006兄は強面、私はドラゴン
「わかりました。すみませんお母様、失礼しますね」
「はぁい、またお茶しましょうねぇ」
門の方へ向かう私の後ろを、影のようについてくる姿があった。
…お兄様、一緒に来るつもりか。
魔術師の先生は若い男性なのだが、魔力調整を教える際、手をとって指導することがある。
それが兄には不満らしく、レッスン初日の夜にはわざわざ私の部屋へやってきて『女性教師を探さないか』と提案してきた。
私は先生に恩がある。
そして手をとられたくらいで『破廉恥だわ!』なんてなるような箱入り令嬢ではない。
というかそんなこと言ってたらダンスとか踊れない。
兄の提案を断り、邪推するのは先生に失礼だと諭したけれど、やっぱり二人にはしたくないようだ。
長男、シェディオン・カッセード・スターチス、19歳。
家族や親しい友人にはシェドと呼ばれている。
カッセード領を若くして任されている領主であり男爵をついでいるけれど、今は勉強のためにセルイラ滞在中。
顔立ちはと言えば、朗らかな両親の面影は一切無い。
直球で言うならば強面のあんちゃんである。
短く刈られた黒髪に百九十センチ強の長身、引き締まった体躯。
濃茶の瞳はただでさえ目つきが良くない。
それに加えて二年前にカッセードの魔物討伐訓練に加わった際についた傷が、顎から鼻梁を通って額まで大きく走っており、ますます凄みが増している。
嫁に来てくれる娘さんはそれなりの胆力が必要だと思う。
そんな兄はまだ13歳の小娘である私に近づく男性に厳しいようだ。
「お兄様…カルバン先生のこと、お嫌いですか?」
「いや…」
否定しながらも黙り込む兄。
やはり思うところはあるようだ。
シェドお兄様は正義感が強く真面目で、悪く言えば融通が利かない。冗談も通じない。
父と違って武術の才があるようで、領内でも一、二を争う実力者。
五年前から若くしてカッセードの領主を任されている優秀な人だ。
カッセードの魔物問題も本当ならば兄に進言するべきなんだろうけど…
兄はカッセードのとある問題を治めてから、今度は次期当主としてセルイラのことを勉強中。
これ以上無理はさせられない。
何より、来年王国騎士団へ入団することが最近決まったばかり。
領主になる前の社会勉強もかねてのことだそうだ。
その間はカッセード領主の座も父に再度託すという。
私としてはさっさと当主を継いでほしかったけど、大人には大人の事情があるんだろう。
両親同様、私に相当甘く、この通りかなりのシスコンだ。
饒舌なほうではないが、私を見つけると必ず寄ってきて頭をなでてくれる。
先日、あまりに可愛がってくれるので困らせてみたくなって、思いっきりぶりっ子しながら
『わたしお兄様と結婚するぅ!』と言った日には、この兄ときたら大真面目な顔で頷き、父に結婚の許可を取り付けようとしだした。
慌てて冗談だと否定した時の寂しげな表情が忘れられないので、この兄をからかうのはやめることにしている。
でも強面の兄が私の前でだけ相好を崩すというのは悪くない…うん、悪くないね。
とまあこのように、問題はいろいろあるけれどひとまず私を取り囲む人々は総じて私に好意的だ。
ここまで愛されているのに違和感はあるけれど…そこはおそらくユーリさんのおかげではないだろうか。
この世界に来る前に、私の過ごしやすさをずいぶん気にしてくれていた。
家族から愛される、という設定をつけてくれたのかもしれない。
…ちょっと調整をミスっている感はあるけれど。
これも一種のチートというのだろうか。
それにしても私一人だけ家族の中で浮いてるんだけど、どうして誰もつっこまないんだろう…
ガッツリ和名だし、顔立ちだって…悪い方ではないと思っているけれど、母や姉を見るとがぜん見劣りする。
まぁ顔立ちの浮きっぷりでいえばお兄様も負けてないんだけどね。
そんな些事が気にされないのも、溺愛設定のなせる業なのか。
門のところへ行くと、いかにも魔術師っぽいローブを来た少年が立っていた。
彼が魔術師のカルバン先生だ。
門の両隣には小さなベリーの成る木が植えられており、この時期は多くの小鳥が集まる。
カルバン先生は動物に好かれるタイプだそうで、この時も指に小鳥をのせていた。
彼は実は27歳なのだが、童顔で15,6歳くらいにしか見えない。
大人っぽく見られようとモノクルをかけているらしいのだが、ただ可愛いだけだ。
顔立ちも美少年である彼が小鳥と戯れる様は、絵本のよう。
しかしその光景を壊す人物が居る。
…兄ではない、私だ。
私が近づくや否や、小鳥は天敵が来たとばかりに大騒ぎ。
警戒音を発しながら一羽残らず遥か彼方へ飛び去っていった。
…断っておくが、私が小鳥達に危害を加えたことなど一度もない。
そんな様子を見ながらカルバン先生は苦笑いする。
「相変わらず凄いね」
「えぇ…傷つきます」
「仕方ないよ。小さい生き物ほど魔力に敏感だ。
魔物から逃げないといけないからね」
「魔物…」
魔物と同列扱いされる伯爵令嬢って世界初なのでは。
兄が後ろで殺気を放っているので訂正してほしいが、カルバン先生は実力ある冒険者。
強面にも殺気にも慣れているので意に介さない。
「君の体表から噴出している魔力は上級ドラゴンが威圧している時と同レベルだ。
範囲が狭いのが幸いだね。せいぜい5mってところみたいだ。
これが本物のドラゴンの射程距離なら
君が一歩歩くごとにセルイラ領から小動物は消えて家畜は恐慌状態に陥るだろう」
そんなことになったら私は間違いなく国外追放だ。
これが私の抱えている問題の二つ目。
カルバン先生の言うとおり、私はとんでもない魔力の持ち主らしかった。
この世界には魔術だとか魔力だとかいうものが現実にある。
魔力というもの自体は誰もが扱える。
ただし、体内に蓄えられる魔力量や、大気中から魔力を摂取できるスピード、放出できる魔力量には個人差があるものだ。
それが魔術師としての才能につながるわけなんだけど。
体内に蓄えられる量がMPというもので、摂取スピードがMP回復速度、放出量が魔術攻撃力にあたる。
私はその全てが人間離れしているのだという。
誰もが体内にたくわえた魔力を少しは表面から放出してしまうらしいが、
私は元のMPが多すぎる上に制御がうまくできておらず、放出量がドラゴンレベルになっているらしいのだ。
初めて魔術を使ったのは、実はほんの五日前のこと。
カルバン先生に出会ったのも同じ日だ。
貴族はあまり魔術を使う機会がなく、特に指導される機会も無い。
護身術を習うなら指導範囲に入ることもあるが、私は特に教わったことが無かった。
記憶を探っても使おうとした気配すらなかった。
でもこの世界に来たのなら魔術を使ってみたい!
思い立ったが吉日と、私は庭先で試しに水の魔術を使ってみた。
使い方なんて知らないのでイメージだ。
小雨で庭の花に水をやるイメージをしてみた。
「いでよ雨!」
呪文も適当だ。
ところがそれでうまく雨が降ってきた。
「おお!」
私は天才だ。
「あれっ、ちょ…いたたた!」
…超局地的スコールかという勢いで私の半径3mくらいの範囲でのみ豪雨が発生していることを除けば。
花が雨の勢いに負けて土にめり込んでいく。
星形のピンク色の花で、とても気に入っていたのに。
「あああ!」
慌てて止めようとするものの、生まれて初めての魔力の放出。
取っ手のなくなった蛇口のように、止め方がわからない。
「だ、誰か助けてぇぇ!」
事態に気付いた両親や兄、使用人が駆け寄ってくるも、魔力の止め方がわからないという感覚がわからないらしかった。
加えて魔術に長けた人間が屋敷にいないためにどうすることもできない。
お母様やシェドお兄様が私を落ち着かせようと抱きしめてくれていたが、それでどうにかなるものではなかった。
あまりの雨の激しさに、私も呼吸がままならず、あわや自分の魔術で溺死すると言う時。
どこからか現れた少年が私の手をとった。
急速に魔力の放出が収まっていく感覚がして、雨が止む。
「やれやれ、来てみてよかった。物凄いご令嬢がいたものだ」
そう言って苦笑した少年がカルバン先生だった。
彼はセルイラのギルドを拠点に活動しているA級冒険者で、ジョブは魔術師。
たまたま市街地にいたカルバン先生は大きな魔力の波動に気付いて方向を探った。
するとおかしな雲が屋敷にあることに気付き、様子を見に来てみると令嬢が魔力を暴走させている。
門番を説得して半ば強引に押し入り、止めてくれたのだそうだ。
先生には感謝してもしきれない。
『こんな魔力を持つ子を野放しにすると下手をすれば領地がふっとぶ』と言ってそのまま魔術指南を買って出てくれた。
たしかに、ほんの小雨イメージであのスコールだったんだ。
ほんのちょっと涼みたいから風でも、なんて思った日には竜巻が領地を飲み込みかねない。
そんなこんなで魔術を使ってしまった日以降、私の体はタガが外れたように魔力がダダ漏れているらしい。
お兄様にも『魔術を使う前はこうではなかった』と言われている。
であれば、逆にきちんと制御できるようになれば以前のようになれるはずとのこと。
そういうわけで、それ以来カルバン先生は毎日魔術を教えに来てくれている。
主に強すぎる魔力の制御方法だ。
今日の授業はもう終わったはずなのだけれど…渡したい本とは…
「先日言っていた本が見つかったから持って来たよ。
奇跡の少女、マリエルに関する記述がある本だ」
「あぁ…有難うございます」
マリエル…大魔術師として名を馳せる少女だ。
私は彼女の名前を知っている。
有名人だから、というわけではない。
『ホワイト・クロニクル』の登場人物…
いや…彼女は、ファリオンと結ばれる”ヒロイン”だ。
先生が彼女の本を持ってきてくれたのにはわけがある。
マリエル…物語中ではファリオンに『マリー』と呼ばれていた彼女は、常人にはあり得ない膨大な魔力の持ち主だった。
多くの動物は彼女が近づくだけで逃げ出し、魔物は逆に吸い寄せられるように寄ってくる。
「彼女はまさに歩く魔力泉、君と同じだね」
「…先生、私のことキライなんです?」
「どうして?」
意外そうに目を丸くされた。
最近うすうす気づいていたけれど、先生は天然の毒舌だ。
悪気はない。
ともあれ間違っていない。
私の能力は、彼女ととてもよく似たもののようだった。
小動物が逃げるくらいならば屋敷にいる間は実害が少ないが、魔物を引き寄せることがあっては困る。
魔力制御の上達は急務だ。
しかし、マリーはこの力を得るにいたるまでに、非常に数奇な運命をたどっている。
それと同じ力を持つ私。
これは一体何を意味するのだろうか。
もしかして私って何かすごく特殊な運命背負ってたりする!?
中二チックだけどテンション上がるー!
なんて…マリーとの共通点に気付いて盛り上がったのは三日前の夜。
その晩の夢にはユーリさんが出てきて、
『ごめんごめん言い忘れてたんだけど、
ヒロインと同じ能力を得るのも本の魔女の性質なんだよねぇ。
というわけで特に歴史を変えるような宿命だとか、
ショックのあまり記憶を封じ込めている暗い過去とかなんにも無いから安心して!』
と、夢の中で夢を打ち砕かれるという非常に珍しい経験をした。
…もちろん嬉しくはない。
しかし翌日にカルバン先生にマリエルのことを知っているかと聞いてみたら、やはり知っているとのこと。
冒険者の間では有名だと言う。
彼女もギルドに所属しており、その魔力の大きさからS級の地位についているのだとか。
人嫌いのためパーティを組むことはほぼなく、ソロで各地を旅している。
彼女を目にした冒険者は口をそろえて語る。
ドラゴンににらまれた時と同じ気配を感じると。
『ホワイト・クロニクル』で本人が語っていた話によると、魔力制御ができていないのではなく、人嫌いゆえにあえて魔力をダダ漏れさせているだけらしいのだが。
そんな彼女のことが書かれている本を、先生は探してきてくれたらしい。
「有難うございます先生。読み終えたらお返しします」
「いや、あげるよ。その本はずいぶん読んでいなかったし、特に用事もないから」
「そうですか?ではお言葉に甘えて…」
本を受け取り、私はその足で自室へ向かった。