005母は腹黒く姉は色白く
お母様の無邪気な笑みに逆らうことなどできず、私はチャポチャポのお腹をこっそりさすりながら頷いた。
連れて行かれた先は大輪の花が咲く花壇と青々とした生垣に囲まれる東屋。
そこにはすでにティナをはじめメイドさんたちが用意してくれたティーセットがある。
まだお茶は入っていない。
なぜなら母は自分で入れたお茶を振る舞うのが好きだからだ。
数種の茶葉を自分でブレンドして淹れる母のお茶は、メイドさんたちが淹れてくれたものとはまた違ったおいしさがある。
「アカネちゃん、お母様がお茶をいれてあげますからねぇ」
「有難うございます。お母様のお茶はおいしいから大好きです」
素直にそう言うと母は嬉しそうに笑う。
フェミーナ・スターチス、40歳。
美しい黒髪に緑の瞳。
タレ目気味の美人で、年齢を感じさせない顔立ちが彼女の一見幼い言動に違和感を抱かせない。
実は彼女はこのカデュケート王国の元王女。
前国王の娘であり、現国王の妹だ。
黒髪と緑の瞳はカデュケート王家によく見られる特徴でもある。
ただし前国王は王国史に残る子沢山。
母には10人の兄と11人の姉、さらに年の離れた弟と妹が1人ずついるという。
側室の娘だったこともあり、母の立場はあまり良くなかったそうだけど…
それでも元プリンセスという響きは憧れがある。
「お母様って王女様だったんですよね。やっぱり王女様っていう響きはあこがれます」
「そんないいものじゃないわよぉ。
ここまで下の娘だと早く嫁に行けってプレッシャーを10歳くらいから感じたものだし」
「えー…」
10歳って元の世界じゃ小4くらいだよね…
小4にして嫁入りを急かされるのは嫌だな…
元来おっとりした性格だった母は、王位争いに目を血走らせる兄や、嫁入り先の争奪戦を行う姉たちとはそりが合わなかったらしい。
「15歳のころにはすっかりくたびれちゃってぇ。
どっかの年老いた貴族の妾にでもなってのぉんびり未亡人ライフ送るのがベストかなって思ってたわぁ」
「…十分お母様も図太いですよね」
旦那がさっさと死ぬこと前提の結婚か…
「でも王室にカセドナイトを納めに来たお父様に会って結婚を決めたんですよね?」
「そうよぉ、大らかで経営とか出世とかに興味もなさそうなところが気に入ったのぉ」
その結果が一時期の没落につながっていることを分かっているんだろうか…
ちなみに母はその後、生まれて初めて王女特権をフル活用し、あっという間に婚姻を成立させたそうだ。
初対面のその日から正式な婚姻が結ばれるまでの期間、なんと一ヶ月。
父いわく『ある日屋敷の前に王宮の馬車が来て、慌てて歓待している中しこたま酒を飲まされ、気付いたら隣で王女が寝てた』とのこと。
翌日には婚姻に向けて動き出さざるを得なかったとか。
…鮮やかすぎるし怖すぎる。
その話を聞いて以来、母はただのおっとりした箱入り娘ではなく、立派に王家の血なまぐさい争いの中を生き延びた女なのだと認識している。
まぁ、父は生半可なアピールではのらりくらりと受け流しそうなのでちょうど良かったのかもしれない。
嫁いでからの母は贅沢をするでもなく、庭弄りや採掘された宝石の土を払うようなチマチマした作業を好んだという。
そんな王女らしからぬ姿に父も次第に好意を持ち、自他ともに認めるおしどり夫婦となっていった。
現在でも夫婦仲は良好だ。
そしてそんな夫婦の下には、私の他に二人の子供がいる。
「お姉さまはお元気でしょうか…」
その一人が姉だ。
ふと思い出して呟く。
「コゼットちゃんなら今年も夏ごろに一度視察がてら戻ってくるって手紙が来たわよぉ」
「あら、そうなんですか」
長女、コゼット・パラディア、23歳。
苗字の違いから既に彼女が輿入れしていることがわかると思う。
ちなみにパラディアというのは…例のパラディア王国を意味する。
そう、彼女は隣国の王子のもとに嫁いだのだ。
お父様がポンコツ経営者かつ決して有力な貴族とは言えないのに、こんな豊かなセルイラ領を持っているのはこのためだ。
スターチス伯爵家はもともと、地方のカッセード領しかもっておらず、しかもカセドナイトが採掘不振になってからは転落する一方だった。
しかし、五年前に隣の大国、パラディア王国の第三王子スチュアート様がカセドナイト採掘現場視察に訪れた際、コゼットお姉さまに一目ぼれ。
黒髪に緑の瞳というカデュケート王室の血を色濃く継いだ姉は父母のいいところを取った顔立ちで、妹の私から見てもかなりの美人だった。
黒髪が美しく映えるほど肌もとても白く、はかなげな雰囲気を醸し出している。
…なぜなら姉はほとんど屋敷から出なかったからだ。
いや、正確には部屋からほとんど出なかった。
その部屋に立ち入ることが出来るのも侍女と母だけ。
食事やレッスンの時以外は、たまにサロンでの家族団らんに参加するくらいで、庭で散歩やティータイムなどしたことが無い。
社交の場にも断固として顔を出さず、深窓の令嬢と噂されていたようだが、実際はただの引きこもりだ。
スチュアート様が訪ねてきた時にも、姉は侍女と母に宥めすかされてようやく応接サロンに姿を現した。
しかし礼をしてものの十秒で立ち去るという暴挙に出たのだが、常に女性から熱い視線を向けられ、チヤホヤされてきた王子様には新鮮だったようだ。
その後スターチス家とカデュケート王国にスチュアート様から熱烈な婚姻の申し入れがあったが、借金まみれの伯爵家の娘ではあまりに見劣りする。
しかし隣国との関係強化を目指していた国王は、せめて…と、スターチス家の借金を代理返済し、王都にほど近い豊かなこのセルイラ領をスターチス家に下賜したのだ。
おかげで傾いていたスターチス家は一気に安定し、上流貴族に小指の端っこをひっかけられる中の上くらいにはなった。
…まぁ、砂上の楼閣といった感じだけれども。
しかし問題は姉自身だ。
いかんせん引きこもり。
他国の王子妃なんてとんでもない。
当然のように断固拒否していたのだが、ある日両親がサロンで姉を説得している最中にスチュアート様からの私書が届いた。
姉はそれを読むうちに青くなったり赤くなったり顔色を忙しく変えた後、『パラディアへ嫁ぎます!』と宣言したのだ。
何が書いてあったのか知らないが、母が驚くでもなく『よかったわぁ』と微笑んでいたことから、黒幕は彼女であると睨んでいる。
おそらく脅迫まがいの流れで嫁にいったコゼットお姉さま。
私の記憶の中での彼女は憮然とした表情ばかり。
あまり話した記憶が無い。
私が遊んでほしくて声をかけると、表情を固くしてしどろもどろに理由をつけてその場を立ち去ることが多かった。
一度お姉さまの誕生日に刺繍のハンカチ(こっちの私は刺繍とかできるらしい。元の世界の私はボタン付けすらままならなかったというのに)を渡した時には、ぎこちない笑顔でお礼を言ってくれた。
けれどその後そのハンカチを使用しているところを見たことは無い。
そういえば私が6歳のころ、部屋に入ろうとした時もものすごい剣幕で叱られ、『他の誰が入ってもアカネだけは入っちゃダメ!』って…
…あれ、私嫌われてるんじゃね。
過去を振り返っても思い当ることはない。
アカネ・スターチスという少女は小さい頃から中身は私らしい行動をとっているので、決して実際の6歳の子のように興味や不注意で物を壊したりすることは無かった。
それなのにあの言われようだ。
あぁ、もしかしたら両親が私を溺愛する様が気に入らなかったのかもしれない。
姉と触れ合った記憶は全て後から植えつけられたものなので、実感は薄いのだけれど…
それでも実の姉に嫌われているのだとしたら…悲しいな。
「コゼットちゃんもきっとアカネちゃんに会うの楽しみにしてるわよぉ」
思い出してしんみりしている私の意識を引き戻したのは母のそんな一言だった。
「…まさか。だってお姉さま、あまり私と関わりたくなさそうでしたし…」
驚いて否定する私に、母はうふふふ、と笑った。
「内緒って言われてたけど、もうお嫁に行ってるから時効よねぇ。
実はコゼットちゃんはアカネちゃんのこと大好きだったのよぉ?
でも恥ずかしくってどう接していいか分からなくってぇ、
いっつも逃げちゃってたみたいだけど」
「え!?」
何そのツンデレ。
ほっこり心が温かくなる。
しかし母の更なる証言が全てをぶち壊した。
「その証拠にコゼットちゃんのお部屋にはねぇ、
アカネちゃんが昔遊んでたおもちゃとか、産着とか、
画家にこっそり描かせた肖像画とかたくさん飾ってあったものぉ。
あぁ、そういえばアカネちゃんがプレゼントしたハンカチは額に入れて飾られてたわねぇ」
…喜びを通り越してぞっとした。
それは…ストーカーに近いのでは。
「そんな妹コレクション抱えた子だからお嫁に行き遅れるんじゃないかって心配してたのよぉ。
そんな中にパラディア王国との結婚話でしょぉ?
王位に興味がない上に第三王子なのよぉ。
この人のお妃ならちょっとくらいクセがあっても大丈夫なんじゃないかなぁ、
これは逃せないなぁって思ってね、殿下にちょっと助言したのよぉ」
「…なんて?」
「コゼットちゃんのことをありのまま教えただけよぉ。
そしたら殿下からお手紙が来てねぇ」
「あぁ、あれですか?なんて書いてあったんです?」
「妹コレクションを嫁入り道具に持ってきてもいいし、年に一度は妹に会いに実家に帰っていい、
そんな君も愛してるっていう熱烈な求愛文だったみたいよぉ。
さすがのコゼットちゃんも、
ここまで受け入れてくれる嫁ぎ先は他に無いって思ったみたぁい」
姉も姉だが王子も王子だ。
百年の恋も冷めるような性癖を知ってよく諦めなかったな…
とりあえず、これでよくわかった。
うちの家族はもれなく私を溺愛している人ばっかりだ。
そう、もちろんもう一人の家族も…
「アカネ、ここにいたか。魔術の教師が来ているぞ。渡したい本があるそうだ」
「シェドお兄様…」
それが、この兄だ。