049お姉様の美しき思い出
<Side:ヴィンリード>
「一応、丸く収まった、か?…何で踊ってんだ?」
屋敷の裏から二人のやり取りを眺めつつ、ひっそりため息をつく。
…それにしても…あの人、本当にどうやって移動してんだ。
俺と話してた数十秒後に、なんで物置の裏に居る?
魔王の魂を受け入れてから鋭敏になった感覚にも引っ掛からない気配に、うすら寒さを覚える。
さっきも全く気付かなかったしな…
思い出すのはアカネを中庭に残し、屋敷の中へ入ってすぐのこと。
「ずいぶんと不埒な真似をするのね」
接触があることを前提として警戒していたというのに、その声はあまりに不意をついていた。
肩を揺らさなかっただけ俺はよくやった方だろう。
引きつる唇に笑みを浮かべ、ポーカーフェイスを張り付けて振り返る。
「妹とじゃれあっていただけですよ」
そこに居たのは黒髪の美女。
まるでずっとそこに居たかのような佇まいだ。
美しい扇で顔の下半分を隠し、目を眇めてこちらを睨みつけているのは、もちろんコゼット王子妃その人。
「距離感を間違えないでちょうだい。あの子を傷つけたら許さないわ」
その言葉に目を細める。
…そうか、やっぱりこの人は…
「妹への正しい距離の例がコゼット様なのだとしたら…アカネは寂しがりますよ?」
「…それは…」
シェディオン様といいコゼット様といい、アカネをなんだと思っているのだろうか。
可愛がるにしても方向性がちょっとおかしい。
「アカネは天使でも何でもありません」
「そんなこと、知っているわ。アカネちゃんは…人間よ。人間だからこそ、傷つけないように気を付けないといけないの」
「…何がアカネを傷つけると思っているんです?」
俺の問いに、コゼット様は目を細めた。
「人は意識せずに相手を傷つけるのよ」
妙に重い物言いにため息をつく。
「それは貴女の体験談ですね?何があったのかお聞きしても?」
「……」
「距離を置くという貴女の態度こそがアカネを傷つけているかもしれないとは思いませんか?」
「そんなこと…」
「避けても仕方ないと言えるだけの理由を聞かせてください」
これほど俺とアカネの関係にケチをつけるんだ。
納得できる説明をしなければ許さない。
その意思をこめて睨む俺の視線を受け、コゼット様はしばらく目を伏せて逡巡した後、小さな吐息とともに口を開いた。
「いいでしょう…そもそもは、私達の生まれが発端となります」
==========
私、コゼット・スターチスはスターチス家の長女として生まれた。
お母様は元王女で現国王陛下の妹。
美しく、指先一つの動きまで綺麗で聡明で…いわば完璧な人。
王にとって、民にとって、おそらく彼女の姿は…
中身はちょっとあれだけれど少なくともその外面は、おおよそ理想とされるお姫様の姿だっただろう。
その血を受け継いだ娘…私にも、人々は同じことを求めた。
美しい顔、洗練された所作、あふれる知識。
誰もが私を見ながら母を重ねる。
初めから高いレベルを求められる。
幼くしてその期待に応える難しさに気づき、人の反応に敏感になってしまった私は…
人前で何かをすることがとても苦手になってしまった。
お裁縫もダンスも、先生がいない時なら上手にできるのに、誰かに見られると途端にダメになる。
歴史の話を振られても、知識があるのに何も答えられなくなる。
とどめをさしたのが、十四歳の時に出た初めてのお茶会。
子爵令嬢が主催するもので、少人数のこじんまりとしたものだったけれど、それでも私にはダメだった。
テーブルに向かう足はもつれ、話をふられても唇は震えるだけで言葉を紡がず。
とうとう凍り付いたような指先からカップが滑り落ち、仕立ててもらったばかりのピンクのドレスに広がる紅茶色。
主催のブレーメ子爵令嬢を始め、周囲の人々は…そんな私を見て笑った。
今思い返すと、私が気にしないように、場を明るくするために笑ってくれたのかもしれない。
彼女達がどんな風に笑っていたのか、もう覚えていない。
気付けば馬車に揺られていたこと、その日は翌朝までベッドにもぐりこんだまま過ごしたことだけ覚えてる。
それ以来、誰かに会えと言われるのも、どこかへ行けと言われるのも泣いて嫌がるようになった。
嫌なのは本当。
でも泣くつもりは無かった。
なのに勝手に涙が溢れた。
怯えた子犬のように体が震えた。
呼吸がうまくできなくなった。
両親はそんな私を叱るでもなく温かく見守り、私の意思を尊重してくれた。
当時、アカネちゃんは四歳だった。
まだ幼い妹は私たちに課せられた重圧に気付いておらず、奔放だった。
しかし大人に叱られないラインをしっかり弁えていて、要領のいい子だというのが私の印象。
そんな妹は私を期待するような目で見ない…かというとそうでもなく、顔を合わせれば私に尊敬の眼差しを向けていた。
特に何をした記憶もないのに、そんな視線を向けられるのが気持ち悪くて、一度聞いたことがある。
「アカネちゃんはどうして私をそんな目で見るの?」
「そんな目?」
「まるで…私がすごい人みたいに…」
しどろもどろにそう伝えると、アカネちゃんはふわりと微笑んだ。
「お姉様はすごい人だと思ってます」
「どこが…私なんて、何もできない…」
「何も?ダンスもお裁縫もお上手ですし、所作もとってもきれいです」
ダンスや裁縫をこの子の前で披露したことなどあっただろうか。
「お姉様、ダンスレッスンの後、いつも一人で練習してましたよね。綺麗なお姉様が踊る姿をこっそり見るのが好きだったんです」
勝手に見てごめんなさい、と笑う妹に驚いた。
いつ見られていたんだろう。
全く気付かなかった。
「それに、お姉様の持っていらっしゃるハンカチってお姉様が刺繍したものなんでしょう?色のセンスが良いって先生も褒めてましたよね。私もその色大好きです」
先生の前ではうまく取り繕うことに必死で、けれどそれすらできないことに絶望して、あまり何を言われているのか頭に入っていなかった。
褒め言葉は全て私に投影した母への賛辞。
そう思っていたけれど…
妹は、フェミーナ王女を知らない。
知っているのは少しとぼけたところのある穏やかな母だけだ。
彼女は私に王女を重ねない。
きっとその誉め言葉は純粋に私を…
頬が熱を持つ。
こんな感覚は久しぶりだった。
この子は…私が本当はうまくできるところを、きちんと知ってくれていた。
見られていないところでなら上手くできる。
だってたくさん練習してきた。
誰も見ていないなら私だって…
けれど本当は、誰かに気付いてほしかった。
誰にも見られていないところで上手くできたって、何も楽しくなかった。
胸の奥から何かがこみあげてきて、私は声を上げて泣いた。
アカネちゃんは大慌てしながら、必死に背伸びをして私を撫でてくれていたっけ。
頭に届かず腰を撫でてくれた、その手の温かさだけは今でも忘れていない。
==========
「コゼット様…」
…で?と言いたいのを必死にこらえた。
アカネだけがコゼット自身の努力と実力をそのまま見てくれた、それはわかる。
で、何でストーカーに?
「そして私は決意したのよ。アカネちゃんが私を見てくれていたように、私もあの子を見守ろうって…あの子が余計なプレッシャーを感じないようにひっそり影から。けれど決して見逃すことの無いように!」
飛躍がすごい…
言葉を失う俺に気付いているのかいないのか、昔語りをしているうちにトリップしてしまったらしいコゼット様は、熱に浮かされたような表情で言葉を続ける。
「今この瞬間のアカネちゃんはこの時しかいない。あれもこれも今ここにアカネちゃんが居て成長している証。全て残しておかなくちゃいけないわ。お母様が処分しようとするアカネちゃんの思い出が詰まった品々を、私は全て引き取った。忘れちゃいけないの。こんなに小さかったあの子が、今こうして成長していることを!」
この人アカネのことになるとまぁよく喋るな。
何でこんなに母親より熱をもって妹のことを愛せるんだか。
正直俺にはよくわからない感覚だ。
「だから、アカネちゃんの社交界デビューの時には私も隠れて様子を見たかったのに…皇太后様のお加減が急に悪くなってっ…」
「そこはちゃんと優先順位が分かっているようで何よりです…」
結局皇太后さまは快復されたそうだが…そんな時に『妹の社交界デビューなので』とか言って国を離れる王子夫妻が居たら非難轟々だろう。
しかも自分も参加する、じゃなくて隠れて様子を見るっていうあたり、よっぽど人前に出たくないんだな…
「ひっそり見守るにしても…普通の姉として少しくらいは交流を持ってもよかったのでは?」
「…そうね、適切な距離ではないというあなたの言い分は…正直図星よ。けれどそっと見守ってあげなくちゃと思うほどに、アカネちゃんに対してどう接すればいいか分からなくなったの。卑屈な私の発言が、あの子の成長に悪影響を及ぼすといけない。部屋に飾っているアカネちゃんの思い出も、本人が見るとプレッシャーを感じてしまうかもしれない。そう思うとますますアカネちゃんとの距離が、物理的にも精神的にも離れていってしまって…」
「卑屈、ですか…たった一人とはいえ、貴女自身をきちんと見てくれる人が居た。それだけではコゼット様の自信にはつながらなかったんですか?」
答えはわかっている。
ずっと扇で隠したままの口元。
俺の視線にすら落ち着かなそうに身じろぎする。
今の彼女の姿が全ての答えだ。
「あの子は血を分けたたった一人の妹。だからこそ理解してくれただけかもしれないわ」
その回答には頭が痛くなる。
「なんとも気の毒な話だ」
「…どういう意味?」
ため息とともに思わず心の声が飛び出てしまっていた。
いぶかしむ義姉に首を振る。
「いいえ、なんでも。そこは僕が口を挟むところではないでしょう。ですがね、アカネに関してはそうもいきません。貴女はまず大きな思い違いをなさっています」
「…何かしら?」
身構える彼女に、俺はキッパリ言い切った。
「アカネは貴女とは違います」
「…そんなこと、わかっているわ。あの子は私よりうまくやって…」
「いいえ、わかっていません。貴女が守ろうとしているのはアカネではなく、彼女に投影した過去の自分です」
コゼット様は咄嗟に言い返せなかった。
それが悔しかったのだろう。
扇からのぞき見える顔を赤く染め、こちらを睨みつけた。
「おだまりなさい…!」
初めて聞く、激情をあらわにしたような声だった。
「…貴女の態度はまるで怯えた獣のようですね。極力人を避け、けれど己の弱点に触れられそうになれば吠えて牽制し、なわばりに踏み入られれば噛みつく」
「……」
「貴女が傷をつけられたものと同じ刃でアカネも同じ傷を負うと考えていらっしゃるのならそれは誤りです。もちろんアカネだって傷つくことはありますよ。彼女もあれで繊細なところがあるようです。貴女が傷つかないと思っている刃でアカネを傷つける可能性だってある」
俯くお姫様は、きっとこんな当たり前のことすらこれまで誰からも指摘されなかったんだろう。
両親も、夫も、側近のメイド達も。
彼女を真綿でくるんで大切にして…それは彼女の傷を知っているからこその行為なのかもしれない。
だけど俺には知ったこっちゃねー話だ。
アカネが望まない行いをするなら、それを辞めさせるために相手の傷口にナイフを突き立てることだって厭わない。
「王女を投影されて辛い思いをした貴女なのに、アカネに自分の過去を投影していたんですね」
「…やめて」
「傷つきやすい子と型にはめて。見守るという言葉で遠巻きにして…アカネはいったい何を思ったでしょうね?」
「やめてっ!」
その叫びは弱々しく、日のさす廊下に吸い込まれる。
いつの間にかうずくまって顔を伏せていたコゼット様の傍に、二人のメイドが駆け寄ってきた。
妙な同盟について口走っていた二人だ。
小さくなるコゼット様の背を撫でて気遣いながらも、こちらを睨む彼女たち。
その視線を真っ向から受けて見下ろす。
「異論があるかな?コゼット様がこれまで自分と他者の関係の機微に目を背け続けてきたこと。それは古くから彼女を見守ってきた周囲の人間にも責があると思うよ」
「…異論はありません。ヴィンリード様のご指摘もごもっともです。ですが、コゼット様をあえて傷つけるような言動については非難いたします!」
「歪な治り方をした傷口を正すにはもう一度血を流していただく他無いさ。コゼット様、よろしいですか?よく聞いてください」
再びコゼット様に矛先を向ける俺に、メイド二人がこれ以上何を言うのかと己の主をかばう仕草を見せる。
「アカネは、コゼット様のことを慕っていますよ」
その言葉に、彼女はゆっくりと顔を上げる。
「貴女と話したがっているんです。アカネこそが本当の貴女を見てくれた人間だと言うなら、貴女もアカネ自身と向き合って、その言葉を聞いてあげてください。誰に誰を重ねてたかなんてどうだっていいんです。指摘しといてなんですが、アカネ本人はそんなこと気付いちゃいませんし。今からでも遅くありません。姉として妹との関係を築き直してあげてください」
それこそがアカネの望みであり、おそらく貴女の愛をも満たせる形なのでは?と続けると、コゼット様はふらりと立ち上がった。
「コゼット様…ご無理なさらないで…」
「…エミリー、イライザ…ごめんなさい。貴女達にはいつも心配かけるわね」
「そんな…」
労し気に声をかけるメイド二人に、コゼット様は目を伏せた。
「…ヴィンリード」
そして呼びかけられたのは俺。
「はい」
「…夜半過ぎに話があるわ」
「…まさかコゼット様ほどの美妃にそんなお誘いをされるとは。浮かれてこの後のレッスンは身が入らなそうです」
そう言ってにっこり微笑むと、コゼット様は呆れたように息をついて『食えない男』と呟いた。
そのまま俺に背を向けて中庭へと出ていく。
…しかし、何も遮るものが無いはずの場所で忽然と姿を消した。
さらに、後を追うように影と音もなく姿を消したメイド達を見て、思わずため息をつく。
「…食えないのはどっちだよ」
怖ぇよ、あんたらの隠密性能。




