言いようがない。
小さな貧しい村の村長が彼女を助けてくれたそうだ。
マリーも私同様、こうして魔力を暴走させて以降しばらくは魔力をダダ漏れさせていた。
彼女は結晶に閉じ込められていた時の後遺症もあいまって数々のトラブルを巻き起こし、このままでは村長に迷惑をかけてしまうということで再び旅に出たのだ。
彼女が迷宮にとらわれるまでの過程に魔王が関係しているかどうかは、原作にも記述が無かった。
どうしてこんなことになったのかは明かされないままだったんだ。
彼女が迷宮内で姿を消したのは、時系列でいくと初代魔王が倒されてから二代目魔王が現れるまでの間の出来事だったはず。
ということは初代魔王のしわざとは思えないし、二代目魔王のしわざなのかな…?
でも彼女が助かったのは三代目魔王が倒されたタイミングだから、二代目魔王が倒された時にはまだ捕まっていたわけで…
どうして彼女は殺されるでもなく捕まっていたのか。
そして強力な力を手に入れることになったのか。
私も原作を読んでいる時はそんな細部のことは気にしていなかったんだけど…
こんな事態になることがわかっていれば、作者に手紙を送ってでもいろいろ聞いておいたのに。
私以上に事情を知らないシェドお兄様は、悩ましげにソファに体を沈めた。
「アカネがなぜ強大な魔力を持っているのかはその本では分からないな」
「そうですね…」
まぁ、私がこんな力を得た理由はわかってるんだけどね。
ヒロインと同じ力を得ることになっている、という身も蓋もない理由だけど。
そこの仕組みを追及しても仕方がないだろう。
『そういう現象だからねぇ』とまたユーリさんが笑うだけだ。
でもさすがにそれを兄に言うわけにはいかない。
気まずそうに口を閉ざした私の態度をどう受け取ったのか、シェドお兄様は立ち上がって私に近づくと、そっと抱きしめてきた。
「大丈夫だ。俺が側についているからな」
「お兄様…」
側に控えているティナが微笑ましそうに見ているけれど、私の内心はあまり穏やかではない。
シェドの体から高い体温が私の上半身に伝わる。
がっしりとした胸板の感触。
ジャケットの黒が視界いっぱいに広がり、息をするたびにシェドの香りが鼻を通っていく。
耳をやんわりくすぐるのは、自分のものではない呼吸音。
こんな状況で穏やかでいられるわけがない。
アカネ・スターチスは13歳でシェドの妹。
とはいえ十村茜は18歳で赤の他人だ。
妹として過ごしてきた記憶はあれど、実感が乏しいのが現実。
そんな中で19歳の男性に抱きしめられるという事実はそれなりのインパクトがある。
自慢じゃないが元の世界に恋人なんていなかったわけで、男性に抱きしめられたことだってもちろん無かった。
…泣いてない。
先日魔術を暴走させた際にも母や兄が抱きしめてくれていたが、混乱の最中とこんなしっとりした雰囲気とではわけが違う。
ティナが居てくれてよかった。
そうでなければ何のフラグも立てていないというのに、雰囲気に飲まれて『好きです、お兄様』とか口走ってまたややこしいことになってしまうところだ。
だって、どうすればいいのか、何て言っていいのかわからない。
腕を回した方がいいの?
寂しげに目を伏せればいいの?
『嬉しい、側にいてね』とか言えばいいの?
でも家族とのハグってどうするのが正解?
私の知識って少女漫画とか乙女ゲーくらいなんですけど!
なんてことをぐるぐる考えながら置物のように体を固くしていると、それに気づいたシェドが私をそっと放した。
「すまない、驚かせたか?」
「い、いえ…あ、いややっぱり少しだけ…」
しどろもどろに返す。
真っ赤な顔をどうしていいか分からない。
兄に抱きしめられた妹の反応としておかしくはないだろうか。
そんなことばかり考えて俯いていると、シェドはその場にひざまずき、私に視線を合わせた。
反射的に離れようとする私の手をシェドがそっとつかみ、さりげなくそれを阻止する。
「お、お兄様…?」
「アカネ…何か俺に隠していることは無いか?」
「え…?」
突然の問いかけに言葉を失う。
隠していること…思い当ることはたくさんあるが、シェドに指摘されるようなことが何かあっただろうか。
目を白黒させていると、シェドは気まずげに視線をそらす。
「…その…最近様子がおかしいだろう?」
もしかして、私がアカネ・スターチスとなってからのこの一週間のことだろうか。
心当たりがないわけではない。
記憶があるとはいえ、実感の伴わない家族。
そもそも常識の異なる世界。
知識があるということだけを頼りに振る舞ってはいたが、以前のアカネとまったく同じとはいかない。
初めの頃は距離感を掴みかねていた。
かと思えば調子に乗って懐いたりもした。
シェドが戸惑うのは当然だ。
初日のことを思い出す。
私はそもそもシェドに対して初めから失態を演じていたのだ。




