051シェドの弱音
この章はこれで終わりのつもりだったんですが、シェドさんマジ空気、な感じだったことに気付いたので一話追加してみました。
こんな感じで頑張ってます、みたいな。
<side:シェディオン>
スターチス家屋敷からほど近い通りにある、ひと際格調高い門構えのバー。
そんな店内のカウンターの隅に腰掛け、物思いにふけっていた。
「はぁ…」
「どうなさったんです、シェディオン様。大きなため息をついて」
「ああ、いや…すまない」
視線を落とした先、透き通る空が溶けたような爽やかな色合いのカクテルには、反して曇り切った表情の強面が映り込んでいた。
ただでさえ怖がられやすい容姿なのにこれはいかんと首を振る。
親しいマスターはこうして声をかけてくれるが、俺の周りに客が寄り付いていないのに気付いて申し訳なくなった。
ここは冒険者たちが行くような安酒場とは違い、内装は上品で落ち着いたバーだ。
ドレスコードとまでは言わないものの、小汚い服装では入店を断られるし、味も価格帯もそれなりのクラス。
リラックスしてしっとり飲める雰囲気が売りなのに、こんな客がいては営業妨害になってしまうと首を振った。
「大丈夫だ」
「…シェディオン様、気を遣って笑顔を作ってくださったのは分かるんですが…申し訳ありませんが今日一番怖い顔になってます」
「…すまん」
「囚人も命乞いをする強面男爵様だから仕方ねぇよな」
割って入った声に振り返る。
すぐ横に座ってきたのは待っていた人物だ。
「エリオット…お前も人のこと言える顔じゃないだろう」
獅子を思わせる威圧感のある顔立ちをした大柄な男。
年は俺より二つ上。
彼は姉上の近衛隊の一兵だ。
今は鎧を脱ぎ、楽な服装でリラックスした表情をしている。
「あんたになら言えるさ。俺は子供と目が合っても泣かれねぇもん」
「真顔で硬直されたりはするだろう」
「そこから限界突破して震えながら泣かれる奴が言うな」
気やすい言葉の応酬に肩の力が抜ける。
喉が焼けるほどの強い酒を頼みつつ、エリオットはこちらに向き直った。
「そんで?顔だけでも怖いってのにオーラにまで負の感情滲み出させてどうしたんだ」
「皮肉なく気遣えないのかお前は…」
彼とはもう四年の付き合いだ。
初めは立場上互いに敬語だったが、付き合いの内容を経て今はずいぶん砕けた間柄となっている。
「…妖精王のことを考えていた」
「なるほど、その話か。かわいらしい妖精におなりになったな」
実のところ、姉上を"妖精王"と呼び出したのは、エリオットと話をするにあたっての隠語が始まりだ。
公の場で姉の名前をそのまま出して話すわけにもいかなかったから。
神出鬼没。
冷たいまなざし。
まさに妖精王の名にふさわしい佇まいだった姉だが…今日は初めて、庭で開かれた家族の茶会に顔を出した。
冗談ではなく初めてだ。
少なくとも俺がスターチス家に来てからは彼女が外での茶会に顔を出したことなどない。
それが家族間のものであっても。
出てもサロンまでだった。
「天使のお力だろ?」
「…もちろん妖精王に一番影響力があるのはそうだろうが…そのきっかけを作ったのはきっと…」
天使はアカネのことだ。
あの姉の暴走を止められるとしたらアカネ。
それは疑うべくもないが、そのアカネを動かしたのも、その場を整えたのも…
何があったかは聞いていない。
だが姉の雰囲気を見ればわかる。
挨拶の場で、あれほどリードのことを警戒していたはずなのに…すっかり気心の知れたような表情で接していた。
ヴィンリードがこの家にきて、まだ四か月ほど。
だというのに…
「…こうも敵わんとはな」
「ああ、そういうことか。前にあんたが『ライバルになりかねん』とか言ってたのを聞いたときはまさかって思ったが…」
エリオットはぐっとショットグラスを煽り、アルコール臭い吐息とともに言葉を吐き出した。
「ありゃ仕方ない。あれは天狼だ」
「天狼か、言いえて妙だ」
天狼は神話に出てくる、森のような大きさの狼だ。
大空を駆け、人が争う場に姿を現しては、その強大な力で何もかもをまとめて吹き飛ばして無かったことにするという。
…リードはさすがにそこまで無茶苦茶ではないが。
「視点も力も違うということか」
「そうだ。あんただって只者じゃないとは思ってるんだろ。まあ天使様の方も今年の春ごろから何つーか…大天使様みてぇになってっけど」
リードに感じる妙な気配。
それなりに武をたしなみ実践を積んだ人間ならば、その勘に何かしら引っかかる。
エリオットも勘付いたようだ。
アカネも魔力調整がうまくなかった頃は同じような状態にあり、それで慣れているせいかうちの騎士団は何も言わないが…
行方不明になっていた商人の息子、などという肩書だけでは済まない何かを感じてしまうのは確かだ。
まあそれでも…
「…天使に噛みつく狼ではないと信じてはいる」
「天使の周りにゃ噛みつくってことだな」
否定はしない。
あれも俺とは違う形でアカネを思い、それでいてその為には周囲に噛みつくことも厭わない。
厭わないが、アカネが傷つくような方法をとることもしない。
そう確信できていたからこそ、今回の件で動いてくれることも期待した。
…が、その期待を大きく上回る結果を出されて動揺している。
器の小さいことだと自虐的な笑みが漏れた。
そんな俺の思考を読み取ったかのように、エリオットは苦笑する。
「あんたも難儀な性格してるよな」
「放っておけ…お前の方は変わったことは無いのか」
「んん、俺の方は別に。ただ耳に入れときてぇことはある」
「なんだ」
勿体ぶった言い方に耳を寄せる。
「やっこさんがまた団子こさえようとしてるぜ」
「…またか…」
団子は借金のこと。
つまり、また両親がどこかから借金をしようとしているということだ。
眉根を寄せる。
…スターチス家の財政はものすごく逼迫しているとは言わないが、そう余裕があるわけでもない。
幸い両親はおかしな人物から金を借りたりしないが、金策の為に方々を走り回っているようで家を空けることも少なくなかった。
困ったものだ。
「ま、あんま小難しい話ばっかしてっとあんたハゲちまいそうだ。そろそろいつものやっとこうぜ」
俺のグラスが空いたのを見計らって、エリオットは立ち上がる。
酔おうが酔うまいが変わらない軽口に苦笑しつつ、マスターに金を払って赤ら顔の友の後を追った。
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<Side:アカネ>
「アカネ、起きているか?」
「シェド様?」
お風呂上り、ティナに髪を梳られつつあくびをかみ殺している中、部屋の向こうからかかった声はシェドのものだった。
「まあまあこんな時間に淑女の部屋を訪ねるだなんてどういうおつもりでしょうか!」
櫛を置いてドアに向かっていくティナは真顔なのに声だけテンションMAXだった。
怖い、怖いからそれ。
あと、なんかシェドも周囲の人たちも忘れてそうだけど、私達兄妹だから。
「あーれーすみませんお嬢様、私の細腕ではシェド様の侵入を阻むことなどできませんでしたー」
清々しいほどの棒読みでシェドの横を素通りして立ち去ったティナに頭痛がしてくる。
私が男だったとして、ここまであからさまなお膳立てをされればかえって気まずい気がするんだけどどうなんだろうか。
「…すまん」
「いいえ、ティナの奇行の責任までシェド様が負う必要はありませんよ」
ティナは一種のオタクだ。
オタクはやめろと言われてやめられるもんじゃない。
夢系オタクの私が言うんだから間違いない。
「アカネ、呼び方が違う」
遠い目をしていたところにそんな言葉を言われて、ちらりと視線を戻す。
このやり取りも何度目か。
こう返されるのが分かっていて直していない節がある私の意地が悪いのだろうか。
ずいぶん呼びなれた、けれどまだどこか気恥ずかしさの残る心地で口を開く。
「…はいはい、シェド」
たったそれだけなのに、もう何度も呼んでいるはずなのに。
それでも目の前の…初対面の女性なら九割は後ずさりそうな強面男性は、雪解けを思わせるような笑みを浮かべる。
リードのように美男子というわけではない。
無いけれど、この切れ長の瞳や通った鼻筋は、見慣れればそう女受けの悪い物でもないだろう。
見慣れれば目が合っても心臓をいたぶらない分、リードよりかは健康にいいかもしれない。
リードはいつまで経っても慣れないからなぁ。
ゆっくり歩み寄ってくる彼の顔をまじまじと観察していて…気付く。
「あれ?その傷どうしたんですか?」
「傷?」
時折見せる驚いたような表情は、普段のシェドと違って幼く見える。
私を口説くという宣言以降、やたら積極的なシェドに手を焼いているものだから、こういう表情が見えると安心する。
手を伸ばし、その頬に触れた。
指先を撫でるざらざらした感触。
すでに塞がっているようだが、細く切り傷のようなものが走っている。
「ああ、いや、これはおそらく…ついさっきちょっとな…」
顔を赤くしてドギマギするお兄様に思わずニヤついてしまう。
自分からは攻めるくせに私から触れられると弱いんだよね。
最近は線引きをキッチリしようと、ちょっと塩対応気味にしていたから、なおさらギャップにやられているのかもしれない。
しかし、ふと思う。
そういえばシェドはたまにこういった生傷を作ってくる。
すぐに痕も残らず直ってしまう程度のかすり傷を、いろんな場所にぽつぽつと。
私が気付いているものなんてきっと一部。
まあシェドのことだから少しくらいの傷無頓着だろうし、訓練とかでついたのかな、くらいに思っていた。
だけどよく考えるとおかしい。
訓練で使うのは模擬剣。
こんな綺麗な切り傷は滅多につかない。
かといってセルイラでは魔物もほとんど現れないし、現れてもシェドがわざわざ出ることはまずないから、魔物討伐をしているわけでもないだろう。
それなのに、どうしてこんな生傷をちょいちょい作っているのか…
「…もしかして、今日がそうだったんですか?」
「何の話だ?」
「…季節の便り」
ぽつりと呟くと、シェドが目を見張った。
…嘘がつけない人だ。
「なるほど、今までの怪我もそれだったんですね」
「全て聞いてしまったのか…」
「シェドの言う"全て"がどこまでなのかはわかりませんが、私がさっきのシェドみたいな顔になる程度の話は聞きましたよ」
「…アカネが俺のような顔になるなんて由々しき事態だ」
「そこじゃないんですが…」
季節の便りの存在自体は聞いていたとはいえ…
シェド本人から肯定されると来るものがある。
お姉様、今日はお茶会にも出てきてくれたし、そういう過激なことはもうしないと思ってたんだけどなぁ。
思わずこぼれ落ちたため息に、シェドが慌てたように首を振った。
「アカネが心配するようなことはない。確かに初めは姉が差し向けたものだったが、今となっては彼は飲み友達だ」
「…そう割り切った関係を聞かされるとそれはそれで心配というか」
そんな関係になるまでに何回剣を交えたんだろうか。
「今は互いの研鑽を目的としている。合意の上だ」
「…でも実剣なんでしょう?」
シェドがつけてくるのは大抵切り傷だ。
模擬剣で切り傷がつくこともあるだろうが、ほとんどが打撲になるはず。
相手がそれなりに鋭利な刃物を使っているのは間違いない。
しかも顔に傷がつくなんて、結構ギリギリな戦いをしていそうだ。
「時には剣を振るわねばその重みを忘れてしまう」
目を伏せて穏やかに言われては、何も言えなくなる。
剣の"重み"を私は知らない。
「まあ、シェドが納得してるならいいんですけど…」
「…俺も仕方のない男だ」
「何がです?」
骨ばった指が私の頬に伸びてくる。
動揺して足が無意識に一歩下がるけれど、真後ろにあったスツールに足を取られた。
体勢を崩しかけた私の腰を、すかさずシェドの腕が引き寄せる。
「ちょ」
お酒を飲んできたのか。
外の風の匂いをはらんだシャツにアルコールの香りが混じる。
そして覚えのあるシェドの匂い…
何より『覚えがある』と感じてしまう事実に目を白黒させていると、耳元に吐息がかかって意識を引き戻された。
「お前に心配をかけまいと思っていたのに、いざ心配されるとこうも嬉しいものだとは」
「し、心配くらいしますよ?大事なお兄様ですし」
動揺が隠せていない声ながら牽制すると、シェドは顔をあげ、こちらをのぞき込む。
「兄か。やはり俺はお前の兄のままか」
その表情は穏やかなのに、ひどく寂しげな声が私の言葉を奪う。
「え、ええっと…」
正直、兄の実感も無いっちゃ無いんだけど。
「お前の側に居場所があるならばそれでもいいのかもしれないが…最近のお前は兄としてすら俺のことを頼ってはくれないだろう」
「いや、ただでさえお忙しいシェド様に負担をかけたくないですし…」
「シェド、だろう」
「…こうやって言ってくるからどう接していいか分かんないんですよ」
本音が零れ落ちる。
正直、悪い気はしていない。
私が好きなのはファリオンだ。
それは変わりないにしても、シェドのことだって嫌いじゃない。
優しいし、大切にしてくれるし、ちょっと可愛いとこもある。
そんな相手に好意を寄せられて嫌な気分になるわけがない。
だからこそあえて強めの口調で戒めないと…ほだされてしまいそうなんだ。
こうも危うい関係の相手に、ほいほい近づけるわけがない。
「なんか我儘いっても、シェドの好意を利用してるみたいになりますし…」
ただのシスコンだと思っていた時には、ここに罪悪感を感じなかったんだけどな…
そのうち妹離れして他に大切な人を見つけるであろうことが前提にあったからだろうか。
いつの間にか足元に落ちていた視線。
それを引き上げるように、顎を優しくつかんで上向かされる。
「利用すればいい。利用でも何でも、お前の側にいる口実を与えてくれるのならば、俺は…」
なりふり構わない執着の言葉。
熱っぽい瞳に見据えられ、息が止まる。
吐息が混じるような距離だと気が付いた時にはもう…
「シェド、ちょっと待っ…」
唇が触れると思った瞬間、場を叩き割るような鈍い音とともに夜風が吹き込んだ。
反射的に離れ、二人して目をやったのはベッド際の窓。
外から強引に押し開かれたようだ。
少し開いた状態で固定していたはずなのに、吹き飛んだ金具が床に落ちていた。
「…突風、か?」
「そう、みたいですね…」
我に返ってから心臓の音が耳につく。
え、え、今…いや、未遂だった!未遂だったけど、今…!
「…悪かった。暴走した」
シェドの方を見れないでいる私に、気まずそうな声が降る。
「あ、ああぁいやっ、シェド、さま、酔ってますもんね?」
「…酔ってでもいなければ惚れた女に弱音など吐かんさ」
自嘲気味な言葉とともに、視界にうつる長い脚が踵を返した。
「頭を冷やす。夜遅くに邪魔をしたな」
来た時と同じ、いやそれ以上に不安定な感情を隠せていない声色を聞いて、思わず口を開く。
「私は!シェドのことは…頼りにしてますから!何があっても、シェドだけは絶対私の味方だって思えるから、そういう人がいるのってすごく幸せなことだと思うし、だから、ええっと」
あ、やばい。
言葉が迷子だ。
けれど視線の先の影は足を止め、少しだけこちらに歩み寄って…
私の頭を、大きな掌が覆った。
「当然だ。俺はずっとお前の味方だ」
そんな優しい声が聞こえて、ほっと肩の力を抜く。
「おやすみ、アカネ」
「はい、おやすみなさい」
安堵して、油断した。
それは意図的だったのか、事故なのか。
ようやく上げられた顔。
その額に何か柔らかいものが触れた。
すぐに離れたその感触に凍り付いた私は、その背に何か問いかけることもできないまま。
閉まる扉を呆然と見つめていた。
だから。
『シェドだけは、ってどういう意味だよ。ガードゆるゆる女』
そんなどこかの奴隷の恨み言が、ドレッサーの中に零れ落ちたことに、気付かなかった。
マスター「シェディオン様たちいっつもメルヘンな会話してるんだよなー」




