065二人のおやすみ
広間のドアを抜けて廊下に待機していたティナと合流するも、アドルフ様の歩みが緩むことはない。
肩を抱かれているから置いて行かれはしないんだけど、早歩きなので足が追い付かない。
コンパスが違うんですよ、コンパスが!
ティナは涼しい顔で後ろをついてきているけど、私はヒールの高い靴だしドレスが足にまとわりつくしでキツイ。
廊下を五十メートルも歩いたあたりでついに私はつまずいた。
「っ、アカネ嬢!」
前に傾ぐ私の体を、アドルフ様がすかさず支えてくれる。
「ふー、危なかった。ありがとうございます」
「…すまない」
「いいえ。フェリクス殿下に言われたこと、よっぽど嫌だったんですね」
苦笑気味にそう返すと、アドルフ様は視線をそらして黙り込んでしまった。
何、なんなの。
つらい過去の地雷でも踏んだ?
「確かに俺はそれなりに女性と付き合いを重ねてきたが、彼女たちが嫁げなくなるようなことは誓ってしていない」
「はあ」
女性慣れしてるのは本当らしい。
社交界の噂話とか興味なかった私には初耳だけど。
しかし気のない返事をしてしまったためか、アドルフ様は苦笑した。
「アカネ嬢は興味なさそうだな」
「アドルフ様が不義理なことをしない人だろうってことは分かってますよ」
ほんの数時間話しただけだけど、その人となりはよく分かった。
フェリクス王子のからかいを真に受けたりはしない。
安心させるべく微笑んでそう返すと、アドルフ様はまた視線をそらした。
薄暗い廊下だからわかりづらいけど、顔が赤く見える。
…なんでそんな恋する乙女みたいな反応をするのかな?
「…で、殿下とのやりとりのせいで、俺たちの関係はかなり重く受け止められてしまうかもしれないな」
「ああ、本気で好きなんだって思われてましたね」
最後のあれはからかっているわけではなく、本当にそう思ってそうだった。
「まあ付き合いたては感情が爆発して熱くなっても、数か月経って冷めることはよくあります。あのやり取りがあった上で半年で別れても、若気の至りだと思われるだけですよ」
ソース、少女漫画。
そんな私の返答が意外だったのか、アドルフ様はしばし言葉をなくして私を見つめていた。
「…アカネ嬢は、恋愛経験が豊富なのか?」
十四歳のパッとしない令嬢に何言ってんの。
しかし素直に答えるとさっきの言葉の信ぴょう性が薄まってしまう。
よって。
「秘密です」
そう答えただけなのに、なんでぐっときたような表情してるんだ。
なんなの、アドルフ様本当に私に気があるみたいになってない?
女性慣れしてるんだよね?
普通の令嬢とちょっと違うあいつが気になる、とかそんなテンプレに惑わされたりしないよね?
頼むよ。
変な沈黙を抱えたまま私たちは再び歩き始め、ウィステリア棟の手前まで来たところでアドルフ様に声をかける。
「ここまでで結構です。ありがとうございました」
「ああ」
部屋の前まで送るのは醜聞の元。
手前で別れるのが礼儀だ。
ソース、ティナ。
「舞踏会の日だが、十七時に迎えに来る」
「はい、お待ちしてます」
それじゃ、と別れようとすると、後ろ手をつかまれた。
「…え、と?」
「…また手紙を出す」
「はあ」
一週間後に会うのに、もう手紙の話?
「ほどほどでいいですよ」
私も返すの面倒だし。
「…それ顔に出すのやめろ」
私の顔がすみません。
「俺からの手紙が嬉しくない女なんていないぞ」
ここにいます、とは流石に言えないので『楽しみにしてます』と返した。
顔に出てるらしいから、あんまり意味ないかもしれないけど。
「まったく、とんだ女だな」
「あはは、半年の付き合いなんで我慢してください」
「……」
だからそこでちょっと寂しげな顔とかしないで。
「では、おやすみなさい」
「…ああ、おやすみ」
いらんフラグが立つ前に、と急いでアドルフ様と別れる。
本当の恋人同士なら、もっとこの場で別れを惜しむんだろう。
危ない危ない、確かメイド長のカメリアが以前『アドルフ様派です』とか言ってたし、既にアドアカ同盟とかあるかもしれない。
この世界に来てから変に色んな人とくっつけようとする不思議な力が働いている気がする。
不思議なチカラ=メイド説もあるんだけど。
もし本当に不思議な力が働いているなら、私の本命は一人なんだから、素直にファリオンと会わせてくれたらいいのに…
そんなことを考えつつ歩いていると、部屋の前に人影を見つけた。
「…リード?」
廊下の薄暗い照明に照らされる少年。
タキシードを着たままのリードが、私の部屋の前に立っていた。
その顔に表情は無く、なんだか身構えてしまう。
「おかえり、アカネ」
「た、ただいま。どうしたの?」
「少し話がある」
ティナと顔を見合わせた。
「えっと、今すぐ?」
「お嬢様のお着換えが済んでからでもよろしいですか?」
「いや、すぐに終わる」
リードは私の腕をつかみ、ドアを開けた。
強く引っ張られた手首の痛みに顔をしかめつつ入室すると、いるはずのエレーナの姿が無い。
室内は暗く、窓から頼りなげな月明かりが差し込むだけだった。
不穏な空気である。
「…あの、エレーナは?」
「退室してもらった」
人払いしてリードと話すのはいつものことだ。
だけどこんな夜更けに堂々と人払いしたことは無い。
リードが夜に私の部屋へ来るのは、いっつも魔王様のお力を駆使してこっそりと、だった。
だって、兄弟とはいえ義理なわけだし、さすがに夜更けに二人きりになるのはメイドたちが許さない。
「な、なにごと?」
うろたえた声が出た。
そんな私を守る最後の盾。
廊下に立ったままのティナが、珍しく困ったような表情を浮かべてリードを見ている。
「…ヴィンリード様…アカネ様はスターチス家のご息女であり、貴方はその兄なのですよ」
「分かってる」
ティナの心配をにべなく切り捨て、リードは扉を閉めた。
最後の盾が失われた…
「…リード?何で怒ってるの?」
無表情だ。
だけど鈍い私でもさすがにわかる。
リードは怒ってる。
空気を和らげようとおどけるように聞いたつもりなのに、その声は震えて弱々しく部屋の中に落ちた。
「なんで?本気でわかんねーのか?」
掴んだ腕を力任せに振られ、乱暴にソファへと放り投げられる。
受け身を取れなかったもののあまり痛くないのは、うまく投げてくれたからなのか。
…感謝する気にはなれないけど。
咄嗟に体を起こそうとするも、仰向けの私をすかさず押さえつけるようにリードが圧し掛かってくる。
「ちょ、ちょ…」
大変誤解を招く姿勢になってるんですが。
ドアをあけられても、角度的に私たちの姿は背もたれに隠れて見えないだろう。
だけどたぶん足がはみ出てる。
絡み合う男女の足。
一発アウトの判定をいただくことだろう。
こんなのあり得ない体勢だ。
なのに、私を抱きこむ腕の太さも、鼻腔をくすぐる柔らかな匂いも、すっかり慣れ親しんでしまっている。
悪夢の夜、何度も私の涙を受け止めてくれた胸。
だというのに、悪夢の直後でないというだけでどうしてこうもうろたえてしまうのか。
知らない感触じゃないという事実がかえって私の顔を熱くする。
「アカネ、お前が好きなのはファリオンだろ」
耳元でささやかれた言葉に、ピクリと体を震わせる。
見上げたその顔は無表情の仮面を脱ぎ捨てていた。
眉根を寄せ、大きな赤い瞳をゆがめて。
いつも飄々としているくせに、どうしてこの話題になるといつもそんな余裕のない表情をするのか。
そんな問いかけをする勇気は、私にはない。
「何で、他の男まで引っかけてんの」
「ひっかけ…失礼なこと言わないでよ」
私にもアドルフ様にも失礼だ。
「ああそうか、お前鈍いもんな。気付いてないわけだ」
「え?いや…帰り際には…ちょっと怪しいなっていうのは察してたよ…」
でもまさか女性慣れしてると言われてるらしい公爵家嫡男がそんなちょろいなんて認めたくないだけだ。
落とす気も無い女に落ちてくれるな。
「じゃあ分かった上でってわけか?二曲続けて踊ったのもわざと?」
「そんなわけないでしょ」
こんな面倒なことになるのに、私が望んでそれをするわけがない。
メンドイの四文字がちゃんと顔に出てくれていたらしく、リードは私の顔を見て『それもそうか…』と呟いた。
初めて私の顔が仕事してくれた。
「そうなんだよな、お前はそれなのに、こうなるから…」
何かぶつぶつ呟いた後、リードは私の顔をじっと見つめてまた囁いた。
「お前、ファリオンに会えたらどうされたいの?」
「何言わせようとしてんの!?」
自分の夢妄想を語るとかコイバナ以上に辛いわ。
「いいから、言えよ」
「嫌だよ、なんでそんなことリードに言わないといけないの!」
「言わないと一秒ごとに一センチずつスカートまくり上げる」
「変態!?」
なんなの、今夜のじゃれあいハードモード過ぎない?
しかし冗談だと思っていた私の足首に、リードの指が触れた。
「ちょっ」
「はい、いーち」
「まってまって何で!?」
「にー、さーん」
本当にゆっくりと。
亀の歩みのような速度でスカートがたくし上げられ、素肌があらわになっていく。
人生初の事態に、頭は真っ白。
ぱくぱくと意味なく動いていた口がようやく声を発したのはカウントが二十を過ぎたころだった。
「まって、わかった、言うから!」
「言うならさっさと言え。にじゅうさーん」
「き、きききキスとかしたいです!」
これ何て拷問。
顔が熱くて死にそうだ。
心臓がドラムロールみたいな脈打ち方してるし。
恥ずか死とか本当にありそう。
「…泣くなよ」
そう言われて気付く。
顔の横を涙が伝っていた。
何の涙なのか、自分でもよくわからない。
恥ずかしいし、なんか怖いし、わけわかんないし。
頭の中がぐちゃぐちゃだ。
鼻がつんとしているのに気付いて、手で押さえて軽くすする。
「リードのせいでしょ」
「…どんなシチュエーションでキスされたいんだよ」
「まだ続くの!?」
ここ『やりすぎたゴメン』って反省するシーンでは!?
「まあ、大体わかるけどな」
あんたに何が分かるっていうんだ。
今まさに分かってなくて私を泣かせただろ。
「ロマンチックなシチュエーションで、優しく抱き寄せて名前呼んで、とかだろ」
「……」
当たってたわ。
いや、私の希望がベタすぎるのか?
どんな顔していいかわからなくなった私は、果たしてどんな顔をしていたのだろうか。
だけどリードは『あたりか。顔に書いてある』と言った。
両手で顔を覆うも、時すでに遅し。
「アカネ」
リードの指先が、さっきまできつく掴んでいた私の手首にいたわるように優しく触れ、隠していた顔を暴いてしまう。
多分私は真っ赤なんだろう。
酷い顔をしているだろうから見ないでほしいのに、不思議と抵抗できなかった。
視界に差し込む月明かり。
銀髪を縁取る光がぼんやりゆらめいて見えて。
優しく髪を払った手の平が私の頬へ。
吸い込まれそうなほど深い赤が視界いっぱいに広がり、もう何度目かわからない甘い痺れに襲われ、私の動きをひと時阻む。
唇の感触は、すぐに離れた。
「……」
撫でるような一瞬の触れ合い。
だけど私の脳は、その刺激をしっかり認識してしまった。
「おやすみ」
最後に残されたそんな呟きをまともに処理できるわけもなく、私は何も返せない。
顔を伏せたリードは、凍り付いた私をそのまま放置して体を起こして立ち上がった。
そして部屋のドアのノブをひねった瞬間、部屋の中に響いたのは何かが床に倒れこむ音。
ようやく硬直の解けた体を起こして視線をやる。
無表情のまま歯噛みするティナ。
鼻血をハンカチで押さえているエレーナ。
気まずそうなエドガー。
相変わらず表情筋が死んでるアルノー。
リードは予想していたのか、綺麗に避けている。
…ドア開けられてドサドサとか『うわ馬鹿おすな』でドサドサとかって本当にあるんだ。
四人のおかげで変に冷静になってしまった私は、その四人の横を通り過ぎて出て行ったリードの後姿を黙って見送った。
この後、過去最大級の大暴走をするエレーナを宥めるのはめんどくさかったし、『シェディオン様になんと言えば』とかくずおれるティナを『何も言わなくていいから』とたしなめるのは大変だったことを付け加えておく。
書いているうちに私の想定を超えた大暴走してくれましたが、本人が楽しそうなので何よりです!
それはそうと、今日がGW最終日!
十日連続更新達成!
お付き合いありがとうございました!




