069朱と紅
余裕があれば今日みたいに日曜日も更新します。
ベルブルク邸の豪華なホール。
多くの紳士淑女が集まるその場所で、本日二度目のざわめきが起きた。
一度目は私達を見た参加者のざわめき。
前回の舞踏会でのことはおそらく社交界の噂になっていたんだろう。
今日、こうして私たちが二人寄り添う姿を見て、その噂が事実であると認識した人たちの動揺だ。
好意的なものもあれば、嫉妬や疑念といった嬉しくない感情も伝わってくる。
こういうのが嫌だから目立たない普通の令嬢で居たかったのになぁ…
実のところ、私たちの間には決して甘い空気なんか無い。
会話は当り障りのないものが多いし…私がそう返してるせいかもしれないけど。
だって契約結婚ならぬ契約交際だ。
羨んでいるお嬢さん方には半年だけ我慢してほしい。
そんな状況に耐え忍んで三十分。
参加者の多くが出そろう頃にやってきた二人が、二度目のざわめきを巻き起こし、会場の人々の視線をさらった。
銀色の髪、白い肌に生える、宝石のような赤い瞳。
美しいという言葉がよく似合う美青年は、この広い会場の中でもひと際目立っている。
そしてそんな彼が手を引くのは、まさに美少女。
シャンデリアの光を惜しみなく弾く金色の髪はウェーブを描き、動くたびにふわふわと踊る。
熱っぽく潤んだ菫色の瞳は、真っすぐパートナーを見つめていた。
華やかな顔立ちの彼女に負けない、鮮やかなオレンジのドレスはたっぷりとドレープを取った豪華なものだった。
まさに美男美女、お似合いのカップル。
そんな賛辞が周囲から聞こえる。
まるで流し見しているテレビから聞こえる音声みたいな、そんなBGMを遠くに聞きながら…
私は呆然としていた。
「アカネ嬢?」
「あ、はい?」
「…大丈夫か?」
肩を抱いてくれているアドルフ様の手の力が強くなる。
圧迫感すら覚えるその感触だけど、おかげで意識が引き戻された。
リードは美男子。
そんなことは出会った時から知っていた。
忘れていたつもりもない。
だからこそ、舞踏会の時とか隣に並ぶの嫌だったんだし。
別に自分の容姿が嫌いなわけじゃない。
それでも並べば見劣りすることは認めざるを得ない。
かといってあんまり綺麗すぎても人目を集めて大変だろうなぁとか思うし、お姉様達みたいな美女になりたいわけでもない。
だけど、思ってしまう。
やっぱり美男美女の方が絵になるなって。
そんな当たり前のことを。
決して深刻ではなく、ただ事実として受け止めていた劣等感が、なぜか今になって胸を刺す。
ああ、リード、背が伸びたな。
女性にしては高身長のアンナと並んでも違和感が無い。
さっきまで軽口を叩きあっていた相手だ。
さっきと今で何も変わらないのに。
変わらないはずなのに。
…何でこんな気持ちになるんだろうか。
『大丈夫か?』
不意に、頭の中に声が響いた。
すぐにわかる。
リードの声だ。
だけど目の前を歩くリードはアンナを笑顔でエスコートしているだけで、こちらのことなど見ていない。
戸惑いを隠せない私の顔を、隣のアドルフ様が不思議そうに覗き込む。
「どうした?」
「あ、いえ…今何か…」
『これお前にしか聞こえてないから。首飾り越しに話しかけてるだけ。声じゃなくて思念を送りあう仕組みにしてみた。ただ、ちょっとまだ調整中だから結構強く念じないと届かねーかも』
やっぱり首飾りは魔物化してたらしい。
それにしても、それって念話ってやつなんじゃ?
相変わらず魔王様は常識外れだ。
『顔色悪いぞ。大丈夫か』
いつも通りだ。
いつもと同じように、ぶっきらぼうな言い方で、私を心配してくれてる。
私が知ってる、リードだ。
いつの間にかリードに伸ばしかけていた手に気付いて、慌ててもう片方の手で握りこむ。
リードとアンナは周囲のざわめきを切るように、私たちとは反対側へと歩いて行った。
『…大丈夫だよ』
動揺が届かないように、その言葉だけを強く念じた。
首飾りがふんわり熱を持ったような気配がするから、きっと今ので届いただろう。
…さっきまで考えてたつまらないことが、リードに届いてないといいんだけど。
「悪くない反応だな」
「え?」
「アンナ嬢を悪く言う声はあまりないだろう?」
「ああ…」
私たちが念話で話していたことなど知らないアドルフ様は、私が黙り込んでいるのは周囲の様子をうかがっているからだと判断したらしい。
「リードがエスコートしてくれたおかげか」
「…そう、ですね。でもやっぱり、アドルフ様主催の舞踏会だからじゃないですか?」
「まあ、それは大きいだろうが」
アドルフ様の言葉通り、周囲の反応は二人の美貌を称えるものが多かった。
アンナが久々の社交界であることについて触れる人はいるけれど、何せこの舞踏会こそがアンナのゴシップのきっかけとなったベルブルク家主催のもの。
少なくともアンナをアドルフ様が招待した事実は揺らぎようがなく、表立って悪く言う人はいない。
それもあってか、もしくはリードで頭がいっぱいなのか…アンナは屈託のない笑顔を曇らせることなく会場に立っている。
それを見てホッとすると同時に…なぜか胸のざわつきが収まらなかった。
間もなく開始時間を告げる時計の音が響き、アドルフ様は私を伴って会場の端に用意された壇上に上がる。
アドルフ様が挨拶をして、乾杯するだけ。
私の仕事は特にない。
ただ側に立ってニコニコしていたらいいだけだ。
だからって言うわけじゃないけど、私は全く緊張することもなく自然な動きでアドルフ様についていっていた。
ざわつく心が、周囲の目だとか緊張だとかいうものを通さなくなってしまっている。
壇上から見渡す先。
壁際にいる、ひと際目立つ男女が嫌でも目に入る。
アンナはこっそり手を振ってくれる。
その姿は愛らしくて、悔しいけれど頬が緩む。
隣に立つリードは…無表情でこちらを見ていた。
嫌でも目を奪う紅い瞳。
こんなに離れた場所からでも私の視線をからめとり、背筋を震わせる。
それなのに、アンナが何か声をかけると、その瞳はすぐ細められて、隣の美少女へと向けられた。
たったそれだけのことで波立つ心をなんていうか、さすがの私ももうわかる。
これは独占欲だ。
私が好きなのはファリオン。
だからこれはきっと恋じゃない。
一番仲良しの友達をとられた、そんな感じ。
…私は、こんな子供みたいな独占欲を持つ人間だったんだろうか。
「…アカネ嬢、ひょっとして具合が悪いのか?」
アドルフ様に声をかけられてハッと顔を上げた時、私たちはいつの間にか壇上を降りていた。
最初のワルツの為に、楽団が準備を始めている。
主催であるアドルフ様はホールの中央へと歩を進めていたけれど、うわの空の私を見て気づかわし気な顔をしていた。
「あ、いえ…すみません」
確かに気分はよくない。
お昼をろくに食べていないせいだろうか。
とはいえスムージーくらいは取ったし、今現在お腹は不思議なくらい空いていない。
ただ、自己嫌悪が激しいだけだ。
首を振って気分を入れ替える。
ずっと暗い顔をしていたらアドルフ様に失礼だろう。
「人前に立つのが苦手で、ちょっと緊張してただけです」
「そうだったのか?それなら今夜のような場は辛かっただろう。すまないな」
「いえいえ。苦手ではありますけど、滅多にできない経験でもありますからね」
笑ってそう返し、昼間にリードに言われたことを思い出す。
言うなら今だろうか。
「半年の間にそう何度も無いことでしょうし」
小声でそう呟いた。
…釘を刺しとけって言われたけど、こんな遠回しな感じで大丈夫かな?
さすがにズバッというのもね?
けれど意図はしっかり伝わったらしく、アドルフ様は眉根を寄せて黙り込んだ。
間もなく始まった音楽に合わせて、流されるように手を取り合う。
気まずい無言を耐えてステップを踏み、曲も中盤に差し掛かったころだろうか。
アドルフ様が呟いた。
「少しは俺のことを憎からず思ってくれているのかと思ったんだが」
そりゃ憎くは思ってない。
いや、分かってる。
そういう意味じゃないよね。
「…アドルフ様は魅力的な方ですよ。きっと素敵な奥様を迎えられるんだろうと思います」
気を持たせるようなことなんてしたつもりない。
今だってそうだ。
その"素敵な奥様"に自分が含まれないことも、きっと伝わっているはず。
なのにどうして腰に添えられた手の力が強くなり、目の前の朱色は熱っぽくなるのか。
「…アカネ嬢は想う相手がいるのか」
「え?」
「こうもはっきり念を押されるんだ。違うのか?」
…一応、線引きしたことは伝わっているらしい。
視線を彷徨わせ、答えに迷う。
小声だから、きっと周囲の人に聞こえてはいないだろう。
傍から見れば囁きかわす仲のいい二人に見えてるんじゃないだろうか。
他に聞かれる心配があるとしたらリードだけど…
今つけている首飾りの能力は声を届けるんじゃなくて念話だという。
それなら、届けようと思わなければ、きっとリードには伝わらないよね?
この話、リードの前ではしにくいから…
「そうですね、います」
「…ヴィンリードか?」
驚いて目を見開いた。
「ち、違いますよ?何でそうなったんですか?」
この前シェドの話をしたばかりだから、そこと両想いなのかと思われる可能性は考えてたけど。
「…少なくとも奴はアカネ嬢に惚れてるだろう」
思わず口がパカッと開いた。
リードの戯れはずっと続いている。
セクハラまがいの発言とか、口説くようなことしたりとか、最近はエスカレートしてキスまでされちゃったけど。
だけど、アドルフ様の前でそんなことしたっけ?
「あれだけ牽制されれば誰でも気付くだろう」
牽制?
さっきの馬車に乗り込む前のことかな?
もしくはプロポーズ事件が起きたあの場所でリードに問い詰められた時のこと?
確かにリードはアドルフ様に対してあんまり猫を被らないし、ちょっと態度悪いけど、それは…
「単にアドルフ様が嫌いなタイプなだけなんじゃないかと…」
「…たとえそうだとして、それを臆面もなく言うのがすごいよな、アカネ嬢は」
推測が思わず口から滑り落ちてしまった。
「アドルフ様が悪いんじゃないですよ。相性が悪いだけです」
フォローになっているのかなっていないのか、自分でもよくわからない言葉を続けると、アドルフ様は耐えかねたように噴き出した。
「確かに、相性は良くないと俺も思っていたところだ。本当にアカネ嬢は面白いな」
曲の途中、一拍音が無くなる瞬間。
腰を強く抱き寄せられ、いつだって目線より上にあったアドルフ様の頭が、覆いかぶさるように私の肩に触れた。
耳に熱い吐息がかかり、唇が触れるような気配に身を強張らせる。
「…俺が口説く隙は無いのか?」
きっと一瞬のその動きは、ほとんどの人が気付かなかっただろう。
だけどどういう偶然なんだろう。
抱きすくめられたその瞬間、私の視線の先に居たのはリードで、その紅い瞳はこちらを真っすぐ見据えていた。
…見られた。
そう思うのと同時に、自分でも驚くほど動揺した。
頬に熱が集まるような、頭のてっぺんから血が引くような。
目まぐるしく血液が回る感覚がして、よろめきかけた体を、すぐに体勢を戻したアドルフ様が支えてくれる。
「…すまない。大丈夫か」
「だいじょう、ぶです」
もつれる舌がもどかしく音を紡ぐ。
すぐに遮られた視界に、いつもの紅は見当たらない。
アンナを抱き寄せて踊り、何気なくこちらを見ていたリードがどんな顔をしていたのか…
ついさっきのことなのに、もう思い出せなかった。
間もなく曲が終わり、私はアドルフ様から離れる。
「アカネ嬢!」
手を放してしまったせいでふらつく足取りを支えてくれる者は無く、ぐらついた視界はそのまま真っ逆さまに…
「…大丈夫?」
背中から何かが優しく受け止めてくれた。
ぼんやり見上げれば、そこに居たのは予想通りの人。
「リード…」
「さま、つけろ」
「…リード様」
小声でお叱りを受けて、言い直した。
そうだった、今は公の場だった。
それにしてもこの義兄、ふらついてる時にまで手厳しい。
「申し訳ございません、アドルフ様。アカネは具合が悪いようなので、少し隅で休ませます」
「あ、ああ。医者を呼ぶか?」
「いえ、しばらく座らせて様子を見ます。主催であるアドルフ様が抜けるわけにはいかないでしょう。僕が様子を見ていますので、その間、アンナ嬢のことをお願いできますか?」
リードが振り返った先には、アンナが立っていた。
私の方を気遣わしげにしつつも、アドルフ様の視線と周囲の注目が集まっていることに気付いてその場で礼を取る。
「お久しぶりでございます。アドルフ様」
「…ああ。元気にしていたか」
ぎこちないながらも二人の会話が始まったのを見届けて、リードは私を抱き上げる。
「わっ」
「ちょっと我慢して」
すぐに会場の隅に置かれた椅子へと運ばれ、人々の輪から離れた。
「あ、ありがとう」
「まったく、ちゃんと食べないからだよ」
「…食べたらドレス綺麗に見えないし…」
「ドレスが見劣りするよりも、ダンス中に倒れる方が迷惑かけると思うけど」
「……」
まあ、そうなんだけど。
ていうか、これたぶん食べてなかったからとかそういうのだけじゃないし。
気持ち的なものだと思うし。
…気持ちが落ち込む理由が空腹のせいっていうのは無きにしもあらずだけど。
でもそんな事を告げても面倒なことになるだけだし、この場で話せることでもない。
私は大人しく叱られることにした。
リードはずっと文句を言いつつも、飲み物やらゼリーのような柔らかい食べ物やらを持ってきて甲斐甲斐しく世話をしてくれる。
「ふ…」
「何笑ってるの」
「ううん、なんか、甘やかされてるなって」
「俺はアカネの奴隷だからな」
小声で悪戯っぽく囁かれた。
なんか久しぶりに聞いた気がするな、それ。
度々お決まり文句のように聞く言葉なのに、何故だかずいぶん聞いていないような気がした。
二曲目が始まり、ホールの中央ではアドルフ様とアンナが踊っている姿が見える。
二人の顔には緊張が残りつつも、たまに言葉を交わしては笑みを浮かべあうこともあった。
「…良かった」
「あの調子なら、アンナ嬢が社交界に復帰しても大丈夫なんじゃない?」
「そうだね」
今回を機に、アンナがまた気兼ねなく社交界に出られるようになればいいな。
そういえば…
「ねえリード。リードはアドルフ様のこと、嫌い?」
私の問いかけに、リードは片眉を上げて訝しげな顔をした。
「どういう意味だ?」
小声で寄こされた質問返しは、素に戻ってしまっていた。
慌てて周囲を見渡すけれど、近くに人は居ない。
ほっと胸をなでおろす。
軽く躱さないってことは、図星なのか。
「いや、アドルフ様が…牽制されてるって言ってたから。そういえば公の場ではあんまり私にちょっかいかけないようにしてたのに、アドルフ様の前ではちょっかい出してたなって思って」
そんな私の言葉に、リードは大きく溜息をついた。
「もし俺が牽制してたとして、お前に不都合あんの?」
「え、いや…」
不都合っていうか。
何で?っていう疑問は出てくるよね。
リードは私の義理の兄妹で…自称奴隷で。
未来の魔王様で。
ちょっと、相棒みたいな存在で。
その間柄に、相手の恋路を邪魔する正当な理由なんか無い。
「茜を使った染色で、特殊な方法を使えばもっと濃い色も出せるって言ったの覚えてるか?」
「は…」
返事を迷っている間に、いきなり話を変えられた。
突然の方向転換に迷子になる私。
しかしそんなのお構いなしに、リードは言葉を続ける。
「正確に言うと茜に限ったことじゃないし、濃い色どころか他の色に変えることもできる。まあ、ちょっとした演出だな。アカネのそのグローブとコサージュにも、その細工がしてあるんだよ」
「細工?」
その言葉で思い出すのは、ミス・グレイの言葉だ。
"地獄蝶の鱗粉"を使ったとか言ってたな。
「地獄蝶って個体によって色が違うだろ?その鱗粉も同じ色を持ってる。その性質として、昼は目立たないのに、夜には鮮やかな色に変わる。そしてまた昼になれば色が消える。それを利用して染色すると、昼と夜で別の色を持たせることができるんだ」
え、そんなことできんの?
さすがファンタジー。
「色持ちがいいって理由で使ったんじゃ…」
「それはミス・グレイに適当に言った嘘。これあんまり知られてないからな。ちなみに、俺のピアスも地獄蝶の鱗粉を加工して作ったやつ」
その言葉に視線を上げてみれば、ダイヤだと思っていた石はいつの間にか…ダークブラウンに染まっていた。
え、それってもしかして。
ふと気付く。
自分の胸元に大きく咲いた花のコサージュは…
「リード?」
顔を上げて、見つめた先。
私を捕えて離さない瞳と同じ色が、私の胸元を染めていた。
リードの暴走が続いてます。
こんなに早く押せ押せモードに入る予定じゃなかったのに…
一年分くらい巻いてます。
アカネ大好きかよ。




