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魔王の隣で勇者を想う  作者: 遠山京
第四章 令嬢と王都

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052誰かの記憶

ファリオンの瞳の色を銀色に修正しました。

カデュケート王国の西端にあるゴードン領。

トルグスト・ヴォルシュ伯爵は、自領の屋敷の窓から外を眺めて目を眇めた。

美しい金髪、同じ色の髭を蓄え、若い頃は相当女性の目を奪ってきたものだったが、その憔悴しきった表情と光のない銀色の瞳にその面影はない。

すぐ横に広がる広大な森は、いつもは明るい青が冴える美しい場所だ。

しかし、今はやたら陰鬱として、何か禍々しい物でも噴き出してきそうな雰囲気だった。

"奴"はすぐにここへやって来る。

手勢を自ら率いて、そしてカール・ヴォルシュ侯爵一家にそうしたように、凄惨な悲劇をこの屋敷でも再演するつもりなのだろう。

言い知れない確信と絶望感に胸を焼かれながら、彼は頭を抱える。



「…あなた」



そっとその肩に添えられた細腕。

横に寄り添ったのは銀色の髪に緑の瞳を持つ美しい女性。

年は三十半ばを超えたところだったが、その美貌は十代のころと遜色ない。



「すまない、アマーリエ。私のもとへ嫁ぎさえしなければ、君が巻き込まれることはなかったというのに」


「そんなことおっしゃらないで。私たちが結ばれなければ、ファリオンだって居なかったことになってしまうわ」



そう言ってアマーリエが振り返った先には、扉の近くに立ったまま、緊張した面持ちでこちらをじっと見ている少年。

父親譲りの陽の光をより集めたような金髪に、月明かりを零したような銀色の瞳。

勝気な顔立ちは生意気そうながら整っていて、おそらく成長すれば父親同様に女性が黄色い声を上げる美男子になるだろう。

なかなか子供に恵まれなかったヴォルシュ伯爵夫妻が、ようやく授かった一人息子。

ファリオン・ヴォルシュはまだ九歳だった。

甘やかして育てたが為に奔放で我儘になってしまったが、その心根は優しく、気高い。

今も口を真一文字に引き結びながら、両親を心配そうに見ていた。



「…ああ、ファリオン…私の愛しい息子」



騙し騙され奪い奪われが貴族の営みとはいえ、なぜこんなむごいことを、なぜ今、なぜ私たちに。

兄であるカール・ヴォルシュ侯爵が殺されたのは一月(ひとつき)前のこと。

政敵であったアーベライン侯爵が手勢を率いてヴォルシュ侯爵邸を襲撃し、その場に居合わせた客人も含めて全ての人間を皆殺しにした。

領境の揉め事を収めるため領付きの騎士団が出払っている隙を狙ったもので、アーベライン侯爵自らが指揮を執っていたという。


たしかにヴォルシュ侯爵とアーベライン侯爵は政治的に対立してはいたが、アーベライン侯爵は決して悪人などでは無かった。

武闘派の一家であったため、有事の際には自ら陣頭に立って臣民を守り、下の人間達からの信頼は篤かった。

国に恥じぬ行いはしないのがモットーで、裏稼業の人間とつながることが多い貴族たちの中、清廉潔白を貫いていた。

まあ、ヴォルシュ侯爵一派と顔を合わせれば嫌味の一つくらい言う人ではあったが。

それでも人間味のある言動に収まっていたのだ。


それがなぜこんな凶行に及んだのか。

この襲撃事件は衝撃を持って国中に伝わり、アーベライン侯爵へは非難が殺到した。

国はただちに侯爵を城へ呼び出し、さらに闇魔術にかかっている恐れがあるということで王立研究所へ託した。

検査と治療、実質上の監禁である。

しかし、その王立研究所から彼が逃げ出したという一報が入ったのが、ほんの数十分前だ。


もし彼が王立研究所を抜け出してでもなお蛮行を続ける理由があるとすれば…

国中からの非難を覚悟してでも、ヴォルシュ侯爵家虐殺を実行するほど憎んでいたのであれば…

次の標的は、こちらだろう。

兄が跡継ぎもろとも殺された今、喪が明けたのちに正式な手続きを経ればトルグスト・ヴォルシュが侯爵をも継ぐことになる。

きっと奴はそれを良しとしないのだろう。

何しろ彼はずっと己の邪魔をしてきた"ヴォルシュ侯爵"という存在そのものを消し去りたいのだから。

だとすればきっと、この跡継ぎであるこのファリオンを見逃してくれることなどあるまい。


彼の手勢は捕えきれずに逃げたものも多いと聞く。

敬愛する主が旗を振れば再び集結し、蛮行に及ぶだろう。

この屋敷はすでに包囲されている、そう考えて間違いない。

ヴォルシュ伯爵家もまた、僻地で大型の魔物が発生し、騎士団をまとめて派遣したばかりだった。

アーベラインは王立研究所に拘束されているから、と油断したことを悔いてももう遅い。

国からの援護もおそらく間に合うまい。



『絶望の淵を覗きし者よ』


「…エッカルト?」


「はっ」



不意に聞こえた、地の底を這うような低い声。

思わず目をやったのは、扉の前に立つ近侍の男だった。



「今何か言ったのはお前か?」


「は…?いえ、何も申しておりません」



不思議そうな顔で否定するエッカルト。

アマーリエやファリオンも訝し気に伯爵を見上げる。

他の誰にも聞こえていないと気づくや、伯爵は眉根を寄せた。



『その身を焼く理不尽を退けたいか』


「っまただ…」


「あなた?どうなさったの?」


「いや、どこからか声が…」



戸惑う伯爵に構うことなく、その声は言葉を続ける。



『その身に迫る強き望みを叶えたいか』


「お前は誰だ?」


『我は魔王の魂、その力の根幹。我が手を取り、その円環の一部となるのであれば、いかな望みでも叶えよう』


「…にわかには信じがたいが、この窮地を破ってくれるというのならば、神だろうが魔王だろうが構わない」



虚空に向かって話す伯爵を、室内にいる全ての人間が悲し気に見つめていた。

恐怖と絶望に気が触れてしまったのだと、そう理解して。

屋敷の向こうから何かをわめく男の声と、それに応える怒号が聞こえる。

ついに元凶がやってきたことを認識した屋敷内が、にわかにざわめく。

しかし、伯爵はその状況に見向きもせず宙へと話し続けていた。



「私の大切なものたちを守ってくれるというのであれば何でもしよう」


『魂を受け入れるのと引き換えに叶う望みは一つだけ。その後は与えられた力を用いて何を為すかだ』


「なるほど、最初に一つだけ願いを叶えてくれるというのか。ならばそう…私の愛しい家族を…アマーリエとファリオンをここから逃してほしい。そうだ、アマーリエの実家であるジーメンス家ならば二人を匿ってくれるやもしれん」



その後は、この屋敷の使用人や衛兵と共に残り自らも戦う。

そう誓ったように、伯爵は家族二人だけを逃がすことを願った。



『その願い、しかと聞き届けた』



ヴォルシュ伯爵の独白が終わった。

周囲にはそう見えた次の瞬間。

空気がうねって耳朶を叩き、日の角度が急激に変化したように室内の色彩が変容した。

そんな状況を確認できたのは近侍の男ただ一人。

その場には既に伯爵夫人と子息の姿は無く…間もなく屋敷はすべてを灰燼に帰すように吹き飛んだ。




==========




「…アカネ、大丈夫か?」



視界に映るのは月明かりを浴びながらこちらを見つめる美少年。

いや、美青年と言える顔立ちに近づいている…私の奴隷。



「リード…」


「今日もその日だったのか?何も言ってなかったよな?」



そう、今日は何も言っていなかった。

だけどおそらくまた"何かとつながっている"気配を感じて来てくれたんだろう。

いつもは頭痛があればそれをリードに伝えて、その晩にいつもの悪夢が来る。

そしてリードができるだけ早く起こす。

そんなやり取りがすっかり習慣化していた。

けれど今回は…



「頭痛なんか、なかったよ」



ぐっしょり汗をかいた背中が気持ち悪い。

けれどそんなことに構う様子もなく、リードはいつものように私を抱きしめてくれた。



「条件が変わったか?」


「…わかんない。でも今日の夢はいつもと違った…気がする」



リードの胸に額を押し付けたまま、そう呟く。

言葉を濁したのは、夢の内容を覚えていないからじゃない。

細部はともかく、どんな夢だったかは覚えている。

耳の奥にまで響く動悸は、まるで夢の登場人物に感情移入したかのようにうるさかった。


ああでも、唯一惜しむらくは…

ファリオンが!

小さい頃とはいえファリオンが出てきたのに!

なんで顔を思い出せないの!


ファリオンだけじゃない。

他の登場人物も、何を話していたか、どういう表情だったかはぼんやりわかるのに、顔の造形や声までは思い出せない。

何の呪いだ。

あ、でも伯爵の顔だけはなんとなく思い出せるな。

…ひょっとして、魔王だから?


でもあとはファリオンのお母さんも思い出せないし、エッカルトって呼ばれてた近侍の顔もわからない。

ええと、あとそれから…いや、あの人はそもそも夢の中でも姿は出てこなかったな。



「アーベライン…」



思わず口をついたその名前を聞いた瞬間、リードの肩がピクリと震えた。



「…アカネ?」


「あ、ごめん、なんでも…」


「隠すな、アーベラインって…あの元侯爵のことか」


「…うん、その人が出てくる夢を見た気がするんだよね」



正確には、トルグスト・ヴォルシュ伯爵…ファリオンのお父さんの夢だ。

けれどそう伝えなかったのは、リードが"ファリオン・ヴォルシュ"を良く思っていないと知っているからだ。

『あんな奴が勇者?』みたいな発言をしていたことは、いまだに覚えている。

うっかりファリオンの名前を呟かなくてよかった。



「…そいつが、何をしてた?」



リードの声は冷ややかだった。

大抵の人にとって、アーベライン侯爵の印象は良い物じゃないだろう。

アーベライン侯爵の蛮行は、私の妄想じゃない。

この国の歴史を学ぶときに必ず触れられる一大事件だ。

"ホワイト・クロニクル"にこの事件の描写は無かったものの、政敵から逃れるためにファリオンがお母さんとジーメンスへ落ち延びたことは書かれていた。


それに、この世界に来てからの記憶として歴史の知識もある。

とは言っても私が知っているのは、アーベライン侯爵がヴォルシュ侯爵、ヴォルシュ伯爵を立て続けに襲ったこと。

…この国では家に対して爵位がつくから、姓がかぶっててわかりにくいけど、まあヴォルシュ家を根絶やしにしようとしたってことだ。

さらに、本来のアーベライン侯爵はそう気性の荒い人ではなかったから、何かにとりつかれたか、凶悪な闇魔術師に操られていたのではと言われていること。

そして伯爵の屋敷は跡形もなく焼失していて、アーベライン侯爵の遺体もそこにあったということだ。

アーベライン侯爵は強力な炎魔術の使い手だったことから、魔術が暴走して自身も巻き込み全てを燃やし尽くしてしまったのでは、と言われている。

…だけど、夢の中の様子だと…屋敷ごと全てを吹き飛ばしたのはきっと…



「…あんまり、覚えてない」



この夢の内容が事実なのか。

確かめるのは簡単だ。

歴代魔王の記憶があるというヴィンリード。

リードに聞けば、すぐわかるだろう。

英雄ベオトラ、現勇者である彼が五年前に打ち倒した四代目魔王。

その正体は、トルグスト・ヴォルシュ伯爵だったのか。

勇者になる予定の少年の父親が、前代魔王だったのかなんて。



「…何も覚えてないのか?」


「うん、もう忘れちゃった」



だけど、確かめてどうするんだ。

ファリオン。

私がずっと探している人。

彼が故郷を追われた原因がここまで凄絶だったなんて。

歴史の授業で聞く箇条書きの事実と、その場に居合わせたかのような疑似体験を伴った知識は違う。



「…そうか」



私が何かを隠していることに気付いているのかいないのか、リードはそう頷いて、思案気な顔で黙り込む。

長い指で手慰みのように私の髪を梳きながら。

窓を叩く冷たい風音が秋の訪れを告げていた。

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